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居待月の下で

 磨ぎ直しの際にはいつも鍛冶場に直接赴くが、今回は相模刀具店に先に赴き、出迎えてくれた馴染みの番頭の厚意で針と糸を借り、頂いたばかりで汚してしまった着物を草刈殿が修繕してくれた。

 その手際の良さに、興味本位で眺めに来ていた店の人がしきりに感心し、奉仕先は何処かと尋ねる一幕もあった。そんなやり取りの上で鍛冶場に赴いた。

 普段なら先に時間を伝えてから伺っていたが、今回は突然の訪問となったため、熱い空気が立ち込める鍛冶場の片隅を借りている。

 伯父であり、鍛冶師の昇靖殿は目の前に掲げた白雛の仔細を見て、額に汗を浮かべたまま、ううむ。と唸りつつ押し黙っていた。

 正直、オレも渡した後に抜かれた白雛を見て、昇靖殿と同じように眉を顰めてしまったのだが。

「あ、あたしは何もしてないからね!」

 慌てて声を上げた草刈殿に、難しい顔を浮かべていた昇靖殿の表情が和らいだ。

「問題がある訳ではないのだ」

「そう……なの?」

 それでもまだ不安気に此方を伺ってきたので、合わせてオレも頷き返しておく。

 あの日から今に至るまで、ただの一度も白雛を抜いていない。記憶は正直定かではないが、抜いた記憶は薄いながらも手荒い扱いになった覚えはある。

 だが、目の前で抜かれた白刃は錆浮き一つもせず、目釘も緩んでいるようには見えなかった。

 あの時、抜いてしまっていたのなら刃は錆び付いていただろうし、荒く扱ってしまったせいで刀身を留める目釘が緩んでいても、おかしくなかった。

「念のため一度、預かろう」

 ゆっくりと白刃を鞘に納められ、昇靖殿の傍らに白雛が置かれた。

「よろしくお願い致します」

 白雛を預け、オレ達は鍛冶場を後にした。帰り道の最中、相模刀具店の傍まで戻ってくると、草刈殿は歩みを緩めて店がある方へと目を向けた。

「勤めを考えたら持ってる方が良いのかしら」

 ぽつりと言われた言葉に、さあ、と返すしかない。

 草刈殿に刀……少しばかり考えたら怖くなった。

 特に先の一件のような事があれば、恐ろしくて持たせられない。幾ら本人が平気だと云っても、とは繋げられないが。

(しゅ)を繰る技があるのですから、十分だと思いますよ」

「咒じゃないわよ。あたしのは」

「そうなのですか?」

 驚いて問い掛ければ、少し勝ち誇ったような笑みを浮かべて頷いた。

「咒は触媒(モノ)を介する呪いよ。あたしのは自分の言葉を介する術よ。これでも神名木の流れを組むちゃんとした手解きを受けたのよ」

「神名木の、ですか」

 得意気に胸を逸らして言われたものに、素直に驚きを重ねた。

「そうよ。とは言っても、こっちとは違って西は大陸人の出入りも多いから、術を学ぶのも大変なのよね」

 思い出しながら言われた言葉に、草刈殿は一瞬だけ体を震わせた。

「とにかく、変な時間取っちゃったし早く行きましょう」

 急かされたが、結局のところ実家に戻った頃には、紫紺色の空が夜の帳に追い立てられている処だった。

「あらあら、随分遅かったわね」

 心配した声を玄関先で掛けて下さったが、それ以上の追求をすることは無く、母上からオレと草刈殿にそれぞれ弁当を包んだ物と提灯を一つ押し付けてきた。

 提灯を草刈殿に渡し、弁当を二つ重ねた形で抱え持つ。

「このところ物騒でもあるんだから、ちゃんと家まで送ってあげなさいな。香月ちゃん、また明日待っているわね」

 にこりと治術士の顔で見送られ、草刈殿は小さく頭を下げていた。

 行きましょうと促し、見送られる視線と振られた小さな手に礼を返す。


「何か、思ってたけど……随分と他人行儀な話し方してたわよね」

 夜の道に揺れる明かりを追う様に歩いていたら、ぽつりと思い出したように問い掛けられた。

「そうでしょうか」

「頭領相手なら仕方ないんだろうなって、思ってたけど」

 言葉が途切れ、ただ歩き進めて行く。

 通りにはもう殆ど人は居らず、長屋の傍を通れば、油を惜しんでるのだろう明かりが零れる所は無く、誰かの高鼾が聞こえてくる。それ以外には、オレ達の、互いに歩くだけの砂利の音。

「実の母親よね」

「はい」

 確かめられるような問い掛けに、気負う事もなく返す。

「万が一、繋がっていなかったと言われたとしても、あの方以外に母と呼べる方は居りませんよ」

「笑いどころが分からない冗談は止めてくれる」

「すみません」

 流石に不機嫌に言われたので、謝った。

 気がついたときには陽川神社の目の前だった。

 静かな参道を横切る事に心の中で謝り、歩を進めたが明りを持つ草刈殿は立ち止まっていた。

「あたしには分からないわ」

 息を吐くように言われたせいで、一瞬なんと言われたのか分からなかった。

 立ち止まったままの草刈殿の隣まで後数歩と、自然と追いつけば、再び歩き出され、また彼女の後ろを歩くことになった。

「あんなになるまで心配してたの、知らなかったから……一度も来ないし、勝手に酷い人だと思ってた」

 それだけを零した後は無言で歩き始められ、先にオレの借家に着いて足を止められた。

「一人で帰れるし、お弁当、貰って帰るわね」

 周りを気遣って声を小さく落として、重ねおいた弁当に手を伸ばしてきたので弁当を遠ざけた。

「送りますよ」

「良いわよ、別に」

「こんな時分に、一人で帰らせられませんよ」

 自分用の弁当だけ板敷きの上に置いて直ぐに、草刈殿の元に戻り提灯を取り上げた。

 頑なに意地を張られるかと思ったが、案外あっさりと付いて来てくれた。

 再び聞こえてくるのは、歩みに合わせた石が擦れる音。ただ沈黙のままに進む事を選んだように、会話も無く静かに歩みを進めていた。

 そう言えばあまり魚河岸側の方に来た事がないな。

 思い返し、空を見上げれば思いがけずの柔らかな月の光に、知らずの知らずのうちに感嘆の息を零した。

「綺麗な卵形って言うには、ちょっと太いわね」

「ぇ……っと、居待月ですね」

 新月から数えて言えば、へぇ、という簡素な返事が返ってきた。

「二十三夜待ちですねぇ」

 下限の月を見れば新月となって月の終わりももう直ぐと言ったところか。

「そうね。今月は待っても良いのかもね……」

 先ほどから返って来るものが何時にも増して無感動なもので、今度はオレが足を止めて、ゆるゆると歩く草刈殿を待った。

「如何なさいましたか。急に元気が無くなったように見受けられますが」

「そんな事……」

 無いと云いたかったのだろうが、少し考えて頭を緩く振った。

「なんで、あんな他人行儀に出来るわけ?」

「それを考えていらっしゃったんですか」

「悪い? お母さんなら、あたしがそんな態度取れば、きっと寂しがるわ」

「そうでしょうね」

 結殿が生きておられれば、草刈殿がこんな態度を取れば傷つき寂しがるだろう。

 それを隠すことなく、十重殿をはじめに不満気に言うだけ言って、きっと「ちゃんと話しをしてくる!」と、自分で纏められるんだろうな。

「ですが、告げられたとおりですよ。『后守に名を連ねる以上、覚悟はしています』と」

「言ってたのは覚えてるけど……買い物中は、凄く嬉しそうだったのよ」

 オレの聞いていない所でどんな話をされたのか分からないが、ちらりと持ち上げられた視線に非難が混じり込んでいた。

「なのに、家の中ではずっと無理した笑顔だった。あんなの、寂しいに決まってるじゃない」

 思わず零してしまったと、受け止めておくべきか。

 小さく紡がれた言葉に、草刈殿が自分の亡き母親の影を重ねていたのが見えてしまった。

「誰にも言わないで頂けますか?」

「何を……」

 怪訝そうな目を向けられつつ、人差し指を口元に立ててみる。

「本当は、お役目の全てを投げ出したいんですよ」

 線を引くのはそういう事だと、冗談めかして――誰かに聞かれるわけでもないが――そっと耳を借りて告げた。

「うそ……よね?」

 瞳を見開いて意外だと含めて零された言葉に、自然と口元が緩んでしまう。

「修行に出た当初は、本気で思ってましたよ」

 北の修練地に、紀代隆様と二人で赴いた最初の頃。

 何度家に戻りたいと、お役目など知らぬから帰りたいと叫んだだろうか。

 ついでに、脱走もした事もあったなぁ。当然、帰り道など分かるわけも無く、途方に暮れて泣きじゃくったわけだが……此処は忘れていよう。

「それ、チビのときの話?」

「そうなりますね」

「さっき言ったばっかりだと思ったんだけど」

「けじめ。と思って頂ければ幸いです」

 険のある視線を遮るように言えば、僅かにたじろぎ、視線が逸れた。

「オレが持つ名の重さは、オレが考えている以上に厄介で、重たいでしょう。その上で、頭領を支えるのがお内儀様ですから」

 歩くのを促すように提灯の明かりを翳せば、躊躇いながらも再び歩み始めた。

「冷たいと思われようと、悲しませていると分かっていても……下手に甘えては居られませんよ」

「それなりに考えてたのね」

「はい。それなり、ですが」

 言われた言葉に思わず笑いを堪える。

「それでもやっぱり……見ていて気持ち良いものじゃないわ」

 先を歩いていたから、言われた表情は見えなかった。

 けれど、抑えた怒りのようなものと寂しさが混じった言葉は、大和にいつか言われたものと同じだった。

「すみません」

「謝らないで良いわよ」

 ハッキリと言われまた沈黙が続く。

 それでも、居心地が悪いとは思わなかった。

「もう此処で良いわよ。すぐ其処だから」

 掛けられた言葉と共に指し示された長屋を前に、草刈殿が後ろから弁当を掴んだが、そのまま部屋の前まで灯りを差し出した。

 草刈殿の借りている部屋の軒先には、松ぼっくりが三つ、紐で結ばれて、ぶら下がっていた。

「もう大丈夫だから、ありがと。気をつけて帰りなさいよ」

「あぁ、ちょっと待ってください。これをどうぞ」

 掛けられた声に慌てて呼び止めれば、首を捻って手を出すより先に「なに?」と怪訝そうに尋ねてきた。

「看病して頂いたお礼です」

「良いわよ。そんなの」

 気にしていないと含めつつも困惑気味に言われたので、提灯を小脇に挟み込み、草刈殿の空いている片手の中に押し込めた。

「男のオレが持っていても使い道が無いですから。では、おやすみなさい」

「え……あ、うん。あり、がとう……」

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