第29話:揺れる心
ゴードンが、低い声で俺に呟いた。
「……おい、ノア。お前、一体……何なんだ……?」
俺は、彼の視線を受け止めることができず、俯いたままだった。
何と答えればいい? 俺自身にも、自分の力が何なのか分からないというのに。そして、彼がその言葉に込めたであろう、疑念や苛立ち、あるいは責任転嫁のような感情を、真正面から受け止めるには、俺はまだあまりにも消耗し、そして弱かった。
「……今は、休むのが先決だよ」
沈黙を破ったのは、エリシアだった。彼女は俺の肩にそっと手を置き、そしてゴードンに向き直った。
「疲れているんだ、みんな。それに、ギルドの指示は『待機』だ。ここで言い争っても、何も始まらない」
彼女の冷静な声には、有無を言わせぬ響きがあった。
ゴードンは、しばらくの間、まだ何か言いたげに俺を睨んでいたが、やがて深いため息をつくと、壁に背を預けて目を閉じた。セリアは、依然として膝を抱えたまま、小さく震えている。
ほどなくして、ギルドの職員がやってきて、俺たちをそれぞれ用意された部屋へと案内した。俺とエリシアは隣同士の簡素な個室、ゴードンとセリアは少し離れた別の部屋に通されたようだ。おそらく、意図的に分けられたのだろう。
部屋は、質素だが清潔だった。ベッドと小さな机、椅子があるだけの、まさに「待機」するための場所。窓には鉄格子こそ嵌まっていないが、廊下には見張りのギルド職員が立っている気配があり、俺たちがギルドの監視下に置かれていることを改めて実感させられた。
部屋に入り、一人になると、どっと疲労感が押し寄せてきた。
ベッドに倒れ込むように横になる。
遺跡での出来事が、走馬灯のように頭の中を駆け巡る。追放、エリシアとの出会い、スキルへの気づき、バグとの戦闘、カイトの最期……そして、ギルドの尋問。
(俺は、これからどうなるんだろう……)
自分の力のことも、ギルドの疑念も、ゴードンたちのことも、何もかもが不安だった。
エリシアは「一緒に調べていこう」と言ってくれた。それが、今の俺にとって唯一の支えだった。
コンコン、と控えめなノックの音。
「ノア? 入ってもいい?」
エリシアの声だ。俺は体を起こし、「はい」と答えた。
入ってきたエリシアは、俺の顔色を見て少し心配そうに眉を寄せた。
「やっぱり、まだ顔色が悪いね。大丈夫?」
「……はい、なんとか」
彼女は俺の隣の椅子に腰を下ろした。
「さっきの尋問……大変だったね。リゼットさん、かなり鋭い人みたいだ」
「……俺、うまく答えられなくて……エリシアさんが庇ってくれなかったら……」
「気にしないで。今は仕方ないよ。あなたのスキルのことは、軽々しく話せるものじゃない」
エリシアはきっぱりと言った。
「それに、ゴードンさんたちのこともあるしね……」
彼女は少しだけ、ゴードンたちがいるであろう隣の部屋の方に視線を向けた。
「彼ら、相当参ってるみたいだった。リーダーを失って、自分たちの立場も危うい。ノアに複雑な感情を向けてしまうのも……まあ、無理はないのかもしれないけど」
その声には、同情と、わずかな諦めのような響きがあった。
「俺……」
俺は、カイトの最後の言葉を思い出す。「貴様の力、借りるぞ。……いや、貸せ」。あの時の彼の真意は何だったのだろう。俺の力を認めた? それとも、最後まで利用しようとしていただけ? 分からない。でも……。
「俺、カイトさんを助けられなかった……」
思わず、声が漏れた。
エリシアは、黙って俺の言葉を聞いていたが、やがて静かに言った。
「……それは、違うと思う。あなたは、限界の中で最善を尽くした。あの状況で、彼を救うのは誰にもできなかった。彼は、自分で自分の最期を選んだんだよ。……勇者として、ね」
彼女の言葉は、俺の罪悪感を完全には消してくれなかったが、少しだけ、心が軽くなった気がした。
「ありがとう、ございます……」
「うん」
エリシアは頷くと、少しだけいつもの研究者の顔に戻った。
「それでね、ノア。少し気になったんだけど……あの時、バグエネルギーを変換したでしょ? あの後、何か体に変わったこととか、感じなかった?」
「え? 特には……ただ、すごく疲れただけで……」
「そっか……。『情報変換』なんて、とんでもないことだからね。反動がないか心配だったんだけど……。まあ、これからゆっくり調べていこう。あなたのスキルは、きっとこの世界の『バグ』を解く鍵になるはずだから」
彼女は力強く言った。その言葉に、俺は再び勇気づけられる。
「ありがとう、エリシアさん」
「ううん。じゃあ、今はゆっくり休んで。私も少し自分の部屋で考えをまとめるから」
エリシアはそう言って立ち上がり、静かに部屋を出ていった。
部屋には、まだ解決すべき問題と、先の見えない不安が漂っている。だが、エリシアという心強い仲間がいる。それだけで、今は十分なのかもしれない。
俺は、彼女の言葉を胸に、まずはこの消耗しきった体を休めることに集中しようと、ゆっくりと目を閉じた。