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舞い踊り散る桜  作者: 紅夜 真斗
十三章
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鷹心(6) 込める鳥の声

 不意にぴいぴいと鳴く高い声が聞こえた。聞き馴染みのある声だと振り返れば、よたよたと体を揺らして、家の影から歩いてきた鷹の姿が見えた。

 律心殿がそれを見て立ち上がり、拾い上げるように鷹を抱き上げてオレの目の前に連れてきた。

「飛べ、ない、のですか……」

「今はな」

 ぽすんと座るオレの両手に無理やり収められるように渡された珀慧が、これでもかと言うぐらい大きな鳴声を辺りに響かせる。

「な、何だいきなり」

 予想もしてなかった鳴声にたじろぎ、珀慧を見下ろせば再び大きく鳴かれた。

「“帰らないのか。皆が待っているんだろう”と、そう言ってるな」

 不機嫌そうな面差しなのに口元に笑みを浮かべて言う律心殿に、オレが向けたのはそんなはずは無いと云う疑いの眼差しだった。

 当然、オレには珀慧の言葉はただの鳴声にしか聞こえない。彼の言う言葉が本当かどうか、確かめる術が無かったのに。

「いたっ、ちょ、珀慧、やめろ!」

 お前はいつから啄木鳥になったんだ。そう言いたいほど、珀慧の体に添えていた指先を狙って、ガリガリと削るように啄ばまれる。

「いい加減に――」

 指先を噛まれ続けて、咄嗟に珀慧を振り払いそうになったが、其れを察してか珀慧が折れているはずの翼でぐっとオレの腕を押さえて、鳴かれた。

「“またへこたれているのか、十斗?”」

 平坦な律心殿の声音だったから、一瞬聞き違いかと思った。

 だが、驚いた目を向けたオレに律心殿は変わらず不機嫌な表情のままで、珀慧を見ている。

 オレは彼に幼名を名乗った覚えは無い。この場で知っているのは、オレ自身と珀慧だけだ。

 本当に、珀慧の言葉を伝えているのか……この人は。

「“帰る気が無いようだな”」

 ぴたりと止んだ珀慧の突き攻撃はまるで律心殿の声に合わせたかの様で、オレの手の中から小さな体が逃げると、よたよたとまた体を揺らして地面の上を歩き始めた。

「良いのか。行く気満々だぞ」

 指摘されて、追い掛けようと慌てて立ち上がろうとして、足に力が入らず前につんのめった。

 体に力が入らない……

 それを情けないとも思えなくなっていて、オレの視線の先では、立てなくなっていたオレ自身と違い、珀慧は先に進み、時折羽撃こうと両翼を広げて、数歩分ずつ先へ進む。

「そうだ、忘れるとこだった」

 律心殿が、先を進む珀慧から視線を外し、声と共に大きな手で猫の様に人の襟首を掴むと、ひょいと吊り上げられて立ち上がらされた。

「聞きそびれたと、云っていた」

 何の事だか分からないがな、と付け加えられた彼の言葉に、薄暗い厨の中で見たおはるさんの、彼女のやんわりと笑った顔が嫌でも蘇った。

「そんなの、簡単ですよ。笑い方が、同じだったんです」

 ただ、それだけを伝えられなかった。

 やんわりと笑って、鷹に……珀慧に接していたその眼差しが、古竹さんと全く同じだった。

 ただそれだけだ。

「あの村の女だと思っていたが、違ったのだな」

「違います。オレと、同じ場所の人だったんです」

 十五年よりもう少し前、おはるさんはきっと、古竹さんを手伝って鷹舎に来ていた。

 そうでなければ、珀慧の姿を見て呱々慧の名は紡げなかった。鷹の為の餌など、用意できる訳無い。

 何より、目隠しされた鳥篭の中で鳴いた珀慧を、鷹と呼べる訳無い。

「そうか」

 初めて、沈んだ声音の彼の声に、もう一つだけ疑問が湧いた。

「律心殿は、おはるさんの事を何故に、気にかけておられたのですか」

「惚れていた。それだけだ」

 不機嫌な顔のままで、そうさらりと言ってのけられた。

「だが、髪色(これ)の件もあったからな。何もせず、迎えを名乗った男に引き渡した」

 表情の変化の乏しい律心殿の中で、初めて苦い物を噛み潰した気配を感じた。

 そこで漸く気が付かされた。事実を受け入れたとして、何も感じないわけじゃない。

 おはるさんの幸せを考えて、律心殿は迎えに来た人の下へ彼女を返したのだろう。

 だが、彼女はその時、行きたくないと引き止めて欲しいと言わなかったのだろうか。もし、そうだったとしたのなら……

「背負われていった。何も言わずに、な」

 律心殿はオレが考えていたことを見透かしたのか、付け足すように答えてくれた。

 その答えに、オレはただ深く吐息を零して肩を落としていた。

「お前には待つ人が居るのだろう。何もしないという事は、それら全てを失う覚悟をする事だ」

 ゆっくりと向けられた言葉に、自然と視線を落としながらも頷き返せていた。

 オレは、この人に何も話していない。

 話したのはただ、珀慧の迎えに出たと言う事と鷹舎の事だけ。

 律心殿に示された待つ人は、鷹舎の人達の事を指していただろうけど……どうしても、大和の事を指し示された気になる。

「珀慧が待っているぞ」

 言われた視線の先に、まだかとオレを睨んでいる鷹の姿。目が合えばまた一際高く鳴かれた。

「“止って休む暇は無い。バカ十斗”と、言われてるぞ」

 くっくと忍ばせて笑う律心殿の笑い方が、頭領の小馬鹿にしたような笑い方に似ていて、珀慧の言い草が素の表情を見せた大和を思い起こさせて。

 嫌でも目まぐるしく呼び起こされる記憶に、泣いて良いのか笑って良いのか……全く分からなくなっていた。

「おれは獣達に、お前は他の人間に生かされている命だ。例え他者から死を願われても、お前の命はお前のものだ。誰にも関わりたくないと、本気でまた願うなら此処に来い」

 ぶっきらぼうにいきなり言われた言葉。それに一瞬反応が出来ず考えてしまった。

「それ、どこか矛盾していませんか?」

「そうだな。だが、人の世と隔絶した時間を得る事は出来るし、例え死んだとしても、おれが獣の餌として有用できる」

「……それは、遠慮して欲しいですね」

 変わらず不機嫌そうな真顔で言われて、思わず笑えた。

 誰が好き好んで、獣の餌になれるか。

 結局、オレには何もしないという選択肢が選べない。

 何もしない事を選べば、オレと約束を交わした人達との約束全てを反故にする事になる。

 オレなんかを守った結殿やおはるさんが、無駄死にした事になる。

 それは、草刈殿が尊敬する母を侮辱し、古竹さんの抱える苦しみから遠ざかり、二度とその傍に居られない。

 生きるという事は本当に、不条理を強いる。

「冬臥。さっき言ったことは撤回する。来たければ勝手に来い」

 不機嫌に寄せられていた顔が、また僅かに綻びにやりと笑った。

「珀慧ももういいぞ」

 律心殿の投げた声にオレは意味がわからずに、彼の顔を見やったが、珀慧の笑う鳴き声と併せて、ばさりと空を打つ強い音に振り返った。

 珀慧がいつもと変わらない力強さで、翼で宙を打ちつけオレの肩口を目掛けて飛んでくる。

 咄嗟に腕を差し出せば、珀慧は二の腕にしっかりと掴まって、落ち着き悪いというように方向を変えて、普段と同じように、何食わぬ顔で毛繕いを始めていた。

「珀慧、お前……」

 怪我をしていたわけでもないと安心して、 高く嘶く声を間近に聞いた耳が痛くなって。

 同時に飛ばなかった事に騙されていたと分かって、肩の力が一層抜けていった。

 それが珀慧には気に食わなかったのか、耳元で怒られた。

「分かった悪かった。早く帰れば良いのだろう」

「よく、分かったな」

 珀慧の言葉を伝えようとした律心殿が、少しばかり片眉を跳ね上げさせて笑っていた。

「これでも、后守の鷹匠ですから」

 泣き笑いといった風情だったのかも知れない。

 それでも、珀慧が「それで良い、漸く伝わったか」と満足そうにした気配に、謝罪と礼を込めて首元を掻いてやる。

 律心殿が本当に珀慧の言葉を伝えていたのかは、それは正直分からない。だが、彼が珀慧の言葉を正しく分かると言うのが事実だとしたら、正確な言葉でないにしろオレ自身も本当は分かっていたはずだ。

 珀慧は常に危険を感じたとき、オレに教えてくれていた。

 行くな、近寄るなと、何度も何度も。

 あの村でずっと怯えていたのも、オレが感じていた違和感の正体も、つまりはそう言うことだ。

 種宿村に居た妖憑きは富蔵だけではない。道中に出会ったあの幼い姉弟を含めて、その殆んどが妖憑きなのだ。

 珀慧に何度も警告されていたにも関わらず、踏み込んだのはオレ自身だ。

「随分と、ご面倒をお掛けいたしました。また、いずれかに」

 そう言って、律心殿と陽だまりの土下に眠るおはるさんに向かい頭を下げた。

「もし――俺で力になれるのなら、頼れ。お前に関わるのは、嫌いじゃない」

 歩き始めた背に掛けられた律心殿の言葉に、立ち止まりもう一度、オレは頭を下げた。

「その時には珀慧を送ります。珀慧、頼んで良いよな?」

 律心殿の言葉に礼を述べ、珀慧に訊ねれば任せろと啼かれた。



 珀慧を探しに出てから丁度、七日目。

 オレと珀慧が町に戻って来た時は、古竹さんは響と共に陽乃環城下で行われた飛翔祭に赴いていた。

 皇の前で鷹匠たちが日頃の訓練を見せると言うものだが、目下の所では市井の人達へ鷹を見せて興味を持ってもらう、と言う方の思惑が強い。

 そんな飛翔祭に古竹さんが赴いていたため、本人に会えたのはそれから更に二日も経ってからだった。

 古竹さんと会うまでの時間が空いたのは、正直ほっとした所だったが。

 会えたときには、古竹さんは何時もと変わらず、オレ達の無事を喜んでくれて、その場に居なかったことを詫びてくれた。

 古竹さんから詫びを入れられるような事は一切無いのにも関わらず、むしろ面倒を掛けたのはオレの方なのに。

「久弥君たちは良い兄妹ですねぇ。家内が今日も湯屋に一緒に行くと、張り切っていましたよ」

「済みません。結局ずっと気に掛けて頂いてしまっていて」

「いえいえ、お気になさらず。孫相手にしてるようで、こちらも若返った気がしますよ」

 心から穏やかに笑う古竹さんは自分の荷物を置くと直ぐに、鷹舎に預けられた手紙束を手に取った。

 古竹さんの奥方には、戻ってきてから直ぐ挨拶に伺ったが、おはるさんの件は古竹さん自身にまず伝えるべきだと思って、一切触れなかった。

「それで珀慧は蓬莱町に居りましたか」

「いえ。それが常盤側に行っていたそうです」

「それはまた、おかしな事もありますねぇ」

 珀慧が戻らなかった理由は古竹さんも気になっていたのだろう。手にした手紙束を解きながらそう問われ、答えた。

「向こうの鷹匠が言うには、塔生夏海と言う方が近くに来た影響ではないだろうかと、そう云われました」

「夏海さんが、ですか」

 流石に古竹さんはその夏海と言う人を知っているのだな。

 僅かに苦い物を飲み込んだ顔つきで呟いたが、直ぐにその表情は影を潜めていつも通りやんわりとした笑みがオレに向けられた。

「夏海さんは冬臥さんと同い年の方なんですよ。歳若く、優秀な鷹匠であり――今年も飛翔祭優勝候補の一人でした」

「そう、なのですか」

 あまり塔生家の良い噂を聞かないオレとしては、古竹さんのその評価に二つの意味で驚いた。

 一つは同い年と言われた事。

 もう一つは、飛翔祭に優勝候補として参加していると言う事。

「どういう訳か、今年は来られていなかったので気にはなっていたのですがねぇ。どうかされましたか?」

「いえ。蓬莱で気に入らない鳥は縊り殺す、などという怖い噂を聞いたばかりだったので」

 驚いたのを気に掛けられたのか、古竹さんが首を捻るので、先日の話をそのまま伝えれば、古竹さんの表情が翳りを見せた。

「冬臥さん。以前、頭領の元に送られてきたシクイドリの事を覚えていますか」

 ほんの僅かに声を沈めて問われ、反射的に震えそうになった体を押し留めて頷いた。

 頭領の鷹だった秋牙の最期。荒神憑きに向かい、そして断たれた狩鷹として立派な最期と云えた筈なのに、西から送られた死肉喰にその身を汚して喰われた。

「シクイドリを寄越すように云ったのは、塔生家当主の琵昏(ひぐれ)でしょうが、それを飛ばせるのは夏海さんだけです」

 その平坦な言葉に思いの外、古竹さんが夏海と言う人に悪感情を持って居ない事が伺えた。

「不思議そうな顔をされていますね」

 問われたことに頷いて、何故かと聞いた。

「機嫌次第ですが、鳥の主導権を簡単に奪うその強さは、私とて羨ましいのですよ」

 それだけだと古竹さんは笑うが、秋牙の最期は古竹さんの中にも傷跡を残していた。

 辺りを重くする空気に、これ以上、古竹さんに余計な事を伝えて苦しめる必要は無いのではないかと思ってしまう。

 オレは、おはるさんの事を一度も古竹さんからは聞いていない。

 古竹さん自身は封じたものとして、妖と対峙した混乱の最中に、勝手に垣間見てしまった記憶なのだから。

 でも、おはるさんの最期を伝えられるのは、オレしか居ない。

 言うか、言わざるべきか。簡単に答えは出ないけれど、鷹の声を聞くことが出来る古竹さんに、珀慧から伝わるという事はだけは避けたい。

 そんな風に躊躇ってしまえば、偶然か、外にいる鷹の急かす鳴き声が聞こえてきた。

 町の中に配る手紙を纏め終え、配達屋へ渡すための葛篭の中に分けた手紙を入れ終えたのを一区切りに、古竹さんへ声を掛けた。

「先日、立ち寄った村の方から、ご厚意で餅餌を頂いて」

 話し始めのきっかけをと考えて、ちるさんから頂いた例の餅餌を荷物から取り出そうとすれば、緊張で手が震えていた。それでも、他の人のいない今しか伝えられない。

 古竹さんの前で巾着の中身を開いて取り出せば、純粋に興味を惹かれたようにその手を伸ばした。

「これはこれは。鷹向きな餌ですね」

「人が食べても害は無いとの事でした」

 関心深く餅餌の一つを手にした古竹さんが、感触を確かめるように餅の匂いを嗅いで、食べられると添えた事に爪の先で千切った分を口にして、はっと息を呑んだのが分かった。

 驚きに満ちた顔で振り返った古竹さんの視線が、オレが持っていた巾着に留まると、くしゃりと表情が歪んだ。

 やはり、間違っていなかったのだと思い知らされる。

「冬臥さん、この巾着の……餌を作られた方は、何処に居られるのですか」

 自身を支えるように身を傾け、震える声で問い掛けられ、オレは向けていた視線を一瞬外してしまった。

 だが、きちんと話す。そう決めていたのは間違いなくて、もう一度古竹さんへ目を向け直した。

「亡くなられました」

 告げた言葉に、古竹さんは目を瞠り力なく肩を落とした。

 僅かに沸いていた期待を、根元から崩したのだ。

 古竹さんの細く整える呼吸を待ってから、妖に襲われたという事だけを繋げた。

「とても優しい方でした。通りすがりのオレと珀慧を庇って、亡くなられました」

「そうでしたか。一度で良いので、お会いしたかったですね」

 項垂れる古竹さんの頬に、一筋、二筋と落ちていく。

「鷹の様子を見に行ってきます」

 多分もない。独りの方が良いだろうとそっと外に出れば、いつも穏かに笑う古竹さんの哀哭が、周りに響いていた。

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