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舞い踊り散る桜  作者: 紅夜 真斗
十二章
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盲蜂(3) トカゲ岩に潜むもの

 それにしても、この妖……オレが知る普通のモノと違う。

 明解に解るのは一つ。

 “人を喰らっていない”この一点だけでもかなり、不可解でおかしい。

 最も、人的被害が出ていない事を素直に喜ぶべきなのだろう。

 それに出現した時間帯もそうだ。夜明け前とは言え、天司神の支配する時間帯に此処まで数多く出現しているのも、記憶には無い。

 妖の活性化する時刻は邦前神が支配する夜五つから暁八つの夜。今は明け七つ半を過ぎたところだろう。

 最後にもう一つ。これも聞き及びした記憶も無い、海水で容易に倒せると云う事。

 どれもこれも、今まで遭遇した事のある妖には無い特徴だ。

 これは報告した方が良いのだろうか。

 そんな事を考えつつも、時川殿が示したトカゲ岩を目指してた。

 港から西回りに海に沿って走り、葉桜の港が対岸の先に見える頃には既に大きく潮が引き、浮かび上がるように隆起した岩礁が、まざまざとその姿を現していた。

 沖合いの遠目に一つ、目印のような大きな岩が確かに頭のように飛び出していた。

 時川殿が示した“トカゲ岩”とは、昨日見たあの目印の岩の事で間違いないだろう。

 そのトカゲ岩の手前。普段は海に沈んでいる岩礁は見た目にも足元が悪そうだった。波に削られた赤茶けた岩肌の隙間に黒々と滞留した砂がぬめくように続き、焼け爛れた肌のようにも鱗のようにも見えた。

 波の侵入を防ぐ土塀を途中で飛び降り、浅瀬に辿り着いて自然の在り様に一度ばかり足を止めてしまった。

 浅瀬といえど岩礁の上。遠目から見えて想像した以上に大きく岩肌が隆起し、十数歩離れた海側は地滑りしたような崖となり、強い音で波を受け止めている。

 それに岩肌に張り付く海藻で足元が平地のぬかるむ地面よりずっと滑りやすくて、走る速度を落とすしかなかった。

 だが、久弥とアキの姿は見付けられた。あの二人の姿はかなり遠くにあったが、やはり時川殿が言われたように沖合に顔を出している大岩を目指していた。

「久弥っ、アキ!」

 目が見えない妹を連れて居る久弥に追いつくのが容易とは言えない。大きく呼び掛けた声にビクリと身体を震わせて立ち止まった。

「何処へ行く気だ!」

 更に声を掛けたが久弥は立ち止まることも振り返ることも無く、縋りつくように歩いていたアキの手を更に引いて再び走り出し、目の前の岩を一つ飛び降りるとその姿を消した。

 ――逃げられた。

 ただそれだけの事でも、傷付いた自分に溜め息を飲み込み、久弥達が姿を消した場所へ向かった。

 大岩の遥か手前、久弥達が飛び降りたと思えた岩は小さな二人が隠れられそうな岩だった。しかし周り込んでも久弥達の姿は無かった。

 どこかでやり過ごされたのかと思い、来た道を振り返り、岩影を探す。無論、近くの岩陰に洞窟のようなものがあるわけでも無く、本当に何も無かった。

「久弥、アキ!」

 呼んで返事が返るなら、逃げたりしないか……

 一度きりに肩を落とし、もう一度周りを見回す。

 少し歩き回り、足元で何かを踏み砕いた音が立った。貝でも踏み砕いたかと思ったが、貝とは違う白い物。粉々になったのは、アキに渡したはずの塩飴だった。

 アキが目印に落としてくれたのかと思い、他の地面を探せば、白い飴がぽつぽつと落ちているのが見えた。

 だが、最後は落としたか、久弥に気付かれて手放させられたか……中身が残ったままの袋が潮溜まりに、浸されるように落ちていた。

 これくらいで、追い掛けるのを諦めると思うなよ、久弥あのやろう

 もう一度、アキの残した目印を振り返り、辺りを見渡す。

 トカゲ頭の大岩の前は、今立つ浅瀬。奥は海真っ只中になる。そこが岩礁の終点であり、船が通れる海道となっているらしい。

 見える範囲の大岩周辺は、波に削られて身を隠せるような岩陰も無い。

 だとすれば、大引き潮の今だけ、消えるように進んだ場所があるなら崖下か。

 道を踏み外した者を簡単に翻弄しそうなほど崖に打ち付ける波は強く、白い飛沫と音を立てる。見失わせたと思っているのか、大人一人強の身幅分の道しかない崖を、久弥はアキの手を引き、慎重に進んでいた。

 目の見えぬアキを連れてこんな道を選ぶなんて、普段の久弥からは到底考えられない。

 第一に、ただ町の人間から身を隠すのなら逃げ場の無い海より、鳴門神社のあるような山側へ逃げる方がずっと、身の安全を確保できる。

 妹を守る為と、普段から言い続ける男がする行動としては不可解過ぎる。

 今、この場でオレが考えていても答えは出るわけが無いか。崖下に降り、一つしかない道を久弥達の姿が見えなくなった処で歩み始めた。

 崖下の道は半歩分ほどの余裕があるといっても、真下は海。地面が見えないと言うのは、そこらの山林の崖に立つよりも怖い気がする。

 黒い海から響く波のうねる音に平衡感覚が静かに揺らされ、足元で打ち付ける波が海中から伸びてくる手のように感じ、自然と崖に身を寄せるように歩いて行く。

 降りた崖から三十歩程度歩いて着いた場所は、真上にトカゲ頭の大岩が迫り、岩陰に隠れて海水に今も濡れ浸される横に広い洞穴があった。

 久弥の目的地は、此処で良いのだろうな。

 目の前が海ではなく、歩き難くもしっかりとした地面であることに一息吐きながらも、何があるか分からない。濡れて変に張り付く袴の裾だけを動き易いように鷹紐で縛り付け、洞穴の中を慎重に進む。

 入り口の天井は、高さをあまり気にせずに済むほどだったが、下り坂を進むうちに少しずつ低くなり、ところどころが思い出したように高い。

 明かりは当然何も無く、磯の香りに混じり何かが腐敗したような臭いも充満し――嫌な気配が立ち込めていた。

 進む足元の水音も、天井から滴り落ちる水音も、外の海原の波音に直ぐ消される。そのお陰で、足音は気にせず進めた。

 海流と潮風で造られた洞穴の終点は、二百歩と進むうちに唐突に現れた。

 幅狭い空間の中で立ち尽くす久弥達の前に、仄かに全身を赤黒い光を纏ったモノ。それは蛇の様に尾で立ち浮かぶ形崩れた髑髏(シャレコウベ)の荒神。

 その荒神の足元周りに、引き潮に取り残されただろう魚の死骸も多数あり、朽果てたものの悪臭に拍車を掛けている。

 不漁の原因は、此処にもあるのだろうな。

 そんな事を考えながらも、目の前の荒神を改めて見据える。

 幾つもの骨が連なり荒神の形を成しているらしく、人の頭の倍はあろう頭蓋骨がぐるりと円を描くように五つ。かと思えば、肩や間接の部分にも人並みの頭蓋骨が混じり、大腿骨だろうものが八本ある腕の一つを造る……不気味としか言いようが無い。

 リリガムイでもクチナバチでもない荒神。その事に安心したいが、白雛を持たずにこの場に居る事が一層に不安を煽る。

 走ったせいとは違う、じっとりとした嫌な汗が腋下に浮かび流れ落ち、自然と乾く喉を湿らせる。

 荒神が闇の奥で石を打ち合わせるような笑い声を上げ、ずるりと更にその背を伸ばした。

 そこで初めて久弥がこちらに気が付いた。かたかたと震え、常なら血色の良い顔が蒼ざめ、口元は白くなっている。

「と、うが……さん」

 掠れた久弥の声に荒神が反応したのか、乾いた骨の音を立てて幼い二人を囲う様に二対の腕を伸ばしてきた。

「おれ……おれ……」

 何かを言いた気にしていたが、オレは緩く首を振り返し、小さく一歩ずつ距離を詰めて行く。

「それは、倒して構わないモノなのだろう」

 平常心を保つように、ゆっくりと問い掛け、久弥の反応を伺う。

 僅かに目を見開き、次いでアキに視線を向けたのを見逃さない。

 その兄の視線を感じたのか、アキは久弥の裾を掴む手に力を込めて、足元に縋り付く。

 沸々と、地面から例の幼虫が浮かび、気持ち悪い感触を伴って足元によじ登り始めた。

 振り払いたい衝動を堪え、擦り足でもう一歩前に出る。

「お前が言ったのだろう。父親は妖堕ちしたと」

 そして、その後に関しては云われていない……残念だが、あの骨の中に混じっていたとしてもおかしく無い。

 含めて告げた言葉に、久弥からは横に首を振ったのか、震えなのか良く分からない、ただ怯える視線だけが向いた。

「どちらにしろ、このままには出来ない」

 目の前に居るのは、妖ではなく荒神。

 荒神の相手なんかそう多くない。向き合うだけで不気味で、心の臓腑を絡め取られそうな恐怖に堪える。

 怯えるなと自分に言い聞かせ、もう一歩前に。

 手を伸ばせば、久弥達に触れられそうな距離で、オレも荒神も止まる。

 うぞうぞと身体によじ登る幼虫までも止まり、生暖かさが混じる潮風が吹き込んで来るばかりになった。

 荒神と向き合い、自然と天司神に祈る。

  願わくば、久弥とアキを守れる様に。

  絡め取られた人達の魂が、天司神の御元へ逝ける様に。

 ゆっくりとした瞬き程の黙祷をし、身構える。

 オレと荒神、その間に張る緊張感に胃ばかりが気持ち悪さを増す。

  縮こまるな。怯むな。此処で死にたくもない。死なせたくもない――

 オレの向ける敵意に反応し、荒神の五つある頭のうち一つが、子供が様子を伺うように横に倒れた。

 だが、仕掛けるにしても久弥達の側にある二本腕が邪魔だ。

 人質代わりか、それとも守っているつもりか。

「冬臥さん……」

 久弥の震える声は変わらずなのに、アキを守るように小さな身体を引き寄せて掴んでいた。

 今の久弥の反応では何も窺えず、視線を荒神へと移した。

「どちらにせよ、野放しには出来ないのでな」

 声を落とし、絡みつく緊張の糸を一本ずつ解すように呼吸を整える。

 同時に一番難しい、久弥とアキの安全の確保を考える。

 一番良いのは、兄妹自らの意思で荒神から離れてくれる事だ。

 ゆるりと、何時でも二人を庇える様に重心を前に残し、久弥を呼ぶ。

「お前が今、成したい事を思い出せ」

 久弥に父親の話を聞いたあの日。互いに答えは出している。

「此処で朽ち果てるのが望みなら、オレは役目通りに、全てを封じて去る」

 きっぱりと言えば、躊躇う久弥の瞳が向けた言葉を反芻しているのか、怯えから戸惑い。戸惑いから逡巡に、時を掛けて変わっていく。

 そして、アキにも声を向ける。

瞿鎧化した(しんだ)者は、生者には戻れない」

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