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舞い踊り散る桜  作者: 紅夜 真斗
十二章
128/142

盲蜂(5) 雷鳴一閃

 時川殿よりその刀を預かり、背後から荒神の振り下ろしてくる岩刀を、抜いた刀の鎬で反らし弾く。

 腕に来た衝撃は強い痺れを与えられるほどだが、刀身を折られる不安は持ち得なかった。

 雨雲の暗い空の下故か、記憶にあるより黒鉄の色は深く、揺らぐ炎を思わせる刃紋は記憶にある通り美しい。

 柄の傍。刀身の根元に刻まれた銘に、どうしても視線が留まり、口元が綻ぶのを抑えられない。

「黒螢」

 本来なら、此処にある筈がない。在ってはならないはずの刀だが。

  ああ、大和がいる。

 姿が見えずとも、オレの後ろにあいつが居る。それだけで不思議と怖れが遠退き、心丈夫になる。

「後程に」

 話しは後回しと時川殿に短く伝え、久弥を助ける為に荒神の注意を引くべく、地面に近い腕を利用する。

 八本の腕のうち、岩刀を持つ手がアキを庇う時川殿を狙い、三本の腕がオレを邪魔だと払いに来る。

 妖には無い御霊落としに、手こずるかと思ったが……触れる時間が短く済んでいるおかげか、さほど難儀するには至らない。

「久弥!」

 荒神の冠を模した鳥籠の中で、久弥が縋り付くように、弱々しく格子を揺らしていた。

 オレと違い決して短くない時間、荒神に触れつづけているのだ。

「離れていろ」

 数に任せて襲い来るヒガラベや、タチトカゲのような妖に比べ、荒神の制限ある腕をかい潜る方がマシなのかもしれない。

 久弥の直ぐ傍の格子骨に向かい、黒螢を振り下ろす。

 白雛と違い、魔除けも何も施されていないが、昇靖殿の打った刀だ。

 荒神の鳥籠。狙った場所で硬い音が上がる。弾かれた訳では無かったが、骨の上を刃が滑り抜ける。

  一度では斬りきれないか。

 荒神の頭ひとつを足場に、迫る手から逃げるように地面に降り、黒螢の刀身をちらりと見る。

 刃こぼれはしていないな。

「久弥! オレの声が聞こえているか!」

 長く荒神に触れ、久弥の意識がどれだけ保たれているのか。

 オレの上げた声に返事は無い。やはり、急がなくてはならない。

 もしも……大和が捕らえられたとしても、奴なら耐え切るのだろう。そして、遅いと悪態をつくんだろう。

 そんな“もし”を考えて、ふと違和感を感じる。

 荒神を宿す大和なら、耐え切れるのはなんとなしに分かる。だが、久弥は違う。妖憑きではないはず。

 妹を想い、気力で耐えているに過ぎない。

 一度浮かんだ、悪い考えを振り払うように振り下ろした黒螢より、岩刀を持つ腕と真逆の掌に骨屑で造った楯が顕現する方が早く、海に向かい弾き飛ばされた。

 水だからと思っていたが、崖から攫われて海中に引きずり込まれるのと、叩き付けられるのでは衝撃の差が在りすぎた。

 背中を走り抜ける痛みに息が詰まり、吸い込んだ途端に、海水ごと飲み込み、噎せ返って、吐きかけた。

 荒神はそれを逃がさずに岩刀を振るったが、目測誤りかオレの半身分ずれて海面を叩いた。

 激しく打ち付けられ抉れた地面に、変わらず押し寄せる波が砂ごと流れ去ろうとして、ずぶりと足を取られた。

  闘いやりにくい。

 足元の不安定さ。思った通りに動けないその一事が、無意識に苛立ちと恐怖心を煽りに来る。

 正にその折、荒神の浅く薙ぐように振り下ろされた刀の軌跡に、砂地に足を完全に取られ、オレは身動きが出来なかった。

 躱しきれない。直撃するという予感を抱えたまま、咄嗟に黒螢を差し合わせた。一撃、ぶつかり合う寸前で、黒螢の刀身から仄薄い黒い蝶が幾つも羽ばたき、火花を上げながら妖が岩刀を逸らしてくれた。

 まるで、気弱せていた人の背を叩き付けてくれるようだ。

 砂に取られた足を抜きながら、深く、短く呼吸を整えアキ達の方をみやる。

 荒神は先にオレを排すると決めてくれたようで、今は二人に向かう腕は無く、避難する背が見えた。

 アキと時川殿を心配せずにすんだ分の余裕で、荒神の体に変異が起きて居ることに気がついた。

 腕が八本のままは変わらず、ただ昆虫のように腕を長くし、うねる蛇の胴体は腕とは反対に太く短くしていた。

 そのせいか、荒神の詰める速度は一段と速く鋭くなる。

 長刀の白雛と違い、黒螢はそれよりも両掌を広げた幅分も短い。間合いの取り難さにやり難さはある。

 だが、何よりも優先させるべきは、久弥を助けること。荒神への決定打を持ちえれば、荒神を倒し、久弥を助けるという事も出来るだろうが、黒螢では難しい。

 ふっと落ちた影に、荒神の手にまた一つ得物が増えていたのを知る。

 太く、ひたすらに馬鹿でかい丸太のように組まれた、骨の棒。

 それが最下段の両手にそれぞれある。骨棒は殴打するだけの単純な武器だろうが、当たった時の破壊力は想像に難くない。

 左手の骨棒が地面に叩き込まれ、砂が跳ね上がる。

 すかさず右手にした骨棒が、オレが避けた先に降ってくる。

 まるで地面で太鼓を打つように素早く連打し、跳ね上がった砂が目眩しになるだけでなく、薄く高く上がる砂壁となる。

 その砂壁をあらぬ方向から岩刀が切り裂き、迫ってくる。

 今の荒神は完全に洞穴で見せていた海牛の動きから、野原を駆ける肉食獣に変容していた。

 しかも、頭が五つもある分、視界に不足が無い。

 相手の死角から攻める常套手段が使えず、背面に回ったとしても、関節がぐるりと回転し、あっという間に荒神の正面が切り替わる。

 久弥を助けるには荒神をどうこうするより、あの鳥籠を壊した方が早いが、攻撃手段が増やされ、近付く事が難しい。

 隙を探し、岩刀を受け逸らした時、黒螢からまたふわりと蝶が離れ、荒神の視界を遮るように飛び回り眼前で弾けた。そのおかげか、目測と力加減を違えた荒神の、深く地面を抉るほどまで叩き付けられた骨棒の動きが止まった。

 作ってもらった一瞬の隙。思いがけずのことで、出遅れそうにもなったが骨棒の上に飛び乗り、そのまま駆け上る。

 骨棒に乗ったオレに荒神は気付かず、持ち上げ始めていた腕も止まらず、そのまま持ち上げてくれる。

 その代わりか、振り下ろされていた右手の骨棒が地面を打ち付け、舞い上がる砂が容赦なく降り視界を阻む。その砂の切れ間に、鳥籠の姿を見つけた。

「久弥!」

 微かな音を立たせるのもやっとと云うほどのクセに、床を殴り続けていた。

 呼んだ声が聞こえたかを判断するよりも先に、荒神の頭を越えるために飛び出したところで、荒神が頭上のオレに気が付き、最上段の左腕を伸ばしてきた。

 だが荒神は首を上げ、オレを掴み、阻もうとしても、その肝心な頭頂部は中央に据えられた鳥籠に当り、侭ならないらしい。

 其れを好機にし黒螢を振り落とせば、黒い刀身と白い骨格子がぶつかり鈍い音を立てた。

「くっ……」

 飛び降りた勢い余りに、骨格子にぶつかり血の気が引くような、冷たさが増すような目眩がした。

 骨格子から身体を引きはがすように離れ、今度は刀を格子の隙間に差し込み、滑らすように引けば骨が削れるカリカリとした手応えが不気味に残る。

「とう、が……さん」

 掠れた声に呼ばれ、顔を向ければ、いつの間にか久弥が傍に付き、生気を削がれ白くなるばかりの手が伸びてきた。

「ごめん……なさい……」

「久弥!」

 奴が何を謝るのか解らない。

 ただ、伸ばしてきた手を掴もうとしたが、叶わなかった。

 久弥の声は掠れ、途切れていて、「助ける」とそこだけははっきりと告げて、オレの懐刀を奪いさった。

「何をする気だ!」

 鳥籠の中央へ這いながら向かう久弥が鞘から刀を抜きさる。荒神も不穏なものを感じたのか、大きく暴れ始めた。

 荒神は身体の全てを使い振り回すせいで一瞬、足元が浮く。それは鳥籠の中の久弥も同様で滑るように格子に叩き付けられた。その衝撃で懐刀の鞘だけが久弥の手を離れたが、肝心な刀自体はしっかりと握り締められていたまま。

 咄嗟に格子を掴み振り落とされるのを避けたが、掴んだ場所から容赦無く力が抜けていく。

「頼む! 久弥、オレを待て!」

 こんな所で、久弥を死なせられない。結殿の(あの)時のように、護れないのは嫌だ!

 格子に掴まったまま、誰から預けられた物なのかも忘れて、なりふり構わず刀を振る。

 刀と骨がぶつかる度に、火花が上がるが、断ち切るには至らない。

 暴れ回る荒神の動きが激しくなる一方で、久弥は手の届かない場所で、床にしがみ付くように腹這いになり、懐刀を持ち直す。

「久弥!」

 叫んだ声に、雨音と雷鳴が激しく重なり、白く全てを掻き消される。


  天司神(あまつかさのかみ)よ――!


 願ったのか、恨んだのか、その刹那だけは分からなかった。

 轟音に耳は聴こえず、視界も焼けたように見えず、ただ、頭の片隅で思い出したのは、狩山の雷鳴。

 初めて荒神を灯里と共に倒した時も、容赦の無い雷を伴い其れが顕現した。

 悲鳴のような深い音に、顔をあげれば、荒神の最上段の左手に一振りの、直刀が突き立っていた。

 仄白い刀身は僅かに帯電しているのか、小さく爆ぜる音を帯ている。

  天司神の神刀!

 オレが見極めるのと同時に、荒神の右手先を欠いた最上段の腕が其れを高く払い飛ばした。

 空を舞う白刃が雷を受け、掴み取れるかと試すように、笑いながら落ちて来る。

 その時、オレは既に宙に抜け、手を伸ばしていた。

 眼前ですり抜ける刀を、柄尻で掴みとり、あの時と同じ言葉を吠えた。

「閃光迅雷――!」

 無理矢理身体を捻り、振るった剣線をなぞり雷が迸り、その一撃を防ごうと翳された荒神の楯は雷が容易く切り裂いた。

 ばっくんと音を立てて割れた楯を荒神の一つの顔が、唖然と口元を開き、泣きじゃくるように顎を揺らし始めた。

 泣く顔の手前の顔が、緩くかかかっと歯を打ち鳴らし、此方を鮮血(あか)い瞳が睨みつけて来た。

 見据えられたその瞬間、胃の辺りが掴まれたように冷え込み、不十分な体勢のまま着地した。

 鮮血の瞳に睨まれたそれだけで足元に力が入らず、黒螢を砂地に突き立て、まろびつつもコケるのを堪えきった。

 一呼吸置き、右手にしていた黒螢と天司神からの借物を持ち替える。

 神刀を正しく持った瞬間、名残の雷が刀身から離れて告げてくれた。

 たとえ後悔することになろうと、道は定められた。と――

 音に聞こえる言葉ではなかった。それでも、既にオレ自身は地を蹴り上げ、荒神から振られる岩刀を神刀と黒螢で受け止め流すまでの動作に入っていた。

  後ろで見ている奴がいる。

  助けたいと思う奴がいる。

  無事を願う者がいる。

 それが後悔に繋がるとして、オレが立ち止まる理由にはならない。

「破っ!」

 神刀の力を借り、荒神の岩刀を側面から叩き折る。

 破裂に似た音をたて、砕けた岩刀に更に荒神の隙が生まれる。

  頼む、頼むから――馬鹿な考えだけは起こすなよ。

 其の一念だけを抱え、伸びた荒神の腕を足場に再び鳥籠を目指す。

 妨害は勿論ある。オレを睨む荒神の爛々とした六つの灼い瞳が、逃がさないと追いかけ、骨棒が小虫を叩き払うように、振るわれる。

 先程までと変わり、身体が軽い。僅かな跳躍で全力で跳び回るより高く跳べる。

 先程まで全力疾走した速度を容易に得られる。

 普通には斬れない、荒神の武具を、骨を難無くと断ち裂く。

 感覚も鋭敏化され、背後から迫るはずの荒神の手が動く僅かな気配を捉らえられる。

 極限まで集中した時にしか得られる事の無かった感覚、その全てが今、余裕とともにある。


  正サネバ――


 掠れた、低い声にカタカタと音が重なる。

 今のは荒神の声……なのか?

 初めての出来事に僅かに集中が途切れた。気が付いた時には、真横に折れたはずの岩刀が、再び同じ長さを取り戻して迫っていた。

 だが、それを冷静に見定める視線がオレの中にあった。誰かが内側に入り、手伝いをしている気分になる。決してその感覚が不愉快な訳ではない。

 むしろ、何かを預けた安心感が強い。

 その視線に導かれるまま、黒螢を翳し岩刀を逸らす。再び神刀で切り払い、返す刀で追撃にあった骨棒を持つ腕を討つ。

 一連の動作に迷いは何も無かった。むしろずっと伸びやかに移れた。

 久弥がいる鳥籠まであと少しのところで、一足飛びに近づき、名前を呼び叫ぶ。

 骨格子越しに見えた久弥は、抜き身の刃を両手に半身を反らしていた。

 それは正に、最後の一振りに賭けた渾身の一撃。


「うりゃぁぁあああっ――!」


 久弥の気合いを乗せ、倒れ込みながら懐刀を振り下ろし、その半呼吸遅れにオレは神刀を振り抜き、骨格子を切り裂いた。

 元は荒神の掌。格子を斬られ、再び暴れ始めた。

「久弥!」

 まるでもんどりを打つ荒神に、中にいる久弥が振り落とされやしないか、オレ自身も骨格子に食らい付いたまま、視線だけで探す。

 頭を振られ、ほぼ垂直に傾くも久弥はその中心に居た。

 鳥籠を文字通り斬り開いた場所から、中に滑り込む。

 骨が組み上げられ作られた鳥籠。ざらついた床を掴み、気力が抜けるのを堪えつつ久弥の側らへ付く。

「久弥、おいっ、久弥!」

 滑り落ちかける久弥の身体を支え、気が付く。僅かに、久弥の身体の隙間に黒い幼虫が挟みこみ、不完全ながらも、御霊落としを防いでいた。

「とう、が……さん、いた、んだ」

 微かに首を捻り、やっとの思いのように呟く。

「居たんだ……ここに、居たんだ」

 久弥が目で指し示した先に、骨と骨の隙間に埋もれるように萌黄色の布切れが見えた。

 よく見れば、荒神を形成する骨の間に薄汚れた布切れがあちこちに見える。恐らくは此の荒神の犠牲になった人達の身につけてたものが、巻き込まれたのだろう。

「思い出した、全部」

 久弥はぐっと懐刀を掴む両手に力を込め、支えるオレの手を助けとして身体を預けてきた。

「何を……」

 戸惑いつつも、何をする気なのか、手元を確かめる。

 少しずつ久弥の体が床から離れ、見えてくる。

 懐刀の刃は床に僅かに斜めに突き刺さり、久弥は刺さった部分をこじ開けるように揺さぶっていく。

 骨盤に似た骨が剥がれ落ち、その奥から久弥より一回り小さいくらいの頭蓋骨が、見上げるようにあった。

「“アキねーちゃん”、助けにきたよ」

 しっかりとした声で、久弥はそう言うと、他の骨を掻き分けて力を込めてそれを引き抜いた。

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