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舞い踊り散る桜  作者: 紅夜 真斗
十三章
134/142

祖父の旅立ち

 オレも久弥も、特にアキが目を閉ざしたままででも不自由が無くなるほど、新しい住まいに慣れていた頃。

 陽の出る気配もまだ無く、凍ての風が吹く暗い明け方に、使いも事前に無く訪れた人がいた。

 訃報が二つ、当たり前かも知れないが……前触れも無く、届いた。

 鷹を介してでもなく、人の噂でもなく、頭領から直接知らされた。

「齢六十も過ぎた、大往生だ」

 そう告げた人の声に覇気は無かった。

 一つは、霜月本家十六代目当主環様のご逝去。

 もう一つは霜月分家輝政殿のご逝去。

 環様のご逝去の報は、喪が明けるまで仕来りに従い秘匿とされ、その喪が明け二月と過ぎたばかりの昨夜、輝政殿が亡くなられたと言われた。

 頭領自身も先代環様の報は輝政殿の報と共に知ったと言う。

 環様は御高齢故、輝政殿は風邪を拗らせ、肺を傷めたのが原因だと言う。

 結局オレは、輝政殿の茶室でお会いしたのが、最期となってしまった。

 あの一席の後、手紙を託しに行った事はあるけれど、あの以降は茶屋の店主からおはぎを買い付ける事が出来なかった。

 土産としてもそうだったが、輝政殿が茶室を訪れているのかの一つの目安だった。だから、頭領から知らされた後、直ぐにあの茶屋に赴き、おはぎを作って貰えるように頼み込んだ。

 葬儀自体は内々に済ませると言うことだったが、縁が深く近しい者達が葬儀に集まるというので、久弥とアキを家に残し、オレ一人で霜月分家へと赴いた。


「十斗。久しぶりね」

「御無沙汰しております、祁玲殿……ですよね」

 軽く掛けられた声に驚いて振り返れば、薄藍色の色無地を身に纏い、若草色の瞳は変わらなかったが、黒に灰色が僅かに掛かっていたはず長い髪は、更に薄くなったのか灰白色になっていて、思わず確かめてしまった。

「そうそう。歳取ったら色抜けしちゃってさ、自分でも驚いたのよねぇ」

 祁玲殿は苦笑交じりにそう言いながら、結い上げた髪の端を軽く触ってみせる。

 灰白色の細い髪は木漏れ日の中で解けていくようで、生前の環様とは違う神々しさの欠片が見えた気がする。

「それで、十斗はこんな所でどうしたの?」

「今は冬臥の名を頂きました。此処は、生前の輝政殿に茶の手解きを受けた、想い入れのある場所なのです」

 答えながら、先ほどまで正面に見ていた、手入れのされた林の中に佇む瓦屋根の小さな茶室へ目を向けた。

 茶室を訪れたとき「これも、すっかりと楽しみになってしまったな」と言って、持って来たおはぎを嬉しそうに頬張っていた、輝政殿のお顔は今でも思い出せる。

「そうなんだ。わたしも、環様の名前を継がせて貰ったわ」

「そうだったのですか。それは、おめでとうございます」

 祁玲殿が環様の名を継いだ。それはつまり、葉越神宮の皐家から霜月本家に養女として入り、その修行を経て霜月家御当主になられたと言う事。おそらく、最年少の本家当主だろう。

 初めてお会いした時には、霜月本家に修行者として訪れたばかりだと言っていたが、もしかしたら、その時には既に、祁玲殿を養女として迎えていたのかも知れないな。

 竹笹の風にそよぐ音に、一瞬だけ心地良さそうに目を細めて、久しぶりにお会いした祁玲殿は、以前よりもずっと柔らかく笑みを向けてきた。

 初めてお会いしたあの時、大和になりすまして、強く生き生きと笑っていた姿からは遠く、何処か儚く、諦めたような、そんな笑い方になっていた。

 見る人に選れば儚げな雰囲気が美しいと賞するのだろうが、心の底から楽しそうに大笑いしていたあの時を知っていると、辛そうにしか見えない。

 その表情を隠す事も無く、僅かに伏せた眦に穏かさを乗せてオレの周囲を見回してから小首を傾げた。

「大和は、一緒じゃないの?」

「ええ。オレは今、大和の――双也様の后守ではありません。おそらく綾之峰様達とご一緒でしょうが」

「なんか知らない顔がいるなって、思ってたけど」

「お二人の新しい后守たちでしょう」

 問われた言葉に、どんな風に返して良いのかが分からなくなっていた。

 もっと近くで話していたはずなのに、互いに開けた距離の分だけ、言葉も遠くなった気がする。

 会話の途切れた合間に、また風が通り抜ける。さやさやと優しく葉の擦れ合う音に、知らずに吐息が揃い零れていた。

「そう云えば、その左手はどうしたの?」

 自分自身で知らずうちに組んでいた腕を外した隙に見えたらしく、祁玲殿が視線だけをオレの左手に向けていた。

「左手……あぁ、前に火傷をしまして」

「治してあげようか? 今よりはもう少し、見栄えは良くなると思うけど」

「いえ、お構いなく。もう随分と前のものですから、特に気にもならないですよ」

「十斗が気にしないって言うなら良いけど、ちょっと目立つよ」

 指摘されるまであまり気にしていなかったが、確かに、焼けた痕の上には新しい皮膚が張り付いただけで、見栄えは酷く悪い。

 正直、化膿しなかっただけ良いかと思ってたから、祁玲殿の言う“見栄え”には全く頓着してなかったな。

「まあ今更と言うのもありますが、ちょっとした戒めでもあったんですが。やはり見えない方が良いでしょうか」

「ああ、それって何か、十斗っぽいな」

 祁玲殿はくすりと笑い、直ぐに「あ、そうそう」と続けた。

「実は灯里ちゃんには此処に来た時、直ぐに会ってたんだ。随分と女の子らしく可愛くなってたわよ」

「そうなのですか? オレはまだ、会っていないんですよね」

「わたしも灯里ちゃんと話しをする前に、君の後姿を見かけてこっちに来たんだよね。だからてっきり、大和も一緒に居ると思ってさ」

「あぁ、それで此方に」

 本家に居た祁玲殿がこの家を訪れているかどうかは知らないが、茶室に着いて割りと直ぐに声を掛けられたから、少しばかり不思議だった。

 だが、祁玲殿の最後の方の言い淀みながらも言われた言葉に、堪えるものは何もないと簡単に返事を返せただろうか。

「わたしは、もうそろそろ戻るつもりだけど、灯里ちゃんに此処に居ること教えておく?」

「いえ。オレも屋敷に伺います。実は、輝政殿御自身にはまだ、お会いしていないので」

「あれ、それはちょっと意外」

「幾ら親しくさせて頂いていたとは言え、御剣の人間の前にお会いは出来ませんよ」

「そう云う事か。あ、うっかりする所だった」

 納得して立ち去ろうとしたのだろうが、祁玲殿が踵を返すつもりが、くるりと一回転して元の位置で立ち止まった。

「追いかけて来たのは、用事があったんだ」

 そう向けて来た若草色の瞳は真剣で、僅かに寄せられた眉根が睨んでいるようにも感じた。

「お爺ちゃんが亡くなった以上、あいつの咒が何処まで持つか分からない。だから、気をつけて」

「それは、どう云う……」

「助けてあげてね」

 問い掛けたくとも、これ以上の時間は取れないと云った具合に、祁玲殿は今度こそ踵を返して去って行ってしまわれた。

 本家の屋敷で言われたその言葉だけを残して。


 屋敷の前で、頭領より持てと云われていた白雛を刀掛けに預け、喪主を務めるアヤメ様に初めてお目通りを果たした。

 大玉真珠の簪で長い黒髪を纏め、白無地の喪服に溶け込むように肌は青白く見え、俯き、伏せた瞳に表情は見えなかったが、僅かにくすむ桜色の口元は、流石に遠戚なだけあり、幻の中ではあったが先代の環様を思い出させた。

 ただ、静かに佇む姿は先代当主を偲び喪に服すと言うより、どこか冷ややかに他者と画一するようにあった。

 アヤメ様に挨拶を交わし、おはぎを添える許可を得てから輝政殿の寝所に伺った。

 既に湯灌による洗い清めは済まされ寝棺の中で静かに眠る輝政殿の前に、先に屋敷の中に訪れていた頭領が綾之峰様と共に並び、黙祷を捧げていた。その後ろ姿が、羨ましいと素直に思う。

 二人共、オレに気が付いて居るのか居ないのか、こちらに気配を向ける事もなく、深い所で会話を交わして居る気がした。

「十斗?」

 後ろから掛けられた声に振り返れば、前に座る二人も顔を上げた気配があった。

「灯里、様……」

 本当に、祁玲殿が言うように可愛らしくなっていた。

 鈍色の小振袖に割り付け柄の花小紋と、飾り気の無い鼈甲簪で団子髪を止めている。

 大きな菫色の瞳は掛けた声と同じように不安気に揺れ動いて、応じたオレの声に輝いた。

「やっぱり十斗だぁ!」

 喜ばれ飛びつかれたが、綾之峰様達の咳ばらいに灯里が慌てて離れた。

「えへへ、ごめんなさぁい」

 些か罰が悪そうに着物の裾を直して、大人達にぺこりと頭を下げて見せてから、真っ直ぐに此方を見上げて来た。

 こうして並んでみると、時が経ったと思い知るには十分な程で、屋敷を離れる時はオレの腰元くらいだったはずの灯里の背丈は、今はオレの胸元ほどになっている。

 これでも、オレ自身も背は伸びたつもりだ。そう考えれば、灯里は頭二つ分は伸びたと言うことか。

 これは昔に言っていた事も本当になりそうだな。

「冬臥。挨拶はいまからか?」

「はい」

 この場だけは父と呼ぶべきだろうか、頭領の呼び声に応じ、郷愁の思いを払って改めて膝を着いた。

「綾之峰。俺は先に出る。後は冬臥に任せる」

「葬儀には出られぬのですか?」

 思いがけなかった言葉に思わず問い掛ければ、じっと厳しさを入り混ぜた眼を向けてこられた。

 まるで揺らいだ瞬間を見咎められたようで、自然と唇を引き結んだ。

「先方には伝えてある。後はお前に任せる」

「わかりました。どうぞ、お気をつけて」

 見送る言葉に、一つ満足げに頷いた気がした。だから、白雛を持てと言っていたのか。

 綾之峰様から席を空けて頂き、挨拶とともに笹袋に包んだおはぎを輝政殿の傍に添えて黙祷を捧げる。

 死装束に包まれているだろう輝政殿の体の上には、上下逆さに掛けられた白い袷が掛けられていた。

 袷の襟下には、鳥、龍、虎、亀、狼、虫、葉が銀糸で細やかに縫われて、所々に伸びやかな渦巻き雲と、裾に細い花弁を空に伸ばす浄土花が同じように縫われている。

 正しくするなら、灼鳥(しゃくちょう)、蒼龍、碧虎(へきとら)白亀(びゃっき)、黒狼、紫蟲(しちゅう)、黄樹の七つ。

 それらは『この世の物に在らずして、この世を作り天司神を銀の道より迎えいれた』と言う神話の元、“神代の世より現世を旅立つ人を迎えに訪れ、彼方の地で悠久の安寧を迎える”と云われ、旅立つ人の元に添わされる。

 ただその全てを揃えて見送られる人は稀で、大抵はいずれか一つ、見立てやすい灼鳥や皇家紋に扱われる蒼龍を模した物や龍見立ての蛇の縫い物を身に添わせるのが殆どだ。

 皇家の繁栄を彼方の地よりも願い奉る。そう残して皇陛下を守り落命した者が居る過去に倣い、血縁縁者の繁栄を願う人、特に商家の人間は龍を纏い旅立つ。

 影担いの、妖や荒神により落命したものは、魂の浄化を願い銀の道――聖銀粉の炎により荼毘に付く。

 輝政殿にはその全てを用いられる。

「おじいちゃんは、母さまといっしょの所に行っちゃったんだって」

 黙祷を終わらせた灯里が、教えてくれるように言ってきた。

「だから、灯里も、いつか同じところに行ったら、おじいちゃんと、母さまにいっぱい遊んでもらうの」

 灯里が死を理解しているのか分からないが、それでもオレと同じように輝政殿の傍らに座り、にこにこと両の手を合わせていた。

 いつの間にか、綾之峰様の姿は無くなっていて、この場には輝政殿と三人だけになっていた。

 大往生と云われていたが、病に臥した跡が見えるしかめ面が僅かに緩んで見えた。 

「そうだな。もし、オレが先に逝った時はお二人達と一緒に灯里たちを見守る事にしようか」

 こう云う生業家業だしな、と続けそうになった言葉を伏せて言えば、文字通り眉を釣り上げ、ついでに頬を目一杯に膨れさせて、睨まれた。

「十斗はまだまだダメなの! 灯里ともっともっと一緒じゃないとヤダ!」

「もっともっと、か?」

 甘えているのか、駄々をこねるように身体全部を使って言う灯里に思わず頬が緩む。

「うん! 十斗は一番上の兄さまだから、今ははなれてるけど、灯里たちのためにがんばってるんだって、兄さまが教えてくれたの。だから、いつかみんな一緒にいるの!」

 昔のように、ふくらとした手ではなくなったが、まだ二回りも小さな掌がオレの手を掴んで言ってくれた。

 温かい掌に、掴む力は前と変わらず強く。萎びていたと気付かされた心の芽に水を与えてくれる。

 欲しかった言葉だと知ったときには思わず、その小さな背に手を伸ばしていた。

「十斗?」

「すまん。少しだけ、いいか……」

 こんな場だと言うのに嬉しくて、だからと言って泣きそうな姿は見せたくなくて、きっと痛いと思ってるだろうなと思いながらも、灯里の頭を肩に乗せるように抱き寄せていた。

「十斗、泣いてるの? 灯里、なにかいけない事、言っちゃったの?」

 驚かせたせいで、戸惑う声が先程までの明るさを失わせていた。

「そうじゃない……」

 そう答えれば、もぞもぞと身動ぎをする灯里の手が背中に回り、とんとんと優しくあやす様に叩き始めた。

「この前、道場のそばでね、兄さまも泣いてたの……灯里がそばに行ったら、『泣いてないよ』って言ってたんだけど、泣いてたの。その時の朝はね、兄さますっごく、楽しそうだったのに」

「大和がか?」

 思いがけない言葉に、灯里を解放してやれば灯里もまた背中から手を離して、頷いた。

「そうだよ。大分前だけど、舞稽古とは違う日にお出かけした時。灯里は、その時はお花の植え返したから覚えてるの」

 舞稽古とは違う日と言うのは、あの日の事なのか。

 灯里の言葉からだけでは解らないが、もしそうなら、やはり見限られたのかも知れない……

 重たくなる溜息を堪えれば、灯里がまた不安気に、今度は袴の裾を握ってきた。

「あぁ、そうだ。灯里、この前は弁当をありがとうな」

 心の内側に墨を零した様に広がる不安と不満を漏らさぬように、灯里の手を外しながら言いそびれていた礼を言えば、灯里は不安を吹き飛ばしたようにぱっと笑みを咲かせてくれた。

「食べてくれた? 灯里ね、頑張ったの。みんなにお願いして作ってね、しのめに頼んだんだよ」

 “しののめ”、と言うのが言い難いらしく灯里の中では東雲殿は“しのめ”になっているらしいな。

「だが、具材に塩は無いな」

「あぅぅ、しのめにも言われた。疲れてる時は塩が良いって言われたのにぃ」

「誰からですか」

「かえから!」

 灯里の元気な返事に、また懐かしい名が重なった。

「しのめとみちるとね、藤細工に行ったの!」

 灯里とかえ殿が一緒に屋敷に居た時が、かえ殿のご成婚前だから、あれから七年は悠に経っているのか。

 そこで聞いたと教えてくれてた。ただ、「それでね」と、嬉しそうに続けようとした最中に、屋敷の呼び人に話しを途切れさせた。

「灯里、さっきのは大和には秘密にして置いてくれるか?」

「うん。あ、さっきのも兄さまには、秘密って言われてたんだった」

「あぁ、分かってる」

 互いに秘密と言いあい廊下で別れ、再びアヤメ様にお会いし葬列の道順を教えて頂いた。

 葬儀は霜月の菩提寺で執り行われる。

 出棺の時、車付きの棺を持つのは霜月分家の男衆達だがその先頭に綾之峰様と大和が左右に並び立っていた。

 菩提寺までは影担いの后守の役目と言うべきか、魔を退ける禍断人(かだんにん)として預けていた白雛を返して貰い、祁玲殿とアヤメ様の前に膝を着き白雛を両手で掲げ揚げる。聖銀粉を含む炎が頭上で七度翳されてから、白雛をいつもの様に帯に挟んだ。

 先頭に立ち祁玲殿から銀の炎をあげる松明を受け取り、殿に付いたのは祁玲殿の兄、皐広延殿だった。彼の方も同じように聖銀粉の松明を持っていた。

「それでは、向かいます」

 喪主に向かい一礼をし、家に残る従者が蔭門に向かい並び、前当主の旅立ちへ頭を下げる中をゆっくりと歩き始めた。

 屋敷を出て、大楚川のせせらぎが遠くに聞こえてくる。

 菩提寺まで普通なら川を渡り沿う道を歩くが、葬列の道順は林の中に整えられた道を進み、早寺橋を進み菩提寺の側面から迂回するように入って行く。

 寺の敷地に入り、迎えた僧侶の一人にオレは松明を譲り、本堂の中に会葬者の全ての人が入った後、白雛を帯から抜き放し右手に持ち入る。

 既に経を読む声が流れ、焼香をあげる人の末席に着けば、既に焼香を終えた大和達の傍らに控える東雲殿とはとりの姿を見つけてしまった。

 灯里がオレを見つけて、大和の裾を引き指し示してくれたが、灯里を窘めるのみでこちらを向くことは無かった。

 最後の焼香の順、膝行してきた僧侶に白雛を預け渡し、焼香を済ませる。白雛を預けた姿勢のままで待つ僧侶より左手で受け取り、ゆっくりと右手に持ち替えてから礼をする。

 再び列の末席に戻り、しばらくしてから寺の外奥にある石囲いの火屋に輝政殿が運ばれて行く。

 火屋と言っても、以前に結殿たちを見送った場所のように天井も何もない外なのだが、石囲いの中に収めると木製の寝棺がすっぽりと納まり、僧侶達の手で棺の周りに油木が並べ組まれ、つっと聖銀粉の火が差し入れられた。

 火葬の合間は本堂に詰める皆の中から離れて独り、禍断人として滔々と流れる読経と共に待たせてもらっていた。

 言い方を悪くすれば、焼き上げまで傍に沿えられるのは役得だ。

 格ある人の焼骨は会葬者も共に見届けられるが、アヤメ様が先んじて場を離れた為、他の参列者も引き上げて行き、やはり灯里が傍に来ようとしてくれたが、東雲殿に連れられて本堂の中へ戻っていった。

 オレは、禍断人の役目として見届けたいと告げて残った。

 冬の乾燥も一役買うのか、銀色の炎は棺を覆った頃には次第に赤い炎に変わり、轟々と勢い良く燃えていく。木が燃え弾けるぱちぱちと言う音だけは、耳が慣れている気がして他の音を消すように良く届いた。

 もう一度だけでも、言葉を交わしたかった。

 頼むと託された言葉を、オレはしっかりと担えているのでしょうか。

 離れた場所に居ても、兄妹を(たす)ける事が出来ているのでしょうか。

 ただ、目を閉じて、心内で問い掛けるしか出来なかった。

 どれだけ問い掛けても、輝政殿から返る言葉は、二度と無い。

 その事実に、今更ながら心の何処かに、大きな穴が空いたような気がした。

 二刻の時を掛けて輝政殿の御骨上げが終わり、一抱え程の御遺骨が納められた骨壺箱を預かり、供養の経が流れる本堂の中に僧侶に案内されて入った。

 本堂の中では茶が振舞われていたようで、思いのほかゆったりとした空気の中で、故人を偲ぶひとときが設けられていた。

 御本尊の傍に居られたアヤメ様に輝政殿の骨壷箱をお返しし、傍に居させて頂いた礼と恙無く終わった旨を伝える。

 言葉も無く、アヤメ様は傍らに付いた従者に骨壺箱を渡すと会葬者に深々と頭を下げた。

「これで父も、俗世の(しがらみ)に縛られる事も無く、彼の地に旅立てました」

 深い謝意の言葉に、すすり泣く声がまた大きくなる。


  守人が風邪を引いて寝込んでは世話がない。それともこの隠居の茶は苦くて飲めぬと?

  二人とも、また遊びに来なさい。今度はみたらし団子でも食わせてやる

 初めてお会いしたときは、輝政殿だと思わず本当に驚かされた。

  何を言うか、お主らは瞬く間に成長するではないか。今はまだ小さいと愛でる方が良いわ

  ほれ、十斗も儂をお爺ちゃんと呼んでみい

  なに、十斗と一緒であれば怖くはなかったはず

 本家へ赴くときにも、変わらない遊び心で合流して、狐道に怒る灯里の頭を慈しむように撫でていて。

  そうか……大和の内に在るものを知りながら、本当にそう言えておるのか?

  お前さんは誰を守護するものだ

 時に鋭く、目を背けていた事を指摘してくれて。

  これも、すっかりと楽しみになってしまったな

  では、その感謝の意で茶を点ててくれんか

  何が正しい道だったなど、それは誰にも分からん。だが、お前の選んだ道に悔いを残さぬように生きよ。


 オレが生まれる以前に世を去り、祖父母を知らぬオレにとって、輝政殿はまさに――

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