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舞い踊り散る桜  作者: 紅夜 真斗
十二章
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小兄の迷い

 久方ぶりに鷹舎での仕事が殆ど無く、早めに上がれたおかげで夕七つ頃には通常の稽古を受けに来れた。

 和一殿を相手に基礎を確かめながら型を一通り流したところで、小休止を言われたことに、少しばかり物足りなさを感じた。

「あ、冬臥さんだ!」

 水を汲みに井戸へ向かおうと、縁側を下りたところで、庭先の低い竹垣向こうから久弥の元気な声が聞こえたが、見えたのは気まぐれ桃だけ。

「こっち、こっち!」

 何処かと探せば、気まぐれ桃の奥側で久弥が大きく手を振っていた。

「今からか」

「あー、もう少し後……あ、今は使いの途中で、その後に伺います!」

 久弥の言い直しの差に苦笑しつつ側に近づけば、久弥の傍らでもう一人こちらを見上げていたのに気が付いた。

「アキも一緒だったか」

「はい! 今から、屋敷に戻るところなんだ」

 久弥の言葉に妹のアキも頷いたが、兄の袖先をくいっと引っ張り注意を向ける。

「え、それは……おれじゃ、決めらんないよ」

 アキが兄の掌に何事かを書き記して、久弥が助けを求めるような声を上げた。

「何だ? 時川殿なら奥にいるから声をかけて来るか?」

「うーん、いや、大丈夫です!」

 威勢の良い兄の返事に、アキの方がまた抗議の為か、久弥の袖を強く何度も引いてからオレを見上げてきた。

 閉ざされたままの瞳だが、むくれながら訴える面差しを見せていた。

「一体何を言われたんだ?」

「なんでも無い、です! 大丈夫だよ、冬臥先生。アキ、早く戻らないとおれが稽古出来なくなっちゃう!」

 取り繕い言う久弥に怪訝な視線を向け、妹を見ればつまらなさそうに頬を脹らませていた。

「どうした。オレで良ければ聞くぞ」

「あっ、いいよ、冬臥さん!」

 久弥は慌ててアキの手を取ろうとしたが、先にアキの方が嬉しそうに指先でオレを示した。

「オレ、か?」

 言葉を発せないアキの言いたい事を、汲み取るのは難しい。今も聞いてみたが、首を振って何度か指先をこちらに向ける。

「道場か?」

 オレの後ろには稽古場がある。アキは其処を示していたらしく、今度は大きく頷いた。

「稽古が気になるのか?」

 今はまだ休憩中だが、もう少しすれば稽古も再開する。稽古場の方から談笑中か笑う声が響く。

 アキへ視線を下ろせば、問い掛けた分だけ期待に満ちた顔を向けられたが……確かに、これはオレでも決められないな。

 こればかりは二人の主人が決める事だ。

「だから、良いって言ったのに……」

「何だ、妹が来るのは嫌か? こちらとしては、幼い門弟が増えるのは有り難いがな」

 一応それなりに長い歳月の道場だし、自分の居る代で無くなるような事は、やはり歓迎した事ではないな。

 そう此方の勝手な事情を含めて言えば、嬉しそうにするアキとは正反対に久弥が大袈裟に溜息を吐いた。

「冬臥さんてば~」

「まあそう言うな。アキ、見学を含めて、こちらに来る前に時川殿に許可を貰ってからにしろ」

 そう伝えれば、アキは眉根を寄せ、唇と頬を膨らませてから、不服そうにだが、こくりと頷いた。

 今のアキの仕種が灯里に似ていて可笑しい。

 笑いそうになったのを堪え、久弥が妹の手を握って引っ張った。

「ほらぁ、早く行こう! 冬臥さん、おれが来るまで絶対いて下さいね!」

 久弥は、まだ名残惜しそうにこちらに顔を向けるアキをぐいぐいと引っ張って、オレに念を押す。

「分かっているから、そう引っ張ってやるな。怪我をするぞ」

「だって、アキってば動かないんだもん。ほら、早く戻らないと怒られるよ!」

 怒り加減に久弥が言えば、漸くアキは歩き始め、こちらに手を小さく振っていた。

「冬臥ぁ、始めようぜぇ!」

「はい、今行きます!」

 幼い兄妹を見送りを待っていたのか、呼びに来た和一殿に返事を返して稽古に戻った。



 久弥が一人で稽古に来たのは、空に茜色が差し込み始めた頃合いだった。

「よろしくお願いします!」

「ちゃんと、身体は解したな?」

 年少組の稽古時間は夕七つには終わっている。遅れてきた久弥と自然と組み、基礎からゆっくりと確かめる。

 一通り確かめ、和一殿が面白がって近づいて来たので、打ち込みに付き合って貰う事にした。

「久坊、遠慮はいらねぇからな」

「和さんかぁ」

「久弥。遠慮はいらないらしいから、思い切りやってやれ」

 和一殿の言葉に重ねれば、言った本人が「やっぱ加減しろ」とあっさり翻してきた。

「和さんが最初に言ったんだから、思いっきり行くよ!」

 笑いながら言う久弥だったが、動きがいつもより悪く感じた。

 いつも以上に焦って、一手一手が縮こまっていた。

「久坊、これじゃ怪我するぞ」

 言いながら和一殿の上体が小さな久弥の影に沈み、綺麗に脚を払い飛ばした。

 いつもなら受け身を取るはずが、尻と手首から同時に床に着いた。

「いってぇ!」

「悪ぃ! 平気か?」

 和一殿が呻く久弥に声を掛け、手を差しのばした。

 怪我も無いようで、久弥は付いた手を軽く動かして確かめていた。

「んでも、この前の冬臥もそうだったけど、久坊も焦ると軸がブレるよなぁ」

「オレもですか?」

 思わぬ指摘に声を上げれば、笑って頷かれた。

「おう。冬臥の場合は、軸ってより、重心が利き手寄りになんだよな」

 うわ、全然自覚なかった……

「和さんも良いけど、冬臥先生ちゃんと稽古付けてくださいよぉ」

「分かった分かった。なら、来い」

 和一殿と立ち位置を変わり、一礼してから久弥と再び組み手を始める。

 横から見て居ても、実際に組んでも、やはり久弥の動きは変わらなかった。

 少し投げられて見るか……

 そう考え、久弥の技を受ける。払いに来た脚を避け、体勢を前のめりに傾ければ、小さな体をしっかりと屈めて、投げる。

「おぉ、綺麗な払い腰だな」

「本当!」

「ただ、腕の使いは今一だったな。いつもなら、もっと引き寄せていただろ」

 率直な感想を伝えれば、久弥はおどけたように「あり?」っと呟きながら首を捻った。

 型を変えて、何度か投げられ、時折こちらも投げたり関節を決める。

 仕掛け返す時の受身はいつもと変わらないのだが、攻め手になると妙に急ぐのが気になる。

「久弥、こっちおいで!」

 道場の入り口側から大きく掛かった呼び声は、時川殿のものだ。

 しかも、いつにも増してつっけんどんな物言いだった。

「はい! 先生、ちょっと行ってくる」

 ちょこんと頭を下げ、急いで時川殿の方へ走って行った。

 よくよく見れば、時川殿の他に壮年の女性が恐縮しきった面立ちでアキを連れて来ていた。

「なんで来たんだよ!」と、これもまた珍しい久弥の怒る声に、アキはビクリと体を竦ませて、連れて来られた女性の影に隠れた。

「一体何があったんだろうなぁ」

「さあ……」

 和一殿の質問にそう返して、一行の遣り取りを見守っていた。

 思いのほか、長くなっている話しに、残っている面子で稽古を再開した。

 久弥は時川殿と戻って来ると、中断した詫びとこのままアキ達と帰る旨を伝えて来た。

 思い切り稽古が出来ずに終わる事に、久弥は唇を尖らせていたが、それも仕方ない。

 教える人(しはんだい)が不在となるなら、時間も相まって解散となる。

 其々が帰る準備をし始め、終わった者から順次道場を後にして行く。やはり、関心は幼い子を連れた来訪者にあるようで、注がれる視線の居心地の悪さからか、壮年の女性はしきりに頭を下げてお詫びめいた言葉を告げていた。

「冬臥さん、少し良いですか?」

 オレがいる時には戸締りは、オレが勤める。全員が帰るまで見送るオレに、帰る筈の時川殿に呼び止められ、庭先に誘われた。

「久弥達と一緒に家の都合で、ニ週間程空けます」

 呼び出した理由を端的に、気まぐれ桃へ目を向けたまま、時川殿がぽつりと告げて来た。

「分かりました。参加出来ない分の稽古は、戻られた後に時川殿達の都合に合わせて行いましょう」

「あ、いえ……いえ、そうですね。そうお願いします」

 何か見当違いな答えをオレが返してしまったようだったが、時川殿はそれを正す事無く、会話を終わらせるように踵を返した。

 ふわりと翻った髪先が、初めて会ったときと同じ嫌な空気を纏っていた。

「時川殿」

「何か?」

 オレの呼び止めた声に時川殿は立ち止まり、僅かにこちらを振り返ったが“これ以上追求するな”と気配が言う。

「アキが、兄の稽古に興味があるようです。戻られた際に、良ければ連れて来てやってください」

 先程の一件を伝えれば、肩の線が少し下がった。

「目も見えない子を、連れて来る意味はあるのですか」

 静かに告げられた言葉を、一瞬、時川殿から返されたと思いたくなかった。彼女なら、アキの想いを汲んでくれるだろうと思っていた。

 困惑した隙に、歩き始めた時川殿の背に再び声を掛けた。

「オレは、アキは聡い子だと思っております。決して無駄にはなりますまい」

 ゆっくりと声を掛け、その背に一礼した。

 顔を上げた時には、玄関先で待つ人達の元へ向かう後姿しか見えなかった。


 その日の夜遅くに、久弥が家に来た。

 夜勤めに出る支度途中だったが、その手を止めて、久弥を家の中に入れた。

「随分と不景気な顔をしているな」

「そう?」

「一人か」

 問うた事におどけた様に言う久弥の傍らに、何時もなら一緒に居る筈のアキの姿が無かった。

 遅い時間だからと言うのもそうだろうが、敢えて指摘すれば案の定、久弥は躊躇ったように視線を彷徨わせてから頷いた。

「カナデねーちゃんの所に居る」

「出掛けるらしいな」

 久弥の歯切れの悪さに、何かあったのか考え、思い当たったことは、アキの事と空ける事によって稽古が出来ないことくらいだった。

「冬臥さん、これから?」

「ああ。もう少ししたらな」

 続かない話題に、久弥は落ち着き無く、茶を煎れると湯を沸かしはじめた。

「冬臥さん……明日からおれ達、葉桜に行くんだ。お土産何が良い?」

 躊躇いに躊躇って言われた言葉だったが、そうだな、と続けた。

「葉桜には行った事が無いからな。何がある?」

 そう水を向ければ、思い詰めていた表情が、微かに和らいだ。

「やっぱり船町だからねぇ。海産物は外せないにしても、後は……あ! 鈴鹿堂の鹿煎餅が美味いよ!」

「鹿煎餅か」

 海の近くで鹿とはと、笑いながら応じてやれば、湯呑を置いて久弥も笑う。

「じゃあ、買って来るよ!」

「楽しみにしていよう」

 茶を飲み、一息いれて玄関先に荷物を置く。

「一人で帰れるか?」

 半分中身が入ったままだが、湯呑みを流しに置いた。

「あ、あのさ! 冬臥先生は、本気でアキの見学に賛成なの?」

 もう出ると分かった処で、久弥から本題が投げられた。

「当然だ。如何に障害が在ろうと、本人からむやみに、経験を奪いたくない。それに、アキが自ら望んだのだろう?」

「そ、そっか。なら良かった……」

 安心したと呟いたのに、心が晴れた様子が見えない。

「久弥。お前は、妹が傍にいるのが嫌か?」

 そう聞けば、大きく首を横に振った。

「おれが、助けないと……ダメなんだ」

「俯いていて成せるなら、そのままでも構わんだろう」

 決意というより、己への言い聞かせ。それに思わず声を掛けていた。

「久弥、明日は早いのだろう。途中まで送ろう」

 荷物を片手に言えば、久弥は漸く立ち上がった。

「冬臥さん……おれも付いて行ったらダメかな」

 しょげ返るような口ぶりで言われ、少しばかり嘆息してしまった。

「無理だ」

「う、うん。すみません……遅くにごめんなさい」

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