150・セシリーの消失
「セシリー様が──消えてしまいました」
「……え?」
なにを聞かされても、驚かない覚悟は出来ていたつもり。
それでも私の思考は一瞬停止してしまった。それほどの出来事。
「セシリーちゃんが……消えた?」
「はい。正しくは、セシリー様のお姿がどこにもない──と言った方が正しいでしょうか。朝、セシリー様を起こしに行ったんです」
「それで部屋に行ったら、セシリーちゃんがいなかったと? 入れ違いの可能性はないですか?」
問いかけると、アビーさんは首を縦に振る。
「はい、エリアーヌ様の言う通りです。私の早とちりかもしれません。ですが……セシリー様の部屋に入った瞬間、嫌な感じがしまして……」
「嫌な感じ?」
「はい。見ていただく方が早いかと思います。行きましょう!」
とアビーさんが私の腕を引っ張る。
──もちろんアビーさんが言った通り、彼女の早とちりの可能性もあります。
そちらの方が良いに決まっています。
だけどこの話を聞いて、胸の鼓動が騒がしくなった。
アビーさんがいなければ、ここで倒れてしまいそう。
「分かりました……急ぎましょう!」
着替えている暇なんてありません。
私は寝間着のまま部屋を飛び出し、セシリーちゃんの部屋へと急ぎました。
なにごともありませんように……!
そう願うけれど──セシリーちゃんの部屋に近付けば近付くほど、嫌な予感は高まっていく。
そして彼女の部屋の前に到着。私達は勢いよく扉を開け、室内に入った。
──なんの変哲もない、セシリーちゃんの部屋。
特に散らかっている様子でもありませんが、床には私の姿をしたぬいぐるみが転がっていました。
だけど──大切なものがない。
「セシリーちゃん……」
彼女の姿が──見えません!
まるで最初からいなかったかのように──それが自然なのだと部屋が主張しているような、そんな不思議な感覚でした。
「やはり、もう中庭に向かわれたのでしょうか? とはいえ、それならここに来るまでに擦れ違っていても、おかしくありませんが……念のために、中庭まで探しにいきましょうか?」
「そう、ですね……」
目眩がする。
どうしてでしょう。
もうセシリーちゃんに二度と会えないような──そんな絶望感で胸がいっぱいになりました。
それでも私がなんとか気を持ち直し、部屋を後にしようとすると……。
『エリアーヌ』
頭の中に声が響く。
「女神様……」
『あなたも薄々勘付いていると思いますが──この神々しい魔力の残滓を見て確信しました。最悪の事態が発生してしまったのです。セシリーが消えたのは……』
と──女神はこう告げました。
『《白の蛇》の力が関わっています』
その後、私はすぐにナイジェルのもとに向かい、セシリーちゃんがいなくなったことを伝えました。
もちろん、《白の蛇》のことも──。
それを聞いてナイジェルはすぐに緊急の会議を開き、国王陛下や大臣の方々を集めました。
「──城内にいないとなったら、あとは市内にいる可能性もある。みんなは引き続き、城内でセシリーの捜索を。騎士の人達は、街中を探して欲しい。人手が足りない場合は冒険者に依頼を出しても問題ない。朝から忙しくさせて申し訳ないが──頼む。僕の大切な妹なんだ。では、会議はここでお開きとする」
会議の終わりに、ナイジェルがそう告げる。会議室にいるみんなが散り散りとなり、セシリーちゃん捜索にあたった。
みなさん、慌ただしく動き回ります。セシリーちゃんの無事を、心から願っているのでしょう。
「お、おぉ……セシリーよ……」
その中には国王陛下の姿も。
相当狼狽している様子でした。
「陛下。一度、部屋で休まれてはどうかと。このままでは、セシリー様が見つかるまでに、あなたが倒れてしまいます」
と近くにいた大臣が国王の体を支える。
「そ、そんなことをしている暇があるものか……儂はセシリーを探しにいく。ああ──」
ふらふらあっと、国王がそのまま床に倒れそうになってしまった。
「陛下!」
すかさずナイジェルも助けに入って、国王の身を案じる。
「僕に任せてください。セシリーは必ず見つけ出します──すまないが、陛下を部屋までお連れしてくれ」
「承知しました」
「嫌だぞ。儂は──」
国王はまだ釈然としていなかったようだけれど、大臣に引きずられるようにして部屋を退出していく。
当たり前ですが──この事態には国王陛下も、冷静さを欠いてしまうようでした。
「ふう……もう歳なのに、父上は無茶をするからね」
ナイジェルは一息吐き、私のところまで来てこう話しかける。
「エリアーヌ……大丈夫かい?」
「……はい。私は無事です。ですが、今はセシリーちゃんです。本当に彼女を見つけ出すことは出来るのでしょうか? このまま二度と会えないなんてことは──」
「大丈夫」
泣きそうになっている私の体を、ナイジェルは包み込むように抱きしめる。
ふわっとした柔らかさが体を包む。
彼は私を安心させるために、頭を優しく撫でてくれた。
「セシリーは強い子だ。僕達のところに戻ってきて、またいつものように笑ってくれるよ」
「……はい」
いつもなら、ナイジェルの暖かさを感じていると、少しは不安が紛れるのですが──今はどうしても無理。
完全に不安が消えることはありませんでした。
こうしている間にも、セシリーちゃんがどうなっているか分かりませんから。
セシリーちゃんの笑顔が脳内に浮かぶ。
『サーカス、楽しかったね! また来たいの!』
サーカスを見ている時の彼女は、本当に楽しそうでした。
あの時のことを思い出すと、自然と頬を緩みます。
『セシリーだけじゃないの! ドグラスとアビー、おとーさんも……ラルフも一緒に行く!』
新婚旅行。
ナイジェルとだけではなく、セシリーちゃんや他のみんなと一緒に行くことを約束しました。
場所は東方の国。
そこでは美味しい料理に舌鼓を打ち、観光地に足を運ぶ。みんなで笑っている姿を思い浮かべると、心が弾みました。
でも──その隣にはセシリーちゃんがいない。
彼女がいなければ意味がありません。それを思うと、胸が痛くなってきます。
「会いたい……」
気付けば、私の口からはそんな言葉が零れていた。
「セシリーちゃんともっと美味しいものを食べたい。一緒に遠い国まで旅行に行きたい。もっともっと、彼女の笑顔を見たい──だからこそ、私はここで落ち込んでいる場合ではありません」
ナイジェルの胸から顔を離し、瞳にうっすらと浮かんでいた涙を腕で拭う。
「ありがとうございます、ナイジェル。あなたのおかげで、私のすべきことが明確になりました。セシリーちゃんと──もう一度会いたい。その願いを叶えるため、ここで立ち止まってはいけませんね」
「うん。いつものエリアーヌに戻ってくれてよかった。そういう君だからこそ、僕は好きになったんだ」
とナイジェルが笑う。
──ならばまずは状況を整理しましょう。
「他の方々は引き続き、セシリーちゃんの捜索。もしかしたら、どこかで迷子になっているだけかもしれません」
「そうだね。みんな、必死になって探してくれているよ」
ちなみに……ラルフちゃんとドグラスもこの話を聞いて、すぐに城から飛び出してくれました。
ラルフちゃんは街中を駆け回り。
ドグラスは空から。
でも……ドグラスから念話がないということは、成果は芳しくないのでしょう。
「みなさんも、セシリーちゃんに会いたいんですね」
「当然だね。彼女はみんなから愛されていた。みんな──僕が命令しなくても、自発的に探してくれていたと思うよ」
捜索にこれだけ人員を割いているなら、私達がすべきことは決まっています。
「私達の方は《白の蛇》を当たりましょう」
「うん、そうだね」
私が言うと、ナイジェルは首を縦に振った。
今までなくなっていたのは、バッグや時計台といったもの。
だけど私はその頃から、これが人にまで波及してしまうんじゃないかと危惧していました。
最悪なことに、それが現実となってしまったわけです。
「《白の蛇》を殺せば、全てが元に戻る。でも一方、そのせいで神罰が下され、リンチギハムが消滅してしまうかもしれない……だったね」
『その通りです』
ここで──女神の声が聞こえてくる。私はナイジェルにも女神の加護を付与し、彼女の声を彼と共有する。
「女神様──事態の解決を図るためには、《白の蛇》とは全く逆の力をぶつけ、それを作り替えてしまえばよかったんですよね?」
『はい』
女神がそう返事をする。
「その間、セシリーちゃんはどこかにいるということでしょうか? もしかして跡形もなく消滅……」
『いえ、それは有り得ません。本当に消滅してしまったとするなら、《白の蛇》の力の行使が止まった時、それらが元の場所に戻る道理がありませんから。《白の蛇》にそこまでの力はありません』
と女神は私の心配を払拭するように、さらにこう続ける。
『セシリーの居場所は、今はまだ特定出来ません。しかしこことは全く別──神界のどこかに一時的にいるのだと思われます』
神界──女神も含む神々がいるとされている場所。
『そこはこことは別次元であるため、時間の流れ方も違ってきます。なのでセシリーの身になにかが起こることはないと思いますが……』
「でもずっと長い間、セシリーは一人でずっと待ち続けるわけだよね」
今度はナイジェルが質問すると、
『そのように考えていただいて構いません』
と女神から答えが返ってきた。
「では──《白の蛇》にお会いすることは可能ですか? そうすれば良い方法が閃くかもしれません」
それに……セシリーちゃんもそこにいる可能性があります。
『あなた達人間がそこに行くためには《入り口》が必要となってきます。時計台といったものならともかく、人間が神界に行くためには《入り口》は必要不可欠でしょう。セシリーもそこを通って、《白の蛇》がいる神界に行き──この世界から消えてしまった。
しかしそれさえ見つければ、私の方でセシリーのいるところまでご案内いたします』
「分かりました。では私達は《白の蛇》に対抗出来る力を探すのと並行して、《入り口》を見つけるとしましょう」
『はい、すみません。私にもう少し力があったら──』
「いえいえ、女神様もいっぱいいっぱいでしょうから」
彼女を責めることは出来ません。
「よし……頑張ろう。取りあえず、僕は邪神についてなにか知っていそうな学者をあたってみるよ」
「お願いします。私は書庫に行き、邪神伝承について書かれた本を漁ってみます。そうすれば、神の力を利用している者の存在についても、近付けるかもしれませんから」
「うん、頼んだよ」
希望の光は今にも消えてしまいそう。
だけどいつまでも下を向いてはいけません。
私達はそう決意して、共に会議室を後にしました。





