第1話 追放された村人と最初の一杯
「役立たずスキル《感情抽出》確認。よって、モリトモ。貴様をこの村から追放する」
村長の声が、やけに森に響いた。
俺――モリトモは、村の広場の真ん中で立ち尽くしていた。
異世界に転生して三日目。
ようやく状況を理解し始めたところで、まさかの追放である。
早い。
展開が早すぎる。
せめてチュートリアルくらい用意してほしかった。
「いや、ちょっと待ってください。《感情抽出》って、まだ何ができるか分からないんですけど」
俺がそう言うと、村人たちは一斉に笑った。
「感情を抽出? 泣き虫から涙でも集めるのか?」
「戦えないスキルなんて意味がない!」
「魔物が来たら、感情をぶつけて倒すのか?」
やめろ。
地味に効く。
前世でも会議で似たような空気を浴びたことがある。
「モリトモよ。この村に必要なのは剣士、魔法使い、狩人、鍛冶師だ。感情をどうこうする者ではない」
村長は重々しく言った。
「よって、追放」
軽い。
重々しく言ったわりに、処分が軽トラの荷台くらい軽い。
俺は布袋ひとつを渡され、村の門から放り出された。
中身は硬いパン、水袋、銅貨三枚。
退職金より少ない。
いや、退職金もらったことないけど。
「はあ……」
森の道を歩きながら、俺は空を見上げた。
青い空。
見たこともない鳥。
遠くには、雲を突き抜けるほど巨大な樹が立っている。
世界樹。
この世界では神聖な場所らしい。
村人たちは「あの森には近づくな」と言っていた。
追放された人間に対して、近づくなと言われても困る。
他に行く場所がない。
俺は世界樹を目指して歩いた。
歩いて、歩いて、歩いて。
足が痛くなったころ、ようやく巨大な根元にたどり着いた。
「でっか……」
世界樹は、想像以上だった。
幹は城より太く、葉は空を覆い、根は大地を抱く竜のように広がっている。
その根と根の間に、ちょうど小さな空間があった。
雨風もしのげそうだ。
「……ここ、住めるな」
そう思った瞬間、自分でも笑ってしまった。
前世で疲れ切っていた俺は、よく考えていた。
森の中に小さなカフェでも開いて、静かに暮らせたらいいのに、と。
客は少なくていい。
一日に数人。
コーヒーを淹れて、本を読んで、たまに誰かの話を聞く。
そんな暮らし。
叶うわけがないと思っていた。
でも今、俺は異世界の森にいる。
家はない。
仕事もない。
追放済み。
つまり、失うものがない。
「……やるか」
俺は世界樹の根元に落ちていた板を拾い、石で文字を刻んだ。
森のカフェ・ヒュッゲラボ
店名だけは、なぜかすぐに決まった。
問題は、コーヒー豆がないことだった。
「カフェなのにコーヒーがない。致命的すぎる」
そのときだった。
頭の中に、ふわりと文字が浮かんだ。
《感情抽出を使用しますか?》
「え?」
俺は思わず声を出した。
スキルだ。
追放理由になった、あのハズレスキル。
《対象の感情を抽出し、飲料化できます》
飲料化。
思ったよりカフェ向きだった。
俺は試しに、自分の胸に手を当てた。
今の感情は何だろう。
不安。
疲労。
ちょっとした開き直り。
そして、ほんの少しの希望。
「使用する」
そうつぶやくと、手のひらに淡い光が集まった。
次の瞬間、木のカップが現れた。
中には、湯気の立つ黒い液体。
香りは――コーヒーだった。
「うそだろ……」
俺は恐る恐る口をつけた。
苦い。
けれど、やわらかい。
疲れた心の底に、じんわり染みるような味だった。
「うまい」
思わず声が漏れた。
スキル《感情抽出》。
感情を飲み物にする能力。
戦闘には向かないかもしれない。
でも。
「カフェには最高じゃないか」
俺は初めて、この世界に来て笑った。
その瞬間、森の奥から地響きが聞こえた。
ドン。
ドン。
ドン。
何かが近づいてくる。
鹿?
熊?
いや、違う。
木々の間から現れたのは、黒い鎧をまとった巨大な男だった。
背中には漆黒のマント。
頭には角。
目は赤く光っている。
どう見てもラスボス。
男は俺の前で足を止めた。
そして、低い声で言った。
「ここは……店か?」
俺は看板を見た。
森のカフェ・ヒュッゲラボ
出してしまった以上、店である。
「はい。一応、カフェです」
「そうか」
男はうなずいた。
「では、一杯もらおう」
「ご注文は?」
「世界を滅ぼしたくなる気分に合うものを」
初注文が重すぎる。
俺は固まった。
だが、相手は真剣だった。
赤い目の奥に、深い疲れが見えた。
怒り。
孤独。
責任。
そして、誰にも言えない寂しさ。
俺はゆっくり息を吸った。
「では……本日のおすすめを」
《感情抽出を使用しますか?》
俺は心の中で答えた。
使用する。
男の周囲から黒い光が集まり、カップの中へ落ちていく。
湯気が立つ。
香りは深く、苦く、けれどどこか甘かった。
俺はカップを差し出した。
「どうぞ。《自重ブレンド》です」
「自重……?」
男は眉をひそめながらも、カップに口をつけた。
一口。
沈黙。
森の音が止まったような気がした。
やがて男は、ぽつりと言った。
「……うまい」
よかった。
ラスボスっぽい人の口に合った。
男はもう一口飲み、深く息を吐いた。
「不思議だ。さきほどまで人間の王都を焼き払うつもりだったのに、今は……まあ、明日でもいいかと思えてきた」
「明日もダメです」
俺は即答した。
男は少し驚いた顔をしたあと、低く笑った。
「面白い店主だ」
「ちなみに、お名前を聞いても?」
「我は魔王ゼルガディア」
やっぱりラスボスだった。
俺はカップを落としそうになった。
魔王は気にせず、静かにコーヒーを飲んでいる。
「店主よ。名は?」
「モリトモです」
「モリトモか。よい名だ」
魔王は空になったカップを置いた。
「また来る」
「できれば世界を滅ぼさない方向でお願いします」
「考えておこう」
考える余地を残すな。
魔王は立ち上がり、森の奥へ消えていった。
その背中は、来たときより少しだけ軽そうだった。
俺はしばらくその場に立ち尽くした。
追放された。
家もない。
金もない。
でも、店はできた。
最初の客は魔王だった。
そしてたぶん、今日、世界は少しだけ滅亡から遠ざかった。
俺は看板を見上げた。
森のカフェ・ヒュッゲラボ
「……まあ、悪くないか」
こうして俺の異世界カフェ生活は始まった。
ただコーヒーを淹れていただけなのに、なぜか世界が平和になっていく日々が。




