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まどろみの内に

「――ぐ、くっ……いっ、あぐッ!」

 叫びあげたい声が切れ切れになる。

「う、わぁ……」

「うぅ……い、ってぇ!」

「ほらほら、もう少し我慢なさい。男でしょう」

 畳を思い切り叩き付けた所で、どうにかなるわけじゃないのは分かっているが!

「っ――!」

「頑張れ~」

 遠巻きに此方を見ながら、実に無責任な草刈殿の声が聞こえた。

「せぇのっと!」

 無駄に明るい、治術士の声と、傷位置を探る手には、ほんとに、もう、二度と世話になりたくない……

「まあ、こう言う訳なのよねぇ。生まれて間もない貴方の教育には絶対、悪いかなと思って」

「そ、そうですね……これ、知ってたら、もっと早くに逃げだしていましたね」

 妙に“絶対”と言うところを強調して言う母上に、思わずそう重ねていた。

「でしょう。だから、内緒にしておいて貰ったのよ」

 つか、れた……この上なく、疲れた。

 口元に手を当てて笑う母上に対し、オレは、なけなしの体力と言うものを根こそぎ奪い取られていた気がする。

 脱力し、壁に体を預けて何とか起きているような気がする……

 とりあえず、悲惨な目に遭ったねと言いたげに向けられる草刈殿に、初めて恨めしい視線を投げつけ返していた。

「もう大丈夫だけれど、安定するまでは後二、三日位掛かるでしょうから無理はしないこと。分かったわね」

「はい、分かりました……」

 思い切り溜息をついて答えれば、投げ出していた足を無造作に治術士に、捉まれた。

 一瞬のうちに思い出した痛みに思わず、警戒して前のめり気味に身構えてしまったが、薬を塗られ包帯が巻かれ始めた。

「念のため固定しておきなさい。どうせそうでもしないと、無茶しかねないからねぇ。香月さん、悪いけれど様子を見て釘刺してくださいね」

「え、分かりました」

 少しだけ驚いた様子を見せた草刈殿に、笑みを向けながら重ねてよろしくと言う。

「すみません……部屋に上がっても宜しいですか。流石に、少しばかり休ませて下さい」

 受けた側で治療疲れと言うのが当てはまるのか、甚だ疑問だが、昨夜からの熱も相まって、体中の倦怠感と併せて頭痛がしてきた。

「部屋はそのままよ。香月さん、お茶のお代わりはどうかしら」

 正直問い掛けながらも、既に自室へと向かう為に階段に手を掛けていた。

 二階に上がれば懐かしいと思うより先に、だらしなく布団の一部を引きずり出してその上に倒れこんだ。

 もうやだ……母上の治療にだけは二度と世話になりたくない。

 そんな事をぐったりと思っていたら、

「違いますよッ!」

 と、何か分からないが、草刈殿の慌てて裏返った全力の否定の声が家中に響いた。

 母上が何かまた変なことを言ったんだろうなと、見当を付けながらもいつの間にか夢現に引きずり込まれていた。



  君で良かった――

 緩く笑い、無防備に差し出される細く白い手。

   ダメだ。それに手を出したらダメだ

 静かに、窘める小さかった時の掌。

   何せ、僕は忌むべき色を身に宿す者なんだから

 拒むように小さく吐息混じりに放たれた言葉。

  お前如きにくれてやる命なんか、ない

 小さな体に孕んだ冷徹な意志。

  荒神に人の心など残りはしない

 噛み含めるように、安寧を守る要から告げられた言葉。

  違うなんて言わないでよ。君は、僕の事を殺せなかった

 息を吐く事すら苦しそうにしながら、向けられた赤い瞳は真っ直ぐだった。

  嬉しいな

  色々、変わらなかったことが、かな

 はにかんだように、小さく笑う声を混ぜて言われた言葉に、重なった影は同じだった。

  ああ、十斗ってば……恐いモノ知らずなんだから

 苛烈な赫を宿して、くつくつと頬を緩めて言われた。

  逢えて嬉しいよ

 もう一度伸ばされた白い手が、後翅の長い黒蝶に変わったかと思えば、視界を一瞬で覆い隠し、狂ったように笑う声が聞こえた気がした。

  嘘吐きはお前らのほうじゃッ

 叫んだ声と狂笑が思い浮かんでいた声音に重なり、ぴたりと止んだ。 

  君を落とせば早いと思ったのに――生きてたら、また逢おうね

 最後に見たのは同じ顔のはずなのに、鮮血色の瞳を細めて、ふふっと女のように、ゾッとするような笑みだった。


「――い、てぇ……」

 跳ね起きた衝撃で足が微かに痛んだ。それでも、昨日よりもマシで、朝よりもずっと楽になっている。

 外を見れば、高い日を目指すように、二羽の小鳥が啼きながら空を自在に飛び、遊んでいた。

 幾らかはマシに寝られるようになったと思っていたが……

 じっとりと嫌な汗が体中に浮かんでいた。それを拭おう箪笥の方へ身を捩れば、温くなっていた手拭が畳の上に落ちた。

 母上だろうか。落ちた手拭を拾い上げて、顔と首元を拭っただけでも見たはずの悪い夢が、空気が抜けていく風船のように萎んでいった。

 最後は、耳の奥にこびり付くように残るあの男の声を引き剥がすように、ふっと息を吐き大きく伸びをする。

 そう言えば、草刈殿はあれからどうしたのだろうか。

 部屋を抜け、階段の傍に寄れば、上からでも居室の様子が窺えるが、二人の姿が見えなかった。

 下りてみれば、何処にも二人の姿が見えなかった。

 出掛けたのだろうな。

 そう思い、渇いた喉だけ水で潤して再び上に戻ろうとしたとき、ただいま。と揃った声が上がった。

「あら、起きたのね」

「もう良いの?」

 別に体調を心配した声音では無かったが、弾んだ声で二人が手にしたものを畳の上に置いた。

「二人して、一体何を買い込んできたのですか」

「長芋でしょ、鈴の実、橙根、かづら花……」

 言いながら解いた風呂敷から見えるものを、母上が持ってきた笊の上に草刈殿が順に置いていく。

「香月ちゃん、一口貝はこっちに移しておきましょう」

 いつのまにか、“さん”から“ちゃん”に変わっている。まあ、楽しそうな二人に水を差すべきじゃないか。

「あ、それならこのまま砂抜きしちゃいましょうよ」

「そうね。時間掛かっちゃうものねぇ」

 いそいそと土間を伝っていく母上がくるりと、楽しそうに振り返る。

「ほら、十斗も手伝いなさいな。どうせ、謹慎を渡されて暇でしょう。今日位うちに泊まっていきなさい」

 帰ると見事に言い難くなるほどの笑みに、固辞する理由が見つからない。

 それでも、「帰れ」と告げた師の叱責の残響を振り落とすように、首を振った。

 落胆する様がありありと見て取れたが、まあ良いから、と無理矢理に空の(たらい)を持たされて外に追い出された。

 何をどうしろと言うんだか。

「水一杯で良いからよろしくね」

 追いかけられて伝えられた声に、返事代わりに肩を落とした。

 井戸から水を汲み上げる時、此処までかと自分に落胆してしまった。

 常なら桶一杯分の水なら苦も無く引き上げられるのに、かなり力を入れて引き上げるも、つるべに掛かる桶を掴み損ねて、また井戸の底へと落下していった。

 あまりに激しい音を立てたせいで、近くの家から何事かと飛び出してきた人に、何でもないと平謝りするしかなかった。

 中には病上がりだろうと、代ってくれようとした方も居たが、それも丁重に断った。

 しかし、桶を落とした瞬間に、引き綱を手放し損ねていたらしく、掌が剥けていた。

 もう一度、引き上げようやく水を移せるかと思ったが、剥けた掌の痛みと水の重さで盥に僅かな水を溜めただけで、地面にその大半を零してしまう始末。

 何度か似たような事を繰り返して、水を溜めた盥を見てようやく一息つく。

 心配で傍で見守っていてくれた方も、良かったと頷いてくれた。

 問題は、これを家の中に運ぶ事なんだが……落ちた握力を考え思い切り握りこみ、何とか持ち上げる。

 筋力が落ちたせいで異様に腕が震えているなか、持ち位置を変えて盥を抱えながら家に戻った。

「随分時間が掛かったわね。流しの傍に置いといてね」

「代わるわよ」

「香月ちゃん」

 労いの言葉とも取れない母上の言葉に草刈殿が手を伸ばしたが、それを封じられて不思議そうに此方を見る。

「あっ――」

 置こうとした瞬間、手の中から滑り落ちて、土間を盛大に濡らしてしまった。

「ふぅ……もう一度、行ってきます」

「はい、お願いね。香月ちゃんはこっち、手伝ってもらって良いかしら?」

 先ほど笊に寄せた野菜の下拵えを手伝って欲しいと言われ、彼女から、平気なのかと問う視線を向けられた。それに、構わないとだけ残して、再び井戸を往復した。

 流石に今度は落とさずに済んだが、既に腕が痛い。

 ただの水運びでこれほど難儀するとは思わなかった。

「はい、ご苦労様。一口貝を水に晒しておいて。あ、乱暴に扱うと美味しくならないから気をつけて」

「分かりました」

 流しの反対側の板敷きの上に置かれた手桶に、大振りで縞模様が鮮やかな一口貝が入っている。

 今し方の水桶を運ぶよりは簡単に、中身を盥へ移そうとしたとき、「あ、そうそう」と良いながら母上が戻り、盥の中に目の粗い笊を沈めた。

「ちょっとそのまま待っていてね」

 手桶を置こうかと思ったが、直ぐ終るからと言われ持ったまま、盥に塩を溶かし包丁を一緒に沈めた。

「はい、いいわよ」

「包丁、錆びませんか?」

「こうすると砂吐きが良くなるのよ。終ったらきちんと手入れしてくれればいのよ」

 さりげなく、手入れまでして行ってくれと頼まれてしまった。

 貝を移すだけなのに、かなり疲れを感じた。

「思ったより堪えてるみたいね……て、血が出てるんだけど」

「あー……先ほど、しくじってしまった時に」

 手桶を預かりに来た草刈殿に指摘され、滲む程度ものだったが、桶に血が付いてしまっていたのに気がついた。

「洗ってきます」

 もう一度、手桶を預かり井戸で汚れを落として、ついでに自分の手を洗っておく。

 傷は幸いに酷くない。家に戻り手桶を片付けた後に、薬箱を探し出して手当をしておいた。

「あらいけない。十斗、悪いけれど裏から薪を持ってきてくれないかしら」

 竈の火加減を見ていたらしく、呼ばれた声に何時も積みあがっているはずの薪が無い事をつい、確かめてしまった。

「なら、あたしが取ってきますよ」

「良いのよ。香月ちゃんはこっちのお手伝い。動けるのだから平気よ」

 ねぇ、と水を向けられ、溜息を隠して頷いた。

 結局、薪運び以外にも細かな雑……手伝いをこなしてるうち、それなりに時間が経っていた。

「そういえば草刈殿、手当ての手解きは受けられたのですか」

 一息ついて問い掛ければ、煮物を団扇で冷ましている手が止まった。

 母上の目の前でどう返事を返せば良いのか、躊躇っていると言う風情だ。

「明日から……」

「頑張ってくださいね」

 今日は教えないのかと思ったが、日もだいぶ傾き始め、夕七つを知らせる鐘が遠くに聞こえた。

 流石に家を出ないと不味いな。

「琴世様、オレはそろそろ失礼致します」

「え~……急にどうしたの、何かあるの? 謹慎中なのに」

 最後に付け加えられた言葉に、ぐっと心臓が痛くなった気がするが、無視しよう。

「相模刀具に今日中に行きたいのですよ。草刈殿、後で立ち寄りますのでごゆるりと」

「明日の一番でも良いでしょう、十斗」

「足の事でこちらに来ることを優先致しましたので、まだ昇靖殿にお会いしていないのです。白雛の事も有りますので」

 縋られた言葉に、今度こそきっぱりと首を振った。

「仕方ないわねぇ。けれど、香月ちゃんと一緒に行ってらっしゃい」

 諦めて肩を落とした母上の言葉に、思わず彼女へ視線を見やれば草刈殿も驚き目を見張っていた。

「足も完全に治っているわけでもないのだから、無茶しないように見てて欲しいの」

 最後の言葉は草刈殿へ向けられ、頬に添えた手に寄り掛かるように溜息をまた吐く。

「それと、帰りに寄りなさい。折角、色々と作ったのだからお弁当にしておくわね」

 持って帰りなさいと言われ、それ以上に断る理由は無くまた後で立ち寄ると返した。

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