第1話:『四大会議の不協和音と、空から降る悪魔』
原生林をくり抜いて築かれた自然大議事堂『万緑の円卓』。
頭上数百メートルを覆う巨木の梢から差し込む木漏れ日は、すでに正午の角度を大きく傾かせていた。
中央の円卓を囲む四つの席のうち、猫同盟の座席だけが空席のまま。
「――定刻を百二十分超過している」
静寂を破ったのは、犬帝国全権大使を務める歴戦の軍司令官、ドーベルマン卿だった。
植物の樹皮と強靭な蔦を編み上げた濃緑の軍服に身を包み、佩用した木削りの長剣の柄を爪先で規則正しく叩く。苛立ちを完璧な姿勢の奥に押し殺しているが、左右にピンと立った尖り耳の先端が不快そうに微震していた。
「時間を遵守することすら能わんのか、あの怠惰な毛玉どもは。群れの規律を解さぬ単独行動者とはいえ、外交儀礼の最低限すら毛繕いと一緒に胃袋へ流し込んだと見える」
「まあまあ、ドーベルマン卿。怒ると額の短毛に皺が寄りますことよ」
相席する宮廷貴族代表のマルチーズ卿が、手入れの行き届いた真っ白な絹毛を揺らしながら冷笑を漏らす。その首元には、天然鉱石を磨き上げた首輪が誇らしげに輝いていた。
「所詮は野性の抜けきらぬ夜行性。太陽の光の下で理性を保つことすら一苦労なのでございましょう。もっとも、あの者たちに『知性』などという高等な概念が宿っていると信じたこと自体、我らの寛容すぎた失策ですが」
「カァ――ッ! 議事進行の遅延は風力観測スケジュールの致命的な狂いを生む。日没までに大気循環データをまとめねばならんのだぞ!」
円卓上空の止まり木に陣取ったカラス航空連合の観測長が、器用に嘴で木製の記録板を突っつきながら甲高い声を上げる。
中央に設置された超巨大な生体水槽ポッドの中では、イルカ海洋共和国の特使が退屈そうに身体を反転させ、頭頂部の噴気孔から小さく気泡を吐き出した。
『超音波帯域翻訳:陸棲類の生活リズムの不一致はいつものことだ。だが、水温が上がってプランクトンが酸欠を起こす前に始めてもらいたいものだな』
その時だった。
円卓の真上、高さ三十メートルを超える太い枝の陰から、擦過音ひとつ立てずに一筋の影が滑り降りてきた。
柔らかな肉球が、無垢材の円卓の上に音もなく着地する。
現れたのは、猫同盟の首席外交官、気品ある縞模様を纏ったベンガルの貴公子だった。
「お待たせいたしました、忠義に凝り固まった番犬の皆様。……無用に吠え立てるのはおやめいただけますか? 鼓膜が破れるかと思いましたよ」
ベンガル外交官は優雅に前足を舐め、青く澄んだ双眸を細めてドーベルマン卿を見下ろす。その背後には、長毛を華やかに靡かせたシャムやペルシャの随行員たちが、樹上から音もなく着地していた。
ドーベルマン卿の側頭部の筋肉がピクリと跳ねる。
「……ずいぶんなご重役出勤だな。まさかとは思いますが、屋根裏でネズミの駆除に手こずっておられたのですか? よろしければ我が帝国のテリア隊を派遣いたしましょうか。あいつらなら三分で巣ごと根絶やしにできますが!」
「ふふ、ご親切にどうも」
ベンガルは細い尻尾を優雅に揺らし、嘲笑を込めて喉を鳴らした。
「ですが無用なご配慮です。わたくしたち高貴な種族は、太陽の下を無駄に走り回るしか能のない野蛮な種族とは活動周期が異なりますのでね。……それに、本日の遅刻には極めて正当な外交的理由がございます。そこのカラス航空連合に正式な空路許可を取り、皆様の好物である新鮮な地鶏肉を取り寄せて差し上げていたのですよ。……もっとも、泥と草の匂いしか嗅ぎ分けられない愚鈍な舌に、この繊細な風味が理解できるかは甚だ疑問ですが」
「カァ(確かに正規の通行手数料として光る石を三つ受領した)」とカラスが嘴を鳴らす。
すかさずマルチーズ卿が、カンカンに甲高い声を響かせて立ち上がった。
「まあ、なんと恩着せがましい! 地鶏などと、どこぞの藪で拾ってきたかも知れぬ汚らわしい生肉を! 我が帝国とて、イルカ共和国の海流定期便に特注し、遥か外洋から極上の深海魚を取り寄せて差し上げましたのに! ……まあ、どなたかさんたちのように、夜な夜な食糧庫をかすめ取る泥棒猫には、この礼儀正しい公的通商ルートのありがたみは分かりますまい!」
空気が一瞬で凍りついた。
「……なんですって?」
ベンガルの細長い瞳孔が針のように細まり、背中の毛が一斉に逆立つ。前足の鞘から、漆の神経毒を塗布した鋭利な生体爪がシャキリと音を立てて伸びた。
「もう一度仰ってみなさい、リボンを巻いた愛玩人形。誰が泥棒猫ですって? ……かつてサピエンスの足元に侍り、首輪を誇らしげに見せびらかしていただけの隷属種族が!」
「貴様、我が帝国の誇りを愚弄するかッ!!」
ドーベルマン卿が腰の木剣を抜き放ち、剥き出しの牙から威嚇の低周波を轟かせる。周囲の犬兵たち十数頭が一斉に槍を構え、樹上の猫たちもまた毛を膨らませて威嚇の唸り声を上げた。
『超音波帯域:揉めるな陸棲類! 深海魚を侮辱するなら次期海流関税を五割引き上げるぞ!』
「カァーッ! 落ち着け、机の上の書類を踏むな! あとその銀のボタンを寄越せ!」
生物学的本能、食性の違い、生活リズムの絶対的な不一致。
かつてサピエンスによって歪められた血の記憶が、爪と牙の衝突となって弾け飛ぼうとした――まさにその刹那。
ギィィィィィィィィィ――ドンッッ!!!!
成層圏を突き破る異様な風切り音と、重厚な金属の摩擦音が天蓋の原生林を激しく揺るがした。
「……ッ!? なんだ!?」
「空が……燃えている!?」
全種族が争いを止め、巨木の天窓を見上げる。
上空から白煙の尾を引いて落下してきたのは、自然界には決して存在し得ない、冷酷で無機質な銀色の塊――推進ポッドだった。
大気を焼き、幾何学的な直線を刻むその鉄の塊を見た瞬間、ドーベルマンも、ベンガルも、カラスも、水槽の中のイルカすらも、遺伝子の深淵から這い上がる絶対的な悪寒に全身を硬直させた。
「……鉄……だと……?」
「馬鹿な……あの忌まわしき機械の呪いを動かせる者など、この地上には……」
地響きとともに、会議場のすぐ外の平原へ金属ポッドが激突する。
原生の草木を薙ぎ倒し、立ち込める煙の中から、プシューッという減圧音とともに油とオゾンの臭いが風に乗って漂ってきた。
それは、数千年前にこの星を食い散らかし、宇宙へと逃げ去った『かつての支配者』の匂いだった。
(第2話に続く)




