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第39話 約束の地

  年が明け、季節は新緑に移ろうとしていた。半年以上も鴉党の新体制発足に忙殺された重景は、心躍らせ落合の惣に向かっていた。


 思い返せば十五年前、追っ手を警戒しつつ山の手から隠れるように落合の惣に入った。今回は伊勢路からである。編み笠を深く被り渓谷を上に向かって進む。もう大鴉でもなんでもなかった。ただの牢人。気持ちが軽い。清流のほとりに足を止める。岩の段差に出来た小さな滝に虹がかかっていた。透き通った青碧の淵に魚影がある。たくさん戯れていた。見上げると葉を透かして届く光線。空気が緑色に見える。


 落合清澄には昨年、『太白精典』の真実を書状で伝えてある。その返書によると落合が松の金神を取り込んだそうだ。飯道寺山の戦いの直後だったという。その後、落合に変化はないらしい。たぶん代々伝わった落合の金神の方が勝っていたのだろう。鬼幽斎のはそれに取りこまれ、失せてしまったに違いない。ともあれ結局今回も、熊野は落合の一族に助けられたかっこになってしまった。


 ふと、山つつじが目に入った。灌木が紫炎に燃え上がったような躍動感のある花顔。森の新緑に混じり咲き乱れていた。見ていると心が弾む。


「行こう。これ以上、待たせるわけにはいかない」







 かくして落合の惣に至る。


 前方に惣門があった。十五年前はなかったものだ。

 四人が立っていた。平和な惣だったがここにも乱世の波は押し寄せている。


 その門番らに『不動金縛り』を掛けた。四人の視線が揃った瞬間に、である。その視界に入らないように素早く惣門を抜ける。『不動金縛り』を解く。四人は動き出す。それをしり目に惣内を歩く。懐かしい。広場があった。ここで落合の婚儀があったとか、いろんなことが思い出される。そしてほどなく松を見つけた。


 田に入って屈んでいる。小袖姿で裾をたくし上げ、頭に白い布を巻きつけていた。田の雑草でも取っているのだろう。ちょっと不安になったが、松に間違いない。それでもやっぱり、声をかけるとなると不安になる。少し遠目であったし、十五年も経っている。


 見間違う訳ないけれど……。


 今更現れても迷惑なんじゃなかろうか、もしかしていい男がいたりして。


 見間違いよりも、そんな不安の方が、勝ってきた。それが会いたい気持ちとない交ぜとなり、その瞬間ともなると物怖じしてしまう。


 ……こ、声を掛けられない。


 どぎまぎしていると背中にチクリとした感触がした。


「不信な奴。何者だ」


 太刀が突きつけられていた。

 手を挙げて振り向く。


 十二才位の男の子が立っている。まさか……。

 愕然とした。松にそっくりなのだ。十五年かけて膨らませた妄想というのか望みというのか、それがパンと乾いた音を立てて弾けた。無常というほかない。


「そうだろう。そうだろうよ」


 松の子。その言葉が頭の中で連呼されていた。その男の子が言った。


「ふざけたやつ。おれの質問に答えろ」


 十五年、待たせたのだ。全てがおれのせい。男の子がさらに言う。


「ますます怪しいな。どこの手の者だ」


 おれは全てを投げ打ってでも来るべきだったんだ。松は悪くない。諦めよう、潔く。


「い、いや、昔、ある者と約束したことがあって、それを果たしに参った。が、もういい」


 決心がつくと羞恥心が沸いてきた。今ここに居ることを松に知られたくはない。すっと消えよう。

 男の子の太刀が喉元に向けられる。「約束? いい加減なことを」


 そこに松が現れた。このやりとりを遠目に見たのであろう。松に編み笠の下から覗き込まれた。

 ドキリとして編み笠を深く傾ける。


「やっぱり! 重景!」


 松のはずむ声、喜びに興奮する顔。


「あ、これは松殿、お久しぶりで」


 咄嗟に言った。松の喜ぶ姿には嬉しくはあった。あったが、見られてしまった。それが後ろめたい気持ちとなり言い方をよそよそしくする。編み笠を取る。必然、動作もうやうやしくなる。それが松にも移ったのか、言った。


「あ、いや、これは大鴉様。お噂はかねがね」


 その口調は距離を置いたもので、松の笑顔はというと一転して偽物に変わっていた。


 ふうんという顔を男の子がした。このちぐはぐというか、芝居がかったというか、そんなやり取りから何かを察したんだろう。


「お邪魔のようですな」とあっさり去ってゆく。


 道端に松と二人っきりになってしまった。


 何を話そう。


 じっと松を見た。


 そこにいる松は十五六の娘ではなかった。少し痩せた頬が微かに愁いの陰を落としている。大きな目を不意に細めて視線をそらすしぐさがどことなく切なさが漂う。大人の女になっていた。十五年という年月を感じずにはいられない。松とてこの長い時間に翻弄されたはずだ。それをおれは……。


 なにが伝説の大鴉だ。なにが和平の教令者だ。なにが不動明王の鈴木重景だ。おれはこの人たった一人のために戦ってきた。生きてきたんだ。そんな名なぞ、なんの価値があろう。だけどそうであっても女々しいと言われるまで名を貶めたくはない。毅然とした態度を取る。そして相手の事情を尊重出来る大人であることを示したい。


「あの、惣の掟、秘密を知った者はというあれ、守らなくていけないと思って来たのですが、ご迷惑だったようですね」


 松が、えって顔をし、その後、ふふふっと笑った。


「あの子、なかなかの男であろ?」


 いくらいい大人であることを示そうと言っても、褒めるというのはちょっと……。乾いた喉に唾を流し込む。


「ああ、不覚にも後ろを取られた」 それが精一杯。


 松が腕を組んだ。偉そうに構えている。


「あれは兄様の嫡男。わたしに子がいたらあれくらいに育っていたろうに」


「え?」 耳を疑った。


「お前、今、あの子をわたしの子だと思っただろ」


 松がぷりぷりしている。そして思った通り噴火した。


「重景! おまえはわたしをそんな女だと思っていたのか!」


 縮み上がった。松は昔とまったく変わっていない。いや、それ以上!


「いや、いや。そうではない。決してそうでは」

「いや、男を造っていると思っていた」

「違う。違うんだ」

「じゃぁ、なぜ、すぐに声を掛けなかった? もしかしてとか考えていたのではあるまいな」


 図星だ。だがそれは死んでも口に出さない。……って松はおれが田仕事を見てたの、知ってたのか。まずい。


「そんな訳あるまい。そう! 見惚れていたんだ。おまえのことを」


 言い逃れだ。案の定、松の疑う顔。やっぱり見透かされている?


「こんな年増に?」

「いやいや、十歳は若く見える」

「嘘。十五年よ。十五年は長かった。あんた、飯道寺でわたしに求婚しといて『太白精典』を十五年も探していたのよ。わたしをほっぽらかしといて」

「何度も顔を出そうと思ったさ。でも、あちこちで乱が起きて、『太白精典』のこともあるし、身動きが取れなかったんだ。第一、鴉党はほとんど壊滅状態だったんだ。手紙だって『太白精典』の始末がつかない限り書きづらかったし」

「あんたのそういうところがよく分かんない。伝説の大鴉だっけ。偉そうにしてたんでしょ」


 偉そうにって、実際はほとんど雑用なんですけど……。


 言葉に窮しているところを松が突然、あぜ道に駆けてゆく。そして立ち止まって振り返る。大きな丸い目を半輪にして笑っていた。


「重景! あんた、なんにも変ってないのね」


 松、おまえこそ。松を追った。


「今、行くからそこで待ってろよ」

「いや。待つのはもうこりごり」


 松が先を走ってゆく。


 二人は狭いあぜ道で追いかけっこ。時より笑い声を上げる。


 楽しかった。松もそう。




 空は快晴。柔らかな陽光に爽やかな風が吹く。








 (了)




天界音楽様、フェニックス様、感想ありがとうございました。ますますのご活躍、心より祈っています。


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