144・守るべきものはなにか
「──王子である汝に問おう。汝にとって、一番大切なものはなんだ?」
一番大切なもの──。
どうして、今更そんなことを聞いてくるんだろう。
しかし王子であるという前置きがあるなら、答えは決まっている。
「リンチギハム──だ。そしてそこに住む民でもある。彼・彼女等が幸せに暮らせるように、僕は全力を尽くさなければならない」
「ふっ、頭のいい答えだ。そして同時に小賢しいとも言える」
ドグラスの猛攻がさらに激しさを増していく。
「では、汝を一人の男として問おう。汝にとって、一番大切な人は誰だ?」
「そんなの……」
これも最初から答えが決まりきっている。
「エリアーヌだ。これから先、エリアーヌがどんな目に遭っても──僕は彼女を守る。そう決めたんだ」
「守る? ガハハ! 笑わせてくれるな!」
とドグラスはおかしそうに笑い、さらにこう続けた。
「女神の加護抜きでは、上級魔族一体すらも倒せない汝にか? 汝はエリアーヌを守ると言っているが、事実は逆だ。汝はエリアーヌに守られているのだ」
「確かに……そうかもしれない」
今の僕は──弱い。
エリアーヌがいなければ、最初のSS級冒険者アルベルトの時、さらに精霊の森での上級魔族騒ぎ、さらにはベルカイムでの魔王──それら全てを解決出来なかっただろうから。
ゆえに僕は自分の弱さを認める。
そうしなければ彼女に不誠実だし、生半可な覚悟では前に進めないからだ。
「だから……僕はエリアーヌがいなくても、強くならなければならない。そのために、僕は前を向き続ける」
「ふんっ。汝が最近、焦ったように第二王子と模擬戦を繰り返していたのも、それが原因だな?」
「その通り!」
そう言って、ドグラスの剣を弾く。
だが、ドグラスは隙を見せない。
それどころか、手加減してわざと僕を泳がせている節もあった。
「君にとっては、そんな僕は弱き者かい?」
「いや、汝は弱くない。強き者だ。しかし──脆い」
ドグラスがなにもない空間で、軽く剣を横薙ぎに払う。
すると──突風が巻き起こり、僕を襲った。
それによって一瞬体勢を崩してしまう。その隙をドグラスは見逃さず、距離を詰めて僕の肩に木剣を叩きつけた。
「……っ!」
痛みで声を発してしまいそうになる。今ので肩の骨が折れたかもしれない。
だが、戦いにおいて弱みは見せちゃいけない。
だから声が出る寸前のところで、ぐっと堪えた。
「最後の質問だ。もし──リンチギハムとエリアーヌが天秤にかけられた時、汝の意志はどちらに傾く?」
「……一番意味が分からない質問だ」
「リンチギハムを見捨てればエリアーヌは救われる──もしくは、エリアーヌを見捨てればリンチギハムは救われる──そのような決断を迫られた時、どちらを選ぶのか聞いておるのだ!」
とドグラスは声に怒りを含ませて言う。
──リンチギハムとエリアーヌ。
リンチギハムは僕にとって、世界そのものだ。見捨てることなんて、あり得ない。
一方、エリアーヌは僕が一生を賭してでも守りたいと思った人だ。見捨てることなんて──無理。
そんな理不尽な二者択一を叩きつけられて、僕は言葉に詰まってしまった。
それは一秒にも満たない時間だっただろう。
だが、ドグラスはそれが気に食わなかったようで──。
「だから脆いと言ったのだ!」
ドグラスが僕に前蹴りを放つ。
それを僕は木剣で受け止めた──しかし、それでは勢いが殺せない。木剣が叩き折られる。
「ぐはっ!」
ドグラスの蹴りが腹に直撃。
苦悶の声を上げて、僕は地面の上に倒れてしまった。
「蹴りは反則とでも言いたいか?」
地面に手をつき顔を上げると、ドグラスが木剣の剣先を僕の喉元に突きつけていた。
僕の敗北だ。
今の僕ではドグラスには敵わない。
しかし──これは自分でも不思議なことだったが──僕はその敗北の二文字を、どうしても認めることが出来なかった。
「そ、そんなことはないさ……っ」
「まだそんな目をしよるか。我にまだ勝てるとでも思っているのか?」
ドグラスが剣先で僕の顎をくいっと上げる。
彼の挑発的な態度に、頭に血が上っていくのを感じた。
「この際だからはっきり言っておこう──汝の生半可な覚悟では、両方とも失うことになる! 汝がそれではエリアーヌが可哀想だ! いっそのこと……」
ニヤリとドグラスは口角を吊り上げて、こう続けた。
「我がエリアーヌを貰ってやろうか? うむ、そちらの方が彼女は幸せになる」
それを聞いて──僕の中でなにかがぷっつんと切れた。
「──エリアーヌは渡さない!」
頭の中がぐちゃぐちゃになっていく感覚。
体の内側から、未知なる力が湧いてきた。
僕はドグラスの木剣を掴み、そのまま強引にどかそうと動かす。
「汝の貧弱な力で、我に──な、なんだと!?」
ドグラスの目の色が変わる。
彼が腕に力を込める。
しかし僕はそれをもろともせず、無理矢理ドグラスから木剣を取り上げた。
「迷っちゃいけないのかい……?」
木剣を構え、僕はゆらりと立ち上がる。
「仕方ないじゃないか! 僕にとって、リンチギハムもエリアーヌも大切なんだ! どちらか一方なんて選べるはずがない!」
まるで自分が発したとは思えないほどの絶叫。
僕は木剣を上段に構え、怒りのままに振り下ろ──そうとした瞬間。立ちくらみがして、もう一度地面に倒れてしまった。
「な、なんだったのだ、今の力は……」
ドグラスが唖然としているのが、目に入った。
しかしこうしている間にも、僕の頭の中が暗闇に侵食されていく。
そのせいでまともに思考することが出来ないでいた。
〈欲望に忠実になれ〉
声が聞こえた。
……なんだ、この声は?
邪悪な声だ。これを聞くだけで胸騒ぎがする。
「ドグラス……まだ決着はついて……」
立ち上がろうとするが、上手く体に力が入らなかった。
「うむ……少々、イジめすぎたか? 我、このことがバレたら死刑かもしれぬな。ガハハ!」
ドグラスのそんな愉快そうな高笑いが聞こえた後、僕の意識は闇に落ちた。





