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舞い踊り散る桜  作者: 紅夜 真斗
十一章
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書庫に触れるもの (前)

 暁九つの時分あたりには取手の家に赴き、千代殿に話しを聞くことが出来た。

 山火事はあの驟雨により早期の鎮火となった事と、助けを求めた人達が、重軽傷様々だが、無事に下山を果していた事が分かった。

 ただ、復帰は難しい可能性があるとも付け加えられた。

「良かった」

「そうですね」

 思わず安堵したオレとは違い、話しを聞かせてくれた千代殿が暗く含む様に頷いたのが、妙に残った。

「ところで折角ですから、一仕事頼まれてくれません?」

「解りました」

 直々に、しかし穏やかに頼まれてしまえば断り難い。きっとこう云う処が古竹さんが『人使いが荒いですね』と、称したわけだろう。

 先日のように皆と同じ部屋で書状を纏める作業になるかと思ったが、千代殿の部屋での手伝いとなった。

 古くなり使わない書を纏めて欲しいと云われた。

 確かに部屋の隅に一抱えほどの木箱が、縦にも横にも七段ほど積み押しやられており、千代殿が言うにはその中に、投げ込まれたように書状が入れられていると言う。

 片付けて欲しいのは詰まれた箱の一番下に当たる部分だと言われ、一時的に箱の上下を入れ換えるように動かすが、中身が紙といえども、隙間無く押し込められているせいで、かなり重量がある。

 箱の蓋は楔打ちもされておらず簡単に開き、日付が古いもの程、箱の奥に押し込まれている。

 十年以上経っているものは流石にもう使わないので、書庫へしまうらしい。

 とりあえず、本の形になり表紙に日付が書かれているものはそれを頼りに分けて行くが、十年なんて悠に経っている物もある。

 しかも、表紙だけ外れたのか、捲るのも怖いほど乾燥しきって黄ばんだ紙の日付に至っては三十年前の日付だ。

 本になっている物も少ないが、バラけている物は後回しで良いとも言われたので、とりあえず除外する。

「あら、意外と慣れていますのね」

「そうですか? ありがとうございます」

 決して手際が良いとは思わないが、そう言って貰えるのは有り難い。

 千代殿と二人で片付ける、目の前にある膨大な書の数には呆れたくもあるが、古い物には興味が沸く。

 ある程度の日付を見ながら、思わず留めた頁では、今では当たり前にある店の竣工状況が記されているが、同時に妖の出没したとも書き添えられていた。

「古い物ばかりだから物珍しいかしら」

「あ、すみません」

 思わず止めてしまった手を窘められたと思ったが、そうでは無かったらしい。

「構わないですよ。春紀(ハルキ)さんなんかは一度も手伝った事もありませんし」

 ころころ笑いながら千代殿が呼んだ名は、一瞬誰の事かと思ったが、頭領の古い名だった。

 あの人をその名で呼ぶ人はもう居ない。オレを『十斗』と呼ぶ人が居なくなっていくように。

「千代殿は長年この道に就いているとお伺い致しましたが、頭領の幼名まで知っていらしたのですね」

 何気ない問い掛けだった。ただ、何気ない事が意外な答えをオレに与えた。

「貴方のお祖父(じい)さまの代からですからね。春紀さん――今の頭領には、家悟(いえさと)も手を焼いて、中々大変だったのですよ」

「昔から、あの性格なのですねぇ……」

 オレの祖父母はオレが生まれるよりも前に既に他界している。あの人の昔話はきっと千代殿以外は、誰も教えてくれないだろう。

 まあ、他に知る人と思い浮かぶのは古竹さんや綾之峰様くらいだけれど。

塔生(とうしょう)のような、せびり生業はしたくない。主家の命は仕方ないが、他家の政治利用はまっぴらだ。伊那依の過度干渉は問題だと、まあ、臆面なく言うものでしたから。今でこそ、后守頭領として、落ち着いていますがねえ」

 千代殿の言葉は本当に何気無い昔話の一つと言った具合だったが、思わず持っていた書を取り落とすには十分な衝撃があった。

「伊那依と、いま……」

「ええ。何時頃からだったか、春紀さんは、あれらに関心を寄せていますから。困ったものですよ」

 頭領の立場として言えば、長年就く人から見て問題があると含めている。

 だが……だが、后守は伊那依に干渉できる立場だと云った。

 伊那依は単なる、妖憑きでも荒神憑きでも無いという事なのか。その答えが此処にあるのか――

「さあさあ、早く片してしまいましょう」

「千代殿。あのっ、もし良ければ、此処にある書をお借りする事は出来ますか」

 口の中が渇いて、問い掛けたはずの声が掠れている。

 もし、この場で調べる事が出来るのなら、大和の出した問いに漸く答える事が出来る。 

「それは無理に決まっているでしょう。あたくしか頭領以外は持出禁止ですのよ」

 柔和に、だがきっぱりと返ってきた答えはとても単純明快だった。

 それ故に、力が抜け出したように項垂れた自分がいる。

「まあ、冬臥さんが頭領に就けばいつでも見られるようになりますわよ」

 笑いを隠して告げられた言葉に、力の無いままに頷き返し、取り落としていた書を拾い上げた。

 今、此処で短絡的な行動を起こせば、知る事は出来るが、払うべき代償には見合わない。

 大和の側に居られずとも、灯里の側に居られずとも、守るべき主の名に疵を付けられない。

 一瞬の間にそんな葛藤があった自分に気が付いた時、また肩を落とした。

 御剣の后守として、想像していたより焦っていると知った。

 いや、違う。“御剣の”と言うよりは“大和(とも)の后守”としてその責務を全う出来ていない事に焦っているだけか……

「冬臥さん。まずはこれを運んでしまいましょう」

「はい。分かりました」

 呼ばれた声に返事を返せば、千代殿が運びやすいようにぎゅっと紐を縛りつけた書の束を軽く叩いていた。

 千代殿が灯りを持って先を歩き、その後ろからオレが書の束を抱えて付いて行く。

 案内された書庫は、驚いたことに浄善寺の敷地の中にあった。

 雑木林の奥に見えていた浄善寺の本堂を右手にし、ずっと住職たちが住まう庫裏(くり)だと思っていた建物が、取手の家の書庫だった。

 書庫は正面の入り口から見れば浄善寺の本堂の影に隠れ、横から見れば雑木林の影に沈み庫裏の佇まいを見せていた。

 本来の浄善寺の庫裏は、書庫の更に奥にあり、正面に回れば似たように雑木林の近くにあると言う。

「あら、どれだったかしら」

 書庫には頑丈な鎖鍵が閂を固定するように、左右に二つ掛かっている。

 千代殿は持っていた鍵束から一つ一つ、形を確かめるように差し込んでいく。

 三本か四本ほど試し一つ目の鍵が開き、二つ目の鍵は二本目で開いた。

 厳重に掛けられていた鎖を外し、閂に千代殿が両手を掛けて横滑りに動かせば、錆び付いて軋む嫌な音が耳を突いた。

「また誰かに油差しを頼まないとダメね。冬臥さん、足元には気をつけて」

 独り言のように呟き、隙間のように開いた扉の中に千代殿の小さな体が吸い込まれるように入って行った。

 ただ、荷物を持つオレが通るには少し狭く、もう少しだけ扉を押し広げて中に入れば、再び驚かされた。

 思っていたよりも書庫は広く、天井も高い。

 壁面すべての書棚は当然だと言わんばかりで、並列する書棚も天井まで届くほどだ。

 それに、道場の蔵とは大違いできちんと整理され、入り口手前側にはまだ墨に染められていない真新しい紙束が積み上げられ、同じように新しい硯や筆、糊や紐等の用具もそれぞれ整理されて分かりやすく置いてあった。

「冬臥さん、此方に置いて下さいな」

 千代殿に手招きされ、近くに向かえば書棚の一部はまだ何も入っていない状態だった。

 その空っぽの棚に、今持って来た書をまた、ある程度の年別に入れていく。

 棚に入っている書は確かに古い物が多い。それこそ、道場の中にある本とは比べ物にならない程に。

「道場にも后守の古い本はありますが、此処は、流石ですね」

 不自然にならない程度に、話しを振ってみる。

 奥の壁面に収められている物ほど古い物が収められているのか。しかも、蓬莱以西、以南の土地の名前も見える。

 本当に全国から情報を集めていたのだろう。

「ああ、道場にある本はあくまで、先代――貴方の曾祖父の代から、周辺のある程度の事を纏め書きした物を置いてあるだけ。殆どの物は、家悟さんが此処に置いていったのよ」

 そういう事か……だから、書き足しているような物があるわけか。

 だが、それなら尚のこと、オレが知りたいことが此処にある可能性が俄然と高い。

 半分は本当に物珍しさもあって、辺りを見回しながら手近な物を一冊抜き取った。

 窘められる事も無かったので、遠慮なく開いて伊那依に触れるような物があるのかを探した。

「冬臥さんは、素直で勉強熱心ね」

「え――」

「春紀さんなんかは、先代の言う事なんかちっとも聞かないし、勝手に御役目を放ってしまう事も暫しあったのよ。それに此処にちゃんと関心を持ったのは、頭領の席に就いた頃だったのよ」

 くすりと笑った千代殿の表情に、一瞬だが薄ら寒いものを感じて、背筋が震えた。

 柔和に笑っているはずなのに、何か見透かされたような視線に、勝手に震えた。

 そんなオレの様子に気付いていたのか分からないが、千代殿は持って来た書を全て入れたのを確かめ終え、手に付いた埃を払った。

「今日はこれだけにして、部屋を片してしまいましょう」

 本立てで書を綺麗に立て並べ、何処か満足げに頷いて外に出るように促された。

 先に外に出て、数歩遅れで千代殿が書庫の鍵を元通りに掛けていく。 

 錆び付いて嫌な音を立てる閂も、その閂を固定するように左右に掛けられる鎖鍵も、全てが千代殿の手でカチリと閉じられていった。

 そして鍵の束は、千代殿の懐にしっかりとしまわれた。

 千代殿の部屋に戻れば、広げていたままの箱と出したままの書が積んである。

「もう少し、纏めるだけまとめてしまいます」

「朝はお仕事ではありませんか?」

「ええ。ですが、キリの良い所までやっていきます」

 開けた箱は五つ程。書庫にはその内の三つに入っていた、しかも本の形になっていた物を持っていっただけ。

 他の物はまだ積み上げたまま。それらの年数を見ながら斜め読みに、内容を眺めていく。

 出来るだけ、速度を落とさず不自然にならないように。

「それならお願いしてしまいます」

「はい」

 そう返事を返したのを聞き届けたのか、千代殿は先ほど懐に仕舞った鍵を確かめるように着物の上から触り、部屋を出て行った。

 鍵はどこかに保管しているのか気にはなったが、先に目通しできる方を優先した。

 書状の殆どは妖と荒神の情報。

 他の町にいる后守たちから持ち寄られたものがやはり目に付く。

 それ以外では、古い帳面や神社や祠、店の建て替えや土地の移動もあるし、御剣家の元にある家々の情勢。

 時川家や長谷川家の名も見えたが、今知りたいのはこれらではない。

 日付を間違えぬようにもしながら分けていき、気になり目に付いた書状は重ね置きながらも、僅かにずらしておく。

 手にしていた束の一塊が終わりに近付き、そこでおかしい事に気が付いた。

 先程、千代殿は『道場の方には、ある程度を纏め書きしたものしかない』と、曾祖父の代から情報を纏めているといった。

 他の箱を見ていないから、確かとは言えないにしても……

 伊那依に触れたもの、もしくはそれに近しいものが一つも見当たらない。

 “伊那依”とは妖憑き、荒神憑きの総称だとオレは教えられた。

 目を通した範囲の物には妖の名前やその姿形などはあったが、それはよく戦方で対峙した時の、ごく普通――と言って良いのか、良くある妖や荒神に付いて書かれた物ばかりだった。

 だが、オレが初めて伊那依に対したとき、十重殿も古竹さんも、伊那依は妖が人に憑いていると知っていた。

 頭領自身は別だとしても、頭領に近しいが故に伊那依と言うものが、人に憑いている妖と知っていたのか?

 “瞿鎧(くがい)”は、亡くなられた人に妖が憑いた事を言うのなら、生きている人に憑いた妖を伊那依と呼ぶのか?

 蔵に在った本には“伊那依”と記されたものは無かったが、確かに、生きている人が繰る妖について触れたものがあった。

 何故、道場にはあった物が此処に無いんだ。

「過度な無理は禁物ですよ。冬臥さん」

 背後から掛けられた声に、思考の渦から引き戻されて肩が跳ねた。

 振り返れば千代殿が、盆に湯呑を二つ載せて立っていた。

「後は今度で良いですから、今日は終わりにして家でゆっくりと寝ては如何です?」

 緩く笑いながら言われた事に、どうやら千代殿は手を止めてしまっていたオレを寝ていたと思い込んだようだ。

「若いうちは無理が利いてしまいますからね。あたくしも、このお茶を飲んだら寝てしまおうかと思っていたところなんですよ」

「すみません」

 差し出された湯呑を受け取り、たおやかに薫るお茶を口に含んだ。

「……甘いですね」

 頂いた茶は普通の緑茶ではなかった。感じた甘みに一瞬、舌がおかしくなったのかと思ってしまった。

「甘露茶ですのよ。疲れているときに甘味は癒されますからねぇ」

「ああ、これが……」

 茶屋で普通の緑茶だけでも色んな葉があるのを知ったが、その中に甘露茶の名前は見た事がある。

 甘党では無いし、書かれた名前からさほど興味も無かったが……初めて霜月分家に訪れた時に、輝政殿が振舞ってくれた手作りのおはぎ並みに甘かった。

「御口に合わなかったかしら?」

「すみません。折角淹れてくださったのに」

 どうにも合わず、申し訳無いが湯呑は置かせてもらった。

「折を見てまた片付けさせていただきます」

 そう告げながら、ある程度纏めた書を軽く紐で縛り、確認の終わっていないものはまた木箱の中に戻した。

「いえ、もしもの時は他の皆にも手伝ってもらいますから」

「気になさらないで下さい。また、お手伝いさせて下さい」

 意識して何でもないと言いながら、取手の家を後にした。

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