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寂寥酒

 夜半過ぎ、小さな鷹の嘶き声に目を覚まして戸を開ければ、地面に下りた姿で此方を見上げるように、くりくりと首を動かしていた。

 腕を伸ばせば鷹は躊躇わず差し出した場所へ乗り、その細い足に手紙が括り付けてあるのを教えるように、足元へ嘴を寄せていた。

「夜遅くに有難う。戻っていいぞ」

 手紙を外し放せば、鷹は月明かりの下をくるりと回って母屋のある方へと飛んでいった。

 行灯に灯りを差し入れ、届けられた物に目を落とせば毎度の事ながら短くしたためられていた。

『道場にて待つ』

 明快な召集文を丸めて竈に入れてから、簡単に身支度を整える。

 恐らくもなく十重殿の事だろう。その事に不安が尽きないが、頭領に会えるのなら、ついでに提案したい事もある。



 道場の縁側辺りから零れる明かりを頼りに近付けば、提灯一つを傍らに置いて頭領が居た。

「頭領」

「お前が最初か」

 まあ座れと傍らを勧められたが、すぐには座らず、辺りを伺った。

 誰が来るのだろうか。

 それに、何でこんなところで待っているんだか。

「見てみろ、良い月夜だぞ」

 何処かぼんやりとした言葉に促され、見上げれば、下限の月が思いのほか強く輝いて、雲一つ無い夜空に浮かんでいる。

 月明かりの分、近くにある星の姿はあまり見えないが、月とは反対に目を向ければ綺麗な星が広がっている。

「頭領、遅れました」

「おや、冬臥さんはやはり早いですね」

 掛けられた声は殆ど時間を違えず、紀代隆様と何やら荷物を下げた古竹さんが順に訪れ、やはり二人とも縁側で待っていたことを不思議そうにしていた。けれど、古竹さんは空に目を向けて「なるほど」と口元を綻ばせて頷いていた。

「これはこれは、重たい物を持って来た甲斐がありました」

「だろう。まあ二人とも座れ」

 どうやら、古竹さんには少し違う手紙で呼び出したようだ。

 頭領の右側に古竹さんが、紀代隆様がオレの左側に座った。

 古竹さんは座ると頭領との間に置いた、風呂敷に包んでいた荷物を解き始めた。持って来られていたのは箱膳のようだ。

「ちょっと待ってろ」

 頭領はオレ達に声を掛けると、道場の中へ入って直ぐに一升瓶を片手に戻ってきた。

 包装半紙に包れてるため銘柄は分からないが……

「神棚にあった奴じゃないですか」

 思わず言えば、にんまりと笑い返してきた。

「戻って来たら飲もうと思って取って置いた。割られたり飲まれたりしてなくて良かった!」

「実家において置けば良かったでしょうに」

「料理酒で使われたら泣く」

 続けて返せば真顔で言われた。一瞬、素でどうしようもねーな、とか思ったけど言わないでおこう。

「それより、今回はどの様な用向きなのでしょうか?」

「まあ、先ずは開けてしまおう」

 紀代隆様でも呼ばれた理由を知らないのか。と思いながら、古竹さんは顔一つ変えずに湯呑を人数分出して、頭領は頭領で嬉しそうに封を開けて、出された湯呑に豪快に注いでいった。

「オレは飲みませんよ」

「なんだ、付き合い悪いな。最初の杯くらいは付き合え」

盃ですらない。とは言えず、渡された湯呑の中を見れば、半分程だけ入った琥珀色の、梅の甘く優しい香りがした。

「南の銘酒、百藍梅花! 中々、こっちにまで回らない酒だ」

「ああ、これが前にお話ししていた」

「百藍梅花のご相伴に預かれるとは、これはこれは嬉しい限りですねぇ」

 目上二人の瞳の色が物珍しそうに輝いた。

 そんなに、珍しい酒なのか?

「まあ、飲め。話しはそれからだ」

 悪戯を思いついたような笑い方が、微かに引き攣って張り付いていた。

 オレでも気付いたのだから、長い付き合いの二人が気付かなかった訳が無い。

 それでも、二人はおくびにも出さず、渡された酒を自然な笑みのままで傾けた。

「十斗。飲んでみろ、美味いぞ」

 無意識に呼ばれた名に、二人とも気が付いた様子を見せず、古竹さんも視線だけで勧めてきた。少しだけ寂しさを含んだ視線で。

「――いただきます」

 一口、それもほんの僅かに含んだだけだったが、蜜の甘い味の後に梅の香りが追いかけて広がってきた。

 何というか、大事に飲みたくなるモノだというのは分かった。

「美味いだろ。ここに置いておいた理由分かってくれるだろう」

 嬉しそうに問い掛けながら、頭領は自分の湯呑を軽く傾けて視線を月へと向けていた。

 紀代隆様は三分の一を残したあと、手を掛けたまま湯呑を置いて、頭領はさっさと二杯目を飲み干して、古竹さんに六分目ほど注ぎなおして貰っていた。

 古竹さんは二杯目を軽く入れてそのまま、手を付けていない。

 オレも底の方に残した湯呑を持ったまま。

 自然と……何と無しに、頭領の言葉を待つ体勢を、それぞれが作っていた。

 長くも経っていない時間だが、沈黙が辺りを覆っていた。

 頭領一人だけが、新たに注がれた酒を含んでから、ゆっくりと膝の上に湯呑を置いた。


「茂の任を、解する事にした」


 ぽつりと言われた言葉に、オレ一人だけが動揺を隠せず、詰め寄っていた。

 けれど、虚ろ気に見えた横顔と、目線の先で制してきた古竹さんの瞳が閉じると、ゆっくり、緩く振られて、叫ばずに済んだ。

「それは何故にでございましょうか」

 問いは紀代隆様からだった。静かに、一言ずつ相手に聞かせるような、ゆっくりとした問いだった。

 オレ達の視線を一身に受けた頭領は、湯呑を持ち上げたくせに、胸元より前に、途中で力尽きたように添えた両手を足の上に置いていた。

「矛を持てなくなった」

 短く言われた言葉の意味を、数瞬の間、理解出来なかった。そんなのはオレだけだったのか、古竹さんは項垂れ、紀代隆様からは吐息が一つ落ちていた。

 反面、言った事が楽になったのか、頭領の引き締められた気配があった。

「矛を持つ事が出来なくなった者を擁する訳にはいかない」

「何故ですか! だって、必要だと言ったのは頭領ではなかったのですかっ」

 咄嗟に噛み付いていた。

 噛み付いて、痛そうに眉根を寄せた姿にまた動揺して、これほど早くに切る事を選んだ頭領に苛立つものを覚えたのに……

「十重さんは頑固ですからねぇ」

 淡々と言われた古竹さんの言葉に、覆せなかったのだと知った。

 それほどまでに、十重殿は折れてしまったのだ。

 後悔させてしまった――

「頭領の事ですから、再三引きとめたのでしょう。お互い頑固者ですからねぇ」

 古竹さんが、緩やかに笑おうとして、疲れた吐息を一つだけ零して視線を下げてしまった。

「ついには茂に、お願いされてしまったよ」

「十重さんらしいですねぇ」

 気を持ち上げようとした頭領に、古竹さんは苦笑して呟いていた。

「それでは、影担いのまとめ役は、そちらの方に譲渡するという事で宜しいのですか」

「いや。しばらくは俺が見る」

「あぁ、それは良かったです。まとめ役など私では到底勤まりませんからねぇ」

「鷹の育成は古竹が一番だからな。それに注力して欲しい」

 紀代隆様の問いに簡単な返事が返り、さりげなく添えられた一言に古竹さんが深く頷いた。

「それと、」

 区切られて、頭領の視線が真っ直ぐにこちらを射抜いてくる。

「茂に替わって班長は古竹が引き継げ。冬臥、草刈香月はそのままとし、制約を付け東雲と長谷川はとりを組ませる」

「そんな、無理です!」

 これもまた反射と言ってもいい。

 東雲殿との接点は少ない分何も分からないが、はとりと組むなど無理だ。

「無理とは珍しい事を言うな」

 紀代隆様の物珍しさを含めた言葉に、自分の言葉を取り下げる事など出来ず、眉間に酷い皺が寄ったのを自覚した。

「お役目に終始する者を、影に就かせるのは如何と思います。お役目自体に何かしらの悪影響が出ないとも限りませんッ」

「言う様になったな。だが、俺もお前も通った道のはずだぞ」

「オレ達とは別問題でしょう! 大和や灯里に何かあった後では遅いんですよ!」

 初めから影担いの役目を負うと分かっている上で、ずっと居たオレとは違う。

 役目の二人を担ぎ出して、もし万が一にでも灯里に何かあれば、大和の中に潜むものが露見してしまう。そんな事を失念しているわけでもないのに……

 それとも、敢えてか。

 多分、後者の方が正しい思惑なのだろう。

 あからさまに、そしてさり気無く、包囲を狭めてくる。まるで真綿で首を絞められている気分だ。

「分かっている。その為に俺と紀代隆が居る」

「だからと言って!」

「俺たちでは何か問題でもあるというのか?」

 重ねられた言葉に二の句が告げられない。

 負い目があるのは自分だけだ。

 真っ直ぐに向けられた視線は、訪れた時に見たような気の抜けたものなんかじゃない。

 それに、言われた言葉は只の願いではなく、頭領としての命令だ。

 オレが何を言ったとしても、我が儘になるだけか……

「守り手に、問題はありません」

「そうか」

「代わりに、条件を飲んで頂きたい」

 頭領の会話を終わらせる、突き放すような声音に、咄嗟に言葉を捻じ込んだ。

「影だけに終始させる訳ではないのですよね」

 確認の意味を込めて問い掛ければ、至極簡単に頷かれた。

「では、東雲殿と長谷川はとり殿には夜勤めの際、無条件にオレに従って頂くよう通達願います」

「無条件にか」

 流石に今の提案には、頭領も紀代隆様も眉根を顰めて視線を向けてきた。

「影担いの対峙する相手は妖と荒神。無用な諍い事はオレだって避けたいんです」

「なるほど。確かに、此方の話を聞いてもらえないとなれば、命に関わりますからねぇ」

 至らぬ醜態話。しかも、それを受け入れるかどうかはあの二人次第でも、古竹さんが柔らかく添えてくれた。

「分かった。通達はしておこう。だが、お前だけと言う条件は外す」

 受諾の言葉に、一瞬だけ反駁した視線を向けてから、渋々と頷いてみせた。

 通達だけの中身の無い条件に何を怒るのかと、頭領の(いぶか)しがる視線から目を逸らした。

「それと、道場での刀稽古を取り入れ、希望者と共に二人には参加して頂くこと。二人の力加減も知らず、行き成り連れては行けません。必要に応じて一月ほどは様子を見たいと思います」

 締める為か、頭領の気配が動いたのを図ってもう一つ提示を捻じ込む。

 上手く意表を突けたのか、不機嫌な気配が放たれた。

 この提案だけは、今しか押し通す事が出来ない。

 組みたくも無い相手と組まなければならないのだから、せめて、この位は飲んでもらいたい。

「時間外稽古で十分だと思うがな」

「自分の稽古時間も増やしたいのです」

 率直に落ちた自分の力の事も含めて言えば、頭領は紀代隆様へ視線を向けた。

「東雲の身を守る術として手解きを施すのは良い事だと思います。はとりはその心配は無いでしょうが」

「分かった。はとりは紀代の方で上手く調節してやってくれ」

「承知いたしました」

 良し。これであいつ次第だが、一つはむくいれるな。

 時間外だけでは、参加したいと言ったとしても、基礎から教えられる余裕があるかどうか分からないしな。

「ただし、お前の条件を飲む代わりに俺からも良いな?」

「……如何様なものでしょうか」

 やはり返しの手が来るのかと、答えつつも身構えてしまった。 

「刀稽古は週に三日。二人には役目を優先させる事。準備期間には五日あれば良いだろう。相模刀具に話を通しておく。それで必要なものは揃えておけ」

「承知いたしました」

 身構えた割りには、思いのほか普通の事で安心したが、

「双也たちが参加を望めば、指導は俺も受け持つ。良いな」

 さらりと後付けされた言葉のほうに、大きく動揺した。

 以前のように共に稽古が出来るかも知れない。その嬉しいはず報なのに、先日の一件が心の中に爪跡を残していた。

 それを改めて思い知らされて、自分自身で勝手に傷ついて、視線を落としてしまった。

「返事は無いのか」

「はい、承知いたしました」

 一呼吸遅れてようやく返した返事を聞き届けてからか、頭領がまた空へ向き直ったのが視界の端に見えた。

「明日、九つ時を区切りとして茂を放免とする。以降、関わりを絶つ……皆、付き合せてすまんな。冬臥、お前は四つ鐘時には此処に来い」

 最後に力無く告げられた言葉に、オレだけが返事を返して、紀代隆様と古竹さんはただ、頷いただけだった。

 それから直ぐに、お役目に戻ると先に席を立った紀代隆様に続き、頭領も湯呑の中に残っていた酒を呷り空け、片付けを古竹さんに任せるように、ふらりとこの場を去って行った。

「寂しいものですねぇ」

 二人だけが残った場所に、古竹さんの寂寥感溢れる声が落ちた。

「オレは納得なんか出来ませんし、してもいません」

 二人だけだからこそ、遠慮なく返した。

 十重殿はずっとオレを坊ちゃんと呼んで、半人前扱いのままで。

 いつか、名前をしっかりと呼んでもらって認められたいのに……

「せめて、オレ達が一人前に成ったと見届けてからでも良いじゃないですか」

 そう考える事もままならないかと思えば、自然と胸の内が突っ掛かる様な不快感に覆われていた。

「おや、冬臥さんは立派にお勤めされてるではないですか」

「どこがですか! 本当にそうだったら、こんな事には成らなかったはずです」

 こんなのは甘えだ。だけど、古竹さんが受け止めてくれると分かっていて、吐き出していた。

 それなのに、翳った胸の内は晴れる事が無かった。

「これは独り言なんですがね」

 古竹さんは景色に目を向けたまま湯呑を呷りかけ、中身が入っていない事に気づいて罰が悪そうに傍らに置いた。

「芯が折れて、見失ってるんじゃないでしょうかねぇ。根深く差し込まれたはずの芯が、うっかり根元の方で折れてしまっただけな気がするんですよね」

 何処までも優しい物言いで、古竹さんが手を差し伸べてきた。

「誰も、それを責める事は出来ないんですよ」

 寂しそうに笑って、「私もそろそろ戻らないと」と言われて、慌てて湯呑を返した。

「では、明日からもまたよろしくお願い致しますね」

 ――大人と言うのは何て厄介なんだろう。

 納得出来て居ないことを、無理矢理納得して、伝えたい言葉を飲み込んでいる。

 伝えるのは難しいけど、言わなければ何にもならないのに。

 古竹さんも十重殿に言いたい言葉があるはずなのに、伝えずに、受け入れると言う。

 そんな風に思う若輩者は厚かましいだろうが……そう見えてしまったんだから仕方ない。

 だから、古竹さんが帰りを促さずに立ち去ったのを受けて、地下に足を入れた。

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