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舞い踊り散る桜  作者: 紅夜 真斗
十三章
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鷹心(4) 鳥に見た憶

 合間縫いのように深く寝て、目を覚ますのはもう癖だな。

 どのくらいの時間を寝ていたのかは正直分からないが、三度目かそのあたりで目を覚ましたとき、自身の異変に気が付いた。

 風邪を引いた時のような頭痛と体のだるさを覚えているのに、目ばかりが冴えてくる。

 それに部屋の中が妙に明るいと思い、起き上がれば、閉じた雨戸の隙間から煌々と月色の光が差し込んでいた。夜明けにはまだ時間がありそうだな。

 体は、動く。指先も足もだるさは残れどちゃんと自分の意志で動くか。

 実際に喰らうのは初めてだが、村長自らの手で一服守られたと考えるのが妥当だろうな。

 それに、外に誰かが気配を殺しながら近づいて来ているな。足音を立てぬように注意をしながら進む独特の音が聞こえる。

 そう言う意味では潜み慣れていない人間の歩み方だ。

 立て付けの悪い玄関の戸を開いた音がよく聞こえ、静かに部屋に上がり板を軋ませて一歩一歩進んで来る。

 そして玄関とは別方向。庭に沿って迫って来る足音も慎重に進んでくる。

 先に動いているのは玄関側か。侵入した気配が、そっと伺うようにオレの居る部屋の襖を開けた。

 一人の気配が躊躇いながら夜具に近き、ぐっと息を飲み込んだ気配が立ち上り、覚悟を決めて鈍い刃を振り下ろす。

「居ない!」

「そんなまさか!」

 大人四人か。一人が夜具を剥ぎ、一人が雨戸を開け、残りの二人が明るくなった部屋の中を見回す。

「こんな時分に何か御用がおありでしたか?」

 夜具の上に立つ男に真後ろから声を掛け、振り返った瞬間には腕を掴み取り、関節をきっちりと固めて盾にする。

 ついでに、男の手に持ってた包丁は取り上げて、外に向かい思い切り投げ飛ばしておいた。

「いつの間に……」

「何時の間にも何も、貴方方が入って来たものでしたから、後ろから見ていただけですよ」

 襖の真横には張っていたが、特別何かをしたつもりは無いし、ついでに言えば行き成り襲われる様な理由も無い。

「放しやがれっ!」

 腕を振り解こうとした男から、ざわりとしたものを感じ瞬間的に頬が裂けた痛みに思わず怯んだ。

 オレの躊躇いに隙を見たと、他の男達が飛び掛り動きを封じようとして来た。

「――ッ!」

 避けようとして、背中にぶつかった襖の感触にしくじったと思うより先に、大の男達に圧し掛かられ襖ごと押し倒され身動きが取れなくなる。

 見切りが甘かったッ。

 倒れた拍子の激しい音に驚いた珀慧が鳥篭の中で暴れる。せめて、珀慧を逃がさなくては。

 だが、二人掛りでそれぞれ腕を抑えられ、四人の中で一番体躯が良い男が真上に乗って、見た目通りに強い力で首に手が掛けられた。

 力任せに締められ、逃れようと足掻いても拘束される力が強すぎて逃げ出せない。

 理由も分からないまま、このまま殺されるなんて冗談が過ぎるっ。

「おい、その鳥もどうにかしろッ」

 鳴き暴れる珀慧の鳥篭に男達の意識が動き、一瞬緩みが出た。

 一番力の緩んだ左腕を思い切り振り払い、真上に乗る男の顎元を狙いその勢いのまま殴る。

 外れた……いや、避けられたのか!

 そう理解した時には、厳つい男の腕を掴み、引き剥がそうとするしか出来なかった。

「馬鹿、ガキだからって油断すんじゃねえッ」

 オレの右腕を押さえる男が、珀慧の入る鳥篭を蹴り飛ばしたのか、派手な音を立ててそれきり珀慧の鳴声が途切れた。

「絶対、村を壊されてたまるかっ」

「ぐっ」

 壊される? それが何の事だと言いたくても、声が出せない。

 頸を抑えられ、空気を求めたくても出来ない。

 視界が明滅し、意思とは無関係に体が震えて、力も入っているのか、分からない。

 こいつらを引き剥がす手段が、立てられない。

  珀慧、逃げられたのか……せめて、逃げててくれ。

 ぐわんぐわん音が鳴るように頭痛だけが酷くなって行く感じが残って。

 ふっと、全身の力が抜けた。

 ぼんやりと悲鳴のようなモノが聞こえて、突然、空気の塊が肺を行き成り押し広げた。

「てめえっ!」

 咳き込みながらも、オレは無意識的に捕まれていたはずの腕を振りほどき、拘束の下から這う這うの態で逃げ出せた。

 何が何だか分からないが、何度も咽返りながらも存分に空気を体の中に行き渡らせ、男達を見ようとした。

「おねがい、ですからっ」

 上げた視線の先に見えたのは男達では無く、オレを庇うように被さり男達から隠してくれていた、ちるさんだった。

 助けてくれたのは、他の誰でも無いちるさんだった。

「ちるっ! お前ぇは引っ込んでろ!」

 一人がちるさんの襟首を引っ張り、もう一人の厳つい男が張った拳はちるさんの顔を捉える。足の悪い彼女は踏ん張る事も出来ず、外に弾き飛ばされた。

「ちるさんっ」

 完全に調子を取り戻したとは言い難いが、それでも立って、走れた。

 庭先に下り、ちるさんの傍に寄れば、彼女は気を失う事も無く、鼻から血を流した姿を見られないように顔を下げたまま、這ってオレの前に出た。

「富蔵さん、お願いです……みなさんも、勘弁してやって下さい」

 震える声を張って、男達に向かい地面に擦り付けるように頭を下げる。

「ちるっ、そいつらが柚羽原をどうしたか知ってるだろう!」

「今殺さなきゃ、こっちが殺られるんだぞ!」

 殺気立つ三人の男を目の前にしたまま、ちるさんは身を起こすと同時に強く首を横に振った。

「この子はきっと、何も知らない。ただの、使いの子供です」

「だが、コウガミを名乗った!」

「東はその名が多い。この子は、違います!」

 きっと、オレは困惑した顔を浮かべていたと思う。

 一つの疑問が確信を得て、同時に彼らが挙げた土地の名に、すっと臓腑が冷え切った。

「走れるなら、逃げて……そして、二度と此処を思い出さないで下さい」

 ちるさんは決して振り向くこと無く強く言い、珀慧の鳥篭へ僅かに首を巡らせた。

  そうだ、珀慧は無事なのかっ。

 僅かな間の失念に焦り、鳥篭へ走り寄って目隠しを外した。

 狭い中で暴れた最中に蹴り飛ばされたせいで、嘴の端から泡を吹き体を硬直させていた。

 だが、それだけだった。

「良かった……生きてる」

 硬直こそしているが、体温は落ちていない。目を回して気絶しただけだろう。

 思わず吐き出した太い安堵の息に、ちるさんも僅かに肩を下がらせたが、男達は舌打ちをしてオレ達に向かいそれぞれ一歩前へ踏み出してきた。

「よさんか!」

 ドンッと杖で床を打ち鳴らした音に、この場に居たオレ達全員の注意がそちらに向かう。

「おちる、お前は懲りないなあ」

 ずっと見なかったもう一人の男を従えて、村長がゆったりと庭に下りてきた。

 心なしか伴われた男の顔色は悪く、何かを抱えたままで震えていた。

「全く。盗みに入るとは性根の知れることをしおってからに」

 四人居たはずのうちの一人、ずっと姿が見えなかったのは、騒ぎついでに盗みに入っていたからか。

「おちる、お前は下がりなさい」

 村長から宥める様に言われるが、ちるさんは首を振り、再び請うように頭を下げた。

「長さまどうか……」

「お客人。こちらの若衆が早まった真似をした。村を預かる者として詫びよう」

 そう言って村長がひょいと頭を下げ、杖で隣の男の背を叩き何か指示を出す。

「村長っ! こいつを見逃すってんですか!」

「バカもんっ! 貴様らがした事を棚にあげるか!」

 村長の怒声に男達はびくりと身体を震わせ、村長から指示を受けた男が、オレの荷物を持って降りてきた。

 投げ付けるように渡された荷物をオレが受け取ると、漸くちるさんが肩の力を抜いた。

「お客人。おちるが言うよう、此処での事を一切忘れなさい」

 淡々と感情を感じさせない物言いで、深入りするなと村長が告げてくる。

「何が何やら……説明は願えぬのですね」

「知れば命を奪わずにはおれん」

 随分物騒な返事だが、必要性の無い争いは避けたいのは、どちらも同じか。

 それに、このまま見逃してくれるならその方が正直有り難い。

「おちる。明りを持ってきなさい」

「長さま! せめて日の出まではお待ちくださいっ。このような子を一人で歩かせられる道ではございません」

 ちるさんの嘆願に村長が薄く笑い、見透かした目でオレを見る。

「ちるさん。直に陽も出ましょう。これ以上、此処に居て迷惑は掛けられません」

 村長の提案を飲むと伝え、躊躇いを浮かべたちるさんに大丈夫だと重ねる。

 此処で引かないと危ないのはちるさんの身だ。

「おちる。心配というのならお前が外まで見送ってやりなさい」

 村長の言葉にちるさんの顔が漸くこちらに向いた。

 力のある男に殴り飛ばされ、腫れた顔に泥と血が付いていた。

 荷物の中から傷当て用の布を取り出して、ちるさんへ差し出す。そこで、漸く彼女は自分の顔に手を当て、汚れていた事に気が付いたようだった。

「明かりをお持ちいたします」

 ちるさんはオレの差し出した物は辞退し、自身の着物の裾で顔を拭うと、そのまま足を引きずり玄関の方へ周り、直ぐに提灯を下げて戻って来た。

「外までご一緒させていただきます」

 襲ってきた男達三人は忌々しげにちるさんの背を見やり、村長はその男達の前に立ち、早く立ち去れと無言で語っていた。

 ゆっくり、ゆっくりとちるさんに合わせて歩き、一番始めに村長達に声を掛けられた場所にまで戻って来る。

 辺りを見回すオレに、ちるさんも不安を滲ませた顔のままで、周囲を見回す。

 先程の男達が追っては来ないかと、そう言う不安を浮かべていた。

 見た目は何処にでもある、ごく普通の小さな村なのにな……

「ちるさん。助けて頂き有り難う御座いました」

「いえ、偶然……です」

 物音に目覚めて、遭遇したと安心させる様に言うが、それが違うことなど当に分かっているつもりだ。

 律心殿に届け物の件を報告するのは、珀慧の後にするか。

 村の終わり際が見え、他の人達の気配も何も無いことを確かめてから、足を止めた。

 オレが付いて来ない事を不思議に思ったか、ちるさんも足を止めて振り返った。

「お伺いして宜しいでしょうか」

 立ち止まり、そう声を掛けたオレに、ちるさんは不思議そうにしながらも頷き返した。

 それを受けてオレが歩き始めると、同じようにちるさんも歩き始めた。

「律心と言う方にお心当たりは在りませんか?」

 差し障りの無い処から、そう決めて問い掛けたが、ちるさんは考えてから首を振った。

「向こうの先、一人住まいの猟師です」

 オレが指し示した方向に視線を向けて、ちるさんが少し考えるように首を傾げてから、ああ、と頷いて見せた。

「お名前は初めて伺いました。随分昔に足を罠に掛けてしまった時、助けて頂いたお方ではないかと」

 やはりか。これでひとつ。

 律心殿がその相手と分かり、ちるさんの表情がまた緩む。

「もし宜しければそのお方に、礼をきちんと伝えることが出来ず申し訳ありませんと、お伝え願います」

 やんわりと笑みを浮かべて、小さく頭を下げた。

 勿論、それは当然伝えると受ければ、彼女は胸の支えが取れたと笑った。

 ゆっくりと歩く速度のように空が僅かに白み始めてきたのに気が付き、ちるさんがこの先、一人で平気かとオレに問い掛けて、何かに躊躇う様に首を傾げる。

「もう一つ、宜しいですか。ちるさんは鷹匠の古竹直道と言う方を、ご存知ですね」

 オレはどんな目をしたんだろう。そう思いたくなるほど、ちるさんは狼狽した表情を浮かべていた。

 でも、断定した問い掛けに彼女は大きく首を横に振った。

「珀慧を見て、貴女は呱々慧(ここえ)の名を零した。珀慧の母鷹の名を、何故貴女が知っていたのですか?」

「何かの、聞き、違えでは」

「いえ、間違いないです。貴女は見えない鳥篭の中にいるのを鷹と正確に判断した。“おはるさん”何故貴女が此処に居るんですか! 生きていたのなら、何故古竹さんの元に戻られなかったのですか!」

 気付いたときには叫んでいた。

 驚かせるつもりは無かったし、窮地を助けてくれた恩人に対する態度でもない。

 何処かでそう理解していたけど、逃げようと身を翻した彼女の手を思い切り掴んでいた。

「す、すみません。ですが、せめて無事を伝えてください。貴女が生きていると知れば、古竹さんがっ、貴女の父上が苦しむ事はもう無いのですから」

 急に掴んでしまった手を離し詫びながらも、畳み掛けて繋いでいく。

 古竹さんがどんな思いで、オレや草刈殿に接しているのか分かっているつもりだ。

 亡くした娘を草刈殿に重ねまいとして、それでいてオレ達におはるさんと紡げなかった時間を重ねてくれている。

 北山の大火の中、術の使い過ぎで倒れた草刈殿を呼んだ時、古竹さんは混濁した中で草刈殿の名では無く、娘のおはるさんの名を叫んだ。

 幽借(かすがり)の幻夢の中、おはるさんの仇を見定めオレに、見たことの無い殺意を向けてきた。

 喪ったと思っていたはずの人が生きていたなら、どれほど喜び、安堵するか。

「お許しください……お許しくださいっ」

「え……」

 けれど、聞こえたおはるさんの言葉は、懇願。

 怯えきってしまって、思わず伸ばした手を見て、おはるさんは青ざめて後ずさった。

「どうぞ、何も問わず、お立ち去り下さい。あなたの言うはるという女は、とうの昔に死にました。どうぞ、此処でのこと全て、全てお忘れください!」

「どうして! ただ生きていると、貴女自身に伝えて欲しいだけなのにッ」

 その拒絶がオレには理解できなかった。

 正直、あの村長のおはるさんへの扱いは酷い。足を痛めた人間に全てを押し付ける事なんか、古竹さん達なら絶対にしない。

「無理ですっ。どうか父には言わないで!」

「だからどうして何ですか! おはるさんは、何か古竹さんを恨んでいるのですか?」

 考えてなんか物を言えなかった。その言葉で深く傷つけたと分かっても、更に傷つけるような言葉しか出なかった。

「言える訳が無いよなぁ」

 その言葉が聞こえたのは突然だった。

 相手を視認するより先にブンッと言う音と黒い幕に覆われたように、視界を失い反射的に後ろに大きく下がり目の前の幕を振り払う。

「おちるに用って言うから、気にしてて良かった」

「富蔵さん、やめて!」

「うるせえ!」

 黒い帳の向こう、開いた視界の先に居たのは、さっきオレを絞め殺しかけてくれた厳つい、体躯の良い男だった。

 止めさせようと縋った彼女を殴り払うのはこれで二度目だっ。

  それに、この男――

「お前」

「おい、おちる。これでも、このガキが何も知らねえとか庇うのか!」

「妖憑きか」

 おはるさんに富蔵と呼ばれた男。初めに会った時と同じように殺意を込めた赤い目で睨みつけてきた。

「お願い、逃げて! 殺される前に早くっ」

「馬鹿いっちゃあいけねぇよ。おちる、もうこいつは見ちまったんだ。きっちり殺しておかなきゃいけないだろっ」

 男が走ると同時に黒い帳が動く。極々小さい黒いものは、シニボシテントウ。

 その辺の草むらに良くいる朝陽天道虫の姿をした妖。小さくて数の多い点では厄介だが。

「理由はこれ、ですか」

 相手に飛び込もうとしかけて、珀慧の鳥篭を持ったままと思い出して横へ逃げる。

「くそっ、居ねえ!」

 避けられると思っていなかったらしく、さっきまでオレが立っていた場所にシニボシテントウを武器に振り抜いた男が辺りを見回していた。

「おはるさん。これが貴女が、オレを助けてくれた理由と、逃げられない理由ですかッ」

 問い掛けたオレの声に反応して、シニボシテントウがぐんっと方向を変えて追いかけてくる。

 富蔵達がオレを殺そうとした理由も、知らなかったオレを助けようとしてくれた彼女の理由も分かった。

 オレが“后守の鷹匠”を名乗ったからだ。

 酷く単純で、これ以上に無いくらい説明の要らないことだった。

 それでも、彼女が此処から離れられない理由になるのか?

「ちょこまか、ちょこまかっ、すんじゃねえ!」

 珀慧を抱えている以上、不要に攻撃に転じるわけにはいかない。

「うぉっ!」

「無抵抗の人間を二度も殴り飛ばしたのだ。お前が殴り飛ばされない理由にはならないな」

 シニボシテントウの統制は取れていても、隙を見つけて男の膝裏を思い切り蹴り飛ばせば、がくりと地面へ膝を落とす。

 オレと富蔵とでは荒事に対しての慣れの差が大きい。

 一瞬、鳥籠を地面に置き、膝を着ける富蔵の襟首から力任せに思いっきり後ろへぶん投げる。

 大きな隙を作る事になるが、気にする暇は無かった。

 気を失っているままの珀慧に、シニボシテントウの興味は無いらしい。

 と言うか、富蔵の意識(てきい)の問題なんだろう。

「てめえ調子に乗んなっ」

「お願いやめて!」

 上下左右に広がったシニボシテントウの幕を繰る富蔵に、おはるさんが三度縋り付く。

「いい加減にしろ、おちる! こいつを逃がしたら、皆殺されるんだぞ!」

 妖、荒神を狩るのが后守の役目。

 妖憑き、荒神憑きを狩る……その役目もある。

 だから、富蔵の言う言葉は正しくて、殺意を向けられる理由は分かった。

「だが、そんな事はどうでもいい、彼女を返せ」

 どんな声音で、どんな目を向けたのか何か、自分で分かる訳無い。

 鳥籠を地面に残し、いつもの様に妖の強襲を突き抜け、主格に向かう。

「ひっ――」

 怯えと躊躇う気配を隙と見なし、男の懐へ飛び込み肘を打ち込む。

「殺されかけた礼だ」

「やめて!」

 上がった悲鳴に追撃の手が出なかった。

「もう、お止め下さい……この人は、ただ、村を、守ろうとしているだけ」

 おはるさんの分も込めた筈なのに、倒れた富蔵とオレの間に傍に震えるおはるさんが庇うように塞がり、戦意を削がれた。

 きっと、先程オレを助けてくれた時と同じように、彼女は守りたい者を守っただけ。

 頭に血が上っていた自覚はある。

 深呼吸を一つして、軽く頭を振る。

「申し訳ありません。色々、誤解させるような事をしてしまいました」

 オレが肩の力を抜いたのが分かったのか、おはるさんも僅かに力を抜いて緩く首を振った。

「何度もお願いしますが、どうか、此処での事は全て、お忘れください」

「この村の事を言い触らして歩く気は元より無い。ただ、貴女の事だけが納得できないだけです」

「納得して頂かなくて構いません。あなたの言うはるという女はいない。それだけが事実でございます」

 どうあっても彼女の意志は固く、古竹さんに生きている旨を伝えるつもりは無いらしい。

「一つ、お伺いしても宜しいでしょうか。何故、わたしをその、はると思われたのでしょうか」

 決して自身だとは認めない問い掛けに、オレは更に力が抜けた気がした。

「簡単ですよ」

 答えかけ、襲った衝撃に一瞬理解が遅れて、肩に走った痛みと合わせるように、おはるさんが血を吐いた。

「と、み……さん……」

「へ、へへ。ざまぁみやがれ」

 おはるさんの掠れた声と崩れた彼女の体が、オレの上に落ちてくる。

 身体を侵す感覚に、生温い感触に、声にならない声が、がたがたと零れていた。

 自分の悲鳴なのか、ただ絶叫しただけなのかも分からない。

 視界が暗転した時、不愉快な虫の音が耳朶を打つから、何かを叫んだような気もした。

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