143・男の喧嘩
ようやく解放され、僕──ナイジェルは会議室を後にした。
「ふう……結局、夕方までかかってしまったか」
会議の議題は重大なものだった。予想していた通り、僕がいないと決断出来ないような内容も含まれていた。
その中には気になる事件も含まれていた。今のところは、規模は小さいかもしれないが──無視することは到底出来なかった。
それに……今は王位継承の大事な時期。
みんなには僕が王位に就くことに納得してもらう必要がある。
もちろん、そのことに反対する人はいない。
しかしこんな大事な時期に、殿下は会議をほっぽり出してお妃とデートに出かけた──なんて聞いたら、みんなはどう思うだろうか。間違いなく、気分を害するだろう。
そういった意味もあり、緊急の会議とはいえ出席しないことは困難だったのだ。
僕を呼びにきたアビーは最後まで申し訳なさそうだった。君が謝る必要はないよ……とフォローしたが、大丈夫だろうか。
「エリアーヌ……セシリーと楽しんでくれているかな」
会議の僅かな休憩時間、エリアーヌがセシリーとサーカスを見に行ったことを、アビーから伝えられていた。
それを聞いて、僕はほっと胸を撫で下ろしたものだ。
あのまま彼女を一人きりにさせるのは、罪悪感で押しつぶされそうになるからね。
セシリーにも感謝だ。
無論──今日のデートは二週間前から心待ちにしていた。
サーカスを見た後はどこに行こうか? お気に入りのカフェに彼女を連れて行こうか。
当日はなにを着ようか? アビーに相談して、当日の服装を一緒に決めたことは良い思い出だ。
それも全て今日のため──しかしそれもなくなった。
エリアーヌには、今日の埋め合わせは絶対にすると約束した。
だが、これからさらに忙しくなってくる。
何ヶ月も先まで予定が埋まっている。そして予定は増える一方だ。
──次に予定を空けられるのはいつになるだろうか?
そんな疑問が湧いてきて、暗い気持ちになる。
「ダメだ……今は大事な時期。僕が公務をサボったりしたら、彼女はきっと怒るだろう。頑張らないっと」
そう呟いて、気合を入れ直す。
「そうだ。そろそろ彼女達は王城に帰ってくるかな? 迎えにいこうか」
疲れた体に鞭打って、城門に向かおうとした──その時だった。
「会議は終わったのか?」
後ろから呼びかけられ振り返ると、そこには不機嫌そうな顔をしたドグラスが立っていた。
「やっと……ね。そうだ、今からエリアーヌを迎えにいくつもりなんだ。君も一緒に……」
「せめてもの罪滅ぼしのつもりか? ふんっ、くだらぬことを考えよる」
「罪滅ぼしってそんな……」
「そんなことより我に付き合え」
何故だか、ドグラスの声には明確な敵意があった。
「えっ、急にどうしたの? でもそれはエリアーヌを迎えにいった後に……」
「さっさと来い!」
鼓膜を震わす怒声。
ドグラスはぐいっと距離を詰め、僕の胸ぐらを掴んだ。
「喧嘩だ。汝に拒否権はない」
「君と喧嘩をする道理なんてないよ」
「拒否権はないという言葉が聞こえなかったか?」
ドグラスは一歩も引く気がないよう。
……仕方がない。
「分かった、付き合うよ。これでも──売られた喧嘩は買う主義でね」
「ふっ、戯けたことを言いよる」
なにがなんだか分からないまま、僕はドグラスの後をついていった。
そして僕が到着したのは城の中庭。
ここにはラルフがいる。マリアが城に帰ってきてから、よくここで模擬戦もしていた。
ラルフは「なにごとだ?」と言わんばかりに、むっくりと体を起こした。しかし並々ならぬ雰囲気を感じ取ったのか、遠巻きから眺めているだけだった。
「木剣は確かこの辺りに……よし、これだな」
とドグラスは中庭に置いてあった、二本の木剣を手に取った。
そして片方を放り投げてきて、僕はそれを掴む。
「模擬戦とやらをするぞ。汝がいつも、あの第二王子としているものと一緒だ。しかし──今回はどちらかが倒れるまで続ける。死んでも恨みっこなしだ」
「そんな危険なこと……」
「問答無用だ!」
僕が言い終わるよりも早く、ドグラスが地面を蹴る。
咄嗟に僕は木剣を前に出して、ドグラスの攻撃を受け止めた。
「どういうつもりだい? どうしてこんなことを……」
「ふんっ、どういうつもり……ときたか。我をあれだけ虚仮にしてくれたというのにな」
「君がなにを言っているか分からない」
僕達は剣を振るいながら、言葉を交わす。
「やはり勝負にならぬな。その腰にぶら下げている飾りを使ってもいいぞ? それくらいでないと、話にならん」
とドグラスは一旦距離を取って、僕の腰付近に視線をやる。
飾り──ドグラスは神剣のことを言っているんだろう。
精霊達の間で、代々受け継がれてきた剣。元々はただのサビた剣だったが、エリアーヌが始まりの聖女の力に目覚めるのに呼応して、光り輝く神剣となった。
神剣の威力はすさまじく、たった一刀で魔王を倒したことは記憶に新しい。
とはいえ。
「こんなの、君相手に使えないよ。君が怪我をしてしまうかもしれない」
「ふんっ、エリアーヌなしではまともに使えないのにか?」
ドグラスの言った通り、女神の加護が付与されている状態でなければ、神剣は真価を発揮しない。
「それに──我の心配をする前に、まずは自分のことを考えろ!」
彼が地面を蹴り、一瞬で僕と距離を詰める。
四方八方から繰り出される剣。正直、合理性の欠片もない、野生味に溢れた剣筋だ。
しかしドグラスの人間外れた剛力と俊敏さ、そして柔軟さによって、そのメチャクチャな剣筋は何人たりとも近付けぬ暴風となる。
ゆえに、僕はドグラスの剣を受け止めるだけで精一杯になっていた。
「──王子である汝に問おう。汝にとって、一番大切なものはなんだ?」





