一大決戦
三十二話。強敵との死闘。
リヴァルが闘技場に辿り着いたのは、兵士の報告を受けて、しばらくしてからのことだった。
まあ、突然城を襲ってきた神官を、突然現れた旅人が倒し、生け捕りにした上で、見ず知らずのはずの自分を呼んでいるというだ。
それ相応の準備をしてから向かうのは、当然だろう。
「私に何か用事ですか。旅の者」
十字架に磔にされた神官は項垂れていて、動く気配はない。生け捕りにしたらしいが、息があるのかさえ怪しい状況だ。
「死んでいるのですか?」
「いえ、まだ生かしてありますよ」
リヴァルは神官に剣を向けた。
「殺さないのですか?」
「ああ、裏切り者との戦いにきりをつけるまではな」
「裏切り者、ですか?」
リヴァルは目を細める。
旅人は頬を弛め、不敵とも思える笑みを浮かべた。
「大神官の弟なんだろ? それに体に化け物を宿してる。他にもいろいろと――」
「もういい」
続きは待たない。
何を知っているかはわからないが、リヴァルにとって彼は明確な敵だ。
リヴァルが振り下ろした剣を敵は二本の刀で受け止めた。――刀は折れない。
「処刑の時間だ」
片手で眼帯を外し、力を込める。――刀が一本だけ折れた。
「化け物めぇ」
背後から聞こえたのは、おそらく神官の声だ。生きているというは嘘ではなかったらしい。
磔にしてあるとはいえ、あの魔法を使われれば厄介だ。
眼前の敵への追撃を中断し、神官の体を斬り裂いた。
「隙ありだ!」
その背中に向かって、旅人が叫ぶ。
たった二歩、数瞬だけ背を見せただけで不意をつけたと思うとは、甘い。一振りの刀を両手で振り上げたその姿こそ、隙ありだ。
振り返りざまに前に踏み込んで、懐に入り、剣を薙ぎ払う。
「もろいな。人間は」
藁人形を斬ったくらいの手応えしかない。
「ッルアァァァァァァァ!」
叫び声は、真横から聞こえた。
死んだはずの神官が、二本の錫杖を振り上げている。驚きを噛み殺し、剣を振り上げた。独特の金属音が響き、錫杖が折れる。
振り下ろされた錫杖を、剣で受け止めた。それでも折れたのは剣ではなく、錫杖のほうだ。
「こっちだ」
「……!」
聞こえてきたのは死んだはず人間の声だった。
振り返ったその視界に映るのは、五体満足でイソリが使う二刀流の構えをとる男の姿だった。
ありえない。何かがおかしい。
そんな疑問を心の中に押し込めて、男に肉薄すると同時に剣を振るう。
彼はその攻撃を二本の刀で受け止めた。一本は折れてしまうが、距離を取って用意されていたかのように置かれた刀を拾う。
「もういいですよね」
男は誰もいない場所に声をかけた。いや、違う。
「どうやら本当のようですね」
「リヴァルさん……」
物陰から二人の人物が現れた。
近衛兵団のスクラヴォスと兵士団のイソリ。
剣技という面だけで比べたらなら、近衛兵長のセイントと同等以上の力を持つ二人だ。それぞれの制服を着て、剣を二本づつ持っている。
油断していた。隠れていたことに気がつかなかったことも、神官が死を偽装したことに気がつかなかったことも。
もう油断はしない。
感覚を研ぎ澄まして、敵の位置を認識する。隠れている存在は感知出来なかった。
「一人や二人増えたところで変わらぬ」
落ちていた刀の破片をスクラヴォスに向かって投擲し、イソリとの距離を詰める。この中ならば、彼が一番弱い。
「くっ」
だが、イソリは攻撃をしっかりと受け止めた。剣を一本折ることには成功するが、追撃を仕掛ける前に、逃げられる。
折れた剣を捨てて、新たな剣を構えられては、深追いも難しい。
破片を弾き落としたスクラヴォスが迫ってきているのだ。
「そこです!」
剣を重ねるように放たれる斬撃は単調で、受け止めることは容易い。けれど、力を込めても折れるのは一本目の剣だけ。
スクラヴォス自身を斬るためには、もう一撃を入れなければいけない。
「そこだ!」
振りかぶり、一瞬だけ止まった腕を、神速の太刀が斬り落とした。
「ちぃっ……」
手ごと落とされた剣を素早く左手で掴むと、その場で回転する。スクラヴォス達は後ろに飛んで、距離をとった。
武器の一本でも折っておきたかったが、それは仕方ない。剣を床に突き立て、右手の治癒を。
「ラアッ!」
神官が錫杖を投げた。
「くそっ」
狙いは心臓か。速すぎて回避は不可能。剣を抜いてる暇もない。再生しきってない右手を突き出した。
錫杖が突き刺さる。
右手から錫杖が生えているような格好だが、引き抜くのは後回しだ。神官はいま、錫杖を投擲した。新たな武器を構える隙は与えない。
剣を抜き、一歩踏み込んで神官の懐に入り込む。
錫杖で防ごうとしているが、一本では無駄。これで一人は――
「分裂魔法」
錫杖がブレる。なんの意味もないような行動だが、この状況ならば有効な一手だ。
剣は分裂したばかりの錫杖を折るに留まり、その体までは届かない。とはいえ、攻めるなら今しかない。
「分裂魔法」
神官の防御には余裕が無い。
イソリが振り下ろした剣を右手に突き刺さった錫杖で受け止め、神官を攻め立てる。だが、攻めきれなかった。
両手は二人との攻防にかかりきり。
無防備な背中に、神速の一撃が刻み込まれ、右肩から左脇腹にかけてが深く斬り裂かれた。
規格外だ。
感知が間に合わない。気づいても速すぎる。
「人間どもがぁ!」
声を荒らげ、衝撃波によって三人を吹き飛ばした。
◇
「人間どもがぁ!」
背中を斬り裂かれ、怒りに満ちた表情を浮かべるリヴァル。髪が揺れ、いつもは赤い右目までもが、青く染まり始める。
「失せろぉ!」
力強く踏みしめた床が砕けた。
マナティの助言を受け、ブラストと取り引きをし、イソリとスクラヴォスを味方に引き込み、出来るだけのことはしたはずだ。
狼刀の頬を汗が伝う。
「人間風情、がぁ……」
突然、リヴァルが右目を押えて、呻き出した。
「人間をなめるな。黙れ、我の力なしでは。やってやる、だから黙ってろ。人間の分際で。そのくずと契約しておいて何を言う。黙れ、黙れ、黙れ。契約は絶対なんだろう? リ、リヴァル・ジャドレイィ!」
天井を見上げて吠え、リヴァルは右手に刺さった錫杖を引き抜く。
「もういい。黙ってろ、アポロン」
リヴァルが正面を向いた。その顔には今までと決定的に違うところが一つある。赤い両目で狼刀を見据え、リヴァルは剣を床に突き立てた。
狼刀を含めた四人全員が、戦闘態勢をとりつつも動けずにいた。
「人間の力見せてやるよ。光輝魔法!」
リヴァルが手を挙げて、魔法を発動させる。スクラヴォスが、イソリが、ブラストが、光から逃げるように目を覆った。
目くらましの魔法か。
「ちっ」
狼刀と目が合ったリヴァルは、小さく舌打ちをして、全力で背を向けて走り出した。闘争ではなく逃走だ。闘技場を出て、階段を駆け上る。
狼刀はその背中を追いかけた。
一階に出られては、状況がひっくり返りかねないと思ったからだ。形はどうあれ、狼刀は侵略者と協力し、兵士達と戦ったのだから。
背中と右腕からは血が流れ続けているが、リヴァルの走りは決して遅くない。振り返って、何かをしゃべる余裕も見せていた。
何を言っているのかはわからなかったこともあり、狼刀は無言で追いかける。
しかし、どれだけ階段を上がっても二人の距離は縮まらない。
狼刀が必死に追いつこうとするように、リヴァルは必死に追いつかれないように走っているのだろう。
と、狼刀が不意に立ち止まった。
「おかしい……」
どれだけ、駆け上がっても追いつけない。速さの問題ではなく、距離がおかしいのだ。
地下闘技場から地上に繋がる階段はこんなに長くはない。これだけ走れば、追いつく追いつかない以前に階段を抜けるはずなのだ。
それなのに、狼刀がいるのは階段の途中。まるで、
「……階段がループしてるのか?」
そんな狼刀の憶測を裏付けるように、リヴァルが後ろから階段を駆け上がってきた。
「なっ……くそっ!」
リヴァルは狼刀に気付くと、慌てて後ろを向き、階段を駆け下りていく。
狼刀はその後を追った。
その目の前に、開け放たれた重厚な扉が姿を現す。地下闘技場に降りてきたのだ。
「どうなってるんだ……」
だが、そこには誰もいなかった。
先に降りたはずのリヴァルも、地下に残っていたはずの三人も、誰もいない。
どこかに隠れているのではないかと、狼刀は探し回る。イソリやスクラヴォスが隠れてた場所や立て掛けられた武器の陰、道具の入った箱の中まで。
そうしているうちに、闘技場に三人が現れた。
「どうなってるんですか?」
スクラヴォスが一歩前に出て、狼刀に尋ねる。
「わからない。リヴァルも消えた」
「そうか。いや、君を責めたりはしない。ありがとう」
スクラヴォスはそれだけ言うと、イソリと共に階段を登っていった。彼らに任せておけば、リヴァルを捕まえることは出来るだろうか。
「やるのか?」
狼刀は刀を構え、ブラストに笑いかける。
「いぃやぁ。もうぅ少し後だぁ」
ぶっきらぼうに答えると、ブラストは座り込んだ。リヴァルとの戦いは楽なものではなかった。少しくらい休んでからと考えるのは当然の流れか。
狼刀は少し離れた場所に座ると、目を閉じた。