第45話:迫る異変
「フィン、先行して扉の安全を確認しろ!」
バルガスの指示を受け、斥候のフィンがC区画へと続く重厚な石扉へと慎重に近づいていく。彼は扉の表面に刻まれた禍々しい紋様と、その隙間から漏れ出す異常な気配を注意深く観察し、罠の有無を探る。
「……ロック機構は異常の影響で半壊。物理的な罠の反応はありませんが……この紋様自体が、何らかの魔術的な防御機構かもしれません。迂闊に触れるのは危険かと」
フィンが報告する。
「ふむ……」
リゼットは顎に手を当てて扉を見つめる。「エリシア君、何か分かるかね?」
「古代の封印術式の一種みたいだね……でも、かなり劣化・変質してる。バグの影響で不安定になってる可能性が高いよ。無理にこじ開けようとすると、何が起こるか……」
エリシアも険しい表情だ。
「だが、この先に進むしかないんだろう?」
ダリウスが戦斧を握りしめながら言う。
「ノア君」
リゼットが俺を見た。
「君の力で、この封印に干渉することは可能か? 例えば、一時的に無力化するとか」
「いえ……それは……」
俺は首を振る。
「この紋様から感じるエネルギーは、これまでのものとは質が違う気がします。それに、俺のスキルはまだ不安定で……下手に干渉したら、どんなことになるか……」
俺の感知能力は、この扉の向こうに広がる空間の危険性を、より強く訴えかけていた。
「……仕方ないか」
リゼットはため息をついた。
「バルガス、ダリウス。物理的に破壊できるか試してみろ。ただし、慎重にだ」
「応!」
バルガスとダリウスが前に出て、扉に力を加える。しかし、扉はびくともしないどころか、紋様が一瞬強く輝き、二人を弾き飛ばそうとするような弱い反発力を見せた。
「ちっ、やはり魔術的な防御が生きているか!」
バルガスが舌打ちする。
「待って!」
エリシアが声を上げた。「今の反発……エネルギーの流れが読めたかも! ノア、もう一度だけ、扉の紋様の『情報』にアクセスしてみてくれない? 解除のヒントが見つかるかもしれない!」
再び、俺の力が必要になるのか……。俺は頷き、消耗した精神を奮い立たせ、扉の紋様に右手をそっと触れる。
ビリッ!と弱い痺れと共に、断片的な情報が流れ込んでくる。複雑な術式の流れ、エネルギーの循環、そして……一瞬だけ見えた、特定の紋様を特定の順番で『押す』ようなイメージ。
「……! 三日月……のような模様と……渦巻き……そして、中央の……眼のような……この順番で、力を……?」
俺が感知した情報を伝えると、エリシアはすぐに該当する紋様を見つけ出した。
「これだね! よし、私がやってみる!」
エリシアは杖を取り出し、俺が示した順番で、杖の先端から微弱なエネルギーをそれぞれの紋様に流し込んでいく。
すると、カチリ、という小さな音と共に、扉の紋様の輝きが収まり、ギィィ…と、扉がひとりでに少しだけ開いた。
「開いた!」
「よし、突入するぞ! 油断するな!」
バルガスの号令で、俺たちは武器や杖を構え、警戒しながらC区画へと足を踏み入れた。
そこは、B区画よりもさらに古い迷宮の姿を色濃く残した場所だった。
通路は狭く、壁や床の石材はひび割れ、崩れている箇所も多い。ギルドによる改修の痕跡はほとんどなく、空気中には濃密なバグの気配――空間の歪みや情報ノイズ――が満ち満ちていた。壁には、まるで血管のように黒いシミが走り、場所によっては緑色の粘液のようなものが床を覆っている。
「うわ……ひどい汚染だ……」
エリシアが顔をしかめる。
「気をつけろ。何が出てきてもおかしくないぞ」
バルガスが警告する。
俺たちは、俺の感知能力を最大限に活用し、空間の歪みが激しい場所や、異常存在の気配がする場所を避けながら、慎重にC区画の奥へと進んでいく。
フィンが先行し、ダリウスとバルガスが左右を固め、クララさんが常に支援魔法を展開してくれている。リゼットは、冷静に周囲を観察し、エリシアと時折、小声で情報を交換していた。
この階層では、B区画で見たような虫型の存在だけでなく、壁から突然、歪んだ触手のようなものが伸びてきたり、床の粘液から人の手のようなものが現れたりするなど、より悪質な異常現象に遭遇した。それらは主にダリウスとバルガスが対処したが、彼らの消耗も徐々に蓄積しているようだった。
「……この先に、何か大きな空間があります」
しばらく進んだところで、俺は前方を指差した。
「エネルギー反応は……不安定だけど、強い。それに……研究室、みたいな……古い『情報』の気配が……」
俺の言葉に、エリシアの目が輝いた。
「研究室!? 本当に!?」
俺たちは、俺が示した方向へと進む。やがて、通路の突き当たりに、他の扉とは明らかに違う、ガラスのような素材が嵌め込まれた金属製の扉が見えてきた。扉は半壊しており、内部の様子が窺える。
そこは、かつて何らかの研究施設だった場所のようだった。
壁際には、壊れた複雑な機械装置や、ひび割れたガラス製の容器――中身は干からびているか、黒く変質している――が並び、床には書類のようなものが散乱している。部屋の中央には、巨大な円筒形の水槽のようなものがあったが、それもひび割れ、空になっていた。部屋全体が、長い年月と、そしてバグの影響でひどく荒廃していた。
「すごい……! 古代の研究所の跡だ……!」
エリシアは目を輝かせ、部屋の中へと駆け込もうとする。
「待て、エリシア君! 危険かもしれん!」
リゼットが制止するが、エリシアは構わず、散乱した記憶媒体のようなものを拾い上げ、解析ツールで調べ始めた。
「これは……! 少しだけだけど、データが生きてる! 『……コア安定化実験……失敗……汚染拡大……レベルC……封鎖……』……やっぱり、コアと関係が!」
エリシアが新たな手がかりに興奮する、その時だった。
ピィィィッ!
部屋の奥から、甲高い警告音のようなものが鳴り響いた!
同時に、半壊していたはずの部屋の入り口の金属扉が、ガシャン!と音を立てて閉まり、俺たちの退路を塞いだ!
「なっ!?」
「罠か!?」
バルガスたちが武器を構える。
警告音は鳴り止まない。そして、部屋の中央にあった、空のはずの巨大な円筒形の水槽に、亀裂が走り始めた!
ミシミシと嫌な音を立てながら、水槽のガラスが内側から破壊されていく。
そして、その亀裂の奥から、ぬるり、と『何か』が姿を現し始めた。




