16 終話・秘密
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アストリア王国の内乱は終わった。ペデス侯爵とその弟は処刑。侯爵に唆されたカレルヴォ王子とクリスティアン王子は流罪となった。王妃は自らの潔白を訴えた結果、無罪となったが、息子達の助命を果たした後、修道院に入った。
侯爵に与した多くの貴族が追放となった。その中には、元第一王子妃であるスカーレットもいた。
「スカーレット妃…じゃない、元セプタンティオ伯爵令嬢が、お目通りを願い出ております。お会いになりますか?」
とヒューゴに訊かれ、エドヴァルドは顔を上げた。王妃や兄達の仕事が回ってきて、非常に忙しい。嫌味な連中だったが、居なければ居ないで皺寄せが来る。こんな時にスカーレットと会っても、怒鳴り飛ばすか、下手をすると首を絞めそうだ。
「追放先はどこだ?」
「えー。パルマ王国です。エドワード殿下預かりとなりました」
彼女の腹には兄の子がいる。陛下は処分をお望みだったが、エドヴァルドが反対した。身分の剥奪と追放で十分であり、陛下の孫を殺すには忍びない…と言うのは表向きの理由で、実はミナが頑として譲らなかったのだ。
『赤子に罪はありません。ダメなら、私がどこかに逃します』
あれは、天然理想流の理念なのか、あるいは、パルマ人の倫理観なのか。不明だが、愛しの婚約者殿の頼みなので受け入れた。
「会うのは…」
止めよう、と言いかけた時、護衛が慌てた様子で執務室に入ってきた。
「殿下。ウィスタリア嬢が消えました」
「またか。ヒューゴ。少し休憩にしよう」
王子は席を立った。毎日、ミナは王城で迷う。専属侍女をつけても迷う。仕方なく、ウィスタリア伯爵からあの犬を借りている。彼は王太子宮の庭に出て、犬を呼んだ。
「タロ!来い!」
すぐに犬は駆けてきた。ヒューゴから干し肉を一切れ受け取り、タロにやる。
「ミナを探してくれ」
「ワン!」
後宮の庭の一つに着くと、スカーレットとミナが仲良くベンチに座っていた。季節は春。咲き始めた花々の下、腹の大きな元婚約者と、スラリとした今の婚約者。王子の胸中は複雑だ。
「あ。タロ!エド様を案内してくれたの?偉いねぇ」
何の屈託もない顔で、ミナは犬を撫でる。一方、スカーレットは立ち上がり、王子の前に跪いた。
「王太子殿下に御挨拶申し上げます」
「…」
「また、パルマ行きをお認めいただき、誠にありがたき…」
深く下げられた赤い髪と芝生に落ちる涙に、言おうと思っていた罵倒は出てこない。黙って見下ろすエドヴァルドの手を握って、ミナは微笑んだ。
「さようなら。スカーレット。元気な赤ちゃんを産んでください」
元婚約者は顔を上げた。美しい顔に絶望が浮かんでいる。ミナはそのまま踵を返すと、王子とタロを連れて庭を出ていった。
◆
「ミナ。そっちじゃない」
「あら?そうでした?」
全然違う方向に行こうとするので、しっかりと手を繋いで引き戻す。並んで歩きながら、ミナは存外強かな女だと思った。どんな罵りの言葉より、今の婚約者とエドヴァルドの幸福な姿を見る方が、スカーレットには堪えるはずだ。
『そうじゃ。あの腹黒妊婦め。お主と寄りを戻す腹であった』
急に古代語で話すのは、あの妖精だ。エドヴァルドはパッと手を離した。接触していると考えを読まれてしまうのだ。困った事に、頻繁にミナの意識を奪って出てくるようになってしまった。
『なぜこうも度々、現れるんだ?ミナの命に関わる時じゃないだろ?』
『退屈だからよ。どうせあと半年で婚儀であろう。一つ教えてやる。腹の子は女子じゃ。安心したか?』
『…他にマシな予言はないのか』
王子はウンザリした。妖精は本当に性格が悪い。ペデス侯爵の処刑の時も、わざと汚物を降らせて、天の怒りだと大騒ぎになった。
『消えてくれ』
『消して見せよ。ほれ』
と言って、しなやかな腕が王子の首に回される。仕方なく口付けるとミナが戻ってくる。周りの者たちの冷ややかな目が痛い。こんなだから、エドヴァルドはウィスタリア嬢に骨抜きにされている、という噂が消えないのだ。
「エド様?」
「…何でもない。行くぞ。ヒューゴが待っている」
王子は羞恥を押し隠し、婚約者の手を引いて執務室に戻るのだった。
◇
ミナは今、エド様、つまりアストリアの王太子殿下の婚約者である。北の森から戻ったら、なぜかそういう事になっていた。住まいは大使公邸だが、毎日王城に通って妃教育を受けている。
(エド様と結婚?!本当に?って言うか、王太子妃?私が?)
最初は違和感しかなかった。でも、末長くエド様と一緒に居られると思うと、幸せすぎて死にそう。実際、幸福すぎて時々、意識を失ってしまうのだが、エド様が『気にするな』と言うので、気にしない事にした。
◇
お互いに忙しいので、二人きりで会いたい時は、あの土牢の庭でピクニックをする。今は庭師が手入れをしてるから、果樹園風の美しい庭である。そこに敷物を敷いて、遠くで護衛や侍女達が見守る中、飲み食いするだけでも、結構楽しい。
上等な敷物に座り、生まれ変わった庭を眺めながら、ミナはしみじみと言った。
「本当に不思議ですね。アストリアとパルマ、遠く離れた場所が衣装箪笥で繋がっていたなんて」
「まあ良いさ。お陰でお前と出会えたんだから」
今日も素晴らしくカッコいいエド様は、色気たっぷりに寝転んでいる。ああ眩しい。ミナは目を細めてその御姿を拝見した。
「それはそうですけど。あのう。来週のパルマのエドワード殿下の結婚式、私も行っていいんですか?まだ婚約者ですけど」
「勿論。招待状が来てるんだから。パルマ側としても来てほしいのさ。それに“エド様”だぞ?会いたくないのか?」
「もうっ!紛らわしいんですよ!同じ第三王子殿下で!」
ミナは逞しい胸をポカポカ叩いた。エド様は大笑いしている。ずっとパルマのエドワード殿下をエド様だと誤解していた。それを、いまだに揶揄われている。
(エド様だって、私の事、アストリア人だと思ってたのに)
何となく腹立たしくて、
「そう言えば、エド様。私、求婚のお言葉をいただいてませんけど。スカーレット様には贈ったんでしょう?熱烈なやつを」
と囁くと、エド様はギョッとした顔で固まった。だが、喜んだのも束の間、ミナは押し倒されてしまった。
「…聞いたのか?」
「そりゃあ。まあ。あの人、結構腹黒でしたから。色々自慢されましたよ」
「忘れてくれ。私を地獄に叩き落としたのはあの女で、垢だらけの体を洗い、清潔な着物を着せたのはお前だ。温かい食事を出してくれた。暗殺者からも救ってくれた」
幽閉の記憶が甦ったのか、辛そうなお顔で言う。
「エド様。もう良いです。ごめんなさい」
「言わせろ。お前の優しい手が、髭を剃るのが好きだ。誰にも渡したくない」
(え。髭剃りなの?愛とか運命とかじゃなくて?…でも、まあ、髭は一生伸びるし)
ミナはエド様の頬を撫でた。
「じゃあ剃りましょう。私が、一生」
すると、自分から言い出したくせに、エド様は吹き出した。幸せな二人はいつまでも笑い転げていた。
◆
その翌週。エドヴァルドとミナはパルマ王国を訪問した。先の内戦への協力への感謝を伝え、第三王子の婚儀に参列する為だ。そして公務の合間に、二人で調度管理課を尋ねた。
パルマの王城の城壁寄りにある、何の変哲もない倉庫だった。あらかじめ連絡を入れてあったので、課長という男が出迎えてくれた。
「ようこそいらっしゃいました。エドヴァルド殿下。ウィスタリア伯爵令嬢」
「やだ!課長ったら。ミナで良いですよ!」
ミナが親しげに言うと、課長は涙を拭いた。
「そうは言ってもね。アストリアの王太子妃になられるお方だよ?本当におめでとう。体調はもう大丈夫?ずっと心配だったんだ。あんな事を一人でやってくれていたから」
何の事かと思えば、ミナは倉庫の害獣駆除を口実に、エドヴァルドの世話をしていたらしい。
「そ、それより懐かしいわぁ!課長。倉庫を見せていただけますか?」
「もちろん。ご案内して差し上げて」
と、課長は奥に通してくれた。1から12まで、大きく番号を振られた扉が、廊下の左右に並ぶ。しかし、行き止まりまで行っても、II番倉庫は見当たらなかった。
「無い…」
ミナが呆然と呟く。エドヴァルドはそっと彼女の肩を抱いた。奇跡は消えた。跡形も無く。何も知らない課長は、何度も頷いていた。
「そう。もうネズミ一匹居ない。ミナちゃんのおかげだよ」
◇
土牢はアストリアにある。そして隣にはエド様がいる。II番倉庫は消えしまったが、確かにあの日々はあったのだ。滲む涙を押さえて、ミナは調度管理課を後にした。そして書陵部に顔を出し、ミネルバさんと再会を喜び合った。ついでに兄のいる騎士団の兵舎にも行った。
「おお!殿下!お久しぶりです!」
相変わらずむさ苦しい面々の中、エド様は舞い降りた鶴のよう。厚かましい兄にも優しく接してくださる。
「久しいな。カール。少しは出世したか?」
「中隊長になりました!」
「将軍ぐらいにはなれよ。そうだ、これを返しておく」
と言って、エド様は髭剃りを兄に渡した。
「家宝なんだろ?」
「ワオ!ありがとうございます!でも、これ、ミナがけっ…痛っ!」
余計な事を言う前に、ミナの高い踵が黙らせる。エド様は笑いを堪えながら、兄の肩を叩いた。
「戻ってきたのさ。妖精のお陰でな」
◇
翌日は、エドワード殿下の婚礼だ。ミナが“エド様”だと信じていた方は、茶色い髪と目の、おっとりした青年だった。エド様とエドワード殿下はとても仲が良い。披露宴で親しげに話す二人を見て、ミナはびっくりした。普通の友達みたいだったのだ。
(従兄弟だから?良かった。エド様、友達少ないから)
と勝手に上から目線で頷く。一方、花嫁は黒髪黒目の小動物みたいな可愛らしい女性だ。妃殿下はエドワード殿下との馴れ初めを語ってくれた。
「…それでね。伯爵家の娘なんか、絶対に無理だと思って断ったんだけど。エド様…ああ、エドワード殿下が『僕が、全力で守ります』って仰ってね」
(あ。今、エド様って言った)
それだけで、ミナは妃殿下が好きになった。すっかり意気投合して、文通をする約束をしていると、エドワード殿下が、エド様に尋ねた。
「エドヴァルド殿こそ、どうやってウィスタリア嬢と知り合ったんですか?大使の親善園遊会の翌日に、婚約したと聞きましたよ」
妃殿下も興味津々である。
「私も気になります。ミナ様。ぜひ、お二人の出会いを教えてください」
ミナとエド様はお互いの顔を見た。そして微笑みながら声を合わせた。
「それは秘密です」
◇
その半年後。ミナ・ウィスタリアはエドヴァルド王子と結婚した。それ以降、妖精の呪いは現れなかったが、方向音痴は生涯治らなかった。だから、王子は王になっても、彼女がどこへも行かぬよう、その手を離さなかった。
(終)




