第八章 君と生きる未来を、ここから
──3月23日。
桜の蕾がほころび始める頃。
如月ひよりは、病院のベッドから立ち上がった。
医師からは「まだ無理をするな」と言われていた。
でも、彼女は歩くことを選んだ。
退院したその日、僕と風見は病院の門で彼女を出迎えた。
風は春の匂いを運んでくる。
ひよりは制服を着ていて、まだどこか弱々しかったけれど──ちゃんと、自分の足で立っていた。
「……来てくれて、ありがとう」
彼女がそう言ったとき、僕はやっと深く息をつけた。
「退院おめでとう」
「おめでとう。って言っていいのか迷ったけど……まあ、言っちまったからな」
風見が苦笑する。
彼女は小さく笑った。
──あの頃にはなかった、**“心からの笑顔”**だった。
ひよりはしばらく自宅で休養することになった。
登校はまだ先。それでも、僕と風見は放課後に彼女の家を訪ねていた。
部屋の空気は、どこか柔らかくなっていた。
例の手紙も、髪留めも、今はきちんと箱の中にしまわれている。
ある日、ひよりがぽつりと言った。
「……わたし、もう一度、ちゃんと“妹の墓”に行こうと思うの」
風見がうなずく。
「ちゃんと向き合うんだな。すごいよ、お前」
「うん……でも、一人じゃ怖いかも」
「じゃあ、行こう。俺も」
「僕も、もちろん行くよ」
そうして迎えた、3月26日。
3人で市内南区の墓地へ向かった。
彼女はゆっくりと墓前に立ち、手を合わせる。
その手は少し震えていたけれど、離れなかった。
「……ごめんね。あのとき、助けられなくて。ずっとずっと、謝りたかった」
長い沈黙の後、ひよりはふっと顔を上げた。
「でも、これからは、生きるね。ちゃんと、生きていく」
「……だから、お姉ちゃんを、許してくれるかな」
その声に、涙はなかった。
でも、胸にしみるような“あたたかさ”があった。
風見が空を見上げる。
「春だな。少し寒いけど、ちゃんと“新しい季節”が来るんだな」
僕は思った。
──きっと、この日が「本当の始まり」なんだ。
“何度も繰り返してきた3月15日”は、もう来ない。
彼女は、ようやく未来へ歩き出した。
それが、どんなに尊いことかを僕は知っている。