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第40話: 限界の淵での出会い

足元で雪が砕け散る。


速い。だが乱れている。洗練された気配などまるでない。


ケイリス・ヴェイラの動きは、もはやいつもの彼ではなかった。


軽やかさもなければ、


冷静さも失われていた。


ただひたすらに走る。


そして背後には、


何かが…… 絶え間なく追い続けていた。


ドクン。


化け物が一歩踏み込むごとに、地面が大きく割れる。


息遣いもなければ、


うなり声もない。


だがその存在だけが、


嵐よりも重く、辺りを圧倒していた。


ケイリスはちらりと背後を伺う。


三つの頭。


空虚な瞳が三組。


依然としてすぐそこにいる。


速度を緩める気配すらない。


「……常識では考えられない……」


さらに速度を上げる。


風が体を押し、支えようとする。


だが、


その風も次第に不安定になっていく。


力弱く、


乱れきっていた。


「……俺は……疲れているのか?」


その考えは、彼にとって異質なものだった。


今まで、


自分が力尽きるなどということは、一度もなかった。


なのに今、


胸の奥が鉛のように重く、


呼吸も荒く乱れ始めている。


「……この調子では……」


瞳を細める。


「……この場所から逃げ出す前に、命を落とすことになる」


背後で、


ケルベロスの三つの頭のうち一つが、さらに素早く動き出す。


進路を、


まっすぐ彼の走る道へと合わせてくる。


「……っ!」


ケイリスは即座に進路を変える。


だが、


化け物はまったく惑わされない。


「……俺の動きを読んでいるのか……」


二つ目の頭が動き、


別の退路をふさぐように回り込む。


「……これは単なる本能じゃない……」


「……戦略的だ」


ケイリスの足がぴたりと止まる。


望んで止まったわけではない。


そうするしか、


逃げる場所が完全になくなったからだ。


周囲の雪がひび割れ、


無数の亀裂が広がる。


ケルベロスも動きを止め、


ゆっくりと向き直る。


三つの頭が、


それぞれ異なる方向から、


彼の逃げ道を完全に封じた。


静寂が辺りを包む。


ケイリスは大きく息を吸い込む。


「……わかった」


ゆっくりと手を上げる。


周囲の風が渦を巻き始める。


今までよりも激しく、


鋭さを増して。


「このまま逃げ続ければ……」


「……俺は死ぬ」


その瞳の色が変わる。


冷たく、


一点に集中した光を宿す。


「ならば……」


「……この場で耐えてみせる」


風が爆発するように吹き荒れる。


ゴウッ!


小さな嵐が彼を中心に発生し、


雪を舞い上げ、


鋭い空気の刃が回り始める。


ケルベロスが襲いかかる。


超速の動き。


だが今度は、


ケイリスは備えていた。


風の刃が、化け物の体に次々と命中する。


力を込め、


さらに深く切り裂こうとする。


だが、


化け物はただ半歩、後ろによろめいただけだった。


「……まだ足りないのか……」


一つの頭が牙を剥いて襲う。


ケイリスはそれをかわすが、


横合いから二つ目の頭が迫る。


「……っ!」


体を捻らせて回避しようとするも、


わずかに遅れた。


鋭い牙が、


彼の肩に触れる。


パキッ!


強い衝撃で体が弾き飛ばされ、


地面に叩きつけられる。


雪が砕け散り、


一瞬だけ呼吸が止まる。


「……ぐっ」


傷口から血がにじみ出す。


なんとか立ち上がるが、


その動きは先ほどよりも明らかに遅い。


ケルベロスは容赦なく、


今度は飛びかかるように襲う。


狙いは、


まっすぐ首元。


「……これで終わりだ……」


次の瞬間、


時間が止まったかのように世界が凍りつく。


だがその時——


ドオオオンッ!


側面から爆発が巻き起こる。


炎。


そして雷。


二つの力が同時にケルベロスの体を直撃し、


巨大な体が数メートルも吹き飛ばされる。


ケイリスは呆然とする。


「……いったい……」


舞い上がった雪と煙が晴れ、


そこには二つの人影が立っていた。


シラヌイ・アキハラ


そして、


リオラ・ライゼン。


リオラは前だけを見据えたまま言った。


「……あれが標的ね」


アキハラは短く息をつく。


「……想像していたよりも、はるかに悪夢的だ」


ケイリスはゆっくりと立ち上がり、


依然として警戒心を解かずに問う。


「……お前たちは何者だ?」


リオラは振り返りもせずに答える。


「……敵じゃない」


アキハラが無感情に続ける。


「……これ以上話し込んでいたら……」


「……俺たち全員死ぬぞ」


わずかな静寂。


だがその言葉は、理にかなっていた。


ケイリスはゆっくりと頷く。


「……そうだな」


ケルベロスが再び起き上がる。


体中に無数の亀裂が走っていたが、


その傷はみるみるうちに塞がっていく。


「……まさか……回復しているのか?」


リオラが眉をひそめる。


「……ますます厄介な代物ね」


アキハラが一歩前に踏み出す。


「……魔力が存在しない」


「……常識的なやり方は通用しないと思え」


ケイリスは二人をまっすぐ見る。


「……お前たちも、あれが普通の生き物じゃないと感じたのか?」


アキハラが頷く。


「……あれは怪物なんかじゃない」


「……ただの『道具』だ」


ケルベロスが再び動き出す。


さらに速度を上げ、


凶暴さを増して迫る。


三つの頭が同時に襲いかかる。


リオラが高く跳躍し、


雷が炸裂する。


アキハラが炎をまとって斬りかかり、


ケイリスが渾身の風を解き放つ。


三つの異なる力が、一つの化け物にぶつかり合う。


地面が裂け、


空気が震える。


だがケルベロスは、


それでもなお立ち続けていた。


「……正気の沙汰じゃない……」


ケイリスは歯を食いしばる。


「……これほどの相手は、今までに経験がない……」


リオラが薄く笑う。


「……奇遇だね」


「……私たちも同じだ」


アキハラが最前線に立ち、


鋭い眼光を放つ。


「……死ぬなよ」


リオラが即座に応じる。


「……お前が最初に死にそうなくせに」


ケイリスは二人の背中を見つめる。


生まれて初めて、


自分は一人ではないのだと感じた。


「……こんな戦い方は、俺にはわからない……」


アキハラは前を向いたまま、


手の中の炎がさらに激しく燃え上がる。


「……ならば今すぐ……」


「……学べばいい」


ケルベロスが咆哮する。


声なき咆哮。


だがその震動だけが、


地面の全てを揺るがした。


次の瞬間、


化け物は三人めがけて跳躍する。


三人の魔術師が、それぞれの力を解き放つ準備を整える。


炎。


雷。


風。


全てが一点に集束し、


世界全体が、


まるで息を呑むかのように静まり返った。

「次回更新: 5月 13日 20:20」

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