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予期せぬ再会

 短い呼気に合わせ、奥衿を取り思い切り引き足元を払う。

 ダンッと大きな音をたてて床を打ち鳴らし、参ったと声が上げられた。

「長年の技だーねー。勝てると思ったんだけどなぁ」

 和一殿が起き上がりながら、汗の一つも浮かんでいない首元を拭い、道場の入り口側を覗くように目を向けた。

 まだ稽古始の前だが、道場の中には門下生たちが十数人、思い思いに既に過ごしている。

 掃除のため早くから来ていた和一殿に、師範代二人が来る前の練習に付き合って貰ってたわけだ。

「手加減して頂きましたからね」

「いや、だってさぁ。病み上がりの人間をブン投げるって思ったら、気後れしちゃうじゃないか。まあ、あんだけ動けるとも思ってなかったけどな!」

「お気遣いありがとうございます。ただ、まだ、右には違和感あるんですよねぇ」

 思わず出た溜息は隠しようも無く、右手を開いたり閉じたりと動かしてみていた。

 普通の動きは問題無くなっていても、瞬間的に力を入れたりすると肩の奥に鈍い痛みを覚えるのが、どうにもこうにも……気持ちの悪い感覚だ。

「冬臥先生、カナデねーちゃん来るよ! 和さん、次はおれね!」

 慌しい足音を立てて来たのは、見張り役を買って出てくれていた久弥だ。

 紀代隆様から、まだ稽古の許可を受けていない最中、付き合ってくれる二人には感謝してる。

 和一殿と組み手を始めた久弥たちを横目に、基礎体力作りに戻れば、少ししてから時川殿がオレ達を見つけて、大袈裟に溜息をついた。 

「ひーさーやー。あんた隠れるなら、もっと上手に隠れなさいよ」

「ひどい! カナデねーちゃん。おれが隠れるなんて事するわけないじゃん!」

「久坊。そこは隠れようぜ」

 和一殿の差し込んだ言葉に、オレは何故か、玄関先で仁王立ちしてる久弥の姿が思い浮かんで、勝手に納得してしまった。

 当人は、すっとぼけたフリをして基礎練習の反復を始め、気の済むまで繰り返しては、気になるところを手本を見せて欲しいと、和一殿に何度もせがんでいた。

「冬臥さんも。紀代さんに言っておきますからね」

「はは、すみません」

「大体、そんな無理したところで体を壊すだけですよ。紀代さんだって草葉の陰できっと嘆いてますよ」

 ……人の師匠を勝手に殺さないで貰いたいが、久弥も和一殿も笑いを噛み殺している。

「カナデねーちゃん。最近、それしか言ってないの気がついてる?」

 最も長く傍に居る久弥に言われ、時川殿は心当たりを探すように、視線を彷徨わせた。

「気のせいよ。全員整列!」

 久弥に向かい言い終え、一呼吸整えて道場内に良く響く声で、この場に居る者たちは整列させ自身も着座した。

「黙想!」

 黙想の宣言を受け、目を閉じ、それぞれが掌を上に向け重ね、親指を微かに触れるか触れないかで姿勢を整える。

 時川殿の深く静かな感覚に、全員が釣られるように静まっていく。

 其処にふと、衣擦れの音が混じった。オレ以外にも何人かが気付いて気配が揺れた。

 落ち着くまで黙想は解かれず、大分経ってから「止め」の声が掛かった。

 目を開けばひらいたで、周りのざわめく声を無視して上げられた時川殿の礼の号令に従い、中央に座る頭領――師範の姿にこれはまた珍しいと声が遠慮なく上がり、紀代隆様の傍らに座る人たちへ好奇の視線が集まる。

 後に思えば只の些事だったと言うのに、この時のオレは、探し向けられた視線を、自ら逸らして恥じ入るしか出来なかった。

「全員聞け」

 静かに通る師範の声には、僅かに棘と苛立ちが見えた。気付いた人数は少ないだろうが。

 気が付いた門弟は少なからずその背を震わせ、重たい沈黙が訪れた。

「こちらは本日の見学者だ。粗相無きように皆、頼む」

 その一言だけ告げると、師範に促され紀代隆様が立ち上がり、門弟たちを整列しなおしさせ稽古準備に取り掛かっていた。

 かく言うオレは、療養を言い渡され稽古にもまだ参加許可を得ていない。

 それ故に稽古場の隅に移動し、見学者の目が遮られる位置に座わっていたが、纏わり付く居心地の悪さを感じて、静かに席を外した。

 戻り辛くなると分かっているのに……

 勝手に逃げた現実を突きつけられた気になって、自分自身にも苛立つ。

「クソッ、情けない」

 何一つ解決していないし、成長していないと再度自覚させられてる。

 頭でも、こんなところで腐ってる場合じゃないと分かってるのに。

 “何で、今来たんだ”とか、せめて“稽古許可の一つでも下りていれば”とか、どうでも良い事が先に浮かぶ。

 そのどれもが違うなんてことは、前に自覚したばかりなのにっ。

 あの場所が、オレの居場所だったのに……どうすればいいのか、分からない。

「こない所でどないしはったんじゃ」

 完全に上の空で、降って涌いた言葉に体が跳ね上がった。

 見上げるでもなく、誰が訪れたか判った分、自分の中の黒い感情が大きくなっていた。

「何か、御用がおありでしょうか?」

 此処で何時ものオレを崩してしまえば、余計なネタをあげる様なものだ。

 ゆっくりと一言ずつ、意識して返す。

「なんや、やけに喧嘩腰やなぁ」

 壁に背を預けて座っていたのも相まって、見下ろされたことに素直に苛ついて、立ち上がった。

 それをどういう風に捉えたのか、はとりは稽古の始まった道場の方に体を向けたまま、

「そないに、(ぬし)さんが此処に来られるんは、迷惑じゃったか」

 飄々としながら、迷惑と言ったか――この男は。

「迷惑と言うより、驚いています」

「そいに言わはっても、驚いたんはこっちも同じじゃて。聞いとった話しじゃ、冬臥はんは暫く稽古に来れんと……だぁら、今日にしたんに。みな、よう嘘を吐く」

 何気なく、言ったのだろう。

 悪意を含ませたつもりも無く、蔑み嗤ったのだろう。

 オレに対してだけではなく、師匠を、頭領を……后守全てを嗤い、あまつさえ、主と掲げた者を罵った。

「その言葉、撤回しろ」

「は? どないしはったんじゃ。なんぞ、気ぃ触ること言うたか」 

「オレだけなら好き勝手に言えばいい。だが、主まで貶める物言いは我慢できん」

 怪訝な視線を向け、己の言った言葉すら忘れたという風情に言葉尻が強くなった。

「なんや、その言い方……」

「何をしているの、二人とも」

 互いに手の中に溜まる苛立ちをぶつける寸前に、水を浴びせるような冷たい声が(さしはさ)まれた。

「いやぁ、こない所で油売っとる方がおったんでな。注意せなあかんと思った次第じゃて」

 白々しい嘘を良く吐く。

 それを一つの区切りにして、握り固めていた拳を深呼吸とともに無理矢理、解した。 

「はとり、戻っておいて」

「なんでじゃ」

 感情を押さえ「戻れ」と言う主の命に不服だと言い、憎悪を込めて此方を睨みつけてきた。

「同じ事を言わせないで」

 互いに睨み合う形のまま、重ねられた言葉に、はとりは苛立ちを隠さず踵を返した。

 道場の床に当り散らすように音を立てて上り、他の門下生の中にその姿を埋もれさせたのを見届けてから、ようやく尖らせたものを肺の中から追い出した。

 流石に情けない姿を見せた、そう考えて大和に向き直ろうとしたが、一瞥だけ残して道場の中へと戻って行ってしまった。

 考えてもいなかった出来事に、何かを抉り取られた感覚だけを覚えた。



「うわっ! びっくりした!」

 多分、茫然自失となっていたんだろう。

 久弥のそんな驚く声を聞くまで、再び地面にしゃがみ込んでいた事にも気づけていなかった。

「帰っちゃったのかと思ってた」

「そんなに、時間、経っていたか」

 正直、どれほどの間此処に居たのかも分からなくなっていた。 

「師範たちが来てからって事なら、小半刻も経ってないけど。体調悪くなったんですか?」

 今更ながら言葉を直しても遅いと言いたいが、心配そうに覗き込まれた事に、違うと緩く首を振って返すだけが精一杯だった。

「まだ調子悪いんですから、無理しないでくださいね」

「そう、だな……」

「それとも、何かあったんですか? あの人たちと」

 遠慮なく斬り込んできた言葉に不快と思うより、驚きが勝った。

「何故だ」

 言ってしまってから、しまったと思ったが後の祭りだ。

 久弥も似たような表情をしていただろうが、促してしまった言葉に躊躇いを見せて、首元を掌で擦り掻いていた。

「んー、だって、双也……さまが来たのに、なんか、元気ないから?」

 きっと言葉を選びながら言ってくれたのだろう。

「それに、長谷川の奴も苛立ってたのに、双也さまが隣に戻ったらなんか、こんな風にムカつく笑い顔、向けてきたから」

 本当のところは皮肉的な笑みを向けてきたのだろうが、久弥の奇妙な顔真似に思わず吹いた。

「おまっ、それは酷い」

 目を見開き見下ろす姿勢を作り、嫌そうに口元を思い切り下げてるだけなら芝居の大見得を真似たと済むのに、その顔のままで口端を上げようとするものだから、奇妙というより、酷いとしかいえない。

 大声で笑うのを堪えようとすればするほど、鳩尾が痙攣して痛くて、結局は堪えるのをやめて笑った。

「元気でた?」

「心配させたな、すまん」

「にひっ」

 ついでに情けない姿を見せたと詫びれば、久弥は笑い返してきた。これでは一体どちらが教える側なんだかな。

「大丈夫だから、心配するな」

 答えながら嘘吐きだと、誰かに問われた気がした。

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