アンジュという神官
第八十九話。圧倒的な存在
神官の力によって、スペーディアはどこかに移動させられた。その場所は、よく知っている場所だ。ここ数日離れていたくらいでは、忘れようもない場所。
「まさか、こうなるとはね」
そこに金髪の神官が佇んでいた。
「あなた、は……?」
スペーディアは神官の顔を見た直後に頭を押さえる。
思い出されるのは、トレイス城襲撃の記憶。
そう。
城を襲ったのは。
父を、母を、みんなを殺したのは。
わたしの姿を変えたのは。
「あ、ああぁ」
何故か曖昧になっていた記憶が蘇る。
場所がトレイス城の王の間だということもあるだろう。
だが、それよりも。
目の前に現れた男。
彼が。
彼こそが、この城を滅ぼした張本人だ。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
スペーディアの中で燻っていた感情が爆発した。
「殺す」
すでに、自分の下から逃れたハルマのことは意識の外に追いやられていた。
外で自分を待っているであろう狼刀のことは、気にもならなくなっていた。
自分の格の危険性は、忘れた。
ただ、目の前の敵を倒せるだけの力があれば良かった。
「殺す」
何かが、弾け飛んだ。
◇
「いい感じだね」
スペーディアの姿を見て、アンジュは満足そうに微笑んだ。
「ど、どうなっているんですか?」
スペーディアの下から這い出てきたハルマは状況が掴めていないようだった。少しでも情報を得たいのか、それとも安心したいのか、ハルマはアンジュの近くへと寄ってくる。
「ア、アンジュ殿。これは」
「ん? あぁ、ハルマか」
アンジュはまるで今初めて気づいたかのようにハルマのほうを見た。
それも一瞬だけ見て、すぐに視線をスペーディアの方へと戻す。
ハルマもつられてスペーディアのほうを向いた。
「殺す」
そこにいたのは、ハルマの知るスペーディアではない。
髪の毛は逆立ち、耳は獣のように尖った形へ。口には小さな牙が覗き、瞳は青く鋭く。体に目立った変化はないが、背後では美しい毛並みの白い尾が揺らめいていた。
「ア、ハッ」
スペーディアは獲物を見つけた獣のように、体を前傾にして前のめりに構える。
「ハッ!」
スペーディアが跳ぶ。体を回転させるようにして、袈裟斬りに刀を振り下ろした。
アンジュは後ろに飛んで躱す。
だが、その隣にいたハルマは避けられなかった。
氷を纏った刃に斬り裂かれたところが、凍りつく。一刀のもとに両断されたはずの胴体には、ずり落ちる暇さえ与えられなかった。
「なかなかの威力だね」
少しずつハルマが凍りついていく姿を、アンジュは嬉しそうな顔で見ていた。
ハルマに恨みがあったわけでない。スペーディアが予想以上の力を見せてくれたことが嬉しいのだ。助けを求めるような視線も、気にならない。
アンジュにとって、ハルマは既にどうでもいい存在だった。
「キッ」
スペーディアは攻撃方法を刺突へと切り替えた。
風のように駆け抜けるスペーディア。
その後ろで、誰にもみとられることなく、凍りついたハルマが砕け散った。
「シッ!」
スペーディアが連続で放つ鋭い突きを、アンジュは安全圏で回避する。
「神聖・火炎魔法」
一瞬の隙をつき、アンジュが白く輝く炎を放った。
スペーディアの周りに氷の膜が現れて、それを防ぐ。膜はすぐに崩壊し、スペーディアの攻撃を邪魔することはなかった。
床も、壁も、その鋒に触れただけで裂かれ、凍りつき、侵蝕され、朽ちていく。
制御を失った死神の格は、まさに死を振りまく災厄。スペーディアは災厄となって舞う。
「いいね、順調だね」
その攻撃を、アンジュは楽しそうに躱していた。
「常闇・風切魔法」
隙を見て放つは、黒き風の刃。
だが、スペーディアの周囲に展開された氷の膜がそれを通さない。属性を変えても、氷の膜は魔法を防いでいた。
「火炎魔法。からの、風切魔法!」
アンジュは工夫しながら攻撃を重ねる。
スペーディアは気にすることなく突っ込んでいった。が、氷の膜がその身を守るため傷を負うことはない。
「シッ!」
スペーディアが鋭い突きを放つ。その攻撃がアンジュに届くことはなかったが、格の力に耐えきれなくなったのか、彼女が持つ刀が崩れ始めた。
刀はまるで砂になっていくかように、刃先から形を失っていく。
スペーディアは崩れゆく刀を見て、捨てた。
「ハッ!」
右手を前に突きだし、吠える。
その声に答えるかのように、手の中で氷の刀が形成された。
「素晴らしいね!」
アンジュは嬉しそうに笑う。
「氷柱魔法」
体の周囲に氷柱を生成し、そのうちの一本を手に取った。
スペーディアの真似をするように、氷の刃を構えるアンジュ。
「カッ!」
スペーディアは怒りの形相で飛び出し、体を回転させながらの袈裟斬り。アンジュは危なげなく躱したが、今までよりも余裕はなかった。
「ハァッ!」
バックステップでかわしたアンジュに向かって、スペーディアが氷のブレスを放つ。
新たな技だ。けれど、アンジュは焦らない。
「火焰魔法」
氷のブレスは焔の魔法で相殺。
「からの、光線魔法」
蒸気を隠れ蓑にして、光線を放った。
視認することはほぼ不可能。仮に出来たとしても防ぐことは出来ないタイミング。それでも、アンジュは警戒を緩めない。
「シェアッ!」
蒸気の壁を打ち破るように、スペーディアが飛び込んでくる。その体には傷一つついてはいなかった。
氷の膜は見えない攻撃さえ防ぐ。
アンジュは後ろに飛んだ。
スペーディアは氷の刀を投げる。
アンジュは氷柱魔法の刃で飛んでくる刀を防ごうとするが、スペーディアの力を纏った刀を止まらない。
「くっ」
氷の刀がアンジュの体を貫く――ことはなかった。
「……危なかった」
氷の刀は、アンジュに届く寸前で砕け散っていた。
アンジュが何かをした訳では無い。
ただ、スペーディアが込めた力に耐えきれなかっただけ。
「アアァッ!」
スペーディアが吼える。
その姿は、獣人。そう表現して然るべきものとなっていた。
顔は口と鼻が前へと伸び、口からは立派な二本の牙が覗く。人間としての面影を残しつつも、獅子のような顔つきへ。
全身は深く白い体毛に覆われ、服はほぼ意味を成さないほど崩れ去っていた。手は床につきそうなくらい低く構えられ、武器は刀ではなく鋭く尖った爪の形を成している。
「アァッ!」
距離があれば、飛びかかって鋭い爪を振り降ろす。
横にかわせば追撃がきて、後ろに飛べば渾身の氷ブレスが放たれる。
不用意に後ろに回り込めば尾で薙払われ、上に避けたのなら尾を使って飛んでくる。
もはや人間らしさのない戦い方だが、攻撃の手は確実にアンジュへと近づいていた。
スペーディアの猛攻の前に、アンジュの表情が崩れる。愉悦ではなく、焦りの表情に。
「……まずいな」
スペーディアの攻撃は掠りでもすれば即、死に繋がる攻撃だ。
獣化して動きが早くなっているうえに、アンジュの動きは寒さによって鈍ってきている。
このままでは、回避しきれなくのも時間の問題。
それを悟ったアンジュは、切り札を一枚切ることにした。
「爆ぜろ 焔えろ 焼き尽くせ 優雅に 情熱的に舞い踊れ」
アンジュはスペーディアの攻撃を躱しながら、詠唱を紡ぐ。まさに、優雅に舞い踊るように。
「我が魔力を糧として 虹の焔を具象せよ」
大量の魔力を注ぎ込み、発動させるは大魔法。
「爆焔大魔法」
スペーディアを中心として魔力が爆ぜる。
その爆発は、王の間を消し飛ばすには十分な威力だった。




