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舞い踊り散る桜  作者: 紅夜 真斗
十一章
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暖簾に腕押し

 草刈殿を家に運んだ後に、十重殿の家に立ち寄って彼女の後の事を任せた。

 その時にはもう既に草刈殿は目を覚ましていたが、念を入れておくに越したことは無いだろう。

 後でチドリに寄って弁当でも頼むかな。大丈夫だとは言っていたが、栄養はしっかりとっていて欲しいと思うし……何より、オレ自身の時にはかなり世話になってしまったのだ。あれだけのお礼じゃ、やっぱり釣り合いが取れた気もしないしな。

 そう考えながら、昨晩の件もあって役人に指定された通り、朝五つの鐘の音が鳴る前に中町番屋を訪れたが、すぐに終わると思っていた身元証立ての手続きに、かなりの時間を取られた。

 理由としては簡単だ。

 后守が御剣家の守り手の名として認知された以降、影担いの后守に属する事を公言している者がほぼ居なくなってしまった。と言うことだけだ。

 影、影担い。と言うのも悪まで、后守家のお役目に対しての分別だから、他の影担い達は今まで通りに“后守”を名乗る。

 言ってしまえば、他人にはその違いなど解らないし、同心、役人達は立場上から何となしに、御剣家付きの后守家と后守は同じでありながら違うと、そう思っている程度だろう。

 だから、影担いの后守を名乗る者の身元証立ては酷く面倒で、大抵の人は近くの番屋の人間に顔を売っておく。

 そうでもしなければ、連絡の付かない頭領をひたすらに待つか、代理の紀代隆様を待つか。それとも、自身の繋がりを持って、証明一筆を待つか。ともかく、一日二日はその証立ての為だけに潰れると言う話も、全く聞かない訳では無かった。

 そう言う意味では、オレは后守家の紋と千代殿の証も有るし、直ぐに済むと思っていた。だが、役人達からすれば、后守自体が目の上の瘤のようなものなんだろうな。

 家紋付きの懐刀は番屋に入って直ぐに、預かり取り上げられた。

 今回の千代殿に一筆、証立ての為に筆を走らせて貰った証も、やれ、これは本物か、何を(おもんぱか)って外を彷徨(うろつ)いていた。役目も違い甚だしい。子供とて偽りを申せばただでは済まない。

 とにかく、そう言う事を延々と巡り言われるとは思わなかった。

 家近くの東陽川番屋の人間相手なら、こうも時間は取られないが、指定された場所は先日の米問屋『保源』の近く。しかも、此処の番頭(ばんがしら)が不在と言う悪条件が重なってしまった。

 此処の番頭の名前を簡単に答えれていれば問題なかったのだろうが、縁の遠い人の名前だと、中々出てくるわけもなく、仕方無しに東陽川番屋の番頭から順に名前を列挙しても、「適当に言っているだけだろう」と言われ、流石に辟易とした。

 後何度、同じ事を繰り返せば解放されるのか、そろそろ良い加減にして欲しい。そう本気で思った溜息を吐いた頃、入り口が勢い良く開いた音があった。

「邪魔するよ! 柳瀬の旦那いるかい?」

 聞こえた声と同時に呼ばわれた名前に、引っ掛かりを覚えて、入り口があるだろう方へ目を向けた。

 もっとも、オレが今居る場所は奥の板座敷だから、入り口に居る人の顔も見えないし、出迎えた人との会話も聞こえはしないが、入ってきた人の「えー、頼まれてたのにさ」と、大袈裟にむくれた声に、助けられるようにようやく思い出せた。

「何処を向いている!」

 オレの逸れた注意を引き戻す為に、強面の同心が板敷きを思い切り叩き付けた。

「今の声の方は后守流護身術道場の和一殿ですね。しかも、此処の番頭の名前を思い出せなかった私にも落ち度がありますが、柳瀬達樹殿でしたか」

 目の前で怒号を上げた同心に改めて告げれば、詰め寄った勢いは一気に風化し、狼狽えたように傍に居た人間に、訪れた人を呼び付けに走らせた。

「ちょっ、なにっ! なんなのっ、一体なんなのさっ!」

 あぁ、やっぱり間違いなく和一殿の声だ。

 板張り床を荒々しく走る音に混じって、非難めいた困惑の声があがれば和一殿の姿が現れ、同時に、板座敷に放り投げられていた。

「和一殿」

「あれぇ、冬臥じゃん。どしたのさ?」

 呼んでみれば、きょとんとした丸い目をオレと周りの役人達へ交互に向け、ようやく解放された。


 一刻と四半刻近くか、薄暗い板座敷に居たせいで陽の高さに目が痛い。

 検分に掛けると云われた家紋付きの懐刀を返して頂いた役人は、胡乱気な視線のままだっただったが、番頭の代理を務める同心が、玄関近くまで見送りに出てきたことに驚いた目を向けていた。

「本当に助かりましたよ」

 鷹舎へ向かう道すがら途中まで同じ方へ行くと言う和一殿から、何故に捕まっていたのか問われたので、事情を掻い摘んで説明をした。

 一から全ては話せないのは申し訳無いが、それでも彼は気にした様子も見せず、深い追求もしないでくれた。

「お役目ってのも大変なんだなぁ」

「ええ、こんなに面倒だとは思いませんでした。他の方はどうしているのか、今度参考までに聞いてみようかと考えてましたよ」

「ああ、そりゃ良い。んでもさ、その家紋みたいに何か、皆に分かりやすい印がありゃ良いんじゃないの?」

 歩きながら何気なく言われた言葉に、確かに、と思った。

 書面を端から偽物だと思われていたから、これ程にまで時間が掛かったのだとすれば、何か揃い証を持てば分かりやすい。

「今度、申し伝えてみます」

「後はそれを悪用されないようにもしないとだけどな。おっと、そろそろ戻らないと親父さんに怒られる」

「ああ、遊んでいたわけではなかったんですね」

「ひでぇ! 廻漕問屋の『葵』ってところで、ちゃんと仕事してるんだぜ? じゃなきゃ、月謝も払えないじゃない!」

 本当に遊び倒してるなんて思ってはいないが、言えば言った分だけ和一殿が面白く返してくるが、かなり意外な仕事だった。

 廻漕問屋と言えば、港から上がる船荷を水路伝いに様々な町へ届ける仕事だ。

 もちろん、和一殿の『葵』だけが廻漕問屋を生業にしているわけではないが、時折、荷物狙いの荒事にも巻き込まれる為、荷運び含めて頑丈な男衆が勤めている印象がある。

 ああ、だから和一殿が道場に来ている訳か。勝手な想像だが筋は外していないだろう。

「まあ、操船は勉強中だけど、くっついて船乗ったり町ん中を回ってると面白いんだよなぁ」

 戻らないとと言いながらも、何を思い出したのか、不気味にくっくと喉を鳴らして此方に目を向けてきた。

 ……なんだろう。この、見慣れた碌でもない視線に思わずぐっと拳を握り締めれば、和一殿が後ずさったのが見えた。

「あ、待って。まだ何にも言ってないんだけど」

「まだ、殴ってませんからどうぞ」

「その台詞、絶対違うよね!」

「聞いた後で判断いたしますよ?」

「それも違うよね!」

「とりあえず、話すまで一つずつ技を掛けるのもありでしたっけ?」

「ちょっ、それただの暴力じゃん! あれ、冬臥ってそう云う人だったっけ!」

 和一殿が何をそこまで怯えているのか、全く分からない、分からないな。

「笑顔がめっちゃ怖いんだけど!」

「何をそんな……至って普通ですよ」

「絶対にウソじゃん! なに、このさっさと白状した方が身の為ですよ的な雰囲気は!」

「分かってるなら良いじゃないですか」

 問い詰めたつもりは余り無いが、聞きだした事も後悔した。

 幽借(かすがり)の一件で、草刈殿に迷惑を掛けたと思っていたが、まさか更に変な誤解を和一殿に与えたかと思うと、本当にもっと早くに目を覚ませれば良かったと、思う。

「と、言うことは……辻森辺りに変な噂を流したのは」

「あー、うん。俺って事になるかなぁ? ごはっ!」

「先程の感謝の言葉は撤回します」

 小さく、短く、けれど勢いはつけて和一殿の脇腹に拳を打ちつけておく。

「ぼ、暴力反対……」

「すみません。つい、体に叩き込ませた方が早いかと思いまして」

「で、でもさぁ、朝も夜も、お互いの家の近くで見たら誰だってそう思うじゃん」

「前にも言ったようにそういう相手ではありません! 第一、和一殿だって知り合いが目の前で倒れたりしたら、顔くらいは出すでしょうに」

「そりゃぁ、まあねぇ。でも、野郎相手なら毎日も御免だけどねぃ」

「女性が相手なら?」

「もちろん、朝から晩までいるに決まってるじゃない!」

「でしょう」

「いや、うん。そうだけど、ちょっと違う、そう違うんだよぉ!」

 何故そこで、血涙を流しそうな勢いで訴えられるのかが分からないし、突然大声を上げた和一殿のせいで、周囲から奇異の目を向けられている。

「大体、草刈ちゃんから好かれてるのかしら? みたいにちょっとでも思ったことないわけか!」

「無いですね」

「即答かよ! せめて、考える振りとかは!」

「して如何するんですか」

「それは、ダメだ……冬臥、それはダメだよ! 少しくらいは、相手の事を考えてあげないと!」

 だから、どうしてそう涙を流す勢いで言って来るのか、この人は。

「ちゃんと、考えてお礼はしましたよ。釣り合いは取れてはいないでしょうが」

「だから、そういう意味じゃ……なんて言うか、お前に惚れた子がほんとに可哀想だわ」

「そんな人いないでしょう」

 わざわざ大袈裟な物言いで返してくるから、笑いを堪えつつ返してみたが、今の台詞ばかりは自分で言っていて少し悲しいな。

 あぁ、一応、灯里には好かれた方だよな。分かりやすく懐かれてたし。うん、記憶にある限りではそれくらいしか思い浮かばない……

 悪いとも思わないし嬉しくないわけではないが、これを勘定に入れるのは違う気がする。

「まあ、なんだかんだ言ってぇ、冬臥は冬臥で、ずっと想ってる彼女がいるらしいから、それはそれで良いんだけどさぁ」

 脱力したように落とした肩口から溜息混じりに、そして、からかい目的のその台詞には思わず噴いた。

「誰がそんな事を! 和一殿、変なことを吹聴して回るのは止めてくださいっ」

「えぇ? でも、その鈴のお守りの彼女が好きなんだろう。これは久坊からの情報な!」

「久弥もか!」

 にまっと笑った和一殿が続けた名前に、地団駄を踏みたくなった。

「あんまり、怒ってやるなよぉ。冬臥だって、家を継ぐ身なんだろ? 親の決めた相手が嫁さんって可能性が高いだろうけど、好き合う相手が嫁さんなら師範も安心だろうさ」

 人事だと思って笑う和一殿はどうなんだと言ってやりたくなったが、そこは以前の落ち込んだ姿を見た身としては引き合いに出すのは、卑怯な気もして堪えるしかない。ちくしょう……

「あー、もう良いです。勝手な推察するのは構いませんが、変に吹聴して回るのはやめてください」

「見たままの話をしただけだい! あ、ウソです、気をつけます」

「それと和一殿、道場の方まで来て平気なのですか? 仕事中なのでしょう?」

 歩きながら話し込んでいるうちに、何だかんだで道場近くの通りまで和一殿も来ており、思い返して指摘してみれば、和一殿の表情はさっと青ざめて辺りを見回していた。

「うわあぁぁ、よくねぇ! 親父に殺される……明日、道場行けなかったら冬臥のせいだぁ!」

「勝手に人のせいにしないで下さい。多少の遅れなら付き合いますから、安心してください」

「ちくしょう、覚えてろー!」

「なんで、そんな物騒な挨拶を選ぶんですか!」

 和一殿は文字通り慌てて走り、上げた声の妙な別れの挨拶に周りの視線が刺さって痛いが、あの人の軽い言い草は嫌いではない。

 それに正直に言えば無駄に長く続いた、身元証立ての押し問答の疲れが、和一殿のお陰でどこかに消えていたのも事実だ。

 強いて上げるとするなら、本当に、余計なことを吹聴しないで貰いたいがな。

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