第36話: 沈むことを拒む火、水、雷
アクアリス・ルミナラの上空が、震えていた。
嵐のせいではない。
それは――破滅を食い止めるために訪れた、二つの力によるものだ。
ドオーンッ!!
紅蓮の炎が大通りを真っ二つに切り裂く。
熱波が混乱する群衆を呑み込むように襲うが、誰一人として傷つけることはない。
ただ――その場に立ち止まらせるだけの力。
その瞬間、同時に――
バリッ!!
稲妻が天から降り注ぐ。
争い合う人々の真ん中の地面へと、鋭い閃光が突き刺さる。
その白い光に驚き、人々は思わず後ずさる。
一瞬だけ――
混沌とした空気が、凪いだ。
ひび割れた道の真ん中に、二つの影が佇んでいた。
シラヌイ・アキハラ。
そして――
リオラ・ライゼン。
二人の呼吸は整いきっており、その瞳には鋭い決意が宿っていた。
彼らの正面には――
ヴァイアが、悠然と立っていた。
その瞳は値踏みするように二人を眺め、口元には薄い笑みが浮かんでいる。
「…やっと来たか」
アキハラが一歩、前に踏み出す。
「壊すにはもってこいの街だな」
リオラが手をかざすと、その周りを小さな稲妻が踊り始めた。
「全部、あんたの仕業なの?」
ヴァイアがゆっくりと首を傾げる。
「私はただ…元々そこにあったものを、開いて見せただけだ」
視線と視線がぶつかり合い、辺りの空気が一気に重く、張り詰めたものへと変わる。
その背後で、セイラがゆっくりと顔を上げる。
体はまだ微かに震えていたが――
その瞳は、しっかりと眼前の姿を捉えていた。
「…リオラ…?」
セイラ・ルネは、何とか立ち上がろうと体を起こす。
信じられない、といった表情でその姿を見つめながら、彼女は口にする。
「…お前が…」
リオラがチラリと彼女の方へ視線を送り、薄く笑う。
「生きてたみたいね。良かった」
たったそれだけの言葉。
だが、それで十分だった。
セイラは大きく息をつき、胸の中にあった重りが少しだけ消えるのを感じる。
次に、彼女の視線はアキハラへと移る。
そして、その体が硬直する。
この圧倒的な気配は――
「…あなたは…誰…?」
リオラが短く答える。
「アキラ」
セイラは眉根を寄せる。
「…アキラ…」
だが――
何かが引っかかる。
どこか懐かしい、そんな感覚が心をかすめる。
「アキハラ…」
頭の中に、その名前が浮かぶ。
だが彼女はすぐに首を横に振る。
「…いいえ、まさか…」
前方で、ヴァイアが笑みを深める。
「…話は済んだかな?」
アキハラがゆっくりと息を吐く。
「…ああ」
そして合図もなく、彼は地面を蹴った。
手のひらに、炎が激しく燃え上がる。
ゴウッ!!
最初の一撃が、ヴァイアへと襲い掛かる。
だがヴァイアは、身を躱そうともしない。
その体は、まるで影のように――スッと横へとずれる。
攻撃は、虚しく彼の姿を通り抜け、何もない空間を焼いた。
「…遅いな」
ヴァイアの声が、いつの間にか背後から響く。
既に動いていたのはリオラだ。
バリバリッ!!
稲妻が閃光となって、声のする方向へと撃ち出される。
だが――
それもまた、空を切るだけだった。
「集中しろ」
アキハラの冷静な声が響く。
リオラが眉をひそめる。
「…あいつ、正面から倒せる相手じゃないみたい…」
二人の周囲では、人々の混乱がまだ続いていた。
叫び声、押し合い、そして渦巻く憎しみの感情。
セイラは再び歯を食いしばる。
「…駄目だ…」
「…私はもう、倒れたりしない…」
彼女は両手を高く掲げる。
街全体を包む水たちが、ゆっくりと動き出す。
ゆっくりと――だが、確かに安定した力強さを持って。
大きな水の壁が次々と生まれ、争う人々の間に境界線を作り出す。
彼らを隔て、押さえつけ、混乱の拡大を防ぐ。
アキハラが一瞬だけ彼女の方を見て、小さく言う。
「…いいぞ」
ヴァイアはその光景をじっと見つめていた。
「…また立ち上がったか…」
「…期待外れだな」
彼の瞳が細められ、次の瞬間――
声が、直接頭の中に響き渡る。
「…お前には、足りない…」
リオラの意識が、その言葉に捕らわれる。
体が凍りつく。
「…なに…?」
「…彼は、最初からお前など選んでいない…」
その声は、心の奥深くへと突き刺さる。
心臓の鼓動が一気に速くなり、手の稲妻が暴れ出す。
「…黙れ…」
アキハラはすぐに異変に気づいた。
「リオラ」
落ち着いた声で、彼女の名前を呼ぶ。
「…集中しろ」
リオラは大きく息を吸い込む。
「…分かってる…」
一度、固く目を閉じ、そしてゆっくりと開く。
荒れていた稲妻が、再びその輝きを取り戻す。
「…私の心に、干渉しないで」
その頃、アキハラも同じような感覚を受けていた。
「…お前は失敗する…」
「…誰一人として、守ることなど出来ない…」
過去の幻影。
敗北の記憶。
失ったものたちの姿が、次々と浮かんでは消える。
だが――
彼はただ、鼻で笑うように息をついた。
「…そんな言葉、今更だ」
手の炎が、更に激しく、大きく燃え上がる。
「…今度は…俺の番だ」
再び、彼は閃くように駆け出す。
先ほどよりも速く、そして重い一撃を込めて。
今度の炎は、ただ攻撃するだけではない。
ヴァイアの周囲の空間そのものを、押し包み、狭めていく。
初めて――
ヴァイアが一歩、後ろへと退いた。
「…ほう?」
その笑みが、少しだけ変わる。
「…面白くなってきた」
リオラが続く。
稲妻が横合いから襲い掛かる。
前と横からの同時攻撃。
挟み撃ち。
ヴァイアは巧みに躱し続けるが――
その動きには、次第に余裕がなくなっていく。
後方ではセイラが力を注ぎ続ける。
水が圧力の壁となり、逃げ場を塞ぐ。
空間そのものを、閉じ込めるように。
この瞬間、初めて――
一つの陣形が完成する。
炎。
稲妻。
水。
ヴァイアはその中心に立ち、ゆっくりと言った。
「…三人がかりとは…」
「…羨ましくなるな」
だが、彼はまったく慌てていない。
逆に、楽しそうに笑みを浮かべる。
「…だが、これではつまらない」
アキハラが手を高く掲げる。
炎が一点に集約され、巨大で密度の濃い塊となる。
辺りの空気が、焼けつくように熱くなる。
リオラが少しだけ後ろに下がる。
「…本気出す気?」
アキハラは答えない。
ただ、その瞳は一点だけを見据えている。
「…終わりにする」
彼は、その炎を解き放った。
ドゴオオーンッ!!!
閃光が辺り一面を覆い、爆風が空気そのものを揺らす。
灼熱の圧力が、ヴァイアへと襲い掛かる。
ヴァイアはその光の中で、じっとアキハラを見つめていた。
ほんの一瞬――
その口元の笑みが、消える。
「…ここまでとは…」
彼の体が、ゆっくりと透け始める。
「…ゆっくりと遊んでいられそうにないな」
そして――
彼の姿は、完全に掻き消えた。
その瞬間。
全ての音が、ぴたりと止んだ。
さっきまでの混乱も――
怒号も――
消え去っている。
人々は静まり返り、荒い息遣いだけが辺りに響く。
その瞳には力がなく――
やがて、ゆっくりと正気を取り戻していく。
「…何が起きたんだ…?」
「…俺は…さっきまで…」
混乱と疑問が、人々の間に広がる。
セイラはくらつきながらも、体を支える。
「…これで、終わったの…?」
アキハラが手を下ろす。
炎は既に消えていた。
「…今のところはな」
リオラが長く息をつき、肩を落とす。
「…もう、最悪…」
彼女はセイラの方を向く。
「まだ立っていられる?」
セイラがゆっくりと頷く。
「…ありがとう…」
彼女は二人の姿を交互に見つめ、それから――
尋ねた。
「…二人は…」
「…どういう関係なの?」
沈黙が流れる。
リオラの体が硬直する。
「…えっと…」
彼女の頬が、一気に真っ赤に染まる。
「…私たちは――」
チラリとアキハラを横目で見て、彼女は勢いよく言い放った。
「…付き合ってるの!」
アキハラがパチパチと瞬きをする。
「…はあ?」
リオラがすぐに頬を膨らませ、彼を睨む。
「…黙ってなさい!」
セイラはそんな二人を見つめ、やがて小さく微笑む。
「…そうだったの…」
だが、すぐに彼女の視線は再びアキハラへと戻る。
その表情が、真剣なものへと変わる。
「…アキラ…」
「…あなたは…」
その先の言葉は、口に出せなかった。
だが、あの感覚だけは――
確かにそこに残っている。
懐かしさ。
それは、あまりにも強く。
一方その頃。
暗闇の中で、ヴァイアは佇んでいた。
自らの胸元に手を当て、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「…炎…」
「…稲妻…」
「…そして水…」
彼の瞳が、闇の中でゆっくりと輝き始める。
「…実に面白い」
再び、例の笑みが浮かぶ。
「…もっと、もっと見せてもらおうか」
暗闇が彼の姿を完全に包み込み
この、彼との「遊び」は
まだ、何も終わっていなかった。
「次回更新: 5月 9日 20:20」




