慟哭纏い―兇―
痛みが薄れた事が、本当にありがたい。青海色の風呂敷に包んだままの白雛を抱え持ち、足を固定している不自由さはあれど、朝よりもずっと楽になっている。
「ホントに凄いわね、あんたのお母さん」
「治療はオレも初めて受けましたがね」
思い出して背中に寒気が走った。
「あー、うん。なんか、ごめん」
草刈殿も思い出したようで苦く笑っていた。
「それで、足の痛みは大丈夫そうなの?」
「それはもう、殆どありまっ……せん」
大丈夫と言い切りたかったが、踏み崩した石から伝わった衝撃に出来なかった。
「決まり悪いヤツ」
呆れ顔で言われてしまった。
実家から相模刀具はそれなりに近い。大通りを挟んで少し行けばすぐなのだが、飲食扱う店の並びを、行き交う人を横断する形になる。
今の時分はそんな店の出入りが激しく、足の速い人々の間を抜けるしかない。そんな折に、近くの店から人がわっと流れ出てきた。
「ぁわっ!」
「ぼけっとしてんな、邪魔だ!」
「通れねぇだろうが!」
大工達か、同じ半被を着て染め抜きの文字が同じに見えた。そんな人の波に飲まれ草刈殿が足を縺れさせた。
「あぶな――っと」
「ちょいとごめんよっ」
声とともに後ろから誰かが思い切りぶつかり、他の人の波を同じようにぶつかりながら、急ぎ足で去って行く。その丸めた背の影に、青く細長いものがあった。
「――待て!」
「あ、ぃったぁ……」
咄嗟に掴みかけた草刈殿の手を離してしまい、恨めしく響いた彼女の悲鳴を背に、青海色の風呂敷を目印に追いかける。
走りはじめ、固定している足から痛みが駆け上った感覚に、出遅れた。
「それを返せ!」
ぶつかられ、気が逸れた間に白雛を盗られていた。
オレの上げた声に、くたびれた藍縞木綿を着た頬被り男が振り返り、目を見張った。
「んっとにもう! あんた、どうして厄介ごとに巻き込まれてるわけ!」
「く、草刈殿」
走るオレに簡単に追いついてきた彼女は、着物の裾を片手で押さえつつ、目の前を走る頬被りの男を見て、眦を更に釣り上げた。
「そこの泥棒! 止まれ、止まりなさいッ!」
鋭く声を上げたと思うと同時に、術の詠唱が微かに聞こえた。
「ダメです、町中ですよ!」
「あぁ、もう! 面倒ねッ」
后守の術士は全員、対妖、荒神以外での術の行使を当然禁じている。草刈殿もそれを忘れている訳ではないだろうが、詠唱を解き、それでも集めていた風を男に向けて飛ばした。
「ぅひゃぁっ」
突然の突風を身に受け、男が大きくよろめいたが立ち止まらせるには至らなかった。
細い路地の中に入られ、時に通りにある物を投げつけられ、時に通りかけた人にぶつかりながら必死に追いかける。
「な、に……あいつ、信じ、らんない」
今のオレは横に置いておくにしても、草刈殿もそれなりの健脚だ。なのに男に追いつけない。縮められそうな距離なのに一向に縮まらない。
町中を、あちらこちらに走りながら男を追いかけ続けるしかない、そう思った矢先に男の足が止まった。
手入れの乏しい長屋の袋小路。そのどん詰まりの手前で男が立ち止まっていた。
「お、いついた! さっさと、それ、返し、なさいよ!」
「しつっけぇヤツらだな」
互いに肩で激しく息を吐きながら、男が抱えたままの白雛を後ろに隠すようにする。
「お願い、します。それは、大事なものなんです」
遅れて追いついて、手を差し出せば唾が返ってきた。
「自分の命、惜しくないみたいね」
「ダメですよ……」
怒気を孕んだ彼女の声に、念のため釘を刺す。
女性とは言えそれなりの道を通ってきた彼女の声音に、男が一瞬、ひっと呟き、青くなったのが見えた。
「ともかく、返して頂きます。それに、売ったとしても木刀では良い金には、なりませんよ」
嘘だが、そう言うと男は驚いてオレの顔と、白雛を収めた青海色の風呂敷を交互に見やった。
「へ、騙されねえぞ……こりゃ木刀の重さじゃねえし、あんだけ後生大事に抱えてやがったんだ、値打ちもんの証しじゃねぇか」
盗み慣れしてる言い草だな。
そう思いながら、走りに走ってばくばく言う心臓を宥めながら、草刈殿と並んで、逃げられないように間合いを詰める。
「そう言われましても、値打ち物であれば、オレなんかに預けられるわけないでしょう」
袋小路の中だ。簡単に通り抜けは出来ないだろうと思い、男との距離を測るが、
「それに、うっかりって訳じゃねぇんだ!」
にやりと声高に男が嘲笑った途端、一斉に長屋の戸が開いた。
「触んないでよ!」
殆ど不意打ちのように飛び掛られ、自分自身は動きの悪い体で一人やり過ごしたが、草刈殿の方に男が人数任せに寄って集って動きを封じに掛かっていた。
初めから草刈殿を、人質として捕らえるつもりだったんだろう。
「気をつけろ! その女、変な技を使うぞ!」
頬被りの男が声を上げれば、馬鹿にしたどっと笑う声が上がった。
オレ達との体格差と見た目の年齢だけで、襲いかかった男達は頬被りの男を信用しなかった。
「なら、望み通り見せたげるわよ! 風滝ッ!」
草刈殿の怒り叫ぶ声と同時に吹き上げた風に、大の男達の足元が浮きあがり、弾くように吹き飛ばした。
ただ一人、草刈殿を後ろから羽交い絞めにし、飛ばされずにいた男が居たが、あっけに取られている間に、駆け寄り様に顎先を打ち抜き、彼女を自由にさせる。
「すみません。平気でしたか」
「もうっ、暑苦しいし酒臭いしで最悪よ! 絶対とっ捕まえてやる!」
「上等だぁ! その鼻っ柱折ってやらぁ!」
言い吐き捨てた彼女の言葉に、男たちの頭に血が上ったらしく額の先まで怒りに染めて飛び掛ってきた。
お互いに襲い来る相手を躱し、無力化させるべく急所を打ち抜くのに遠慮はしなかった。
刀を盗った男含めて十二人。その内、オレに向かってきた二人は、腹に貫手を与えて地面に落し、また別の一人は片腕の骨を外してやった。
先に走った影響もあって、それだけでまた息があがるのが情けないが、草刈殿の方へは、先の風術のお陰か攻めあぐねているようだった。
怯えの混じった攻撃を受ける彼女でもない。そう思い、一呼吸整え、草刈殿の死角から飛びかかろうとした一人を、横から足を払い飛ばした。
「あ! 待ちなさいよ!」
そんな乱闘最中に、頬被りの男が脇をすり抜けて行く姿を見咎め、取り押さえようと草刈殿が身を翻した。
「どこ行く気だ! 嬢ちゃんよ!」
「危ない!」
互いに気が逸れた瞬間、草刈殿が男に襟首を掴まれ後ろに引きずり倒され、オレは鳩尾に深い一撃をもらい膝から落ちた。
「放して――んぐっ!」
オレ達の間を寸断するように、三人が目の前に立塞がり、他の男が彼女に圧し掛かり自由を奪いに掛かる。
流石に二度三度と咽かえり、駆け上りそうなものを堪えきって男たちへ目を向ける。
「大人しくしてりゃぁ、良かったのによぉ。抑えとけよぉ!」
「手前ぇの女が、引ん剥かれるの黙ってみて……な」
一人がオレの目の前に圧を加えるように屈みこみ、間近で下卑た笑い声を上げかけたが、代わりに口端から不自然な息を零して視線が下りた。
縋るように掴んできた男を投げ弾けば、くぐもった悲鳴を上げて顔面から地面に落ちた。
「て、めえ――」
すぐ傍に居たもう一人の男は、何が起きたのか分からないながらに身を離し、戸惑ったように落ちて白目を剥いた男に視線を下ろした。
「おい、こりゃ一体何の騒ぎだっ」
辺り一帯に響いた大声に役人かと思い一瞬、この場に居た全員が身を固くしたが、影を作る大男が此方を見つけると、ぴたりと足を止めた。
「た、大将。こ、これは、そ、その……」
声を発したのは白雛を持つ頬被りの男。乱入してきた大男は、声を掛けてきた男の姿を認め、改めてぐるりと辺りを見回した後、オレを見据えて視線を止めた。
「いい度胸してやがる」
ふんっと鼻先で嗤ったかと思うと、目の前の男が抱える風呂敷を掴み、殴り飛ばしていた。
「手前ぇら、コソコソとくだらねぇ事やってんじゃねえぞ!」
ドスが聞いた声をあげたかと思えば、草刈殿の上に圧し掛かっていた男たちを、あっという間に叩きのめしていた。
「ったくよぉ。おい、そこのお前。この前にも会ったな」
「その節は世話になりました」
思いがけず白雛を投げ渡され、受け止めれば、大男は肩から落ちかけた薄墨色の中羽織を引っ張り直し、自身の足先で崩れた男をひっくり返すところだった。
「ハッ――いい殺り方したと思ったがな」
「が、ふっ」
嘲笑と落胆を混ぜた物言いで、大男がひっくり返した男の腹を蹴り上げ、落ちていた意識が引き戻された細い呼吸音が聞こえた。
「せっかく奪ったんだ。匕首を引き抜きゃ良かったのに、なんで殺らなかったんだ」
不思議だと首を捻りながら殺気を放った視線が向けられ、背中に冷たいものが落ちがのが分かった。
「その気だったくせにな」
沈黙を守ったこちらを見据えて、僅かに口角が持ち上げられた。
「恐ろしい事を。冗談でも言わないで頂きたい」
「よく言う小僧だな。おらっ、手前ぇら、いつまでも寝てんじゃねぇ。手間ぁ掛けさせんな!」
意識が戻った男の襟首を掴み、無理矢理立ち上がらせたかと思えば、直ぐに手を離し怒声と共に突き飛ばしていた。
大男の声に竦みあがった意識のある男たちが、意識を失ってる他の男を担ぎあげる。
その最中に草刈殿の傍に寄れば、流石に怖かったのだろうか袂をきつく握り合わせ、震えて俯いていた。
「だい――」
「逃がさないわよッ!」
否。激昂していただけだ。
詠唱と混ぜた叫び声が風刀を呼び、遠慮なくオレを巻き込んで男達を追っていた。
「待った!」
「おおっと、怖い姉ちゃんだな」
瞬間、飛び出しかけた草刈殿の手を掴み、荒い止め方だが捩じった。
草刈殿の遠慮の無い技で、肌の幾つかを切られたまま大男が面白そうに笑う。
「これ以上はダメですよ」
片腕から感じる痛みに草刈殿は小さく悲鳴を上げて、怒りの矛先をオレに変えたが、その怒りは受け流して静かに告げる。
その間にも大男だけを残し、他の男達が走り逃げ去っていった。
「女にも容赦なしか。良い性格してやがる」
くっと笑いを堪えたんだろうが、いつの間にか空を仰ぐ程の呵々大笑となっていた。
「気に入った。俺は“兇”だ」
「――マガツ?」
「貰った名だが気に入ってる。兇人の兇だ」
普通の人なら決して名乗らぬ名を楽しそうに口にし、お前は、と向けられた。
「それとも、俺らには気安く名乗れないって柄か」
「当然でしょ、あんたの名前と顔、しっかり覚えたんだから――!」
暫し考えたオレの代りに草刈殿が吠えたので、また少しだけ緩めたものを絞めた。
「冬臥です。取り返して頂き、有難うございました」
「ちょっと、なんでお礼なんか言うのよ!」
憤然と言われたので視線を向ければ、一瞬だけ彼女の体が跳ねた。
暴れ馬の方が全然マシなのではないかと考えてしまったが、そうでも無いようで良かった。
「面白れぇなお前ら。そっちの暴れ馬の姉ちゃんの名は? ついでだから覚えて行ってやるよ」
同じ事を考えていたとは。思わず驚いて口元が緩みかけたが、睨まれたので堪えた。
「ついでで、あんたに名乗る名前なんか無いわよ! もう、あんたもいい加減放してよッ」
「構いませんが、飛び掛らないで下さいよ」
「しないわよ!」
刺そうとした釘を根元から横に弾き飛ばされた気分だ。
だが、それさえも面白く映ったのだろう。再び大声を上げて笑っていた。
「分かったわかった。あんたみたいな怖い姉ちゃんには近付かねぇように躾けておくさ」
その言葉と、大男――兇は朗笑を残して去っていった。