259・レティシアは子どもに慕われる
「もう少しで──魔王様は力を取り戻す」
魔族界。
魔導銃を操る上級魔族──シアドはその声に耳を傾ける。
彼の目の前には、魔王が薄い膜の中で横になり、目を閉じている。
内に秘める魔力が徐々に高まっていくのが、ここからでも分かった。
そして──魔王のすぐ隣には火の玉が浮かんでいた。声はそこから発せられているのだ。
(ベルカイムで魔王に取り込まれたって聞いてたけど……しつこいもんだねえ)
言葉にはしなかったものの、内心、シアドは感心した。
その火の玉はかつて、『宰相』と呼ばれた魔族である。
およそ一年前に当代の聖女──エリアーヌが追放されたのを見計らい、宰相達はベルカイムで魔王を復活させようとした。
目覚めた魔王に宰相は喰われ、存在ごと消滅した──ように思われた。
だが、宰相はしつこく、魂だけの存在となって生き残っていた。
それが今、シアドと言葉を交わしている火の玉の正体である。
「取り戻す……ねえ。やっぱ、完全に力が戻ったら、巨大になるわけ? ベルカイムの時はそうだったって聞いたし」
シアドは魔王が封印されてから生まれた若い魔族である。
ゆえに魔王の本当の姿を知らなかった。
「違う」
シアドの問いを、火の玉──宰相は否定する。
「あれはまやかしの姿。あれこそが、始まりの聖女が魔王様に施した結界だったのだ」
「……? どういうこと?」
「つまり巨大な姿の外郭は、結界だったわけだ。魔王様はその結界の中に封じ込められていたに過ぎない。無駄な外郭に包まれ、動きが制限された魔王様は本来の力を出すことが出来なかった」
「ふうん。それは驚いた」
とシアドは驚嘆の声を漏らす。
もっとも、それは緊張感のないものであった。
「魔王様が完全に復活すれば、最早誰にも止められない。我々も魔王様に乗じて、あちらの世界に総攻撃を仕掛ける。無論──貴様にも手伝ってもらうぞ」
宰相に釘を刺されるシアド。
(面倒だねえ……だけど魔王様が復活したら、今度こそ上手くいきそうだ)
でも──とシアドは考える。
「魔王様が力を取り戻すんだから大丈夫だと思うけど、前と比べてちょっと戦力が少なくない? 上級魔族、僕を含めて二人しかいないし。宰相は以前の力を取り戻せないんでしょ?」
「貴様の懸念も分かる。実際、我らの戦力はおよそ一年前の戦いによって、大きく削られた。だが──なにも心配することはない。戦力はこれだけではない」
楽しそうに宰相がそう告げる。
その存在については、シアドも気付いていた。
ドクン──ドクン──。
それは胎動し、目覚めの時を待っている。
(あれが解き放たれたら、魔王様がいなくても大変なことになるだろうねえ。あっちの世界の人には同情するよ)
まるで感情が一切込められていないかのように、シアドは思った。
戦いの時は近い。
◆ ◆
王城から出たのち、私は街の孤児院に向かいました。
レティシアとクロードは街の孤児院に足を運んで、怪我人の救護にあたっているそうなのです。
二人の話も聞きたかったこともありますが──孤児院に限らず、昨日の戦いで傷を負った方々が街にはたくさんおられます。
私も少しでもお役に立てれば──。
ドグラスにも『街に出れば、なにか分かるかもしれぬぞ』とアドバイスを受けましたしねえ。
そんなことを考えていると、孤児院に到着。
中に入ると、傷ついた子ども達がたくさんいて、私は胸を痛めました。
「みなさん、すぐに癒してさしあげますね──ワイドヒール」
孤児院全体が癒しの光で包まれます。
「すっげー! 痛くなくなったよ?」
「お姉ちゃんのおかげ……? ありがとー!」
「おい、バカ。俺、知ってるんだぜ。この人、聖女様だ! 俺達を癒してくれたんだ」
あっという間に私は子ども達に囲まれ、賞賛の言葉を投げられます。
子どもの無邪気な姿に、頬が綻びます。
「さすがね、エリアーヌ」
「君が来てくれて、助かった」
と──レティシアとクロードが奥からやってきて、私にそう声をかけました。
「いえいえ、私にはこれくらいしか出来ませんから」
「なに言ってんのよ。あんたがそんなことを言ったら、わたしはどうなんのよ。わたしは呪いしか能がないわけだし」
とレティシアが肩をすくめます。
「そんなことはないでしょう。あなたがいるだけで、子ども達の表情も明るいです。そうですよね? みんな」
と子ども達に視線を移すと。
「うん! その人は僕達を元気づけてくれていたんだ!」
「美人だしね〜。いるだけで、ここが明るくなったみたい!」
「おっぱいも大きいし!」
「ちょ……このエロガキ!」
軽口を叩いた男の子を、レティシアが捕まえようとします。しかし男の子はひょいっと躱わして、「へへーん!」と得意げな表情でどこかに行ってしまいました。
「こら! バリー! 失礼なことを言うのは、やめなさい!」
孤児院の職員らしき大人が、そんな男の子を声で嗜めます。
どうやら、男の子の名前はバリーというそうですね。
「全く……最近のガキはマセてるわね」
とレティシアは溜め息を吐きますが、その表情はどこか楽しそうです。
「でも、ここに来た時は子どもの表情も暗かった。君が優しく接したから、子ども達も笑顔を取り戻したんだ」
クロードの顔つきも、温かみに満ちていました。
「や、優しくしたつもりなんてないわよ。わたしは普段通りにしてただけなんだから」
照れているのか、クロードから顔を背けるレティシア。
「エリアーヌの方こそ、もう大丈夫なの? 昨日はお疲れだったみたいだけど」
「これくらい、へっちゃらです。それに──有り難いのは私の方こそです」
リンチギハムの民であり、王太子妃でもある私はともかく、クロード達は隣国ベルカイムの者。ましてや、王太子とその妃ですからね。
「なに水臭いこと、言ってんのよ」
「そうだぞ。ボク達は君に何度も助けられてきた。困った時はお互い様だ」
だけどレティシアとクロードはそう言ってくれます。
二人の気遣いが、ただただ嬉しかった。
「ありがとうございます。ですが……この街は直に戦場になるかもしれません。あなた達はすぐ、ベルカイムに戻ってもいいのですよ?」
助けは嬉しいけれど、二人がこの国にい続ける必要はありません。
自分の国の方が大切でしょうし、その考えを咎める者は誰一人いないですしね。
「昨日は私の力不足で、みなさんを不安な気持ちにさせてしまいました。このままでは今度も──あれ?」
クロード達から返事がないのを不思議に思って顔を上げると、二人ともきょとんとした表情をしていました。
どうして私がそんなことを言うのか分からない──そう思っているかのよう。
「どうかされましたか?」
「……いや、あんたがそんなことを言い出すとは思っていなくてね」
呆れたような口調で、レティシアはこう続けます。
「わたし達だけで逃げたりなんかしないわ。クロード──そしてカーティスも同じ意見だし、そんなことを話し合ったりもしていない」
「そうだぞ。逃げるなんて選択肢は、元から存在していなかったんだ」
「ですが、これからどうなるかも分かりませんし……」
「あんたって、根本的に自分のことをあまり分かっていないのよね。街から避難する人って、ほとんどいなかったって聞いたけど?」
「ええ、その通りです」
「だったら、どうしてそうなったのか分からないの? 危ないって分かってるのに、どうして街に残り続けるの?」
「それは……」
私が答えられないのを見計らって、レティシアは「しょうがないわね」と口にします。
「付いてきなさい。あんたはもっと、街の人々に視線を向けるべき」
続けてレティシアは私の手を取って、孤児院の出口に足を向けます。
「クロード、ここは任せたわ。エリアーヌのおかげで大体の治療は済んだし、わたしがいなくても大丈夫でしょ?」
「ボクも行……」
「女同士で話させなさいよ。空気が読めないわね」
「く、空気が読めない……」
レティシアに言い放たれ、クロードはショックを受けたように、たじろぎます。
その隙にレティシアは私を外に連れ出しました。





