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迷宮高校の陰キャクラン  作者: 多真樹
第1章 陰キャなるもの
12/25

同人作家の憂鬱

 同人誌に嵌まったのは小学生くらいだった。

 近所に十歳くらい歳の離れた面倒見の良い兄貴分がいて、彼の部屋には乱雑に積まれたエッチな本が誰の目に憚ることなく放置されていた。

 近所で年の近い子どもと野球をしたりするほど活発だったが、同時にエロ方面にも興味津々だった。

 次の授業が体育で、同じ教室で着替えをする同級生にはぴくりとも反応しなかったが、腰が括れ、豊乳をたぷんたぷんと震わせる尻の大きな裸の女にはどうしようもなくドキドキしたのを覚えている。


「おい、聡。おまえの姉ちゃん将来絶対美人になるぞ。ところでこの動画の女優に似てね?」

「姉ちゃんのほうがもっと美人だよ」

「言うねえ」


 ひょろりとした青白い顔の兄貴分は、カエルみたいな顔をしていた。

 目を固めずつ、ぱちりぱちりと閉じるのが癖で、笑い方が下品である。

 普通の人間なら小学生がエロいものに触れることを良しとしないだろうが、彼は止めはしなかった。小学生だって自己責任くらいの意味は分かる、というのが持論だったが、ただ単に責任を持つのを面倒に思っていたに違いない。

 当時は何を勘違いしたのか、勇ましくて格好いいなんて思っていた。すぐにそのメッキは禿げるのだが。


「興味に負けて見てしまうのなら、結局はそのうち手を出すわな」


 確かにその通りで、興味ができたら調べたいと思うのが好奇心というやつだろう。彼の言い分は正しかった。

 無理やり遠ざけられたものの方が、気になって手を伸ばしてしまう心理である。

 しかし世の中から見れば、彼はバッシングされてしかるべきクズだし、むしろ将来的な同好の士を量産しようと、青いうちからエロ方面の普及に余念がなかったように思う。

 自慰についても色々話を聞いたが、自分の股間を慰めるよりも、艶のある表情でうっとりと笑みを浮かべる女優の姿を見るだけで満足だった。


「変わってるなあ。普通はマスカキ猿になるもんなのに」


 小学生相手に何を言っているのかと思ったものだが、ここが自分の性癖の分岐点。このときは微塵も気づけなかったが、自分は見ているだけで満足するタイプだった。

 中学生になっても社会人になった兄貴分との付き合いはあったが、独自にエロを入手できるようになってからは通う頻度ががくんと下がった。

 社会人になった彼も、日中はスーツを着て営業周りをしているといい、土日はいつも青白さを一層青くしてくたびれていた。


 ゲームに始まり、漫画、ネット、動画。

 あらゆるコンテンツを大人の経済力で集めた彼は、自分のお下がりを惜しみなく後塵の徒に譲り渡してくれた。

 タダでくれるものを断る奴はいない。


「おまえの姉ちゃん、女優引退するんだってよ」

「ぼくの姉ちゃんじゃないよ。こんなおっぱい垂れてないし」


 その女優の動画は頭からすべて鑑賞し、何度も繰り返し観た。

 企画モノなのか、作り物のエルフ耳をつけ、カツラの無機質な金髪で画面越しに蠱惑的に微笑みかけてくる。

 カエルの兄貴は「コスプレエッチがヌける!」と興奮していたが、自分は見た目をエルフ族に寄せようとするところに興奮した。

 だから違うところも目についた。笑ったときの小じわが歳を感じさせる。エルフには皺はできないし。

 しかし四つん這いで這い寄ってくる肢体は、姉よりも大きな胸が豊満にぶら下がっており、目が離せなかった。

 エルフ族はそもそも巨乳というジャンルから見放された種族だった。


 やはり自分では好きな女優という認識程度のものだったが、その女優を通して無意識に姉の顔を思い浮かべていたのだろう。それを見透かしていた社会人のカエルは、茶化しながらも面白おかしく眺めていたのだと思う。

 倫理観はそこらへんに鼻紙に包んで捨てて、欲求の忠実な下僕に生きるような大人だ。人としてはクズに分類され、一生結婚できないなと確信できる人間だったが、他人を否定しない寛容さだけはあった。


「そんなことより聞いてくれよ。最近好きな人ができてさあ」


 聞けば風俗嬢だった。

 社会人のカエル氏はこれまで二次元にお金をつぎ込んできたが、会社の先輩に飲み会のついでに童貞から素人童貞にクラスチェンジするお手伝いをいただいたようで、それ以来の彼の貢ぎ先だった。

 決して「止めた方がいいよ、不毛だよ」と言わないあたり、自分の頭もクズな方向へと醸成されていた。


 叶わぬ恋に尻の毛まで引っこ抜かれてしまえと内心思う程度には、痛い思いをして懲りればいいと思っている。

 なにせカエルの兄貴分は、自分の行動に絶対の自信を持つ人間だ。「俺は間違ってない。間違ってるのは世の中の方だ」と信じて疑わない阿呆である。

 他人のことは否定しないが、自分のことは否定させない頑固野郎でもあった。


 行ったことのない風俗に特に興味もなく、自分はこれから行くこともないだろう。だが、彼の趣味が変わったことで、最新のゲームや漫画がここ最近増えていないのが不満と言えば不満だった。


「そろそろ二次元も引退かね、俺も」


 風俗なんて二次元の延長、二.五次元でしかないというのに、浮かれようは見ていて気の毒だった。

 何より彼の話を聞いていて、子どもながらお世辞だとわかる嬢の言葉ひとつひとつを、間に受けて一喜一憂するこのカエルさんが不憫でならなかった。

 慰めの言葉を言ったところで、彼の心に響かないのはわかっているが。


「そういえば俺、冒険者になりたかったんだよなぁ。高等学校の試験で落ちたけど」


 そういって力こぶを作ってみせるが、貧弱という言葉しかない。「行ってたらモテてたよなあ」という社会人のカエルの妄想がゲコゲコと耳に聞こえた。つまるところいつもの誇大妄想なので、話を広げることが不毛だった。


 きっと十代の夢見ていた時代が、脳裏のどこかにこびりついて離れないに違いない。現実をこんなはずじゃなかったと嘆く憐れな社会人である。ストレス発散のために風俗へ通う悪循環だ。

 素人童貞で三十歳になったところで、素養のない奴はリアル魔法使いにはなれない現実しかない。乙である。

 ただ、彼の振りを見てではないが、自分は中学三年の受験勉強に精を出すようになっていた。


 兄貴分がようやく実りのない恋に気づいて現実を知り、これまで貢いできた数十万の空虚な金額に途方に暮れ、また二次元の古巣へと逃避していった頃、何をとち狂ったのか迷宮高校への進学を視野に入れていた。

 ようやく姉への実りのない片思いに気づいた頃でもあった。

 そのきっかけは自分の両親の離婚であり、姉は家事能力の低い父について家を出ていった。

 そのとき自分の心に、姉は父を選んで自分を選んでくれなかったという空虚な風が吹いて、自分勝手ながら姉を恨んだ。


「そりゃ気の所為だぜ、兄弟。父か母、どっちについていくか。おまえが母親のところなら、姉は父親のところってだけだ」


 姉とは相互に好き合っていなかったことに気づき、むしゃくしゃした。

 有り体に言えば、どうにでもなれと自暴自棄になった。

 当たり散らす自分に対し、兄貴分の懐は深かった。

 いま嵌っているエッチなアプリに躊躇なく勧誘してきた。

 なんでもアプリの彼女からメールが届くらしい。本当の彼女ができたみたいな疑似恋愛を楽しめるという。

 課金すれば効率的に仲良くなれるアイテムを、兄貴は惜しみなく購入していた。真性のバカ野郎である。ただ、彼の振りを見て、ちょっと冷静になれた自分がいる。


 そんな隙間風がビュービュー吹くところに、『迷宮攻略が学生のうちからできる! 強い自分になれる!』というキャッチフレーズが耳に入ってきて、沈んでいた厨二病の心をかき回した。これしかないと一念発起した。

 マイペースで仕事人間の母と一緒にいるより、全寮制で親の目から離れたかったというのもある。

 一番大きな理由は、姉のいない家で毎日を過ごすことが苦痛になっていた。

 荷物のなくなった姉の部屋の残り香を嗅ぐ度、どうしようもない劣情と、その後に襲ってくる虚しさが耐えられなかった。


 唐突だが友人の話をしよう。

 田児とは中学からの付き合いだった。

 中学二年の時に同じクラスになったが、最初は仲の良いグループが違い、単なるクラスメイトとして話をするだけだった。

 そんな関係が変わったのは、三年の秋頃、消極的で大人しいと思っていた田児から話しかけてきたのだ。


「早河くんも高校の第一志望、迷宮高校なんだね。ボクもなんだあ。この辺で近いところって言ったら盾濱しかないよね。じゃあ一緒だよね。この前の日直のときに志望校の提出用紙を集めたじゃない? そのときたまたま一番上にあった早河くんのを見ちゃって。僕と同じ進学先を希望していたんだって知ったらなんだが嬉しくなっちゃった。だって迷宮高校って偏差値が国立並みに高いじゃない? 公立の中学から受けて入学できるかあんまり自信ないけど、やっぱり心惹かれるものがあるもんね」


 聞いてもいないことを一方的にまくし立てられたが、なんのことはない。自分と同じバカがもうひとりいただけのことだ。


「ボクさあ、絵を描くのが趣味なんだけど、本物の魔物を見て、触って描いてみたいんだよね。危ないのはわかってるけど、臨場感のある絵って実際に見てみないと描けないから」


 田児の成績は悪くなかった。だが、運動神経が良かった記憶はない。ハーフドワーフ族として手先が器用なので、アピールポイントがあるとすればそこだろうか。


「隣のクラスのサッカー部がふたりくらい迷宮高校受けるって噂だけど、僕は運動神経だけで選ばれるとは思ってないんだあ。もちろん頭の良さだけでもダメだと思う。ネットに書き込まれていた話だと、なんだか特殊な能力があればそれだけで入学できるらしいよ」


 その噂なら自分も調べてすでに知っている。

 竜人族やエルフ族といった、能力値が他の種族より明らかに高いものたちが顔パスレベルで入学できていることから立った噂だ。

 正直受かるも受からないもどちらでもよかった。迷宮高校は寮生活だということが大事なのだ。

 姉の思い出が残ったあの家は、堕ちていこうと思えばどこまでも堕ちていく底なしの泥沼だ。

 ずっと足を浸しているのは恐ろしかったし、どうにも落ち着かなかった。

 姉の部屋はそのまま残されているが、荷物はほとんどないのだ。

 何度も足を運んだせいで、最近は部屋の匂いが自分の体臭になっている気もした。


「ねえ、田児くんさあ、聞いた話なんだけど……」


 思い出したように田児に持ちかけたのは、漫画を描いてほしいというお願い。

 自分が原作した話を、田児が漫画にするというもの。


「い、いいよ。僕もそっちの方面は、その、えっとね、実は嫌いじゃないから」


 ちょっとキョドりつつも、照れ顔で快く受けてくれた。

 ハーフドワーフとは言え、ドワーフ寄りの土気色のごつい顔なので、全然可愛くない。


「よろしく」

「う、うん! ボクがんばるよ!」


 それから資料の収集のためにカエル兄貴の部屋に田児を連れて行った。

 会社に行っていない間はほとんどアニメ批評でネットに齧り付きとなっている廃人社会人に田児を紹介した。

 兄貴の部屋でお気に入りの女優の動画を見せると、開始からすぐに股間をもぞもぞさせた田児は急用を思い出したと言って急いで帰ってしまった。

 兄貴と顔を見合わせて爆笑した。

 後日、田児は何度も兄貴の部屋へやってきては、資料の品定めや打ち合わせを続けた。


「ヒロインはこの女優に顔を近づけてくれよ」

「もうおばちゃんじゃない。僕おばちゃんは描きたくないよ」

「だいたい十代後半くらいに若返らせて描いてくれればいいんだよ」

「お姉ちゃんに似てる女優だからさ」

「え? なに? どういうこと? この女優さんがお姉さん似なの? 誰の?」


 兄貴の余計な一言で、田児に知られたくない秘密を知られてしまった。


「はは、お姉さんの陵辱漫画を描いてほしいとか、早河くん歪んでるね。でもボクそういうの気にしないよ。あ、ひとついい? 僕この女優さんの乳首好きじゃないから僕の考えた乳首に描き直していい? 小さくて小粒なの好きじゃないんだ。五百円玉くらいの乳輪と木イチゴみたいな乳首じゃないと興奮しなくて。早河くんのお姉さんの乳首って小粒?」

「知らね! 勃起したまま言うな!」


 毛布を丸めて正座し、ローテーブルで下書きを描く田児のズボンはテントを張っていた。

 四十型の巨大テレビに映し出される女優のあられもない姿。大音量で流し過ぎて、隣室のおっさんからときどき壁ドンを喰らうこともしばしばだった。


「僕、ちょっと用事思い出したから今日は帰るね! じゃあ!」


 我慢できなくなると、田児は荷物をまとめ、足早に帰って行った。家に帰るなりナニをしているかはお察しである。


「うちを汚さないだけ良い子だよな」

「もう汚いのに今更汚すなと言われてもね」


 兄貴のベッドとか、どんな液体がついているかわからないし、ところどころ染みになっているし、洗った形跡もないので絶対に横になりたくない。絶対臭い。

 裸で寝るのが最高なんだよと一時期豪語していた時期もあった。隙間風が寒くて、冬に死にそうになってからやめたようだが。


 そんなこんなで卒業間近に完成したエルフ美少女の陵辱モノ。

 それが自分のお宝になるなんて思いもよらなかった。

 そしてなんの相談もなくネット掲載してしまう田児の図太い神経にも思い至らなかった。自分の姉に似た漫画が世の中に広まってしまうなんて……。

[陰キャメモ]

素人童貞。マグロポ○モン。童貞ではないが、風俗嬢以外の女性を知らない悲しきオスの総称。とくいわざはみずでっぽう。

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