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舞い踊り散る桜  作者: 紅夜 真斗
十二章
127/142

盲蜂(4) 黒蟲鎧袖

 久弥にはアキが。アキには久弥が居る。

 守るべきと思った者に、その実、守られている事。

 同時に、その強さに、自分の想像以上に助けられていること。

「冬臥さんっ」

 妹をこの場から追い出すように、強くアキの背を押しやった。

 突然の事にアキは前のめりに倒れかけ、宙を泳いだその手を捉まえ、オレの後ろへと引いて体勢を立て直しさせる。

「久弥!」

 次はお前だと手を伸ばした。

 だが、妹を逃した久弥は寸前に、右の一手に握り捕まれ高く持ち上げられた。

 久弥も逃れようと自由な腕で荒神の指先を叩くが、当然荒神はビクともせず、五つ頭の中央に下ろされた。

「アキ、逃げて!」

 荒神の指先が緩まった瞬間、久弥は機を逃さずに抜けようとしたが、何かに気づいたように動きが鈍った。

 それが何かは分からない。ただ、緩まった荒神の指先は、久弥を包んだまま手首から離れ、鳥籠を造り上げ閉じ込めた。

「まてっ!」

 鳥籠を作る骨のぶつかる音で判断したか、アキが走って荒神の側に近付こうとしたのを、取り押さえる。

 暴れるアキが叫ぶ。声が出ずとも、全身で叫びあげていた。

 荒神も兄妹の片割れを取り戻そうと、左右の腕がそれぞれ伸びてくる。

「冬臥さん、カナデねーちゃんにこれを!」

 呼ばれた瞬間、アキを荒神から突き飛ばすように引き離す。

 重りを包んで投げられた萌黄色の何かが、久弥から投げ渡された。

 受け取った物を確かめるより先に倒れたままのアキを抱え上げたる。

 オレの逃げる気配にアキは嫌だと暴れるが、こんな洞穴の中では何も手は打てない。

「堪えろっ」

 オレが告げた言葉に、「大丈夫だから、先に行って!」と久弥の声が追い付き、そこで漸くアキは暴れるのを止めた。

 それでも荒神はアキを捕らえようと、カタカタと骨を鳴らし追って来る。

 幸いにしてその動きは鈍い。海牛のように、じわりじわりと体をくねらせ、前へ移動するしかないようだ。

 耳元でぐずぐずと(はな)を啜りあげ泣くアキに、灯里の時のように強く言うことも宥める事も出来なかった。

 あの時は余裕もなかった。同時に、灯里には御剣家の人間として強くあっていて欲しかった。

 同じ事をアキに望むのはやはり、違う気がした。

 必死に海水が流れ込む坂を駆け登り、見えた出口の側で耳に届いた異音に足を止めた。

 高く上がる波飛沫に、岩の隙間から大量の空気が圧し出されるごぼりと言う音があちこちから聞こえる。

 何の音かと耳を澄ませるよりも、重たい響きを伴って、海水が迫り上がり、(なだ)れ込んできた。

「くっ――」

 潮の勢いに足元から流され、体勢を維持できずにアキを抱えたままで倒れ込んだ。

 その拍子にアキが手の中から逃げ出し、久弥の元へ戻ろうとしたが、大きく波打ち入って来た海水に足元を掬われて倒れる。

「アキッ」

 呼び止めるつもりだったはずなのに、叱る声になっていた。それでもアキは振り返る事もなく、久弥の元に戻ろうとする。

「お前が戻って久弥が喜ぶのか!」

 放った言葉に、初めてアキがこちらを振り返り、その隙に再びアキの手を掴み洞穴の外を目指す。

 潮の流れが想像以上にきつい。

 自分の意思で一歩踏み出すのもままならないくせに、引く潮には容易に足を取られる。

「アキッ、冬臥さん! 危ないっ!」

 久弥の警告の声に、咄嗟にアキの手を引き前に飛び出しながら後ろを振り返った。

 向いた方向と反対側。いつの間にか差し迫っていた荒神の指先が勢い良く空を切る。

 波を警戒して歩みを緩めていたのはそうだが、荒神は八本の腕を支えにしながら、押して流れる水流を物ともせずに迫ってくる。

 アキも流石に自らの意思で走り出口に辿り着いた。だが上に行く為の道は既に満ちて行く潮に隠され、時折、大きく波が引いた僅かの合間に姿を見せるのみ。

 海も空も初めに見た時よりも遥かに悪化していた。膝下までの波がほとんどだが、時折でも自分の背丈を優に越える高い波が岩肌にぶつかり砕け散り、掛かる波飛沫の痛さと、進まなければならない道の頼りなさいが合間って、流石に恐怖心が湧き上がってくる。

 だが、荒神が待ってくれるわけは無い。

「しっかりと掴まれるな」

 抱え上げたアキに、自身の意志でオレに掴まらせ、波が引いたのを機に踏み出す。

 外に出たオレ達を荒神も追いかけ、第二腕の長い腕で捕まえようと伸ばしてくる。

 陸の上でならまだしも、初めての海で尚且つ悪天候。

 押し寄せて来る波に攫われないよう岩肌にしがみつき、引く潮に耐える。少しでも足元に余裕が出来た瞬間に進み、また打ち寄せて来るものをやり過ごす。

 オレ達は少しずつ道を進むしかできない中、焦れた荒神が洞穴の中からぬっと姿を這い出した。

 五つも顔があれば、正面や後ろを見る顔があり、当然、横を向く顔がオレ達を見つめ、かかかっと嗤った。

 荒神の八本腕のうち四本の腕が波を堪える為に身体を支え、他の腕がアキを捉える為に伸びてくる。

 逃れられないだろうと踏まれているのか、腕はそうっと伸びてくる。地面の上ならば、アキを抱えていようと走れるが、波が足元を掬う細い崖の道。

 じりじり下がりながら、もう少し、もう少しと道を確かめる。背後にある僅かでも広く平らになっている場所がある。そこを過ぎれば岩礁の上まではあと少し。

 流石に、こんな場所では久弥も「逃げろ」とは重ねず、顔色悪くはらはらと見守っているが、オレと目が合うと不思議がった。

 荒神の――何処の砕けた骨か分からないが、平たい指先の骨がアキの結ぶ帯を掠め、もう一度掴み上げる為に一気に開いた。

 こいつをやり過ごせれば、足場の不安というものが消える。

 荒神に集中し過ぎていたのか、波の音が消えた事に一瞬、気がつかなかった。今までよりも一際高く強い波が押し寄せ、捉まっていたはずの岩壁に押し付けられ、指先に強い痛みだけが残った。

「アキッ、冬臥さん!」

 久弥の悲鳴に、一瞬何が起きたか分からなかった。

 岩が波に削り取られ、足元から崩れ落ちたと知ったのは、先に海へ落ちていく岩が沈んだ音だった。

 僅かな浮遊感だけを感じ、成す術もなくアキを抱えたまま海中に引きずり込まれ、潮流の荒さに上下も分からなくなり、背中から岩に叩きつけられて肺の中の空気も失った。

 腕に力が入らない。アキを抱えているのかも分からない。体の痛みより、刺し込んでくる頭痛と共に閉じたはずの視界が歪んでいく違和感。

 何度か体験してしまっている感覚だと思いながら、くらりと浮遊感に似たものを感じながら意識が傾いだ。

 肺に水が入れば命に関わると分かっていても、無意識のうちに自然と空気を求め吸い込み、激しく咳き込んだ。

 正直、咳き込みすぎて気持ち悪い……

「――ん、ア――、冬臥さん! アキ!」

 何度も呼ばれる声と、胸元から伝わる咳き込む振動に促されて、ゆるゆると視界が開けていく。

 曇天から纏わり付くような雨に混じり、粒の大きな水が間断なく降ってくる。

 それと、ぼんやりと白い何かが……

 無意識に自分の指先が地面をなぞり、伝わるざらついた感触と、もう一度強く名前を呼ばれた声に其れが何かを思い出せた。

 三つの白い顔がオレとアキをじっと覗き込んでいる。

 助かった。そう思うより、しくじったと言う思いの方が強く沸き上がる。

 命喰い、御霊落しとも呼ばれる荒神が怖れられる、最も分かり易い妖落ちの技。

 荒神の掌の上。触れられている場所から気力を殺がれて――る、気配が無い?

 今までとまた違う状況に混乱し、がばりと身を起こして、何かが零れ落ちた感触に理解した。

 荒神とのオレ達の隙間を埋めるように、あの黒い幼虫が体に纏わりつき、御魂落しを防いでいてくれた。

 荒神に助けられ救い上げられ、妖もどきに助けられたのか。

 死ぬよりは万倍もマシだが、情況が好転したわけでもない。

 オレ達が起きた気配に、荒神の指先が再び迫ってくる。

 このままなら、全員が瞿鎧化される可能性が高い。それだけは、絶対に遠慮したい。

 動きが鈍いのを幸いに気力を調え、支えとなった掌から逃れる為によろけながらも、立ち上がる。

 意識を失った後の重だるさに思うように動けないが、足元に力を入れて、反動でオレ達の身体は上に跳ね、そのままアキを掴もうとしていた一腕を踏み台に、洞穴の壁を左右に掴み支えるその二の腕を走る足場にして、更に上を目指す。

 一度荒神を足場にすれば波を気にする必要も無くなり、動きの遅い荒神故に上ること自体にはさほど難儀せずに済んだ。

 オレにしがみつくアキには、何が起きたか分からず、一層に強くしがみつき、開かぬ瞳を震わせたまま息を飲む。

 荒神の頭上。久弥の目の前を駆け抜ける瞬間、青い顔色をしていたくせに、唇を噛み締めて大丈夫だと頷いてきた。

 陸と云うには心許ない浅瀬の上に着いた時、遠くからじっと見られているような気配を感じた。

 一挙手一投足、全てを眺め回す視線は……まるで、霜月家の道中(あのひ)に大和から向けられた物と同じ。

 まさか、居るのか?

 そう視線を巡らせたが、思い出したかのように浅瀬の上に黒い幼虫が沸き上がる。

 浅瀬の悪路とはいえ、走るに申し分のない道。

 視線も気にはなったが、まずはアキを陸の上に避難させなければ。

 アキを抱えたまま、ふっと後ろを振り返れば、荒神がその身を崖の下から這い出していた。

 一番下の第四腕で崖を掴み、よじ登ってくる。

 荒神のその異形の姿が遠目の港からも見えたか、波飛沫の音に切れ切れにされながらも、悲鳴が聞こえた。

 港に戻るつもりは元から無かったが、アキにも悲鳴が聞こえたのか両手でぎゅっと耳を押さえ、一層身を震わせていた。

 少しでも荒神の注意をオレに寄せなければ。万が一、荒神が港へ向かってしまえば……大惨事どころではない。

 波が地面をたっぷりと撫で尽くすまで満ちてきた浅瀬を、港から遠い、鳴門神社が祭られている山の方へ走る。

 だが遅いと思っていたはずの荒神は浅瀬の上ではなく海を走り、オレが目指した浜辺の前に身を投げ出すように滑り込み、立ち止まった。

 こいつは、海中で本領を発揮する荒神という事か。そう言う意味では、浅瀬の上に引っ張り出せたのは僥倖だ。

 と、そこでアキがオレの腕を叩き、町に近い海を指す。

 何かと見れば、ふつふつと沸いた黒い幼虫が浅瀬から、町外れに向かい連なって行く。

 その先に避難遅れか、荒神を見てから逃げ出したのか分からないが、町外れに居ただろう人々が町中へ走り向かうのが見えた。

 海水に弱いはずの黒い幼虫はその身を硬くしつつ、少しずつ細帯のように迂回路を伸ばしていく。

 妖もどきの道に乗るべきか躊躇いが生じたが、アキは追い立てるように叩いてくる。

 その姿を不審に思わずにはいられず、アキを見遣れば、硬く閉ざされた瞼が震え、ぐっと瞑るように閉ざされた。

「アキ……お前」

 掛けた声にアキは俯き、荒神が迂回路に気付いたか、海の中へ手を忍ばせた。

 来るか――!

 初めて荒神から向けられた冷え込む意志に、これ以上躊躇う余裕もなく、アキの示した道を走った。

 道は脆く、足先を付けた先から崩れ落ちていく。だが、黒い幼虫達も簡単に沈みはしまいと、沈む直前に上に力を跳ね上げてくる。

 呼吸を止め、脚力任せに速度を上げる。

 三歩進んだ背後で、重たい音を立て、水柱が上がった。

 荒神の一腕に握られた岩の刀。それが、崩れ落ちる幼虫達の足場を砕き散らせた。

「アキ、久弥!」

 微かに聞こえた兄妹を呼ぶ女の声。

 人の居る港から離れるように、海岸沿いを、刀を抱えたまま、着物の裾が肌蹴るも厭わずに全力で走っている時川殿の姿が見えた。

 姫を止めるものは誰も居なかったのかと、思わず時川殿の後ろを見れば、以前に道場へ訪れた侍女が傘を開き小走りに、彼女を引きとめようとしていた。

 このまま陸へ上がれば、荒神の標的に時川殿達を巻き込みかねないが、方向を変えるにも、足場もない。

 砂浜まであと少しという場所で、オレは方向を変える為に、同時に時川殿が波消しの土塀の上から、飛び降りた。

「冬臥さん、久弥は!」

 オレが時川殿を避ける意図を察したのか、時川殿も砂浜を並走し、先回りするように追い付く。

 時川殿も跳ねる息の合間に、濡れて顔に張り付く髪を払い、アキの姿を見付け安堵したが、続いていて欲しい姿が見えずに、視線も言葉も共にきつく問われた。

「久弥は……」

 答えようとして、息を吸い込んだ途端に、呼気が乱れて話せ無くなった。

 余力も考えずに全力で走った当然の結果で、膝までガクガクと笑い出していた。

「アキ、おいで」

 時川殿は厳しい視線を海に注いだまま、やんわりとアキを呼びよせた。

 アキもまた、時川殿の言葉に従い、地面に降りるとオレの着物の袂に差し込んでいた萌黄色の布片をするりと引き抜いた。

「これ……何処で」

 アキから渡された物に、時川殿の顔色がさっと変わったが、いきなりしゃがみ込むと同時に、オレに足払いを鋭く掛けてきた。

 足に力が入らなかったオレは成す術もなく海水混じりの砂浜に倒れた。

「すみません。この方が早かったから」

 先程まで、取り乱していた様子とは変わり、いつもの稽古で見せる静かな気配を湛えて言われた。

 次いで、頭上の上を薙ぐように、通過した荒神の岩刀に、確かにと思う。

 起き上がり、無理にでも大きく空気を吸い込み呼吸を整え始めれば、ずいっと目の前に……近すぎるほどに差し出されたものがあった。

「これを預かりました」

 時川殿は荒神を前にしても怯まず、アキを自分の傍らに寄せ、オレには抱えていた白鞘に納められている刀を差し出してきた。

 正確に触れるなら、荒神の持つ気配に時川殿は怯んでいたはずだ。だが、アキの手前、気丈にも平静を装っていたのは、差し出された手が震えていたことが何よりの証拠だ。

 そんな時川殿に誰が刀を預けたのか、問うよりも先に鞘の誂えで判った。

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