第7話「遺書」
更なる分析には、三日かかると玲は言った。
欠損の周辺データから、より詳細な情報を抽出する作業。通常は行われない、特殊な解析だ。
「分析が終わったら連絡する。それまで——」
「わかってる。普段通りに過ごす」
柊は頷いた。
だが、普段通りに過ごせるはずがなかった。
◇
その夜も、柊は母の残響と対話した。
いつもの場所。いつもの桜の木の下。だが、柊の心は穏やかではなかった。
「今日は、顔色が悪いわね」
母が心配そうに言った。
「少し——考え事があって」
「仕事?」
「うん。まあ」
柊は母の顔を見た。
この人は——何を隠しているのだろう。
父の死について。遺書について。「柊には言えない」こと。
母の残響は、その記憶を持っていない。消去されているから。だが——
「母さん」
「なあに?」
「父さんのこと、聞いていい?」
母の表情が、わずかに変わった。
「父さん? 急にどうしたの?」
「最近、父さんのことを考えるようになって。俺、父さんのこと、ほとんど覚えてないから」
母は少し黙った。
「……そうね。柊は、まだ小さかったから」
「父さんは、どんな人だった?」
「優しい人だったわ」
母の声は、穏やかだった。だが、どこか——虚ろな響きがあった。
「あなたによく似てた。物静かで、感情を表に出さなくて」
「そうなんだ」
「でも、心の中には、熱いものがあった。自分の信念を、大切にする人だった」
母は桜を見上げた。
「私は——颯太さんのそういうところが、好きだった」
柊は母を見つめた。
この言葉は——本当の母の気持ちなのか。それとも、残響としてそう言うべきだから言っているのか。
わからなかった。
「父さんは——どうやって亡くなったの?」
母の表情が固まった。
「……事故よ。交通事故」
「そう聞いてた。でも——詳しいことは、聞いたことがなくて」
「柊、なぜ今——」
母の声が震えた。
「急に、そんなことを聞くの?」
「母さん?」
柊は驚いた。母の残響が——動揺している。
「何か——俺が知らないことがある?」
「……私は」
母の目が揺れた。まるで、何かを思い出そうとしているように。だが——
「私は——覚えていないわ」
母は首を振った。
「詳しいことは、覚えていない。ただ——事故だったことだけ」
沈黙が流れた。
柊は——母を問い詰めることができなかった。
母の残響は、その記憶を持っていない。消去されているから。聞いても、答えは返ってこない。
「ごめんなさい、柊」
母が言った。
「私——何か大切なことを、忘れてる気がするの」
「大切なこと?」
「うまく言えないけど——胸の中に、空っぽの場所がある。そこに、何があったのか——思い出せないの」
柊の心が痛んだ。
母の残響は——欠損を感じ取っている。
だが、何が欠けているのかは、わからない。
「大丈夫だよ、母さん」
柊は、自分でも信じていない言葉を口にした。
「思い出せなくても、大丈夫」
「……そうかしら」
母は悲しげに微笑んだ。
その笑顔が——柊の胸を抉った。
◇
対話を終え、柊は寮の部屋に戻った。
ベッドに横たわり、天井を見つめる。
父の死。遺書。母が隠した秘密。
全てが、頭の中でぐるぐると回っていた。
父は——事故死ではなかったのか。
母は——何を隠していたのか。
そして——柊は、なぜそれを知らないのか。
記憶を辿る。三歳の頃。父が亡くなった日。
だが——何も思い出せなかった。
父の顔も。声も。その死の日のことも。
全てが——霧の中に消えている。
柊は目を閉じた。
三日後、玲の分析が終わる。
その時——真実がわかるかもしれない。
だが——真実を知ることは、幸せなことなのだろうか。
柊には、わからなかった。
◇
翌日、柊は仕事中に、田所から声をかけられた。
「水無瀬さん、面会予約の件で」
「何だ?」
「少女の残響——藤原美月さんの面会なんですけど」
藤原美月。八歳で交通事故で亡くなった少女。残響として、二年前から桜の園にいる。
「何かあった?」
「ご両親が——成仏プロトコルについて相談したいって」
柊の眉が寄った。
「成仏プロトコル?」
「はい。まだ検討段階らしいですけど——」
田所は言いにくそうに続けた。
「美月さんの残響が——最近、様子がおかしいって」
柊は考え込んだ。
少女の残響。八歳のまま、二年間。
成長しない残響。それは——どれほど辛いことだろう。
「面会の予約、入れてくれ。俺も同席する」
「わかりました」
田所が去ると、柊は窓の外を見た。
残響は——誰のために存在するのだろう。
故人のためか。遺族のためか。
その問いに、答えは出なかった。




