第一章 後編 「魔族」
「な、何だこいつ...!?」
ケーベストが短剣を構えながら退く。現れた怪物からは、肌に刺さるくらいの殺気を感じた。とても近くにはいられない。
「レイナ...? レイナ、どうしたの!?」
アスリィが叫ぶ。彼女の横に立つ黄金色の髪を持つ少女は、血の気の失せた青い顔を浮かべ、その唇は微かに震えていた。
「お、おい、レイナ...?」
「みんな...逃げて...!」
マークが背後に向け声をかけた直後、レイナが悲痛なまでの声を絞り出した。
「あれは...魔族...」
「ま、魔族...だと...?」
セイザンの顔が強ばる。その言葉が真実だとすれば、目の前の存在は恐ろしく強大な敵である。
魔族。それは1000年前、竜と大いなる戦いを繰り広げた魔王に付き従った眷族たちのこと。大きな角と、絶大な身体能力、そして魔力を持つ怪物。かつての大戦では、人間とエルフ族、ドワーフ族などが力を合わせ、これと戦ったとされる。
今ではおとぎ話の中の存在だとされていたが、実際に目の前に立つソレは、確かに魔族だと言っても不思議ではないほどの威圧感を持っていた。
「マジかよ...これはさすがに、逃げた方が良くないか?」
ゆっくりと足を進める魔族。それに合わせて、5人は少しずつ後ろに退く。背中を向けて逃げたい衝動に駆られるが、それは自殺行為だと、本能が告げていた。
「...ダメだ、ここで倒す...!」
しかし、黒髪の剣士だけは、下がる足を止め、正面から怪物の前に立った。
「こいつを、野放しにしておけない...!」
魔族は人の天敵。この場から上手く逃げることができたとして、この怪物は恐らく、人里を探し暴れ回るだろう。そんなことは許せない。
何より、世界一の剣士を目指すマークにとって、敵から逃げるという選択肢は初めからなかった。
「...ったく、しょうがない奴だ...」
隣に、赤毛の親友が立つ。一度決めたら簡単には曲げない。マークの性格は昔からよく知っている。
「援護と回復、任せてね」
背後でアスリィが弓に矢を番える。
「撹乱...が、効けばいいけどな」
ケーベストも何かを諦めた様子で、低い姿勢を取り構えた。
「みんな...」
最後尾に立つレイナは、仲間たちの覚悟を決めた表情を見て、徐々に顔色を回復させていく。大きく息を吐き、心を落ち着かせる。杖を握る手に力を込め、ついに正面からその瞳を魔族に向けた。
「...うん、やろう...!」
その声を合図に、マークは怪物へ向けて、その刃を振りかざした。
手にした2本の剣、それを全体重を乗せて、怪物の肩口めがけ振り下ろす。
「なにっ!?」
しかし、その刃は怪物の乳白色の肌に、爪で引っ掻いたような傷しか付けられなかった。何か刃が滑るような異様な感触を、マークの手は感じていた。
「愚カナ人間メ...」
「...喋った...!?」
人ならざる者から、人の言葉が紡がれる。その異様な光景に、マークは驚愕するばかりだ。
「潰レロ」
「がっ...!」
怪物が一言だけ発した瞬間、マークの身体が跳ねた。その巨大な腕を無造作に叩きつけられ、黒髪の少年は壁まで吹き飛んでいた。
「が...はっ!」
息ができない。全身に激痛が走り、逆に麻痺している。口からは鉄の味が込み上げてきた。
「マーク!」
セイザンが友の名を叫びながら、魔力の火を宿らせた剣を走らせる。果たしてそれは、怪物の腕に確かな斬撃となって傷を付け、青白い血を流させた。
「よし、これなら...!」
恐らく、魔力を宿した攻撃なら効く。そう判断し、セイザンは小さな笑みを浮かべる。もっとも、そこに余裕など一切ない。額には冷や汗がびっしりと浮かんでいた。
「失セロ」
「ごっ...!」
今度はセイザンの身体が飛んだ。同時に、何かが折れるような乾いた音が響く。
「がっ...あぁぁっ!」
脇腹を押さえ、セイザンは床に蹲っている。肋骨が何本か持っていかれたと、音と痛みで分かった。
「おいおいおい、冗談じゃないぜ...」
ケーベストが怪物の気を引こうと、ダガーナイフを投げる。しかしそれは、やはり全く効果がない。
「待ってて、今回復する!」
アスリィが慌てて、治癒の魔術を飛ばす。直接触れていないため効果は落ちるが、マークとセイザンは、なんとか立ち上がれるほどにはなった。
「魔力付与!」
レイナの言語魔術が放たれる。マークの持つ2本の剣に、魔力の光が宿った。
「ありがとよ...レイナ!」
まだ痛む身体に鞭を打ち、マークは光り輝く剣を再び振るう。今度は間違いなく、その刃は怪物にダメージを与えた。しかし、まだ浅い。
「ソノ程度カァッ!」
「ぐぁっ...!」
丸太のように太い腕による打撃。単純な暴力による攻撃は、しかし怪物の絶大な力によって、一撃一撃があまりに重い必殺の威力となる。マークは2本の剣を交差させ、なんとかこれを防いだが、衝撃で大きく後退した上に、腕が痺れてしまった。
「みんな、目を閉じろ!」
セイザンの「閃光」が輝く。ケーベストとアスリィは初めてだったが、咄嗟に目を伏せることができた。眩い光が空間を包み込む。
だが、それが効果を及ぼすことはなかった。一切怯むことなく、怪物は歩を進める。赤黒いその目には、光など映っていないのか。
「弾ケロォッ!」
怪物が叫ぶと同時に、その周囲に黒い風が巻き起こる。それが衝撃波となって、マークたちに襲いかかった。
5人は吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。全身に走る痛みに、全員が悶絶していた。
「こ、これほど...なのかよ...!」
マークが拳を地面に打ち付ける。伝説とされる魔族。それがいかに強大といえど、マークも長年に渡り鍛錬を積んできた身だ。仲間と共に力を合わせれば、勝てない存在ではない。そう思っていた。
だが、あまりにもその壁は高かった。自らの思い上がりに、マークは悔しさと共に自分への怒りを覚えた。
重い足音が響く。マークがハッと顔を上げると、醜悪な怪物が彼を見下ろしていた。その眼窩に宿る光からは、感情を推し量ることはできない。
「滅ビヨ」
怪物が腕を振り上げる。それが振り下ろされれば、マークの頭蓋など容易く粉砕するだろう。奥歯を噛み締め、マークは自らの最期を覚悟した。
「グッ...ムゥ...!?」
瞬間、怪物が呻き声を上げる。よく見れば、振り上げた腕に、青白く輝く鎖のような光が絡みついていた。
「れ、レイナ!?」
振り返ると、片膝をつき、脇腹を押さえながら、レイナが呪文の詠唱を続けていた。肩を大きく上下させ、その表情は苦しそうだ。
魔力の鎖は次々と増え、怪物の全身に巻き付く。身動きの取れなくなった怪物は、それを振りほどこうともがいた。
「コノ程度...ヌルイワァ!」
鎖が1本、その力を抑えきれず弾けて消えた。1本、また1本と、鎖が消えていく。その度に、レイナの身体が小さく震える。彼女の魔力では、怪物の力を抑え込むことはできない。
「レイナ、もういい...逃げろ...!」
マークはなんとか立ち上がり、その剣を怪物に向ける。せめて、彼女だけでも逃がしてやらねば。その想いだけで、身体を支えていた。
「や、やだ...! 私も、戦う...!」
魔力を振り絞り、レイナは必死に怪物を押さえ込もうとしていた。額には玉のような汗が浮かび、呼吸も荒い。限界が近いのは明白だ。
「レイナ!」
「私も、みんなを...」
守りたい。その想いを口にしようとした瞬間。レイナの瞳に光が宿った。
「グッ...オォォッ!?」
怪物が苦悶の声を上げる。
青白い魔力の鎖は、レイナの髪と同じような、黄金色の輝きを放っていた。
「バ、バカナ...コノ魔力ハ...マサカ...ッ!?」
今度は抗うことを許さない。黄金の鎖が怪物の身体に強く巻き付き、その肉体に食い込む。
「コレハ...リ、竜ノ...!」
怪物が何かを喋っていたが、マークにはその意味は分からない。ただ、今この時が千載一遇の好機であることは間違いなかった。
左手の剣を捨て、右手の長剣を両手で構える。深呼吸し、精神を集中。魔術こそ使えないが、代わりにマークは師から、精神集中と呼吸法による一時的な身体強化の術を教わっていた。今こそ、それを使う時。
視覚が研ぎ澄まされ、怪物の姿が鮮明に見える。姿勢を低くし、一気に標的に向けて跳躍。強化された筋力により、マークの身体は一直線に怪物へ向けて跳んだ。
「はぁぁぁぁっ!」
「グォォァァッ!」
裂帛の気合と共に、魔力の宿る剣を振り下ろす。
断末魔を上げ、怪物の身体はゆっくりと灰となって消えていった──。
「カンパーイ!」
数日後、5人の姿は街の酒場にあった。
彼らは遺跡の事前調査の依頼を完了し、その祝いの宴を開いていた。ケーベストが酒の入ったジョッキを掲げ、乾杯の音頭を取っている。それもすでに3度目だ。
魔族を倒した後、アスリィの術で傷を癒した一行は、最奥の部屋を調べた。そこで判明したのは、どうやらあの遺跡は、魔族の1体を研究のために封印していた施設らしいということだ。どういうわけか、その封印がほとんど解けていて、マークたちが来たタイミングで魔族が出てきてしまったようだ。
数日かけ街に戻り、くたびれた様子で調査内容を報告。魔族の件があったせいか、思っていた以上の報酬を得ることができた。それを使って、戦勝の宴を開くことになったわけである。
「しかし、なかなか良いパーティなんじゃないか?」
セイザンが少し赤い顔をしながら言う。決して酒に強いわけではないが、こんな時くらい、飲まなければ損だと言って、すでにジョッキを2杯空にしている。
「そうね、なかなか楽しかった」
隣に座るアスリィも似たような様子だが、彼女の前にあるジョッキの数はセイザンのそれの数倍はあった。
「じゃあ、これから一緒に行動してくれるのか?」
「えぇ、もちろん!」
同じく赤い顔をしたマークの問いに、エルフの少女は力強く頷いた。直後、すっかり出来上がった様子の大柄な斥候が、マークの肩に腕を回してきた。
「俺は最初から仲間入りする気満々だったぜ! よろしくな、レイナちゃん、アスリィちゃーん♪」
火のついたタバコを咥えながら酒を飲むケーベスト。煙とアルコールの匂いは相当なもので、名前を呼ばれた女性陣は苦笑いした。
「良かったね、マーク」
一息ついたマークの隣から、黄金色の髪の少女が話しかけてくる。彼女はほとんど飲んでいない。酒に慣れていないのもあるが、そういう気分にならなかったのだ。
あの時、魔族を拘束した黄金の光。あれは《《言語魔術ではなかった》》。レイナ自身も記憶が曖昧で、まるで自分ではない「何か」に突き動かされていた...そんな感覚だった。
他の4人はそれに気づいていない。レイナは言い知れぬ不安を抱えつつも、それを口にすることはなかった。
「レイナ」
俯いていた彼女に、今度はマークが声をかける。その顔は戦勝の喜びではなく、どこか物悲しい色をしていた。
「あの時は助かった」
「うん...」
素直に感謝を告げられるも、レイナとしては複雑な心中だ。
「ただ、もうあんな無茶はしないでくれ」
「え...」
見ればマークの顔からはすでに赤みが消えている。真剣な面持ちで、レイナの顔を正面から見つめていた。
「お前のことは、オレが守る...だから...」
「...うん」
強い決意を帯びた言葉。
レイナは静かに答えるも、その表情にはわずかな翳りがあった。
「そこ」は暗く、しかし広大な部屋だった。
屋敷1つがすっぽりと入りそうなほどの空間に、白いローブを来た者たちが何十名も立っている。そしてそれぞれが、一抱えほどもある水晶玉のようなものを覗いていた。
やがて、その中の1人が声を上げる。
「アルベルト様、反応がありました」
「何だと?」
アルベルトと呼ばれた筋骨たくましい中年男性が、声を上げたローブの者へと近づく。
「どこだ?」
「王国の東部で、詳細は分かりませんが...」
白いものが混じったオールバックの髪を撫でながら、アルベルトはしばし考え、改めて口を開いた。
「分かった、監視を続けろ」
「はっ!」
ローブを纏った者が、再び水晶玉に向き直る。
アルベルトはその場を離れた後、大きく息をつき、天を仰いだ。
そして一言だけ、小さく呟いた。
「聖女...か...」




