(2)前世
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前世のエタは、異世界の日本という国の平民だった。
色々なことを思い出したにも関わらず、不思議と前世の名前は思い出せなかった。
前世の私は平民ながらもそれなりに裕福な家庭の長女として育ち、南北に長い国土の南に位置する町に住んでいた。
学校を卒業した後は建築物のデザインをする職場で働き、職場も仕事相手も大半が男性という環境ではあったが、今と同様恋人はいなかった。
なぜなら、前世のエタも同年代に比べて極端に幼い容姿をしていたから。
顔立ちは今とあまり変わらないとはいっても、やはり貴族令嬢である分なのか、多少は今の方が整ってはいる気もする。
黒髪に黒い瞳は、その国ではごく普通の色合いだったが、太っているわけでもないのに頬は成長してもふっくらと丸く、頬は頬紅をつかわなくともピンク色だった。
若干濃すぎるほどにピンク色の頬は、やはり両親からもいつまでも子供の頬のようだといわれていた。
つたない化粧をすれば子供が背伸びをしているようだと笑われてしまい、
職場では『幸運の座敷童』とか『辛口コロボックルちゃん』と呼ばれていた。
ちなみに、座敷童とは妖精と妖魔の間のような存在で、民族衣装で肩までのストレートボブという幼女の姿で古い屋敷に住みつき、その屋敷に幸運をもたらすと言われていた。
コロボックルの方は、小人のような存在であるとも、ある地域の先住民族に対する蔑称だとも言われていた…気がする。
曖昧な内容しか覚えていないので、おそらく前世ではあまりそれらのことを学ばなかったのだろうと思う。
それも仕方ないだろう。
前世の世界では魔法も妖精も空想上の存在だと思われていたのだから、その分野の専門家でない限りは他に優先して学ぶべき知識が多くなるのは必然であった。
当時の私は仕事面で子供扱いされるのが嫌だったこともあり、極力仕事中は同僚にも顧客にもハキハキビシビシと物を言っていたら、一部の上司からは辛口すぎて打ち合わせに連れて行くのが怖いといわれるようになってしまった。
その一方で、私がいると何故か良い契約が結べるとか、口やかましい顧客が扱いやすくなるとかいった良く分からないジンクスもあり、そのせいで面倒な客や行政組織を担当させられていたのは私の気のせいではないはずだ。
とにかく恋とは縁がなかった私は、仕事を人一倍こなすことで自分の大人としての評価をなんとか勝ち得ていたといえる。
……うん、多分そのはずだ。
ちなみに、少しだけ弁解させてもらうなら、あの時の私の髪は肩甲骨が隠れる程度で緩めのウエーブパーマだった。
決して肩までのストレートヘアなどではなかったことだけは明記しておこう。
私にとっては大切なことだったので、そんなのどうでもいいだろうとか言わないで欲しい。
学生時代から『座敷童』の呼び名をどう避けるかが、私の課題のひとつでもあったのだから。
またそんな幼いとか言っても、ちょっと童顔なだけじゃないの?若さアピール?などと思う人もいるかもしれない。
実際、前世では顔を合わせた事のない相手からは何度か言われたことがある。
けれど童顔であることと、極端に幼く見えることは決してイコールではないのだと私は声を大にして言いたい。
分かり易く、いくつか私の残念な事例をあげてみようか。
私は他国にある建築物について学ぶために、卒業前も就職してからも同じ学校で同期だった友人たちと頻繁に旅行に行っていた。
デザインを学ぶ前に別の仕事を一時期していたこともあり、私の同期の友人たちはほとんど私より3歳程年下であったが、どうやら人種の違うその国でも私だけが極端に幼く見えていたようだ。
まず、入国してすぐに道を歩いていた道化師から私だけ風船というおもちゃを貰った。
周囲を見たら明らかに幼い子供しか貰っていない。
もちろん、同行者は誰一人貰ったものはいなかった。
友人たちが爆笑したことは言うまでもないだろう。
私達の旅行はツアーではないので、それぞれに行きたい場所を好きに散策するのだが、そこでも私の幼さは無双状態だった。
店に入ってその国の言葉で値段交渉をすれば『上手に言えたからお姉さんが値引きしてあげるわね!』と言われるのは既に慣れた。
道を尋ねれば、何故か周囲にいた通りすがりの人にまで『1人で聞けて偉い!可愛い!上手!』と拍手までされる。
立ち飲みカウンター式のカフェに入ると大抵のカウンターは首の高さで、爪先立ちでエスプレッソをオーダーすれば『苦いけど大丈夫かい?ココアじゃなくても良い?』と心配される始末。
テントの立ち並ぶマーケットなどで手持ちが少ないといえば、手持ちで買えるようにセット商品の組み替えや値引きまでしてくれるのはありがたいが、『1人で買い物かい?』と訊かれるということは推して知るべしだろう。
まあ、人種の違いがあるだろうから他人種の人達から幼く見られるのは諦めてもいた。
元々、前世の私の国の人種は他人種から幼く見られがちであったから。
けれども、私を幼く見るのは他人種だけでは当然なかった。
私は地図を最初に頭に入れて散策するのだが、歩いていると何故か連れでもない同国人から頻繁に道を訊かれる。
もちろん道を教えるのは別にいいのだが、こちらも旅行者だし、何よりまるでテンプレかのように道を訊く人たちの口調が似ているのはどうにかならないのか。
『ねえ、ちょっとごめんねー?日本人だよね?私たちここに行きたいんだけど、ここ知ってる?どう行ったらいいか分かるかなぁ?』ってどうなんだ。
どうみても私と同年輩ですよね、お姉さんたち。
貴女達には私が何歳に見えていたんでしょうか?
初対面の人間に物を尋ねるにしてはやたらと砕けたその口調は、明らかに子供だと思って話しかけて来ているからのようだった。
成人して最初にそんな出来事があった時は、流石に『同じ人種からもそこまで幼く見えるのか』と落ち込んだものだ。
けれど、そんなことも数度続けばこちらも達観してくるわけで、『地元に住んでる日本人の子供だから道知ってるよ~』といった雰囲気のまま会話を終えるようになってしまった。
極めつけは前世で事故死する前年の25歳の時だろうか。
職場の人達と行った旅行先で海の動物達と触れ合える施設があると知り、上司の男性と同期で3歳上の女性と3人でその施設へ行った。
暑かったからか、上司と同僚は観覧席で休憩すると言うので私だけイベントに参加した。
観覧席から手を振られて、手を振り替えしていたのだが、隣で参加していたのは私と同じぐらいの年であろう同国人の新婚カップルの女性が爽やかに優しく微笑みながら私に言った。
『お父さんとお母さんと一緒に来たの?小さい時から海外旅行なんていいわねぇ』
ええ、すかさず良い笑顔でお返事しましたよ。
『いえ、職場の旅行で……上司と同僚なんです』
彼女は固まってそのあと慌てて謝罪してくれたけど、慣れているのでと笑顔を返しておいた。
小さい時と言い切った彼女には、果たして私が何歳の子供に見えていたのか……いっそ訊いてみれば良かったなと思う。
まあこれは当時いくつもあった出来事のほんの一部だけれど、これで単なる童顔との違いがなんとなく伝わっただろうか。
そんな私の当時の身長は140センチ程で、もちろんアルコールを購入したりレストランで注文するには身分証明書は必須だった。
好きな人が出来て告白しても、『君は可愛いとは思うし嫌いじゃないけど、子供は好みじゃないんだ。ごめんね』とそれぞれ似たような台詞で3度も振られれば、いくら前向きな私でも恋に臆病にもなるだろう。
寄ってくるのは世界が違っても少女性愛の気がある者ばかりで、初対面なのに『合法ロリ萌ゆる』とか『○○たんのパンツは縞模様でつか』とか言われても胸はキュンとすることなどあるはずもない。
結局恋人もできないまま仕事に没頭していたある晩、停車中の私の後ろから巨大な乗り物が突っ込んで来たところまでで前世の記憶が終わっているので、おそらくその時に死んだのだろう。
つまり、私はエタになるずっと前から異性からはチビッコ枠であった。
そういうわけで、私はチビッコ扱いに慣れている。
慣れてはいるが、だからこそエタは叫びたかったのだ。
「転生してまでチビッコはないでしょう!?」と。
作中にコロボックルに関する繊細な部分に少しだけ触れていますが、本作では蔑称的な扱いではなく、あくまでも物語や絵本に出てくるような存在として、コロボックルの名称を出しております。