あと一年
三人と合流した後、あんなことがあった手前、今日は暗くならない内に帰ろうということになった。
――そういう訳で、俺は今、日向を家まで送り届けている。
「わざわざすみません」
隣を歩く日向に、突然謝られた。
「何で謝る」
「いや、駅どころか家まで送ってもらうことになって、凄い迷惑かけちゃってるなーと思いまして……」
日向は申し訳なさそうに言葉を漏らす。
フードやサングラスやマスクで表情が見えないが、俯き気味のその横顔から表情が暗くなっているのはよく分かった。
「迷惑だなんて思ってねえよ」
俺が日向を家まで送っている理由はただ、今の日向を一人にするのが心配だったから。
一人で帰らせて、また同じようなことが起きないとも限らない。ナンパされるのが一日に一回なんて決まりはないのだ。
「でも、先輩の家の方向的にに遠回りですよね?」
「知らない駅で降りてのんびり散歩するのも、たまには良いもんだな」
「誰もそんな感想聞いてませんけど」
俺のフォローを一瞬で叩き落とすな。
「加茂先輩と一緒に居てあげないでいいんですか?」
「加茂さんは神薙さんが家まで送るって言ってたから大丈夫だろ」
俺が日向を家まで送ると言った後に神薙さんが言ってくれた。加茂さんの家は駅から遠くはないし、あまり心配は要らないだろう。
「加茂先輩は、先輩と居たかったと思いますけど」
痛い所を突かれる。
「彼氏としては失格だよな……」
「そ、そこまで言ってないですっ」
「いいよ。正直、日向を家まで送るかも迷ってたから」
俺の言葉に、慌てていた日向は「え?」と驚くような表情を見せた後、訊ねてきた。
「じゃあ、どうして……」
「まあ、彼氏として以前の問題でな。ぶるぶる震えて怯えてる後輩を放っておける程、男は捨ててなかったってだけだ」
「……震えてませんし」
そうは言うが、日向はあれからずっと、自分の体を抱くようにして腕を掴んでいる。
ああいったことが、日向が男を苦手になった要因だというのは知っている。いくら初めてではないにしろ、恐怖心や忌避感はなくならないものなのだと思う。
いつもはどう切り抜けてきたのか。気にはなるが、思い出したくもないことを聞かれたくはないだろう。だから、この疑問は胸の内にしまっておくことにした。
「今日ぐらい、何も考えずに先輩の厚意に甘えとけ」
「……先輩達には普段から甘えさせてもらってる気がします」
「そうか?」
そんなに甘やかしていただろうか。考えてみるが、思い当たる節はない。
「あ、私の家ここです」
「――え」
呑気に過去の記憶漁りをしていた脳が、一気に現実に引き戻される。
辿り着いたのは、駅に着いた時から目立っていたタワーマンションの前だった。
「首痛くなる高さだな……何階建だよここ」
「47階建ですね」
「……興味本位で聞くけど、日向の家は?」
「最上階です。気になります? 先輩なら家来てもいいですよ?」
「やめとく」
マンションの最上階なんてテレビでしか見たことがないし、上ったことも当然ない。気になるか気にならないかで言えば、凄く気になる。しかし、ここで首を縦に振らない程度の理性は残っている。
すると、日向がこちらに近寄ってきて、そっと囁いてきた。
「今ならママも居ませんよ」
「いや余計に駄目だろ」
それは何の囁きだ。
「セキュリティも完璧です。防音なのでぴょんぴょん飛び跳ねたって下の階に音が伝わることはありません」
「だから?」
「既成事実……」
「やめろ」
「冗談です、半分ぐらい」
「そこは100%にしてくれ」
半分は全然安心できねえよ。怖えよ。
「っていうか、そんなに防犯凄いならなら俺はここまででいいよな?」
「仕方ないですね」
「俺が我儘言ってるみたいに言うんじゃねえ。むしろ家まで送り届けたことに感謝しろ」
「……感謝してますよ、凄く」
日向は微笑み、改まった様子で俺に言ってきた。
「先輩、今日はありがとうございます」
「……ああ」
「それと、すみません。折角の楽しい休日を台無しにしちゃって」
感謝の後に日向は申し訳なさそうに謝罪を口にする。
また、謝ってきた。あれは日向のせいじゃない。悪いのはあの男達であって、日向に落ち度は一切なかった筈だが……それを伝えたとして、彼女がその申し訳なさそうな態度を改めようとはしないだろう。
――でも、台無しにしてしまったとは思わないでほしい。
「今日は楽しかったな」
俺の言葉に日向は目を丸くして固まった。
今日が台無しになったなんて、俺は思わない。トラブルはあれど、それはそれ、だ。楽しかった記憶は消えやしない。
「また皆でどっか行くか。今度はゆっくり楽しめるような場所がいいな」
「……いいんですか?」
「逆に何で駄目なんだよ」
「いや、だって」
「日向は嫌か?」
「……嫌じゃないです、けど」
「なら、いいだろ」
日向は"楽しい休日を台無しにしちゃって"と言った。つまり、彼女も楽しかったと思ってくれたということだ。
彼女が俺達と居るのが嫌だと言うのならまだしも、遠慮しているだけなら気にする必要はない。
「…………い……す」
「え?」
日向がぽつりと何かを呟いたが、声が小さすぎて聞き取ることができなかった。
すると、日向は顔を上げ――。
「何でもないです。先輩、今日はありがとうございました。楽しかったです」
――そう言って、絵になるような良い笑みを浮かべたのだった。
* * * *
▼ ▼ ▼ ▼
「……ズルいですよ」
先輩と別れた後のマンションのエレベーター内。上昇する箱の中の壁に寄り掛かりながら、独り言ちる。
人目も気にしないで、あそこまでしつこく迫られたのは久々だった。怖かった。一人で帰るのも、怖くなった。
だから最初は、冗談混じりにお願いしてみようかとか、先輩は優しいから来てくれるかも、なんて考えてた。
けど、私のせいで先輩達に迷惑をかけちゃったから。これ以上迷惑はかけられないと思って、隠したのに。
赤宮先輩は気づいてくれた。わざわざ遠回りしてまで、私を家まで送ってくれた。
こんなに迷惑をかけてしまった私を、次に誘ってくれた。
先輩、そういうところですよ。どうして振った相手にそんなに優しくするんですか。
少しぐらい突き放してくれないと、加茂先輩が不安になっちゃいますよ。
まあ、加茂先輩もどうかと思うけど。
恋敵だった相手と自分の恋人を二人きりにするなんて、どうかしてるよ。そんな状況、普通は許さないでしょ。
……自分だって、怖い思いした筈なのに。
そんな先輩達の優しさに甘えてしまっている私も私だ。
赤宮先輩も加茂先輩も、私と縁を切ろうなんて考えてすらないと思う。多分、これからも。
そんな二人に差し伸べられている手を、私も未だに離せないでいる。離したくないって思ってしまっている。
だって、楽しいから。先輩達と過ごす時間が楽しいから。
本来なら、私の方から縁を切るべきなんだと思う。二人の関係を壊さないためにも。
……でも、それができない。友達と呼べる人が数える程度しか居ない弊害なのかもしれない。
だから、あと一年。
せめて、先輩達が高校を卒業するその日までは、先輩達の可愛い後輩で居ることを許してください――。





