# 第6話 譲れないもの
北丘陵の調査が終わった。
三日間。
杭が増えて。
黒い筋が見つかって。
分からないこともずいぶん増えた。
面白かった。
そして今日は畑だ。
昨日のうちから、やりたいところを決めてある。
こっちも楽しみだ。
そう思っていた。
朝食の席で、父が口を開くまでは。
「今日は町へ行ってくる」
母が顔を上げた。
「買い物?」
「それもあるが、グレゴさんに頼まれてな。北の丘の石を見てもらえる人に、話を聞いてくるんだ」
俺はパンを食べる手を止めた。
北の丘。
石を調べる人。
……それは気になる。
「父さん」
「なんだ?」
「俺も行っていい?」
父がこちらを見る。
「町にか?」
「うん」
「遊びに行くわけじゃないぞ」
「分かってる」
父は少し考えた。
「朝の畑仕事を終わらせてからなら、いいぞ。町で買うものもあるし、荷物運びを手伝ってもらおう」
「分かった」
俺は頷いて立ち上がった。
「じゃあ、準備してくる」
「待て」
「何?」
「まだ朝飯の途中だろ」
「あ。」
父が笑った。
ノアも笑った。
なんだ。
今日は二人ともよく笑うな。
◇
朝食を終えて畑に出ると、湿った土の匂いがした。
昨夜、少しだけ雨が降ったらしい。
鍬を入れる。
ざくっ。
土が柔らかい。
おお。
いい。
もう一度。
ざくっ。
うん。
実にいい。
前世では、一日中モニターの前に座っていた。
仕事も、趣味も、投資も。
気づけば夜。
肩は凝るし、腰は痛い。
それに比べて今はどうだ。
朝から外に出て、身体を動かしている。
風が気持ちいい。
日差しが暖かい。
土の感触もいい。
そして何より。
**自分が耕した場所に、ちゃんと作物が育つ。**
これがたまらない。
「お」
俺は鍬を置いてしゃがんだ。
畝の端。
小さな芽が顔を出していた。
昨日はまだ、なかったはずだ。
「兄ちゃん、見て」
「何?」
「芽が出てる」
ノアが覗き込む。
「ああ、ほんとだな」
「いいなあ」
「何が?」
「ちゃんと育ってる」
「そりゃ、種まいたんだからな」
それはそう。
でも。
そういうことじゃない。
俺は芽を眺めた。
小さい。
まだ葉も頼りない。
それでも、この小さな種が土の下で動き出して、こうして地上に顔を出した。
すごいじゃないか。
「……楽しいなあ」
思わず呟く。
ノアが笑った。
「お前、芽が出るたび喜んでるな」
「何回見ても楽しいよ」
「毎年見てるだろ」
「毎年楽しいんだよ」
ノアはよく分からないという顔をした。
もったいない。
こんなに面白いのに。
前世では、画面の数字が増えるのを見るのが好きだった。
今は、土から芽が出るのを見るのが好きだ。
どっちも面白い。
ただ、こっちは自分で世話をしなきゃ育たない。
それがまたいい。
「レオン」
「何?」
「楽しそうなところ悪いけど、そっちの畝も頼む」
「あ、うん」
そうだった。
今日は町にも行くんだった。
よし。
さっさと終わらせよう。
俺は鍬を握り直した。
ざくっ。
ああ。
やっぱり楽しいな、これ。
◇
朝の畑仕事を終えて、俺たちは町へ向かった。
父が荷馬車を動かし、俺とノアは荷台に乗る。
町へ向かう道は、北丘陵とは反対側にある。
畑の間を抜けていく。
風が気持ちいい。
道の脇には小さな花が咲いていた。
時々、鳥が飛び立つ。
前世では、移動中もずっと携帯を見ていた。
株価。
ニュース。
為替。
海外市場。
一日中、数字ばかり追っていた。
今は。
空を見ている。
それだけで、結構楽しい。
「何笑ってるんだ?」
父が聞いた。
「天気がいいなと思って」
「そうだな」
父も空を見る。
「雨が降らなきゃ助かる」
「畑?」
「ああ。しばらく晴れてくれたらな」
そっか。
俺には気持ちのいい晴れでも。
父には作物の育ち具合が気になる晴れだ。
同じ空を見ても、考えることが違う。
面白い。
「レオン」
ノアが俺を見る。
「今度は何考えてる?」
「天気」
「ほんとに?」
「ほんとに」
「北の丘じゃなくて?」
「違うよ」
ノアが少し黙る。
「……天気のことも考えるんだな」
失礼な兄だ。
俺だって天気くらい考える。
◇
町は、村よりずっと賑やかだった。
店が並び、人が行き交い、荷馬車が何台も止まっている。
パン屋。
布屋。
鍛冶屋。
道具屋。
少し先には、野菜や果物を売る露店が並んでいた。
いい匂いがする。
焼きたてのパン。
肉を焼く匂い。
香草。
そして。
人の声。
「今日は林檎が安いよ!」
「南から届いた麦だ!」
「鉄の釘、まとめて買えば安くするぞ!」
俺は思わず足を止めた。
相場だ。
目の前で。
普通の相場が動いている。
売る人がいる。
買う人がいる。
値段がつく。
値切る人がいる。
断る人がいる。
前世の株式市場とは、ずいぶん違う。
だけど。
根っこは同じだ。
「レオン」
ノアが呼ぶ。
「何?」
「置いてくぞ」
「あ、ごめん」
俺は慌てて追いかけた。
「何見てたんだ?」
「店」
「買いたいものでもあった?」
「いや」
俺は笑った。
「見てるだけで楽しい」
ノアが不思議そうな顔をした。
「……お前、ほんと変わってるな」
それは否定できない。
◇
石工の親方がいるという工房は、町の外れにあった。
大きな石がいくつも積まれている。
壁際には、石を削る道具。
作業場では、男たちが石を叩いていた。
カン。
カン。
乾いた音が響く。
父が声をかける。
「すみません。サイラスさんはいらっしゃいますか?」
奥から、がっしりした男が出てきた。
灰色の髪。
日に焼けた顔。
太い腕。
年齢は、父より少し上だろうか。
「俺だが」
父が事情を説明する。
北丘陵の採掘権。
領主側の調査。
金貨五枚。
十年間。
採掘したものは、すべて領主側の所有になること。
そして、村でも調べてみたいこと。
サイラスは黙って聞いていた。
途中で口を挟まない。
最後まで聞いてから、言った。
「なるほどな」
それだけ。
俺は少し拍子抜けした。
もっと驚くかと思った。
「どうでしょうか」
父が聞く。
「石のことなら、ある程度は分かる」
サイラスが答える。
「ただし、話を聞いただけじゃ何とも言えん」
そりゃそうだ。
「現地を見てもらうことはできますか?」
「できる」
おお。
話が早い。
「ただし、金はかかるぞ」
◇
サイラスは作業台に紙を広げた。
「現地まで行く。石を見る。地盤も確認する。分かったことを書いて渡す」
父が頷く。
「それで、いくらほど?」
「銀貨六枚だな」
俺は少し驚いた。
六枚。
村が領主側から受け取った調査料は七枚。
ほとんどなくなる。
父も少し考え込んだ。
「もう少し安くなりませんか?」
サイラスは首を振った。
「俺も仕事を休んで行くんだ。道具も使うし、日数だってかかる」
まあ、そうだよな。
専門家の時間には値段がある。
前世でも同じだった。
誰かが長年かけて身につけた知識。
それを使うには金がかかる。
「見るだけなら、もう少し安くできるんじゃないですか?」
ノアが聞いた。
俺は少し驚いた。
兄ちゃん。
値切った。
サイラスはノアを見る。
「見るだけならな」
「じゃあ、それで……」
「だが、それでいいのか?」
ノアが首を傾げた。
「どういうことですか?」
「俺が見て、村に帰って『大した石じゃない』と言ったとする」
「はい」
「あとになって、誰かが『そんなはずはない』と言ったら?」
「……」
「俺が何を見て、どう判断したのか。残しておかないと、村の中でも揉めるぞ」
なるほど。
俺は感心した。
ちゃんと考えている。
「それに」
サイラスは続ける。
「俺が言えるのは、石材として使えるかどうかと、見える範囲の地盤のことくらいだ」
父が頷く。
「鉱石なんかは?」
「分からんものは分からん。詳しく調べるなら、別の専門家が必要だ」
いい。
すごくいい。
俺は少し笑った。
「どうした?」
「分かることと分からないこと、ちゃんと分ける人なんだなって」
「それで笑ってたの?」
「うん。いいなと思って」
「変なの」
そうかな。
◇
父はサイラスと詳しい話をした。
調査する場所。
日程。
村までの道。
崩れた斜面があること。
俺はその横で、工房に並ぶ石を眺めていた。
白っぽい石。
赤茶色の石。
灰色の石。
どれも似ているようで、少しずつ違う。
サイラスは父から北丘陵の地形を聞くと、眉を寄せた。
「最近、斜面が崩れた?」
「はい」
「そりゃ、気をつけた方がいいな」
「危険でしょうか」
「現場を見なきゃ分からん。ただ、崩れたところの近くを掘るなら、周りの地面にも影響が出ることがある」
父が頷いた。
「そこは村でも心配していました」
「なら、契約の前に確認した方がいい」
サイラスは淡々と言った。
「石の値打ちだけ見て、あとから畑や道が崩れたんじゃ困るだろ」
父の表情が少し変わった。
そうだ。
この村は農家が多い。
土地がある。
畑がある。
そこに影響が出れば。
金貨五枚どころの話じゃないかもしれない。
もちろん。
北丘陵を掘ったからといって、必ず何かが起きるわけじゃない。
でも。
何が起きる可能性があるのか。
それは知っておきたい。
「お願いします」
父が頭を下げた。
「村に戻って、正式に依頼します」
サイラスが頷いた。
「分かった。返事を待ってる」
◇
工房を出ると、ノアが大きく息を吐いた。
「銀貨六枚かあ」
「高い?」
俺が聞く。
「高いだろ。七枚のうち六枚だぞ」
「そうだね」
「でも、あの人はちゃんと見てくれそうだったな」
俺もそう思う。
ただ。
少し考える。
銀貨六枚を払う。
それで北丘陵の価値が分かるとは限らない。
むしろ。
分からないままかもしれない。
でも。
石材として使えるか。
地盤に危険があるか。
どんな条件なら掘っても問題ないか。
そういう情報は増える。
**金を払っても、必ず答えが買えるわけじゃない。**
それでも、知らないまま契約するよりはいいことがある。
「父さん」
俺は聞いた。
「銀貨六枚って、グレゴ爺さんは出すかな?」
父が笑う。
「さあな」
「高いしね」
「ああ。だが、村の大事な土地だからな」
父は少し考えてから言った。
「誰かが勝手に決めていいことじゃない。みんなで相談だ」
その通り。
俺は頷いた。
◇
町での用事を終えると、父は農具を扱う店に寄った。
頼まれていた道具を買うためだ。
俺とノアは、その間に近くの露店を見ることになった。
「何か食べる?」
ノアが聞く。
「うん」
「何がいい?」
俺は屋台を見回した。
焼いた肉。
甘い菓子。
果物。
どれもおいしそうだ。
「兄ちゃんは?」
「俺は焼き菓子かな」
「じゃあ俺も」
二人で店に向かう。
菓子は一つ銅貨三枚だった。
ノアが二つ買う。
受け取ってから、俺は思った。
「兄ちゃん」
「何?」
「お金、返すよ」
「いいよ。これくらい」
「でも」
「この前、月光草で稼いだだろ?」
ああ。
覚えてたのか。
「うん」
「だったら今度、何かおごって」
なるほど。
俺は頷いた。
「分かった」
前世なら。
今のは貸し借りとして帳簿につけたくなるところだ。
いや。
さすがにつけないか。
兄弟なんだし。
菓子を一口かじる。
甘い。
うまい。
「……おいしいな」
「だろ?」
ノアが笑った。
うん。
こういうのもいい。
前世では、高いものはいくらでも買えた。
でも。
誰かと町を歩いて、焼き菓子を食べる。
それだけで楽しい。
結局。
金は、何に使うかなんだよな。
俺はもう一口食べた。
◇
村へ戻ったのは、日が傾き始めた頃だった。
父は荷馬車を家に置くと、そのままグレゴ爺さんのところへ向かった。
俺とノアも荷物を片づける。
「サイラスさん、来てくれるといいね」
ノアが言った。
「そうだね」
「でも六枚かあ」
「まだ気にしてるの?」
「高いからな」
分かる。
俺だって、自分の金なら慎重になる。
六枚。
決して軽い額じゃない。
「なあ、レオン」
「何?」
「もし調べても何も分からなかったら、損じゃない?」
俺は少し考えた。
「何も分からないって分かるかもしれないよ」
「……それ、金払う意味ある?」
「うーん」
難しい。
確かに。
何も分からないという結果だけなら、高い。
でも。
調べたことで、何が分からないのかがはっきりする場合もある。
そこから次に何をすればいいか決まることもある。
……なんて説明したら。
兄ちゃんは、たぶん面倒くさそうな顔をする。
「まあ、六枚が高いか安いかも、あとで分かるんじゃない?」
俺はそう答えた。
ノアが笑う。
「結局、分かんないのかよ」
「うん」
「そこは即答なんだな」
何も否定できない。
◇
夕食の少し前。
父が戻ってきた。
「どうだった?」
母が聞く。
父が椅子に腰かける。
「グレゴさんは、サイラスさんに頼むつもりらしい」
おお。
よかった。
「銀貨六枚、出すの?」
ノアが聞く。
「ああ。ただ、村の大事な金だから、他の家長にも確認するそうだ」
ちゃんとしている。
いい村だ。
そう思った。
そのとき。
家の外で声がした。
「おーい!」
父が立ち上がる。
戸を開けると、近所の男が立っていた。
「グレゴさんからだ。明日の朝、家長たちに集まってほしいって」
「何かあったのか?」
「ああ」
男は少し声を落とした。
「領主側から、また知らせが来たらしい」
俺は顔を上げた。
早い。
ずいぶん早いな。
「何だって?」
父が聞く。
「条件を変えてきたそうだ」
◇
翌朝。
父は集会小屋へ向かった。
俺は畑にいた。
ノアも一緒だ。
昨日、町へ行った分もある。
今日はちゃんと働く。
ざくっ。
ざくっ。
気持ちいい。
今日は畑の奥の方を耕す。
以前から、少し土が固い場所があった。
そこをほぐしてやる。
ざくっ。
おお。
よく入る。
昨日の雨のおかげかもしれない。
俺は鍬を持ち直した。
ざくっ。
ざくっ。
うん。
いい。
身体を動かすのは楽しい。
ただ耕しているだけなのに、目に見えて畑が整っていく。
これがまた、たまらない。
「レオン」
ノアが呼んだ。
「何?」
「気になる?」
「何が?」
「新しい条件」
「ああ」
俺は鍬を止めた。
そういえば、父さんたちは今ごろ話し合っているんだっけ。
「ちょっとね」
「ちょっと?」
「……結構」
ノアが笑った。
「だと思った」
俺も笑う。
正直な方が楽なときもある。
でも。
今すぐ聞きに行こうとは思わなかった。
父さんが帰ってきたら分かる。
それまでは畑仕事を楽しめばいい。
せっかく土の状態がいいんだから。
「兄ちゃん」
「何?」
「今日はここまで耕そうかな」
「お、やる気あるな」
「うん。いい感じなんだよ、今日の土」
ノアが足元を見る。
「……土にまで機嫌のいい日ってあるのか?」
「あるよ」
「ほんとか?」
「俺には分かる」
「何だそれ」
俺は笑った。
まあ、そういうことにしておこう。
◇
しばらくして。
俺は畑の端で草を抜いていた。
土を払う。
次。
また抜く。
日差しが暖かい。
風が涼しい。
いいなあ。
こういう時間。
北丘陵のことも、もちろん気になる。
でも。
今、目の前にあるのは畑だ。
だったら畑を楽しめばいい。
そんなことを考えながら、次の草に手を伸ばした。
「レオン」
ノアが呼ぶ。
「何?」
「それ、抜いていいと思う?」
俺は手元を見る。
細い葉。
少し独特な匂い。
……ん?
「これ、何だっけ」
ノアが呆れた顔をした。
「母さんが育ててる香草」
「……」
俺はそっと土を戻した。
「もう抜いたよな?」
「……まだ間に合うかもしれない」
「何が?」
「成長」
「無理だろ」
厳しい。
兄というのは。
実に厳しい。
◇
昼を過ぎて、父が帰ってきた。
表情は悪くない。
怒ってもいない。
ただ、少し考え込んでいるようだった。
「どうなった?」
ノアが聞く。
父は水を飲んでから言った。
「領主側が、新しい案を出してきた」
俺は手を止めた。
「金貨が増えた?」
「いや」
父は首を振る。
「金貨五枚のままだ」
なるほど。
値段は変わらない。
「じゃあ、何が変わったの?」
ノアが聞いた。
「期間だ」
「期間?」
「ああ」
父が答える。
「最初は十年間だっただろ。それを、五年間に短くしてもいいそうだ」
……へえ。
俺は少し驚いた。
五年。
半分だ。
同じ金額で。
それは村にとって、悪くない条件変更だと思う。
期間が短くなれば、それだけ将来の自由が残る。
「それならいいじゃん」
ノアが言った。
「五年で金貨五枚なんだろ?」
「そうだな」
父も頷く。
「そう考える人もいた」
「でも?」
「グレゴさんが、もう一つ聞いたんだ」
「何を?」
父はパンを一口食べた。
「石だけの採掘権にできないかって」
俺は黙った。
そこだ。
それが一番気になっていた。
「そしたら?」
ノアが聞く。
「それは難しいと言われた」
父は続ける。
「向こうが欲しいのは、やっぱり採掘権そのものらしい」
俺は少し考えた。
金貨五枚。
十年から五年へ。
期間は譲れる。
でも。
採掘物の所有権は譲れない。
「レオン?」
ノアに呼ばれた。
「何?」
「笑ってる」
「あ、ごめん」
「いや、別にいいけど」
父が不思議そうに聞く。
「何か面白いのか?」
「うん。十年を五年にしてもいいのに、石だけにはできないんだなって」
父は少し考えた。
「確かに、そこは譲らなかったな」
「うん」
ノアが俺を見る。
「でも、結局何を掘りたいんだ?」
「それはまだ分からない」
「一番大事なところだろ」
本当にな。
けれど、少なくとも相手が何を優先しているかは見えてきた。
前世でも、取引相手がなかなか譲らない条件には理由があった。
値段なのか。
数量なのか。
期限なのか。
それとも、売買する物そのものなのか。
相手のこだわる場所が分かれば、次にどこを調べればいいのかも見えてくる。
今回、領主側は期間を譲った。
それでも、採掘物の範囲は譲らなかった。
**何を採れるか。**
そこが今回の交渉の焦点なのかもしれない。
……面白い。
ただ。
今すぐ何かできるわけじゃない。
村は自分たちでも調べることになっている。
だったら。
その結果を待てばいい。
俺は水を飲んだ。
冷たくて、うまい。
さて。
午後も畑をやろう。
◇
その日の夕方。
グレゴ爺さんが父を訪ねてきた。
町の石工について、もう一度確認したかったらしい。
父はサイラスの話をした。
石材の品質。
地盤の状態。
調査の費用。
そして、すべての鉱物を鑑定できるわけではないこと。
爺さんは頷きながら聞いていた。
「そうか。何でも分かるわけではないんじゃな」
「はい」
「それでも、わしらが知らんことは分かるかもしれん」
「そう思います」
グレゴ爺さんは少し笑った。
「なら、頼んでみようかの」
父が頷いた。
「家長たちも賛成してくれましたから」
決まったらしい。
銀貨六枚。
村は、自分たちのために使う。
俺は少し嬉しくなった。
「グレゴ爺さん」
思わず声をかける。
「なんじゃ、レオン」
「石が普通の石だったら、どうするの?」
爺さんが笑う。
「普通の石なら、それはそれでええじゃろ」
「そうなの?」
「石が取れると分かれば、それも一つの答えじゃ」
なるほど。
「じゃがな」
爺さんは北丘陵の方角を見る。
「わしが一番気にしておるのは、別のことじゃ」
「別のこと?」
「わしらが、あの丘のことをよく知らんまま話を進めとることじゃよ」
俺は黙った。
「長く住んでおるから、何でも知っとる気になる」
爺さんは笑う。
「でも、案外知らんことも多いもんじゃな」
そうだな。
本当に。
俺は頷いた。
◇
夜。
ノアと並んで布団に入った。
この二日間はよく動いた。
町にも行った。
畑も気持ちよく耕せた。
北丘陵の話も少し進んだ。
うん。
なかなかいい二日間だった。
「レオン」
隣から声がする。
「何?」
「明日は何する?」
「畑」
「また?」
「毎日やってるだろ」
「いや、そうだけど」
ノアが笑う。
「最近、北の丘ばっかりだったからさ」
「ああ」
確かに。
「でも明日は畑だよ」
「ほんとに?」
「ほんとに」
少し間。
「北の丘に行く予定は?」
「今のところないよ」
「今のところ?」
「予定は変わるから」
「便利な言葉だな」
確かに。
俺は布団の中で笑った。
「兄ちゃん」
「何?」
「もし金貨五枚もらったら、何買う?」
「村の金だろ?」
「もし自分のだったら」
ノアは少し考えた。
「いい鍬かな」
「鍬?」
「ああ。あと、荷馬車も欲しい」
なるほど。
実用的だ。
「レオンは?」
俺は少し考えた。
前世なら。
もっと増やす。
そう答えただろう。
新しい株を買う。
別の投資先を探す。
資産を増やす。
でも今は。
「……広い畑かな」
「また畑?」
「うん」
ノアが笑った。
「お前、ほんと畑好きだな」
「好きだよ」
これは本当だ。
昨日の朝、あの小さな芽を見つけたときのことを思い出す。
たった一つ芽が出ただけで、あんなに嬉しい。
広い畑があったら、どれだけ楽しめるだろう。
いろんな作物を育ててみたい。
何がよく育つのか。
何が売れるのか。
この土地では何が向いているのか。
試してみたいことが山ほどある。
……まあ。
そのうち商売に使いたくなるかもしれないけど。
それはそれで楽しそうだ。
「兄ちゃん」
「何?」
「畑が倍になったら、楽しそうだよね」
ノアが少し考えた。
「仕事増えるのに?」
「……でも、育てられるものも増えるでしょ」
「まあな」
「じゃあ楽しそう」
ノアが笑い出した。
「もう好きにしろよ」
うん。
そうする。
◇
「おやすみ」
ノアが言った。
「おやすみ」
俺は目を閉じた。
北丘陵のことは、もちろん気になる。
使者が何を考えているのか。
黒い筋の正体は何なのか。
まだ分からないことばかりだ。
でも。
村はサイラスに調査を頼むことになった。
俺が今できることは、特にない。
なら。
今日はもう終わりだ。
前世では、株価が気になって、寝る前まで画面を眺めていた。
明日上がるか。
下がるか。
今売った方がいいか。
そんなことばかり考えていた。
でも今は。
明日の畑も楽しみだ。
サイラスが来るのも楽しみだ。
昼飯だって楽しみだ。
考えてみれば、楽しみなことばかりじゃないか。
……いい人生だなあ。
俺は布団を引き上げた。
「レオン」
隣から声がした。
「何?」
「また笑ってる?」
「うん」
「今度は何?」
「明日のこと」
ノアが小さく笑った。
「そんなに楽しみか?」
「うん。結構」
「そっか」
それだけ言って、兄ちゃんは寝返りを打った。
俺も目を閉じる。
北丘陵の相場は、まだ動いている。
でも、慌てる必要はない。
**相場は逃げない。**
……たぶん。
まあ、逃げたら逃げたで。
明日は畑がある。
俺は満足して眠りについた。




