投獄
第七十五話。ジェイル
「ここは……」
目覚めた狼刀の目に映ったのは、全く見覚えのない景色だった。
自分が寝ていることは理解できたので、目の前に見えているのは天井だろう。しかし、どう見ても鉄格子でしかなかった。
少しでも状況を理解しなければと動こうとするが、動けない。遅ればせながら、狼刀は自分の手足が拘束されていることに気がついた。
「どうして……」
口や目は塞がれていない。
手は体の前で組まされて手錠をかけられていた。足は自分で見ることは出来ないが、感覚からして足枷と重りが付けられている。
首と腰にはベルトのようなものがついているようで、横には動かせるが起き上がることは出来なかった。
届く範囲にものは落ちていない。
「だーれーかー。いーまーせーんーかー」
近くに誰かいるのではないかと声をかけてみる。が、返事はおろか物音一つ聞こえはしない。
「やっぱり来ないか」
気分転換も済んだところで、狼刀は改めて現状について考えていた。
狼刀が覚えているのは鎧の男にピッケルを振り下ろしたところまでだ。絶賛監禁中なことを踏まえると、作戦が失敗して捕えられたというところか。
相手がなぜ殺さなかったのかはわからない。
それでも、生きたまま囚われの身となることは狼刀にとってあまりいい展開ではなかった。
いっそ、殺されてやり直したほうが早いのではないか。
そう考えるくらいに、狼刀は自分の命を軽く考えていた。
その一因は痛みを感じない体であるということが関係しているのだが、狼刀もマナティもそのことには気がついていない。さらに言うのなら、痛みを感じない体であると気がついているのが、狼刀だけだった。
閑話休題。
「どうにか動けないかな」
手や腰など、動かせる場所は動かしてみる。
が、体の位置が少しずれるくらいで脱出には程遠い。
「無理か」
死んだらやり直せる。そう考えつつも、自死を選ぶという選択肢は狼刀の中になかった。
どれくらいの時間が経っているのだろうか。
狼刀はだんだんとつらくなっていた。
物音はなく、ほのかに暖かい。気を抜けば睡魔に負けてしまいそうなくらい、快適な環境だ。拘束されているという事実を除いては、だが。
瞼が重くなる。
眠るわけにはいかないと思っても、睡魔に抗う術が欠如していた。
起きていることが、だんだんとつらくなっていく。
そんな狼刀の目を覚ますように、爆発音が響き渡った。
「なに、ぐっ!」
様子を確かめようとして起き上がろうとするが、首が絞まっただけで起き上がれない。
しかし、そのおかげで狼刀の意識は完全に覚醒した。
「……何が起こってるんだ」
とはいえ、現状については何もわからない。
囚われたまま外の状況に耳を傾けることが、今の狼刀に出来る精一杯のことだった。
◇
狼刀が聞いたその爆発音は、同じように囚われの身となっているスペーディアの耳にも届いていた。
しかし、彼女には打つ手がないわけではない。
声を出しても誰の返事もなく、狼刀とは別のところに捕まったのだと理解した彼女は、体力を回復させるために、大人しく捕まっていた。
「休んでる場合ではないようですわね」
今の爆発音が狼刀の行動によるものならば、すぐにでも助けに行かなくてはならない。
スペーディアは自らを縛る枷と鉄柵を手刀にて切断し、外へ飛び出した。
「なに、これ……」
広い部屋の床一面に、スペーディアが入っていたのと同じような穴が、規則正しく並んでいる。その中には服を着た骸骨が入っているものもあった。
最初からそうであったのではないだろう。
おそらく、屍になるまで、脱出することが出来なかったのだ。
冷や汗が頬を伝う。
「ここまでは予想通りですね」
部屋の出入口と思われる扉の前に、灰色の鎧を着た男が立っていた。
「見張り、いたのね」
物音がせず誰もいないと思っていたスペーディアは少しだけ驚いたが、表情は崩さない。
「通してもらえるかしら?」
切断した鉄柵の一本を武器代わりに構え、スペーディアは男に笑いかけた。
「通すわけには行きませんね」
いないと思っていたから驚いただけで、見張りがいること自体に驚きはない。
「なら、力尽くで通りますわ」
「通しませんよ!」
鉄柵を構えたスペーディアに向かって、男が跳ぶ。拳は構えない。あの構えは、体当たりだ。
スペーディアは軽やかなステップで男を受け流した。
無防備になった背中に向けて、軽めの突きを放つ。
「クラウディオ!」
「……リョーカイです」
穴に隠れていた神官が、二人の間に飛び出した。錫杖は構えずに、身を呈して男を守らんとする構えだ。
「なっ……」
スペーディアは思わず、武器を引いた。
「……スキありです」
その動きを見逃さず、クラウディオと呼ばれた神官は錫杖を振り下ろす。
スペーディアが鉄の棒で受け止めると――鍔迫り合いになることもなく――錫杖が真っ二つに斬れた。
が、クラウディオは気にした様子もなく、短くなった錫杖で突きを放つ。
スペーディアは後ろに下がることでそれを躱すが、クラウディオはまともに体勢を立て直そうともせずに再度突きを放った。
スペーディアは錫杖を中程から切り落とし、回避。それすらも気にせずにクラウディオは錫杖を振るう。それを最低限の動きでかわし、スペーディアはクラウディオの足を払った。
バランスを崩し後ろへ倒れ込むクラウディオに向けて、踵落としで追撃を仕掛ける。
「……スキありです」
片足立ちで体を後ろに反らした不安定な姿勢で、クラウディオはスペーディアの足を受け止めた。
普通の人間には無理のある動きだ。
「なんなのよ、あんた」
「……クラウディオ」
「そうじゃなくて!」
力任せに足を振りほどき、スペーディアは後ろに跳躍した。
「……甘いです」
不安定な姿勢のまま、クラウディオは錫杖を投擲する。
スペーディアが錫杖を弾くと、すぐ後ろに灰色の鉄拳が迫っていた。
「忘れてもらっては困りますね」
「忘れてないわよ」
鉄拳を下から打ち上げて、胴体へと蹴りを放つ。
ハルマは反対の手で蹴りを受け止め、スペーディアを投げ飛ばした。
そこへ追撃を加えるのはクラウディオ。錫杖の折れた破片を持って飛びかかる神官に対して、スペーディアは鉄の棒を突き出した。
「……悪手です」
錫杖目掛けて突き出された鉄の棒を、クラウディオは腕で受け止める。鉄の棒によって腕が裂かれるが、気にした様子もなく棒をしっかりと握った。それと同時に錫杖の破片を投げる。
狙いは首。
動いて避けることも、武器で防ぐことも出来ない。
スペーディアは左手の甲で破片を受け止めた。
「……へぇ、面白いことしますね」
クラウディオは自由になった手を伸ばして、スペーディアの手を握る。
「……では、減速魔法」
クラウディオの放った減速魔法は、空中でぶつかり合った二人の落下をほぼ停止させた。
この状態では、動きたくとも動けない。
「よくやりました! クラウディオ」
空中に留まる二人をハルマの鉄拳が打ち抜いた。




