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伸ばす手

 草刈殿と別れた後は残り僅かな時間のうちに、頭領との約束通り五日後までに稽古の形を整えなければならない。

 鷹舎での仕事を分けてもらい、休み時間の合間に相模刀具店へ赴き、稽古道具の納入の手筈を整えに走る。

 此方の無茶な要求にも、快く受けて頂けた事に一つ山を越えたが、次は稽古日の事で時川殿にも話しを付けなくてはならない。

 初日のうちに詰めれるだけ詰めておかないと、間に合わなかったと言う羽目になりかねない。

「自分も参加して良いなら、良いですよ」

「あ、おれも! おれも、もちろん参加しますからね!」

 普段オレが持っている時間を替えただけでは一日足りず、時川殿に相談した後の回答と、横に何故かくっついていた久弥の言葉だ。

「なになに? カナデさんやるなら俺もやる!」

「冬臥先生。動機不純な和さんは、やめさせた方が良いと思いまーす」

「よぅし、久坊、今から俺と間接やるか」

「うわ、大人気無い!」

 とりあえず、時間も無いし、じゃれてるあの二人は放って置くが一番。

 時川殿には道場師範代として細かく相談に乗って頂いて、決めたことは二点だけ。

 希望者への声掛けは時川殿が行ってくれる事になり、明後日には一度締め切る事。

 今日含め五日後までの間、道場の稽古終わりの時間に久弥、時川殿、和一殿の三人に練習を付き合ってもらう。

 其処まで詰めてから、残りの懸念する点に置いては、紀代隆様と相談した方が良いと、時川殿から助言をもらい、鷹舎に残して来ていた仕事を片付けに戻った。



 慌しい一日。

 そうとしか言いようが無いほど時間を気にしつつ、時間に追われていた一日。

 気が付いた時には、夜五つの鐘の音が鳴り響いた後で、半ば追い立てるように皆を帰して、片付けを済ませた。

 ようやく一息つけた。そんな風に思ったのと同時に、もうそんな時間になってしまったと言う事に狼狽(うろた)えてもいた。

 頭領が来れば――十重殿は影担いの勤めを終えられてしまう。

 今はまだ待つしか出来ない。オレがやるべき事は、十重殿を草刈殿の元へ連れて行く。

 それだけだ……

 だと言うのに、独りでただ待っていると言うのが、何時も以上に苦痛に感じる。目に見えない不安が纏わり付く感じで、気がつくと溜息を吐いてしまっていた。

 昨晩の、頭領が縁側で腰を下ろして待っていた理由が何となく、分かった気がするな。

 思わず天を見上げれば、昨晩より、ほんの僅かにその身を欠けさせた月が弱々しく、雲の陰に見えた。

 先に居て待つこの気の重さは、なかなか……辛い。

 夜四つの鐘まで後どのくらいあるのかも分からず、何もせずに待つのも辛くて、一振りだけ刀を蔵から出して振ってみていた。

 何度か振っているうちに、近付いて来た足音に手を止めた。

「もう居たのか」

 振り返れば、頭領が袖内で両腕を組んだまま、こちらに近づいて来ていた。

「先ほど、他の皆さん方に帰って頂いたところです」

「そうか。あまり遅くまで引き留めるなよ」

 軽い諌めの言葉に、確かに女性の時川殿を、日の沈んだ時分まで引き留めてしまった事に気が付いた。

 “送る”と言ってくれた、和一殿と久弥の申し出に甘えてしまったのも、一つだが。

「まずは付いて来い」

 促されて、連れて行かれた場所は道場から西に離れた、うらびれた一軒家だった。

 町外れとも云える上、家の奥には小さな雑木林があり、その更に奥に闇に沈むように墓寺である浄善寺の黒ずんだ壁が見えた。

 何と言うか、胆試しをするのには良すぎる風情だ。耳を澄ませば虫の音に混じって、読経らしきものが聞こえてきそうだ。

 そのまま進められる歩みに合わせ、家の側に近づけば浄善寺の姿は見えなくなるが、代わりに隙間風が雨戸をガタガタと鳴らす音が良く聞こえた。

 少し待って居ろと告げられ、言われた通りに待てば家の中の人が動く音が聞こえた。

 けれど、中らは誰も出てくる事がないまま、オレは頭領に呼ばれ、家の裏側で指示の貰い準備を整えてから、再び頭領と共に道場に戻った。

 道場に戻りつく頃、人々の注意を引くために打ち鳴らされる釣鐘の高く割れた音が、始めに素早く三つ鳴り響く。その音に続き、遠くから低く長い四つの鐘が鳴らされた。

「よーい、よーい」と何処か間延びした、時知らせの男衆の声が何処からか上がる。

 門近くのところでは、閉門を告げる声も併せて重なるが、此処は門からは遠いためその声は無かった。

 捨て鐘の音が響く頃には、先んじて頭領が地下に入った。その姿を直ぐには追わず、時知らせの鐘の音の余韻が消えてから、オレも地下に入った。

 予め頭領から言い付けられた指示通りに、いつもの出入口を隠すように仕掛け板を引き寄せて封じた。

 完全に真っ暗になり、目を慣らしてから右手を壁に沿わせ、闇の中を十数歩歩いたところで、先に入った頭領が灯した松明の明かりが、通路の影を揺らめかせているのが見えた。

 炎の灯る位置を測りながら、右手に感じた取っ掛かりを触って確かめ、壁に体重を少しずつ預ければ、地面を擦る音と共に壁が奥へと動いた。

 両手でしっかりとその壁を押し続け、何かに壁がぶつかって止まった。

 人一人分が通れる入り口を、念のため通れば、ずっと止まっていた空気の黴臭さが針のように鼻腔を刺してきて、その痛むず痒さに、くしゃみが止まらなかった。

 なんとも締まらないが、無駄に張っていた体の緊張感が解けた気もする。

 ふっと溜息を外に追いやった時、通路の奥から軋み声を上げて閉じられた鉄扉の音が聞こえた。

 漸く、出て来られたのだな――

 迎える為に元の通路前に戻った処で、通路を大きく照らしていた炎の明かりが消え、小さく薄明るいモノに変わった。

 明るさの変わったその場所、二人が出て来るその位置から目が離せない。

 十重殿が奥から出てこられる。それは嬉しい事なのに、地上に戻れば……影担いとしての十重殿は居なくなってしまう。

 素直に喜べなくて、折れてしまっている十重殿の姿を再び見るが怖くて、勝手に緊張して、浅くなっていた呼吸を必死に隠していた。

 地面の砂利を踏む音が耳に届く。通路に零れていた小さな明かりが一瞬消えて、ぬぅっと黒い影を一層濃くして十重殿の姿が見えた。

 いつも、張っていたはずの肩は窄められ、仰け反るような背は猫のように丸まって……

 半人前のオレ達を、後ろから、前からと見守っていてくれた、からりと笑ってた顔には、虚な影が張り付いていた。

 十重殿の後ろに添う頭領の手にある明かりが、不意に消えそうなほど大きく揺らめいたせいで、また勝手に不安感が増していた。

 こちらに向かって来る二人に、真っ直ぐ向き合っていたから分かる。

 頭領の感情を押し殺し、堪えようとしていた震える手と、十重殿の責務から解放される安堵の気配。

 こんな形で迎えたくなかった……

 自然と、オレ自身もきつく拳を握り締めたまま、傍に来た二人に視線を下げた。

 頭領もオレも、今はきっと、感情を落とした人形の様になっているのか。

 いや、大和には感情を隠すのが下手だと言われたのだから、情けない面を見せてしまっているかも知れない。

 そんな事を思いつつ、二人に背を向けて先に開けた道の中へと入った。

 十重殿に続いて頭領が入ってきたのを見て、一人で壁を元の位置になるように押し戻した。

「お預かりします」

 明かりを受け取ろうと、口を開けば、自分の声が震えていた。情けないと思った反面、声が出ただけでも良かったと思った。何も云えず、勤める姿を見せる事だけは避けたかったから。

 頭領から受け取ったのは、鍵束と片掌ほどの灯明皿。

 灯る明かりは、風除けを施され簡単に消えたり、風に大きく揺らめくことは無いように思えたのに、また大きく揺れた。

 なんてことは無い、知らずに吐いていた溜息に揺れただけだ。

「どうした、行かないのか」

「いえ、失礼致しました」

 思わず立ち止まっていたオレを頭領が促し、手にあるだけの小さな明かりを頼りに通路を歩き始めた。

 六十三歩ほど歩いた先に左に曲がる角。その角を三十六歩程、道なりに曲がれば緩やかな下り坂で、長い道が続く。

 薄暗い上に、実際に真っ直ぐなのかどうかは分からなくて、どうあの話しを切り出すかも迷っているうちに、いつの間にか右側に曲がる角があった。その角を曲がり、二十余歩ほど先に階段がある。

 階段はこの中で一番体躯の小さいオレには、圧迫感を感じる幅の狭さではないが、元々大柄の十重殿は少し窮屈そうに、段の低い階段を上り始めていた。

 緩い螺旋を描いて七十二段の終わりに鍵付きの木製扉がある。その前に立ち、鍵束から当てはまる鍵を探す。

 大小様々な形の鍵があるが、目の前の扉を開ける鍵は、わざと迷って時間を稼ぐ事も出来ない程、分かりやすい。

 鍵束の中には大小それぞれ一本ずつの、棒に溝が穿たれてあるだけの鍵がある。目の前の鍵はそのうちの小さいもの。

 ――今、言うしかない。此処を出てしまってからでは遅い。

 短くも無い距離を歩き、目の前の扉を開けるための鍵を握り締めたままで、オレは動けなくなっていた。

 何度も深呼吸を繰り返して、意を決して振り返れば、当然のように二人とも、怪訝そうな視線を向けて来た。

「此処を出る前に一つ、お願いがあります」

 震えた声のままで告げれば、十重殿は変わらず苦い表情を浮かべ、頭領は怪訝そうな視線の中にいつもの、面白がるような、そんな“らしさ”が見えた。

 オレはその視線を受け、いつも見上げていた十重殿の瞳を真っ直ぐに見る事が出来た。

「どうか、お会いして頂きたい方が居ります」

 オレが言い指す人が誰か分かっている上で、十重殿が伏せた。

「……勘弁して下さい」

 言い淀む気配の後、続けられた力無い返事。

 溜息にもなっていない、無気力さを見てしまい、オレ自身も自然と溜息と共に肩を落としてしまった。

 でも、これで諦めるつもりはない。

 オレが今やるべき事は、約束した通りに、十重殿を草刈殿の元へ連れて行くこと。

「貴方の事は既にお話ししてあります。その上で草刈殿がお待ちしています。どうかお願いします」

 出来うる限り感情を均して言う。

 感情的になり過ぎて先日のような様を、責任を感じてしまっている十重殿にはもう見せられない。

 それに、このまま見送るなど絶対に嫌だ。

「坊ちゃん……頼んますから、勘弁してくだせえ。香月に会うくらいなら、まだ、中にいる方がマシってもんです」

 十重殿は弱く吐息を零し、どこか、助けを乞うように気配だけを後ろにいる頭領へと向けた。

 けれど、頭領はその気配を受け止めつつも、小さく笑い飛ばした。

「茂。草刈の娘に情けない姿を曝すのが嫌か? 家族に会うのが怖いか? そう思うなら、最後くらい会ってやれ。その上で説き伏せりゃ、相手も文句は云わんだろうさ」

 若干、苛立ちを紛れさせたような頭領の辛辣な言葉。十重殿を説得する為の言葉を探して、戸惑っていたオレとは大違いだ。

 本当に羨ましい。

「アレを、説き伏せろって……頭領は、変わらず難しい事を言う」

 苦笑交じりに答える十重殿の背を、そうだろう、と片眉を跳ね上げて睨んでいる。

「諦めろ。草刈の娘のことだ。どうせ、お前の家に既に居座ってるだろうよ」

 辟易とした言い方だが、まさに頭領の言う通りだ。

 草刈殿は既に十重殿の自宅で、その帰りを今かと待ち構えている。

 その姿も十重殿は容易に想像ついたのか、大きく息を吐き出した。

「十重殿、どうか、話しをする機会だけでも頂戴願います」

 頭領の言葉に重ねるしか出来なかった事だけが、少しばかり悔しい。

 なんというか、頭領が伸ばす手は躊躇いも無く、掬いたい人の手ではなく、襟首を掴んで引きずり上げるところがある。それが、素直に羨ましい。

「まったく……あんたら父子は、似すぎてて困る」

 十重殿が大袈裟な溜息を吐いて誤魔化していたが、その実、笑っていた。

 重たく湿っていた空気が変わった気がして、オレは安心するのと同時に父子と言われた事に、小さく胸が痛んだ。

「一体どこがだ。俺はそいつほど馬鹿じゃないぞ」

 なのに、頭領の一言でそんな感傷も一発で吹き飛んだ。

「ば……馬鹿って、普通思ってたとしても言わないでしょう!」

 思わず食って掛かってしまったが手遅れで、頭領は余裕綽々の顔つきで此方を見上げてきた。

「なんだ、ちゃんと自覚していたのか?」

「――あんたに付き合うと話が進まんッ!」

「別に付き合って欲しいとは言ってない。勝手に騒いでるのはお前だけだ」

 あ、なんか物凄く殴りたい。

「あー、二人とも喧嘩しなさんな。何故にワシが止めとるのか、逆に知りたくなる」

 文字通りオレ達の間に立つ十重殿が、肩を揺らしながら両手を広げて押し留めるような仕草をしていた。

 しかし、納得できん。大体、オレを馬鹿と言うのなら頭領自身は我が儘放題が過ぎるだろう。

 そりゃあ、締めるところでは締めているだろうが、あんたほど我が儘なつもりはオレもないぞ!

「よし。行く気になったのなら、さっさと行くぞ」

 手を打ち鳴らし、先を促す姿を見て思う。

 我が儘なんかじゃない、何処までも自分勝手な人だ。


 本当に……困るほどに、だ。

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