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第12話:マナを持たない影

日の村の里の図書館から、二人の人物がゆっくりと歩き出す。


夕暮れの風は心地よく冷たく、太陽は西へと傾き始め、小さな村全体を穏やかな黄金色に染め上げていた。


だが、彼らの心までが穏やかではなかった。


不知火アキハラが先を歩き、リオラ・ライゼンが数歩遅れてついて行く。


二人は無言だった。


彼らの思考は、ただ一つの事柄に囚われていた。


その名前。


レイラー・ゼルナルダ。


そして、この世から既にいなくなったはずの存在。


アルギエル・ルシファーのことだ。


ようやくアキハラが沈黙を破った。


「この村では、あまり目立つような歩き方はするな」


リオラがわずかに眉をひそめる。


「どういう意味だ?」


アキハラは振り返らずに答える。


「ここの住民たちは…俺をただの『アキラ』としか知らない」


リオラの足がぴたりと止まった。


夕風が銀色の髪をなびかせる。


「…アキラ?」


声のトーンが変わった。


鋭く、そしてどこか深みを帯びている。


アキハラも足を止めた。


だが、背中を向けたまま。


数秒の沈黙。


するとリオラは、かすかに口元を上げた。


それは暖かい笑みではない。


まるで何かを見つけ出した者の、確信に満ちた笑みだった。


「なるほど、そうやって身を隠していたのか」


アキハラは黙ったままだ。


リオラがゆっくりと近づいてくる。


「ソルヴァリア王国では、お前の行方を国中で探している」


彼のすぐ横まで来て、足を止める。


「皆、炎の大師範が忽然と姿を消したと思っている」


彼女は横からアキハラの横顔を見つめる。


「…あるいは、死んだ、とな」


風が強く吹き抜ける。


だがアキハラは表情一つ変えず、静かに立っていた。


「…俺はただ、平穏に生きたいだけだ」


短い言葉だったが、その声は重く響いた。


リオラは彼をしばらく見つめ、それから小さくため息をついた。


「…本当に馬鹿ね…」


だが声のトーンは、先ほどよりも柔らかくなっていた。


二人は再び歩き出した。


小さな家に着くと、空気はまた変わった。


より軽やかで、どこか親密な雰囲気に。


家の中では、ノアが木の床に座っていた。


小さな赤ん坊は、何もない空気を掴もうとしながら、可愛らしい声を上げている。


「…ばぅ…」


アキハラはすぐに近づき、彼を抱き上げた。


リオラは入り口付近に立ったまま、その様子を黙って見つめていた。


彼女の表情が、徐々に変わっていく。


一歩、また一歩と近づく。


「その子は…」


アキハラが振り向く。


リオラの視線は、真っ直ぐに赤ん坊に注がれていた。


「本当は、誰なの?」


アキハラはあっさりと答える。


「家の裏で見つけたんだ」


あまりにも単純で、軽い答えだった。


リオラは納得していない様子で、目つきが鋭くなる。


「冗談を言うな」


「なんで冗談なんだ?」


アキハラが不思議そうに問い返す。


リオラがさらに一歩詰め寄り、今度はアキハラの瞳をじっと見つめた。


「まさか…」


声が低くなる。


ゆっくりと、だが確実に圧力を帯びて。


「…他の女との間にできた子供だ、なんて言わせないわよ」


時間が止まったかのようだった。


アキハラは凍りつく。


「…は?」


「答えなさい」


リオラの声は冷たい。


だが、彼女の頬は…わずかに紅潮していた。


アキハラは慌てて手を振る。


「違う!そうじゃない!」


「本当に家の裏の藪の中に捨てられてたんだ!」


リオラはまだ疑うように彼を見つめていたが、数秒後。


「…フン。」


彼女は顔を背けた。


「わかったわ。」


だが心臓の鼓動はまだ治まっていない様子だった。


その間、ノアはくすくすと笑っている。


まるでこの状況を楽しんでいるかのように。


夜がゆっくりと訪れる。


日の丸の里は再び静けさに包まれ、家々に明かりが灯り始めた。


遠くからは村民たちの笑い声も聞こえてくる。


すべてが平凡で、平和な光景だった。


あまりにも平凡すぎるほどに。


だがその時――


「キャーーーッ!!」


悲鳴が夜の静寂を切り裂いた。


アキハラが椅子から立ち上がり、リオラも即座に身構える。


二人は目配せ一つするだけで、言葉は不要だった。


そして家の外へと走り出した。


村の中央広場では…


住民たちが恐怖に駆られて逃げ惑っていた。


一人の女性が地面に倒れ、その前には三体の小さな影が立っていた。


ゴブリンだ。


だが、何かがおかしい。


肌は異常なまでに黒ずみ、


瞳は虚ろで、


そこに生気の光は全く宿っていなかった。


リオラが一歩前に出る。


「皆さん、下がって!」


住民たちが後ずさる。


アキハラは後ろから、静かに状況を見守っていた。


リオラが手をかざす。


指先には小さな電光が走る。


だが、力は抑えなければならない。


ここで正体を明かすわけにはいかないのだ。


一体のゴブリンが飛びかかってきた。


リオラが動く。


速い。


あまりにも速い。


容易く回避し、


そして――


バキッ!


一撃。


ゴブリンは地面に叩きつけられた。


リオラは止まらない。


残りの二体が同時に襲いかかる。


彼女の動きはまるで稲妻のように滑らかで、


無駄がなく、


正確だった。


数秒後、


三体すべてが地に伏した。


沈黙。


だが…


何も出てこない。


魔核もなければ、


魔力の残滓すら感じられない。


ゴブリンの体は…ひび割れ、


そして


砕け散った。


黒い灰となって、


風に舞って消えていく。


リオラはその場に凍りついた。


目が見開かれる。


「…そんな…馬鹿な…」


一歩、後ずさる。


これはおかしい。


あり得ないことだ。


この世界の生き物は皆、


魔力を持っている。


それが世界のことわりだった。


なのに、こいつらは…


完全なる虚無だった。


アキハラも異変に気づき、表情が一変して真剣になる。


「リオラ!」


「すごいわ!お姉さん!」


「助けてくれてありがとう!」


住民たちの歓声が上がる。


リオラはまだ呆然と立っていたが、人々が喜びながら集まってくる。


すると一人の老婆が、にっこりと笑って言った。


「あらあら、ご主人はどこかしら?アキラさん!」


一斉に視線が集まる。


一瞬の沈黙。


リオラの顔が、一気に真っ赤になった。


「…え?」


「だって二人とも、まるで夫婦みたいじゃないか!」


「可愛い赤ちゃんもいるしねぇ!」


リオラは思考が停止し、口をパクパクさせるだけだった。


「…えっと…わ、私は…」


そして次の瞬間。


彼女はくるりと背中を向け、


一目散に走り出した。


「先行ってる!!」


風を切る音と共に、人混みの中から姿を消した。


ガラッ!


家の扉が乱暴に開けられた。


息を切らしながらリオラが飛び込んでくる。


「アキハラ!」


ノアを抱いていたアキハラが振り向く。


「どうした?」


リオラは真剣な面持ちで彼を見た。


「さっきのゴブリン…」


一度、大きく息を吸う。


「…あいつら、魔力を持ってなかった」


アキハラの動きが完全に止まった。


空気が、一気に張り詰める。


「そんなこと…ありえない」


「私が自分の目で見たの!」


リオラの声は強い。


「体は灰になって消えたわ。魔核なんて、一つもなかった」


アキハラは眉をひそめる。


これは単なる異常事態などではない。


この世界の根幹を揺るがす、危機の兆しかもしれないのだ。


「それだけじゃないわ」


リオラは西の方角を見つめる。


壁の向こう側、闇の彼方へと。


「何かが…あそこにいる」


「どういう意味だ?」


「膨大なエネルギーを感じるの」


声は小さいが、重く響く。


「想像を絶するほどの…」


彼女は唾を飲み込む。


「…それに、地面の下から来ているわ」


沈黙。


アキハラはすぐには答えなかった。


だが彼の表情は、極限まで硬くなっていた。


「魔王は…死んだはずだ」


ゆっくりと、自分自身に言い聞かせるように言葉が紡がれる。


「俺が確かに、消し去った」


リオラはすぐに否定はしなかった。


だが、低い声で囁く。


「…もし、違っていたら?」


アキハラが彼女を見る。


「もし…あの男が、一人じゃなかったとしたら…?」


夜風が一層冷たくなったように感じる。


「…奥さんが、いたとしたら…」


彼女の頬が再びわずかに染まる。


だが今回は照れからではない。


言葉にできない、胸の奥のざわめきからだった。


アキハラの脳裏に、一つの名前が浮かぶ。


レイラー・ゼルナルダ。


バラバラだったピースが、一つに繋がり始める。


だがそれは同時に、最悪の未来を描き始めていた。


――地の底より。


遥か、遥か彼方。


光一つ届かない深淵の底。


濃密な闇がすべてを覆っていた。


だがその闇の中心で…


何かが起きていた。


ヒビが入る。


ゆっくりと、確実に。


まるで生き物の鼓動のように。


蠢くように。


黒き気配が周囲に染み渡る。


冷たく、重く。


そして、その奥底から。


一つの声が漏れた。


かすかで、ほとんど聞き取れないほどの声が。


「…めざめ…よ…」


続いて、


別の声が響いた。


より柔らかく、


だがそれゆえに、最も恐ろしい声が。


「…アルギエル…」


漆黒の闇が、ゆっくりと、動き始めた。

「次回更新: 4月 15日 20:20」

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