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舞い踊り散る桜  作者: 紅夜 真斗
十二章
130/142

盲蜂(7) 二人のアキ

 大和に関わる事には、相当、弱いな……オレ。

 東雲殿と別れてから、立ち直るまでかなり時間を要した気がする。

 その反面、久弥とアキの姿にも助けられている。

 砂浜で大の字になって寝てる久弥と、寄り添い丸くなっているアキ。

 昔の大和と灯里の姿を重ねるのは間違っているが、それに大いに慰められている。

 もしかしたら、それが二人を助けるオレの理由なら、随分と身勝手で酷い話しだ。

 落ち着いてから、久弥達を起こした。

 時川殿が指定した例の店に向かう前に、久弥が鳴門神社へ行こうとオレ達を引っ張った。

 雨やら海水やらでかなりべたべたしてたのを流させてもらい、店に着いたらついたで老婦人の店主が「悪戯小僧共が帰ってきた、帰って来た」と笑って着替えを貸してくれた。

 話しの為に店の一角を借りる旨を伝えれば、「好きに使っておくれ。悪戯小僧共の御着せを洗うのに忙しいからね」と、何処か楽しそうに裏に回ってしまった。

「良いの、か」

「いいのいいの。ばあちゃん、ああやって人の世話するの昔ッから好きなんだって。ボケ防止に丁度いいって言われるよ」

 馴染みがある久弥は実にあっけらかんとして、勝手に茶の用意まで始めていた。……良いのか、本当に?

 それから半刻もしないうちに新しい装いで時川殿が店を訪れ、揃ったところで店主が「終わったら声を掛けておくれ」と残して奥へ下がっていった。

「まずは、自分から話した方がいいわね」

「思い出したつもりだけど、合ってるかどうかもちょっと不安あるしね」

 そう前置きし、時川殿と久弥が話しを始めてくれた。



  久弥の家は常盤で幾つかある船頭(ふながしら)の家でした。上遠は主に葉桜との漁船と仲持ちしてくれてたんです。

  そのため時川との交流が少なからずありましたし、久弥には、家に習い奉公が決まっていました。そういった点で、この子の事は生まれた時から知ってたんです。


  おれの母ちゃんは、三歳ん時に流行り病で死んじゃったからさ、ずっと父ちゃんが外で、家の事はアキねーちゃんが頑張ってくれてたんだ。


 そこで時川殿が袂から例の萌黄色の布切れを取り出し、前に置いた。

 細い溜息をついて、布切れから手を離し膝の上で小さく拳を作り、自分を宥めているように見えた。


  これは、自分の友人の……有稀の遺品です。同じ習い小屋で、読み書きを教わっていました。

  ええ、久弥の姉です。久弥と二つ違いの……

  名前は漢字で“有稀”と書きます。


  あの日の話し、そん時の記憶の前後、おれ、いろいろ忘れてたみたい。

  有稀ねーちゃんには、ひどい事したよなぁ。それと、アキにもね。


 久弥が軽く妹の頭を柔らかく叩いて、笑った。

 アキはやはり眼を閉じている方が楽なのか、また瞼を下ろして久弥にされるがままになっている。


  あの日、陽乃環に行った日……そこから違ってた。

  あれは、おれの楽しい思い出で、一緒に居たのはアキじゃなかった。

  有稀ねーちゃんと、おれと、父ちゃん。

  二人に手を引いてもらってたのは、おれ自身で、その時はちゃんと常盤の家に帰ってた。


  久弥の父はその後に、久弥の知らない場所で、妖に襲われて亡くなりました。

  その時、自分も近くに居たんです。この葉桜での事です。

  ……冬臥さんは、塔生(とうしょう)をご存知ですか。

  あら、そのくらいの話しなんですね。まあ、自分もその程度ですけど。


 塔生家は、后守の中でも術式に重きを置く一派だ。それ故に、守護三家の術を司る神名木のある西に重点を置き、影を担う。

 ただ、取手の家にある記録には、塔生家と云うべきか西の記録らしいものが少ない。

 オレが分かる塔生家とは、その程度でしかない。


  あの日、塔生家から葉桜と常盤に対して、取引を持ち掛けられました。

  そうです。塔生家からです。

  常盤と葉桜の航路での、妖被害を防ぐため、后守を頼るにしても時間が掛かれば被害は難くない。と、所謂(いわゆる)、専属契約を求めたものです。

  正直に言えば、今も打診を受けています。ですが……時川は、御剣家の傘下にありますので、断り続けています。

  はい。塔生家は主筋を鞍替えした、后守です。表だっては言われてはおりませんが、協議に同席した身ですから察しは付きます。

  現在も塔生は神名木を主筋とし、冬臥さん達、東の后守とは決別していると自分は思っています。


 時川殿が偽りを言っている気配は見えない。塔生家が御剣家から鞍替えしたと云うのは真実だろう。

 蔵で見付けた本にあった“后神”は、つまりそう云う事か。

 なら、あの時届いた西の手紙も塔生家から。道理で、頭領を名指しせず“東の后守”と記していたわけか。


  塔生家からの話し合いに、久弥の父を始め常盤側は乗り気でした。葉桜の船乗り達も内心では塔生の申し出に乗りたかったんでしょう。

  多少の金銭と引き換えに、船上の安全が確保されるはずでしたから。

  ですがその提示金は、町一つの財政に大きく影響を与え兼ねないモノで、気が付いた同席者が、保留を求めました。

  上手い物言いでしたよ。明確な金額ではなく“上納金は町が得る利益の十分の一の額”と。


 成程。確かに明確な金額なら、町の利益が底上げされれば取るに足らない上納金になるが、常に一割を収めるとなれば塔生が得る利益も上がる。

 その上、“町”と敢えて双方合わせて一割と聞こえるような物言いだが――

 シクイドリを伝令に寄こすような連中だ。常盤、葉桜、双方の町にそれぞれ一割の上納を吹っかけたのだろう。


  妖に襲われたのはその交渉中でした。塔生の人間が居たにも関わらず、彼らは交渉締結前を理由に、誰も助けずに去ったんです!

  すみません……ですが、事実です。

  命からがら、と云うしかありませんでした。その妖がどうなったかは、わかりませんが、久弥の父が亡くなったのはその時です。

  瞿鎧堕ちは幸い、しなかったんですよ。


  それから、カナデねーちゃんの家が、おれと有稀ねーちゃんを助けてくれたんだ。

  半年くらいだっけ?

  事件のこと知らない常盤町の人は、うちが時川家と仲がいいからって、利益の分配がどーのこーのって、疑ってたみたいでさ、それが今も尾を引いてるんだよねぇ。

  そんで、四年前の大満ち潮の時期に、あの場所で、あの荒神に襲われたんだ。

  あの浅瀬辺りんとこで、町の人と釣りしてたらいきなり。

  有稀ねーちゃんが、海に引きずられたおれを助けてくれたんだ。

  そのときにはもう、おれも溺れちゃいそうでさぁ、必死で、泳いだ気になってた。

  その辺りはまあ、あんまり思い出せないんだけど……多分、有稀ねーちゃんを……


 言い淀んだ久弥の代わりに時川殿が一息を入れようと提案し、それをオレ達は受けた。

 神妙としか言えない沈黙が漂ったが、久弥は全員に新しい茶を配り、自ら続きをしようと言ってきた。


  自分が、その事件を知ったのはその日の夜だったんです。

  丁度、航路保全(れい)の一件で常盤を訪れていた帰りだったので。

  荒神が出たとあって、当然この町の者は后守へ助けを求めました。

  時川は貴方達、東の后守に連絡を取りましたが、一部の者は西へ……

  どちらにせよ、間が悪かったんですよ。師範を始め、后守達が来た時には、もう、友人の有稀は荒神に殺されていましたから。

  ……はい。瞿鎧堕ちしたのは、有稀の方です。

  海上と云う悪条件下で、あの荒神は瞿鎧堕ちした者を取り込み逃げ切りました。

  久弥が荒神に巻き込まれず助かったのは、気を失っていた事が好を奏したと言われました。


 確かに時川殿が言うように、ある種の拘りのような物を持つ妖や荒神がいる。あの荒神が本当にそうなのか分からないが、久弥とその姉が巻き込まれた事はもう覆しようもない。

 久弥の姉は、久弥を助ける為に、犠牲になった。それが目の前の二人の事実。

 なら、アキは……いつ頃にどういった経緯で久弥の元に訪れたのか。

 流れて考えた物事だったが、目の前のアキは久弥の隣で大人しく茶を飲んでいる。


  保護された時の久弥は、正直何一つ、思い出せない程の酷い状態だったんです。

  それこそ食事作法も忘れて、泣くことも無い赤子のようだったんです。


 時川殿しか知らない思い出なのか、自然と寄っていた眉根を綻ばし、久弥をみやった。

 当の久弥はまるで気にならないと笑って、今が大丈夫だからね。と、重ねていた。


  うちで久弥を静養させてる間、西から流れてきたという、おたつ、と言う人が仕事を求めて葉桜(うち)に来ました。

  そのおたつは、我が子を守りたい一心で、故郷を離れたと言っていたそうです。

  はい。その子がこのアキです。名前は奇しくも同じだったんですよ。

  ですが、蘇叉で生きる者なら当たり前のように言われてる、赤色は忌むべき色。そして忌み色を持つ者は兇人と同義。

  当然、城からも町からもおたつは追われました。

  その辺りの頃から久弥がこちらの目を盗んで、外に行くようになっていたんです。

  何もかも忘れていたこの子が、少しでも記憶を取り戻せるならと、暗黙の了解のように、小女たちが協力してたみたいで。

  ええ、自分に付き添っていたあの者もその一人です。

  ある日、久弥が城から抜け出したまま、帰って来ない日がありました。


  カナデねーちゃん、そこは、おれが話すよ。

  その日、ってかその前からおれ、おたつさんとアキの所に行ってたんだ。

  理由は全く覚えてないけど、アキの世話しに通ってた。

  まあ、最初におたつさんを助けてあげたのは、ここのばあちゃん。

  仕事らしいものは何もあげられないけどって、ちょっとした手伝いしてもらって、給金代わりにご飯食べさせてたんだ。

  でも、おたつさん、随分前から身体壊しちゃってたらしくてさ、その帰らなかった日は、医者の呼び方もろくに知らないおれとアキだけがいてさ。

  最初、おたつさん疲れて寝ちゃったんだなぁって思ってて、アキを抱えたまま、ばあちゃんとこに来たんだ。

  寝てるの邪魔したら悪いしって。でも、何か感じたもんでもあったのかなぁ。

  何してもアキが泣き止まなくって、ばあちゃんと一緒に隠れ家に戻って来たとき、おたつさん、死んじゃったんだ。

  ぎりぎり、看取れたって感じかな。最期おたつさんがおれに、「アキのお兄ちゃんになってあげて」って、言ってくれててさ。

  そんとき、まだあやふやな記憶しかなかったから、「ああ、おれ、アキの兄ちゃんになるんだ」って思ったんだ。


  久弥がアキを連れて帰って来た時は、城内騒然でしたよ。

  こちらは、おたつの事は忘れていましたから。

  この葉桜の城は、父が城主ですが知っての通り、陽乃環に詰めている方が多く、母が名代です。

  城の女達は、あれ程、酷い状態だった久弥の記憶が回復するきっかけになったのならと。ちょうど、師範が城を訪れていたのも幸いでした。

  その時に師範が“アキは忌み子ではない”と、太鼓判を押してくれましたからね。

  そのお陰で、城の者達はアキを怖がる理由がほとんど無いんです。験を担ぐ男集は半信半疑って具合でしたが、うちの女共は強いですからね。

  ですが荒神被害の一件は大きく、この町では師範が危惧した通りこの子(アキ)を恐れる人が大勢……まあ、冬臥さんがご覧になった通りです。


  師範がいた時、ちょうどおれが記憶を取り戻すってぇか、日常生活に問題なくなって来たころでさ、暇つぶしにアキと二人で散歩に出たらさぁ、石持った人達にめっちゃ殴られたりしてさ、びびったのなんのって。んで、まあ師範とカナデねーちゃんに助けてもらったんだ。

  師範は元からカナデねーちゃんを師範待遇で、道場に来て欲しかったみたいで、その話しをしに城に来てたみたい。


  后守の護身術道場に通えるのは城勤めの関係者内では華の扱いですからね。

  師範もそうですけど、冬臥さんも、その辺りはもう少し自覚してくださいね。市井に門戸を開くのは良いことですけれど。

  なので、久弥達を連れて行くのを条件に、師範代を引き受け、あちらで家を買い上げたんです。

  それなのに、久弥はいつの間にか、師範に話しを通して、うちに通いになってて。こっちの気も知らないでっ。

  ……まあ済んだことですし、良いんですが。


 何故か今、時川殿から物凄く睨まれた。思い当たるものが有るとしたら、久弥が“后守に成りたい”と言ってきたことしか、思い当たらないが、頭領に関しても重ねて言われたんだろうか。


  だって、師範からカナデねーちゃんが結婚するかもって聞いてたし、でも、カナデねーちゃんならおれ達を心配して断っちゃうかなって。

  それか、連れて行こうって考えてくれたかも知れないし。

  あ、そう考えると師範も凄いよねぇ。結婚するかもしれない相手に道場を任せたんだからさぁ。


  実際、その話しは相手から断られたので安心しましたけど。

  ええ、あの話しです。

  心配だったからと言うのもありますが、自分まだ久弥達を見ながらの今の気ままさが好きなんです。

  そう云う事も諸々含めて、師範が織り込んで自分を師範代に推薦したのなら、怖い限りですけれどね。


 寒気が走ったように時川殿は両腕を擦り、久弥とアキに目を向けた。

 そう云えば、アキが目を閉じる理由としては分かるが、声はどうだったんだ、と今更ながらに疑問を口にした。


  アキの眼は、おれも気が付いたらだからなぁ。

  声はその散歩以来だね。医者が“心労が原因だろう”って、治す薬は無いから諦めろってさ。

  そんなんで、色々あったけどこれから先もずっとアキはおれの妹だよ。うわ、なんだよ、その頭突き。


 改めての久弥の兄宣言に、アキが思いのほか強い勢いで久弥の肩に頭をぶつける。

 照れているのか、隠れていない頬が赤くなっていたのは見なかったことにしよう。


「久弥が姉の有稀を忘れていた事には、割合すぐ気がつきましたが……あれほど酷い状態の後だったので、追い打ちをかけたく無くて、今迄機を逃してしまっていました。有稀の事は、自分だけでも覚えていて、いつか、久弥が思い出した時に話そう。そう決めていました」

「へへ、ちゃんと思い出したよ。有稀ねーちゃんのこと。んでも、もし、結婚話が進んでたらどうしたのさ?」

「それは御剣家の近くなら、師範や紀代さん達もいるし……あんた達を知らない人が多い町なら、協力者は得られただろうからね。それに、承諾されたとしても、あれこれ理由つけてこっちから先延ばしにでもしてたわよ」

 いたずらっぽく笑う時川殿と久弥を見て、確かにと納得した。

 久弥は元から人を好きになる性質なのだろうし、アキは盲目を演じていると言うところはあったが、幼く声も発せられず、意思疎通に慣れるまで難儀する。それ故に、陽川神社の宮司を始め、町中で、久弥とアキを気にかける人は多い。

 そういう意味でも時川殿の判断は正しかったと言える。

 記憶を欠落させた久弥が、今は全てを思い出した。

 姉の事を思い出した事が、幸せなのかは分からないが、久弥は血の繋がらないアキを妹だと言い切り迷う気配は無い。

 こういう所は流石だな。

「冬臥さん」

 だが、呼び掛けられた時川殿から向けられた視線が、決意を持ってアキに注がれた。

「アキ。これは大事なことなの、答えて」

 厳しく真剣な視線を向けられ、アキは顔を上げたが、沈黙のまま瞳を開けろと促されたのを感じ取ったか、そっと瞼を持ち上げた。

 やはり茜紫色の瞳だが、建物の中で見る分には赤が勝っている。確かに、知らない人間に忌み色と受け取られるのは、仕方の無いことかも知れない。

 先日、アキが道場に来たいと言って時川殿が断ろうとした理由は、瞳の色、それに尽きるのだろう。

「カナデねーちゃん?」

 不安を感じた久弥が、時川殿の視線からアキを庇おうとして、辞めさせた。

 二人を守るために、もしかしたら、友人の為だけに時川殿は決断をしたいのだろう。

「あの妖は、あんたが呼出したの」

 問い掛けは正しく無い。だがオレも久弥も沈黙する。

 アキは躊躇いに躊躇って、首を横に振った。あんな怖いもの、呼び出し方も分からない。そう、口元を動かして伝える。

 助けを求めるアキから眼を向けられ、それが違うと口を挟ませて貰う。あれは間違いなくアキが呼び出したモノ。

 その事にアキは違うと何度も床机を叩く。久弥はどちらを信用すれば良いのか分からず、おろおろとしながら、妹を見るばかりだ。

「アキ。今のお前なら解るはずだ」

 黒い幼虫は妖では無い。そして、それを呼び出したのは他ならぬアキ自身。

 経験で判る。と云うわけでは無い。

 天司神の魔魂石に教えて貰っていると言うにが正しいだろう。

 術士が持つ特定の波形。声紋や指紋のように人それぞれが持つ物。

 それがあの黒い幼虫とアキが同じと判る。

 ただ、他の術士の、例えば草刈殿のようにソレを自在に操る術をまだ理解していないだけ。なら実践する方が実に判りやすいだろう。

師匠(せんせい)っ!」

 上がった悲鳴は間違いなく非難。咄嗟にアキを抱き庇い、怒りをもって睨んでいる。

「すまん、驚かせた」

 前置きなく突き出した抜き身の懐刀。その刃と妹を庇った久弥の間に毅然と向かい合う薄紫色の一匹の蜂。

 今回は蜜蜂の姿ではなく、攻撃と警戒心の強い黄縄大蜂(きじょうおおばち)の姿。

 片手の親指から人差し指を広げた体長を有し、本来は黄色い胴に黒い縄状の模様を持つ、かなり大型の蜂だ。

 刃を納めたが、蜂はまだオレを威嚇して低い羽音を立てている。

「アキを守る為に、本人の意識より先に動く。稀有な存在と云うところだ。まあ、姿を変えられるのには驚いたが」

 懐刀を床に置き、滑らせるように離してからもう一度、アキに頭を下げた。久弥と時川殿からはしばらく睨まれたままだが、これは仕方無い。

 本気でやらなければ、アキの蜂は顕れなかった。

 命の危険に関わる状況下が一番の条件かもしれない。そう言う気概で今、オレは刀を抜いたのだからな。

 蜂は暫く此の場に留まったが、現れた時同様にふっと姿を消した。

「薄々、気が付いていなんじゃないのか」

 此れは久弥に向けて言う。一番近くにいて、何度か出現の条件を見ているのだから。

 其れでも、久弥は口を噤み、視線を逸らした。

「術に関しては正直オレも疎い。ただ……例え妖であろうと、使う者の器量次第では無いのか」

 昔、大和が言った科白で、そして、本来の后守なら誰も使ってはいけない言葉。

 后守が妖憑きを庇えば、他の人々からの信を失する。当然の事だが、敢えて目の前の三人には伝える。

「冬臥さん、それは貴方個人の考えですよね」

「勿論。ああ、そう云えば時川殿はオレの監視役でもありましたね」

 すっかり忘れていたと重ねれば、久弥とアキが驚いてオレ達を見比べた。

「どうせ師範の思い付きでしょうから、正直、あんまり連絡はした事無いんですよね」

 大した事じゃ無いと、時川殿から云われ、妙な所で頭領は相手にされて無い事が多いな、と思う。

 いや、全然構わないんだけど……

「ですが、今の発言は問題」

「カナデねーちゃん!」

「立場の問題よ。久弥、あんたはアキが話しの中心に来てるから怒ってるだけ。でも」

 すっと視線を鋭くされ、時川殿はオレの言葉の裏を正確に読み取ろうとする。

 この人は、興味が無い事にはとことん無頓着だが、疑問、疑惑を抱けば、とんでもない洞察力を見せるらしい。

「冬臥さんは、違う立ち位置で言ってるのよ」

「そう受け取られるのは」

「嘘はいりません」

 こちらが言い終わる前に、ぴしゃりと断ち切られる。

「自分達だから。そう思ってならありがたいですが、嫌疑を掛けられる発言は問題がありすぎます」

 目の前の女性をはっきりと怖い、と思った。時川殿とは一度、御剣の屋敷で、大和の付き人としてのオレと会っている。

 たったそれだけて、この人はオレが庇う人を見付けだしているのか……

「まあ、アキの一件のみならず、自分も実害を齎す事の無い人なら、むやみに殺す事はして欲しく無いですけれど」

「殺すって、そんな物騒なこと……」

 久弥は冗談半分と思っているのか、笑い飛ばしきれてない声音で言い差して、思い出してくれたようだ。

「自分達には、アキの例があります。だからもし、冬臥さんの(ちか)しい人がそうであるなら、庇おうとする、その気持ちは分かるつもりです。その上で、時川の人間として言います」

 やはり、この人は見極めている。誰とは触れずとも言葉の端々に核心を含めている。

 もしかしたら、あの時、あの廊下での出来事を見られていたのかも知れない。

「その人を討てるのですか」

 真摯な眼差しに、答え次第では頭領に告げると言う。

「討ちます。それが約束ですから」

 どう捉えられたのか、時川殿は暫くの間、考え込み、重たく吐息を零した。

「時が来たとしても、貴方はその人を討たない。自分には、そう聞こえますよ」

「その時にならなければ、答えは解りませんからね」

「ですが、その反面で相手を守る為に非情な決断もされるのでしょうね」

 溜息混じりに時川殿から云われた。そんな風に言われたのは初めてだが、それをしなくては成らない時の覚悟はしているつもりだ。

「万が一の時は、アキと久弥を助けてくれた借りを返します。その上で、お願いを聞いて頂けますか」

「借りとは、些か大袈裟な気もしますが」

「大袈裟で良いんですよ。そうじゃなきゃ、こっちの気も済まないですから」

 そう一息入れて時川殿は佇まいを直し、久弥達に向き直った。

「久弥、アキ。あんた達には、今日の一件の責任を負って貰う。この先、時川の敷居を跨ぐ事は許さないわ」

「カナデねーちゃんっ! なんで!」

 突然の追放宣告に、久弥もアキも時川殿に飛び付いた。

 それにも動じず、彼女はこちらを挑むように睨みつけてきた。

「冬臥さん、この度の荒神退治への尽力を葉桜町の代表の一人として、お礼申し上げます。時川家として、報酬は出せませんが、自分、カナデ個人として心を尽くさせて頂きたいと思います」

 時川殿の流れる礼の後にゆるりと向けられ視線に、何を願われたのか見えた気がした。

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