20
笑っているユウのそばで、お母さんが笑っていないことに私は気づかなかった。
「バンドのオーディションがあるなら、なおさらきちんと治さないとね!」
なにも知らずに私は言った。
面会時間ギリギリまで居座って、帰る間際に病室から出たところでお母さんから呼び止められた。
「チカちゃん、ユウのことなんだけど……」
「はい?なんですか?」
「ユウの病気のことなんだけど……」
「はい?」
「胃潰瘍じゃなくて、胃ガンだそうなの……」
「はい?」
私の思考は停止した。
「胃ガン……?」
「それも、かなり進んでいるらしいの」
そんな……嘘でしょ……
私の頭はガンガンと鳴り、目眩がした。
「先生の話だと、他に転移している可能性もあるって……」
「ガンって!!手術すれば治るんですよね?」
思わず強い口調になる。
お母さんは頭を振ると、
「手術しても助かるかどうかは五分五分らしいの」
「どうして?!」
「先生の話だと大腸にも転移しているかもしれないって……明日から詳しい検査を始めるけど、末期ガンだって……」
私はへたりこんだ。
末期ガン……
私の脳内をその言葉が駆け抜ける。
「本人に告知するかどうか迷っているの。でも、チカちゃんには知ってもらっておかないと、と思って」
淡々と話すお母さんに苛立ちを覚え、私はお母さんに食って掛かった。
「本人に告知って、あんなに元気なのに、そんなこと言うんですか?!」
「胃潰瘍にしては検査が大がかりだから、バレるんじゃないかと思うの。残りの人生を謳歌したほうが……」
私の目から涙がこぼれ落ちた。
そんなこと急に言われたって……
とたんにお腹に激痛が走った。
経験したことのない痛み。ツキーンというか、ズクズクというか、とにかく下腹が痛くなった。
私はそのまましゃがみこむと、朦朧とする意識の中で、お母さんの呼び声を聞いた。
◇
翌朝起きると、病院の中にいた。腕に点滴をされている。
ちょうど母が入ってきたので、
「私、どうしちゃったの?」
と尋ねた。
「強いショックを受けたから、流産しそうになったらしいの。でも、もう大丈夫よ」
「大丈夫って、お腹の子どもも?」
「うん、今は流産止めの点滴をいれてもらってるから、大丈夫よ」
母は花瓶に花を活けながら答えた。
「ユウは……ユウはどうしてるの?」
母は安心するように私の頭を撫でながら言った。
「ユウくんのお母さんから聞いたわ……今日は大腸の検査らしいの。でも、大丈夫。チカはチカで早く良くならないと、ユウくんに会いにもいけないでしょ?」
母は私を抱き締めて言った。
「今はあなたの身体を治すことにだけ集中して」
私はコクリと頷いた。
入院生活はつまらないものだった。ユウもこうしてつまらないなんて思ってるんだろうな。
私がお見舞いに行かないからすねてるんじゃないだろうか。
そんなとき、携帯が鳴った。
ユウからのメールだった。
『風邪ひいたってだけど大丈夫か?お腹の子どもは元気なのか?』
私は
『二、三日すればよくなるよ。風邪菌うつしてあげようか』
と返事する。
『オーディション前の喉になんてことを!!』
と返ってきたので少しホッとした。
『ばーか。治るまでお見舞いはお預け』
『ばかじゃないやい』
そんななにげないやり取りの中に悲しい事実があることを、私だけが知っていた。
告知。これが人の生きざまを変えてしまう大きな難題だった。
一歩間違えれば気力をなくしてしまう。
『今日は大腸カメラっていうのをしたよ』
『へえ、どんなの?』
『ケツからカメラいれられて、これなんのプレイ?って感じだった』
こんな感じで、病状はどんどん進みつつある身体を、本人は何も知らずにいた。
――私はこの時ほど自分の無力さを感じたことはなかったよ。