ep.84
やや肌寒い道を歩くこと半刻と少し。見慣れた病院のドアを開けて中に入ると、空調が良く効いているのか、じんわりと温かい空気に迎えられる。
中に入るや否や、隣を歩くフェリアが一歩分寄り添ってきたのでちらりと顔を伺うと、フェリアは少し照れくさそうに笑って「病院って正直苦手なんだよね」と耳打ちしてきた。
「無理してこなくても良かったんですよ?」
「いやぁ、そこまでじゃないんだけどさ。なんせ自分がかかる訳でもないし」
「...まぁ、そう言うなら良いんですけど」
とは言うものの、寄り添うに飽き足らず袖まで掴んでしまっているところを見るに、怯えているのは確かだろう。
言葉通りに、無理しなくても、と思ってしまうが、ここまで来て追い返すというのもなんだか違うような気がして、私達は結局、微妙な雰囲気を連れて受付に向かった。もっとも、おっかなびっくりという様子のフェリアはそんなことを気にする余裕すらないのだろうが。
珍しく人の少ないホールを歩いて受付に向かうと、見知った顔がうつらうつらと船をこいでいるのが見えた。
「...あのぉ」
「わ!はい!寝てました!!ごめんなさい!」
「あ、えっと...」
あまりに心地よさそうな顔で眠りこけているものだから若干ためらいながら声をかけると、ばちんと目を開いた受付さんは焦点の合わない内にばっと立ち上がって勢いのままに頭を下げた。
まさか思い切り謝罪されるとは思っておらず、固まってしまった私と頭を下げたままの受付さんとの間に沈黙が流れる。
少しして、さすがに違和感に気づいたのか、受付さんがちらりと顔をあげたので、目が合った私は多分凄く困ったというような顔で笑った。
「え...イレギュラー様?」
「あ、はい...。えと...いつもの面会で...」
「わぁあぁあ......えっと、はい!承知しました!あ、カード...カード......あれ、どこだっけ...」
果たして私をなんだと思ったのかは甚だ疑問ではあるが、私だと認識した途端、受付さんは耳まで真っ赤にしながらわたわたと動き始めた。しかし何分寝起きということと、すこぶる焦っているのが災いして、机に積まれた書類やらなんやらを片っ端から倒してしまっている。
「あ、あの、焦らなくて大丈夫ですから...」
「.........あの、ホント...すみません......」
ぴたりと動きを止めた受付さんは、いまにも消えてしまいそうなほど小さくなりながら書類を踏み分けて椅子まで戻ってきて、改めて頭を下げた。
「いや本当に全然...急いでたわけでもないですし。...今日は寝不足ですか?」
「はい...中々寝付けなくて......あ、そちらの方はお連れ様ですか?」
「はい」
「畏まりました」
やり取りの中で顔を注意深く伺ってみると確かに隈があるし、最近の調子からしても、この頃はあまり体調が良くないのだろう。
お節介な気もしたが、年単位でほぼ毎日顔を合わせている訳だし、悩んだ末に、少し突っ込んでみることにした。
「あの、何と言ってもここは病院な訳ですし、時間があるときにでも相談してみては?」
「そ、そんな...私みたいなのがわざわざお手を煩わせるわけには......あ、ありましたありました」
一つ説教でもこいてやろうかと眉を寄せたところで、受付さんがひょいっとカードを差し出してきた。ほんのり言いたい事はあったが、これは直接解決するより少し根回ししたほうが良さそうなのでお礼だけ言ってその場を後にする。
「はい。これフェリアの分」
「あ、ありがと」
カードを受け取ったフェリアは紐を頭からかけて首にぶら下げた。私は髪が長すぎて紐から出すのが面倒なので、留め具を外し、首の後ろに回して留める。
ホールを抜けて病室の連なる道に入ると、いよいよフェリアの不安も最高潮になったようで、袖口を掴んでいるだけだったのがついに腕をがっしりと抱えるところまできてしまっている。別に何をするわけでもないのだけれど、まぁ怖いものは怖いのだろう。
目を閉じても歩けそうなほど記憶に刷り込まれた道を歩き、十個以上の扉を横目に見たところで目的の場所についた。いつもの癖で、扉に手をかけてから暫し逡巡してしまい、フェリアから困惑やら不安やら心配やらが混じった視線を向けられた。
いつも通り、全身の毛が逆立つような感覚を覚えつつ扉を開けると、いつもと何ら変わらない風景が私たちを迎えた。これまたいつも通りの落胆を押し殺して中に入ると、隣のフェリアが物珍しそうに中をぐるりと見まわし、こくりと生唾を飲みこむ。
ベットの近くまで歩き、ラズさんの顔を覗くと、これまたいつも通りの、寝ているとしか思えない表情が見える。シミのない肌も、硬そうな黒髪も、やや乾燥した唇も、美しく通った鼻梁もそのままだ。ただ、何故か、これだけは飽きないから不思議だ。
「...フェリア」
「ん?...あっ、ご、ごめん」
このままくっつかれていると治療がやりづらいので声をかけると、どこか茫然としていたフェリアは驚いたようにばっと離れて少し頬を染めた。どうやらぴったりくっついていたのは無自覚だったらしい。
解放された右手で左の手首に付いたブレスレッドを慎重に外す。この瞬間はどうしても緊張してしまうし、最近ではつけていないと落ち着かなくなってきている。
魔力に干渉できるようになったことで、魔力探知や、感覚でわかるフェリアの魔力の揺らぎなど、様々な情報が一気に流れ込んでくる。魔法使いとしてそれはどうなんだといわれるかもしれないが、一度魔力の感じない世界を経験すると、この世界がとても喧しく思えてしまう。よくもまぁこんな情報量の中勉強なんてできたものだと思ってしまうが、これはきっと慣れなのだろう。
軽い眩暈が収まってきたところで、マギアを起動するために魔力を練っていく。毎日毎日やっていることだからか、初期に比べてかなり早くなったように思う。ラズさんはきっと褒めてくれるだろう。
「マギア」
ろくな感傷に浸る間もなく魔力を集め終えた私は、短く名前を呼んでマギアを起動した。絶対に間違えるわけにはいかないという緊張感が、創ってから約三年、使い込み始めてかれこれ二年以上経つ魔法の詠唱を省略させてくれない。
美しい炎が、私の制御を離れて轟々と燃え盛り、視界を蒼く染める。
「わぁ...」
美しい音がして振り向くと、フェリアが正に感激といったように炎を見つめていた。これほどまでに無邪気な音は久しく聞いていなかったせいか、フェリアのいつもより数段幼い顔に思わず頬がほころびてしまった。そして、そんな私を気にも留めない程、フェリアは炎に見入っていた。
それから少しの間はフェリアの顔を見つめていたが、気づかれるとバツが悪いので私も一緒になって炎を眺める。正しくは、ラズさんの顔を眺める。いつだって、何かの間違いでもいいから、この瞳がぱちりと開いて、私を見てくれる事を願っていた。いつまでも鮮明に憶えているあの不思議な色の瞳をもう一度見て、それが柔らかく細められることを祈っていた。
自分の気持ちがほんのりと落ち込んできているのに気づいて、外したまま右手に持っていたブレスレッドを嵌めなおして一息ついていると、ふっと、炎が姿を消した。
「...じゃあ、行きましょうか。今日の晩御飯は私が作ります、よ...?」
やることも終わったことだし、ここにいるとどうしたって気持ちが俯いてしまうのでさっさと退散しようとフェリアに声をかけると、フェリアはなぜか炎が消え去ったというのにも関わらずじっとベットを見つめ続けていた。ただ見るというだけではなく、目を見開いて凝視しているので、驚いて言葉が尻すぼみになってしまう。
なにかあったのかとフェリアの視線の先を見ると、この二年、覆ることのなかった風景に、一滴、赤いインクが染みていた。
それはラズさんの脇腹のあたりだろうか。ゆっくり、ゆっくりと大きくなっていって、私の頭はさらに混乱する。私は、風景が動いていることに酷く困惑した。
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