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第4回 『夏目アラタの結婚』

 放課後、『一流の漫画読み部』に顔を出すと、咲夜と燈子とミュウがそろってソファに座り、全員なにやら真剣な顔つきでテーブルの上のなにかを囲んで額を突き合わせていた。

 デッキにまとめられたカードだ。何枚かはデッキの横に広げて置かれている。トランプで遊んでいるのだろうか? いや……


「次のお題は――」と咲夜がデッキの一番上のカードをめくる。「『働きマン』ね」


「これは難しいですね。群像劇ですからいくらでも言いようがあります」


「社会人ものはぼくの得意分野だよ。絶対に見破られない自信がある」


「じゃあ、考える時間は一分ね。始めましょうか」


 咲夜はそう言ったところで、戸口の僕に気づいた。


「塚本くん、いらっしゃい。ちょうどいいところに来たわ。審判役をやってくれないかしら」


「審判? なんかのゲーム?」


「ええ。我が部の名物、《名作知ったかぶりゲーム》よ」


 うさんくさいことこの上ない名前だった。ていうか設立四日目の部活に名物もなにもあったものではないと思うが。


「このデッキのカードには有名な漫画のタイトルが一枚にひとつずつ書かれているわ。ランダムでめくって、その作品をお題にわたしたち三人がひとくさり語る。読んでいない作品でも知ったかぶりで語る。そしてだれが知ったかぶりしているのか見破る――というゲーム」


「なんつうしょうもないゲームだ……」


「でも、わたしたち三人だけでやってもむなしいんですよ、このゲーム」と燈子。


「そう。ぼくらはお互いがどんな漫画を読んでいるのかだいたい把握しているから、どれだけ巧妙に語ってもすぐ見抜けてしまうんだ。ということで弘夢、審判をやってくれ」とミュウ。


「僕が審判やったところでむなしいのに変わりはないと思うけど……」


「なにを言うの塚本くん。読まずに語るのは一流の漫画読みの必修科目よっ?」


「ええええ……。まあ、なんでもいいけどさ」


 僕は三人からちょっと離れた場所に腰を下ろした。


「それじゃ、お題もシャッフルして引き直しましょうか。どうせなら塚本くんに引いてもらいましょう」


 言われた通り、デッキを切って一枚めくった。


『JIN -仁-』。


「完璧なプロットのタイムトリップものよね。ドラマ版のラストもまあ泣けるけど、泣けるだけよね。説明があまりにも説明のための説明という感じだし、それに比べて原作ラストは震えるし、読み切ってから第一話を読み返すともう一度震えるわ」


「吉原の描写が最高ですよね。華やかなところからえぐいところまで。梅毒を患って一人前とか、ぞっとしますけどそこがまたリアルで。あと野風さんがもう初登場シーンから悶えるほどかわいいですよね!」


「佐久間象山の使い方が鳥肌ものだったね。たしかにあの人の業績は生まれた時代が早すぎたとしか言いようのない面があるのだけれど、まさかタイムトリップ経験者という設定にするなんて。ぼくはあそこを読んで縮み上がったよ」


 三人とも語り終えたところで僕に視線を集める。


「で、どう? 塚本くん。だれが知ったかぶりかわかった?」


「え? いや全然……ていうか三人とも読んでるんでしょ? 詳しかったし」


「残念、不正解です」と燈子が首を振る。


「正解はぼくら三人とも未読だ」


「全員ーッ?」


「読まなくてもこれくらい語れないと一流とはいえないわ」


「いやいや意味わかんないけど? 読めよ! 超名作だぞ!」


「じゃあ次のお題をめくって、塚本くん」


 次の一枚は『ブラックジャックによろしく』。


「現役の医者からは人気がないそうね。あまりにリアルで読むのがつらいから、らしいわ。どんどん読者を心理的に追い詰めていった末に繰り出される名台詞、胸に突き刺さるわね」


「私あのバイト先の院長先生がハードボイルドでかっこよくて好きなんです、『人の命を救うんだ……金をふんだくって何が悪い?』……しびれます!」


「主人公の青臭さがたまらなくいいね、ぼくはヒロイックなドクターよりもああいうともすればいらいらさせられるキャラクターの方が好きだよ。先輩に逆らって延命治療に走るところなんて一ミリも賛成できないのにそれでも応援しちゃうのは演出の力だね」


 それからまたも三人の視線が僕に集められる。


「どう?」と咲夜。


「えええ……ううん……咲夜かミュウのどっちかは知ったかぶりかな……読まなくてもそれくらいは言える気がする」


「残念、惜しいです」


「正解はぼくら三人とも未読だ」


「またかよ! 読めよ! ウェブで全巻無料だよ!」


「じゃ、次めくって、塚本くん」


 次は『医龍 -Team Medical Dragon-』。


「……わたしがいちばん好きなプロレス技はドラゴンスープレックスね」


「私がいちばん好きなナムコのゲームはドラゴンバスターですね」


「ぼくがいちばん好きな球団はドラゴンズ」


「三人とも読んでないんだろッ? もういいよそれは!」


「正解です、さすが弘夢さんです!」

 なにがさすがなんだ?


「少々簡単にしすぎたかな。弘夢が見抜けるか見抜けないかぎりぎりのラインの知ったかぶりというのはなかなか難しいものだね」


 なんか僕が審判役じゃなく回答者みたいになってない?


「ていうかなんでこんなに医療漫画ばっかりなの」


 三枚並んだカードを見下ろして僕は訊ねる。


「ドラマ化されたのを中心に選んだからでしょうね。医療漫画はヒットするとすぐ連ドラになるでしょう。ドラマ化はアニメ化以上ににわかを呼び寄せるから、わたしたち一流の漫画読みとしても読まない意思力を試されるわけ」


 その意思力なんの役に立つの……?


「『医龍』なんて絵柄もポップだしキャラも立ってるしみんな気に入ると思うけどな」と僕。


「『医龍』しか読んでいない人間に乃木坂太郎を語る資格はないわね」


「『医龍』読んでないやつにも資格ないと思うけどっ?」


「乃木坂太郎の魅力といえば第一に! なんといっても女性キャラのあふれるほどのエロティックな可憐さでしょう。『医龍』にはもったいないわ。読んでいないけれど」


「読んでないのにどこから目線なんだよっ?」


「乃木坂太郎の魅力といえば第二に! 男性キャラの身もだえるほどエロティックな精悍さでしょう。『医龍』では生かしきれないわ。読んでないけれど」


「生かしてるよ! 主人公脱ぎまくりだから!」


「弘夢さん、『医龍』をそういう目で見ているなんて……」


「国民的医療漫画に対する冒涜だと思わないのかい、きみは」


「おまえらも読んでないだろうが! 読んでないのにあれこれ言う方がよっぽど冒涜だよ!」


「そうだろうか?」とミュウは首をかしげる。「森のキノコをぱっと見で食べられるかどうか判別できる人間と、実際に食べなければ判別できない人間がいたとして、前者の方がはるかに有能かつ人類全体にとって有益だと思わないかい?」


「ものは言いようですね! ああくそ!」


「そんな人類全体にとって無益な塚本くんに、乃木坂太郎についてレクチャーしてあげる」


 咲夜の毎度の天上界から目線が始まった。


「乃木坂太郎は間違いなく超弩級の変態よ。四シーズンもドラマ化された国民的医療漫画である『医龍』はその実、乃木坂太郎の変態性を抑える枷だった。大衆の目があるから性癖を爆発させられないというわけね。完結した今、乃木坂太郎を止める者はもうだれもいないわ。獣は解き放たれてしまった……!」


 咲夜を止める者もだれもいないようだった。燈子もミュウもうんうんとうなずきながら聞いているし。


「次の連載は黒岩涙香・江戸川乱歩の翻案小説をベースにした昭和初期ミステリ『幽麗塔』。ヒロインの男装麗人テツオは乃木坂エロティシズムの極致よ。引き締まった筋肉と浮き出た骨のラインへのフェティシズムがあふれているわ。しかもこの漫画のすごいところは、昔の怪奇小説によくある荒唐無稽な筋立てをかなり忠実に再現しているせいで、ストーリーが全然頭に入ってこなくてとにかく耽美で淫靡なキャラの立ち居振る舞いしか記憶に残らないのよ!」


「……すごいところじゃなくない?」


「わたしはもう五、六回は『幽麗塔』を通読しているけれど、いまだに真犯人の正体が憶えられなくてラストで毎回けっこうびっくりさせられるわ」


「だからそれはすごいところじゃ――いやもう一周回ってすごいけども」


「その次の連載作が『第3のギデオン』。これはフランス革命を背景にした、超美形の貴族ジョルジュと、一緒に兄弟同然に育てられた平民ギデオンの、愛憎入り交じった歴史群像劇よ。二人は対立する立場で革命に関わり、そこにルイ16世やロベスピエールといった史実上の有名な人物もからんで濃厚なドラマが繰り広げられていくのだけれど――」


「今度はまっとうに面白そうじゃないか」


「単行本2巻のラストで登場するマリー・アントワネットがあまりに可愛すぎてそれらが全部吹っ飛ぶのよ!」


「おまえがそういうの好きすぎるだけだろッ?」


「そんなことないわ。マリーは明らかに作者・乃木坂太郎の特別な寵愛を受けたキャラよ。なにしろ初登場シーンからものすごい優遇を受けているもの」


「どういう登場なの」


「庭でおしっこをしているの」


「優遇なのそれッ?」


「乃木坂太郎ほどの変態にとってはこれはもうフルオーケストラと千人の合唱団と目もくらむ豪華照明とで演出したに等しい登場シーンよ。その後もマリーは登場するたびにノーパンで脚線美を披露しまくり読者を魅惑しまくり最後は断頭台の露と消えるわ。あっ、ごめんなさい、これはネタバレだったわね」


「そのぐらい知ってるよ失礼な!」


「作者もおそらく途中から『あれ? この漫画のほんとうの主人公はマリー・アントワネットなのでは?』と気づいたのでしょう、最終話はマリーのどアップ三連発で締めくくられるの。さすが乃木坂太郎、わかっているわね!」


 おまえが乃木坂太郎のなにをわかってるんだ……?


「そしていよいよ乃木坂太郎の資質が完全開花したのが最新連載の『夏目アラタの結婚』! まだ単行本第1巻が出たばかりだけれどすでに大傑作の予感に満ち満ちていて全力で推せるわ、にわかもまだ群がっていないことだし!」


 咲夜はそう言って一冊の単行本を僕の目の前にずいと突きつけた。


「これはもう設定からして塚本くんの好みだと思うわ。主人公は児童相談所の職員。彼はひょんなことから、東京拘置所に勾留されている連続殺人犯と面会することになる。残虐なバラバラ殺人で、逮捕後も遺体の一部が見つかっておらず、遺族から『頭部のありかを犯人から聞き出してくれ』と頼まれたのね」


「……で、面会してみたら美女だったわけ」


 僕はカバー絵を見て言う。右側のウェディングドレス姿のちょっと陰のある女性がたぶんその殺人犯なのだろう。


「もちろん。そうでなくちゃ面白くないわよね。で、今後も面会してもらって情報を引き出すために、主人公はとっさに『結婚しよう』って言っちゃうわけ」


 たしかに設定からしてすでに面白そう。僕好みだ。


「そして秀逸なのがこの殺人犯のキャラデザ。表紙はわりと素直に可愛いでしょう。作中でも、最初の登場がこれ。続く何ページかも、無愛想だけれど、可愛い」


 咲夜はさらさらとページをめくって僕にその殺人犯の登場コマを示していく。


「でも第一話のラストでやっと笑う。口がはっきり開く。それがこれ」


 ……歯が、ぼろぼろであるということが、ここまで恐怖を引き起こすことを僕はその瞬間まで知らなかった。


「すごいでしょう、この二面性デザイン。これだけで読者にはこの女がすさまじく危険であることが直観的に伝わる。第二話以降もその直観は裏切られず、主人公と殺人犯の分厚い強化アクリル越しの虚々実々の騙し合いが続くのよ。歯を見せていないときの儚げな可愛らしさと歯を見せた瞬間の狂気の対比。乃木坂太郎の真骨頂!」


 咲夜はソファから立ち上がって、僕の目の前でくるりとワルツのステップを踏むように回った。


「まだこの先どう話が転がるかわからないけれどわたしは確信しているわ、これは絶対に超絶傑作になる! そして宮崎あおい主演で連ドラになって爆発的大ヒットするわ! だから今のうちに推すのよ、いい? 塚本くん、今のうちにどんどんこの漫画を広めなさい、そのときには1年1組の渕ヶ森咲夜の紹介で知った、とちゃんと言うのよ! いつ頃教えてもらったのかも忘れずに言い添えるのよ、有名になるよりも早くこのわたしが目をつけていたという証明になるんだから! ドラマ化が決まってからでは遅いの!」


 一流の漫画読みもたいへんだなあ、と僕は思った。まあ、僕にはこの部活の他に漫画について語る場所がないので広める相手もいないんだけど。

 ふと横でミュウが言う。


「ぼくもこの漫画は来ると思うけど、ひとつだけ気に食わないことがあるのだよね」


「……なに?」


「ヒロインの一人称が『ボク』なんだ。ボクっ娘ってどうかと思う」


「おまえが言うのかよっ?」


「ぼくはひらがなだから。別物だから」


「わかんねえよ発音一緒だろ!」

『幽麗塔』

https://www.amazon.co.jp/dp/B00CY23E1E/

『第3のギデオン』

https://www.amazon.co.jp/dp/B017XATPAU/

『夏目アラタの結婚』

https://www.amazon.co.jp/dp/4098604841/

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