底知れぬ恐怖
第十話。最強の敵。
「やあ、ようこそ」
考える人みたいな石像やツタンカーメン風のなにか、天秤を持った像に両腕のない女神みたいな像。そんな芸術品の中央にそれはいた。
シルクハットに燕尾服、右手には杖を持った優男。見た目だけなら、執事とか英国紳士という言葉が似合うだろうか。
それはあまりにも人間だった。
前回の焼けた屋敷から何事も無かったかのように出てきたことから、人外である可能性は高いのだが、見た目は人間以外の何者でもない。
「まあ、かけたまえ」
放心状態の狼刀に、それは優しく声をかけた。
「はい……」
狼刀は促されるまま、近くにあった椅子に座った。それは優しい笑みを浮かべ、テーブルを挟んで、狼刀の向かいに腰掛ける。
「私は天軍師。待っていたよ、勇者くん」
天軍師は静かにコップを差し出した。中に入っているのは、透明な液体――おそらくは水だろう。
「どうも」
狼刀は水には手を付けず。軽く会釈。
「名前は、何というのかな?」
「俺は結城狼刀。魔王を倒すために旅をしている」
「目的は知っているよ」
天軍師はどこからか現れた執事達に様々な料理を出させ、話を進める。
「それにしても、結城狼刀か。実に珍しい名前だね」
「名前は気にしないでください」
狼刀が料理に手を付けることはなかった。
「料理に毒なんて入っていませんよ。どうぞ、お食べください」
天軍師はセリフを証明するように、料理を食べて見せる。とはいえ、手をつけたのは一品だけだった。
他の料理が安全だという保証はない。
そもそも、天軍師が食べたからといって、安全であるという保証がなかった。
「それで、この屋敷には何の御用で」
「お前を倒しに来た」
「ほう」
天軍師の表情が崩れる。待っていましたといわんばかりの満面の笑みだ。
「それでは、何故のんきに会話などしているのですか」
「くっ……」
天軍師の質問に、狼刀は口ごもった。
天軍師を倒さなければならないことはわかっている。前回の記憶から、天軍師が人間ではないことも。
「まあ、無理もないことですが」
「なんだと……」
天軍師は口角を吊り上げ、
「君が私に攻撃できないのは、私を魔物だと思いきることが出来ないからです」
言い切った。
狼刀の頬を一筋の汗が流れ落ちる。
「その反応は、図星のようだね」
天軍師の言葉で、狼刀は自分の呼吸が浅くなってることに気がついた。
「そ、そんなことはない」
狼刀は、一言返すだけで精一杯だった。
「まあ、仕方のないことですよ」
天軍師は口角をさらに釣り上げ、不気味な笑顔を浮かべる。それでも声の調子は変えず、優しく狼刀に語り掛けた。
狼刀は水を飲み、呼吸を整える。
「飲みましたね?」
そして、意識が途絶えた。
誰かの声が聞こえたような気がして、狼刀は目を覚ました。
壁はコンクリートような冷たく、目の前には固く閉ざされた鉄格子。手足には鉄枷が嵌められ、鎖で壁につながれおり、足には鉄球もつけられていた。
まるで、囚人のような格好だ。
「ここは……?」
狼刀が発した一言は、奇しくも廃城に現れるときのそれと同じであった。
一つだけ違うとしたら、その問いに答える存在がいたということだろうか。狼刀をここに閉じ込めたであろう張本人。シルクハットに燕尾服、左手に杖を持っていた優男――天軍師が狼刀の目の前に立っていた。
「ここは屋敷の地下牢獄ですよ」
天軍師は不敵な笑みを浮かべている。
「君は催眠草入りの水を飲んだためここにいるんだよ」
天軍師は、鍵を使って鉄格子の扉を開けた。狼刀から目を離すことなく、天軍師は目の前までやってくる。
「料理には、本当になにも入っていなかったのだけどね」
天軍師は笑顔でそういうと、狼刀の頭に右手をのせた。
「実に、実に興味深い……。君は、一体何者なのかな?」
天軍師は、頭から手を放し、左手に持った杖で狼刀の胸を貫いた。
「まあ、ゆっくり聴かせてもらいますよ。嫌でもね」
ただし、治癒の力を帯びた一撃は殺すためのものではない。目的は拷問だ。けれど、その選択は間違っていた。
「……なに?」
天軍師の顔が初めて曇る。
それを気にする余裕は狼刀にはない。彼はただ、天軍師に底知れぬ恐怖を感じていた。
ゲームではない。
これも現実なのだときちんと理解するようになったからこそ、天軍師に心から恐怖している。人の形をした敵に。
意識が遠のいていく中、狼刀は自分の最初の死様について思い出した。
結城狼刀は高校二年生。剣道部の所属で周りの生徒からは神童と呼ばれており、その実力は全国レベルだった。
趣味は、テレビゲーム――特にアクションRPG――とアニメ。
特別裕福ではないが、貧乏でもなく。家族の仲も悪くない、そんな家庭で過ごしていた。
死の要因となったのは、ゲームをしながら「死んだら異世界に転生できるかな」といった狼刀に引きこもりな妹が、「やってみれば?」と、言い返したことである。
売り言葉に買い言葉。「やってやる」と言い残し、狼刀は二階にある自分の部屋の窓から飛び降りた。
狼刀はそこまでの記憶を取り戻した。