第百七十話 勇者の隣の一般人(中)
一週間後、再びロゼッタはロックの住む城へとやって来た。
ロックは旧亀岩城跡地に建設された小さな城で執務を執り行っている。
かつてこの場所で長きに渡り玄武の国の王族たちの住居として使われていた亀岩城はもはやどこにも存在しない。
最終決戦時、亀岩城改め『堕天機ゲンブ』にはロックが乗り込み、ツクヨミとの決戦のさなかに全ての堕天機は消滅してしまったからだ。
今日これから2人が行う会話の内容は、ナイトが魔族の国へと渡った後の話である。
それは世界の理が崩壊していく話であり、その果てにロックはナイトを殺害することになるのだ。
「ええと……前回はどこまで話したかしら? バーサーカーモードのあなたを正気に戻すために、あなたの息子を私が情け容赦なく握り潰した場面をより具体的に……」
「カットです、カット! お願いですから忘れてください!」
「まぁ! このシーンを入れないと、サムばかりに笑いが集中してしまうのよ?」
「私に笑いは必要ありませんよ! それよりもナイトです! あいつがロイとセブンと一緒にミスターグラモの下へ転移した場面からでしょう!」
「そうね、当事者の多くがその後に起こったステータスの消滅と魔族の人化騒動の影響で詳しいことを覚えていないから、この辺から割と大雑把になるのよねぇ」
勇者の迷宮から11年ぶりに脱出を果たすことに成功したナイトたちだったが、姉上たちとは離れ離れになってしまった。
ナイトとロイとセブンの3人だけが魔族の国へと転移し、他の者たちは全員私の前に現れたのだ。
その時の私の醜態と、その後の騒動については割愛してもいいだろう。
結局のところそれは、『感動の再会だった』で済む話なのだから。
問題は魔族の国に意図せず飛ばされてしまった3人についてだ。
ヤマモリの町で私たちにダンジョン探索の手ほどきをしてくれたミスターグラモは実は魔族の国の一つ、武御雷の国の斥候部隊の隊長だったものだから、さぁ大変。
滅多にこない人間が一気に3人も現れたので、武御雷の国内部は大騒ぎになったのだそうだ。
それでもナイトたちは幸運だった。
大魔王が復活し、大陸に渡っていた魔王は全滅。大陸そのものも氷漬けにされてしまったために、魔族たちも困惑していたのだという。
そもそもあの時戦った魔王たちは、元々穏健派という話であり、積極的に人間を襲っているわけではなかった。
彼らは失われた神の復活を目論んで大陸に渡ったのだと聞かされたナイトは、ミスターの監視の下、魔族の国で暮らすことになったのである。
そしてナイトは魔族の国にもあった神殿でスキルの更新を行い、ロイとセブンもまたスキル授与の儀式を行った。
セブンは下手に戦う力を与えないためという理由で大魔王にスキル授与の儀式を禁止されており、ロイは生まれてから迷宮暮らしだったので、スキルを授かっていなかったのである。
ナイトのステータスは爆発的に上昇し、セブンのスキル授与の儀式も滞りなく終了した。
問題はロイだった。
ロイは7つのスキルを得ることができた。流石はナイトとアナの息子である。
だがそのうちの2つが天使の枠に占領されていたことが大問題になったのだ。
ビャッコの使いであるビャクとタケミカヅチの使いであるミカという2人の天使がロイの下に降臨した。
だがこれは明らかにおかしな事態だった。
ゲンとヨミの降臨は2つの呪いスキルを乗り越えた特典だと言う話だったはずなのに、ロイは何もしていない。
勇者の迷宮を突破したからとビャクとミカは言ったそうだが、それならばナイトやセブンのところに天使が来ないのはおかしい。
この時初めてナイトは天使の存在を疑ったという。
だが具体的に何か被害があるわけでもなく、しかも2人がゲンとヨミとの念話が可能だと説明し、迷宮を出たことで復活を果たしたゲンとヨミを通して私たちと会話ができたことで、その件は一度有耶無耶になってしまったのだ。
この時、私はナイトが生きていたことを喜ぶことよりも、この危機的状況のさなかに結婚をして子供を作って、魔族の国で魔族と仲良くしているナイトに不快感を示し、激怒していた。
もちろん今ではあれは間違いだったと分かっている。
だが、私は一方的にナイトを弾劾し、碌に話も聞かずに背を向けてしまったのだ。
結局その後、ナイトの話を聞いた姉上が島に隠れ潜んでいた大魔王の間者を発見し、アナもまたスキルの更新をして『一般人』を授かったことで、ようやく話を聞ける体勢になった。
だがその頃にはもう、この世界の全ての生物は戻ることのできないレールの上に乗っていたのだ。
それは突然、訪れた。
ステータス『運』の消滅と、堕天機タケミカヅチが担当していた全てのスキルの消滅という異常事態が。
「ようするにあれよ。あなたがへそを曲げている間に、大魔王の追手がナイトたちに迫ってきた。ニコとガイアク大臣、そしてヨンの3人で構成された魔王軍団をナイトは倒して魔石を回収。それをミカに食べさせたことで、最後の封印を解けてしまって、タケミカヅチの封印が解除されて、ナイトは神を倒したのよね」
「聞いた当初は意味が分かりませんでしたけどね……魔王を倒したら城が襲いかかってきて、それを倒したら、スキルが消滅して、城に乗れるようになった! ですから」
「まさか私たちが暮らしていた亀岩城が実は神様の外殻で、勇者の封印の放棄と大量の魔石の回収により神様が復活するだなんて思わないじゃない」
「タケミカヅチは蜘蛛の形をしていたのでしたか」
「ええ、雷→雲→蜘蛛という考えらしいわね」
「おまけに天使の目的は大量の魔石を集めて神を復活させる事だったと」
「こればっかりはナイトの考えも外れたわね」
「天の使いで天使ではなく、堕天機の使いで天使ですからね」
「その神様も実は堕天機という名の作り物で、倒した堕天機は操ることができたのですものね」
「そして神を倒すと、その神が司っていたスキルとステータスが消滅する。そのおかげで私たちは大陸を取り戻すことができたのです」
「大魔王の氷河を打ち破る手段は11年経っても見つけられなかった。でも神を倒すことでスキルを消滅させることが出来るのだから、氷の神『ヒミコ』を倒せば、大陸奪還の足がかりになる。……相変わらずナイトの思考は斜めにぶっ飛んでいたわよねぇ」
「ナイト探索のために魔族の国に派遣していた魔王たちをそのままにしておいたのが大魔王の失策ですね。それを個別撃破されてしまいナイトに魔王の魔石を回収され、堕天機を復活させて倒すことで、ナイトの戦力は増大したのですから」
「天使の降臨条件が判明したことも大きかったわよねぇ」
「ええ、姉上やロイの下に天使が降臨したのは、多くの魔石を魔石回収機に投入していたから。一定以上の数の魔石を魔石回収機に投入した者がスキル授与の儀式、もしくはスキルの更新を行うと、天使はそのシステムに介入して大量の魔石を集めた功労者の下にやって来る。良くできたシステムですよ。徹頭徹尾魔石を集めることしか考えていない」
「ラックやナルはロイのスキル授与の儀式が不穏に終わった影響でスキル授与の儀式を受けさせていなかったから、わざわざ迎えに来て、天照の国と氷美子の国でスキル授与の儀式を行って、天使を出現させたのよね」
「結局ナイトはその後、復活したアマテラスとヒミコを倒し、光と氷のスキルと心力とMPをステータスから消滅させました」
「おかげで大魔王の氷河は溶けてなくなり、独占されていた魔法も消え去ったと」
「ええ、11年に及ぶ『魔法の心得』の独占により、私たちも魔族たちも魔法に頼らない生活にすっかり慣れていましたからね。正直魔法の完全消滅によって困ったのは大魔王くらいだったはずですよ」
そして3体の神、いや堕天機の開放は思わぬ事態を引き起こした。
堕天機の存在意義とは世界に魔素をばらまくというものだった。
神の力を持つ堕天機は、その体から魔素という名のエネルギーを放出し、世界にスキルとステータスという恩恵をばら撒いていたのだ。
そしてその副産物として魔素が様々な条件で固まって固形化されたのが魔石だったのである。
それがナイトによって倒されてしまった。
堕天機そのものは残り、それは移動要塞として大陸を取り戻すための力となった。
しかし堕天機にあった神の力は失われ、魔素の放出は止まり、スキルは消滅して、魔石も自然と消滅していった。
魔石が消滅するということは、新たにモンスターが発生しなくなることを意味する。
そして体内に魔石を持っていた魔族やモンスターは次々と体の力が抜けていき、最終的にはモンスターは普通の動物に、魔族は人間の姿になってしまったのだ。
ただ彼らは普通の人間とは少しばかり違った外見に落ち着いていた。
ミスターグラモのようにずんぐりむっくりとした体型をしているものもいれば、私の妻となったアマテラスの巫女のように顔立ちが整い、耳が尖っている者もいる。
それとは別に虫や動物などの特色を色濃く残していた魔族は、体に甲羅があったり、フサフサの耳があったり、しっぽが生えていたりするのだ。
彼らはそれぞれドワーフ、エルフ、獣人と名付けられた。
名付け親はナイトだ。彼らを見た際に、ナイトが叫んだ言葉がその由来となっている。
「夢にまで見たドワーフとエルフと獣人が生まれる瞬間に立ち会えるなんて!」
と、大騒ぎしていたらしいが、ナイトは予知夢でも見ていたのだろうか?
「それから私たちはナイトと合流し、魔族から人となった彼らと友好を築いて、共に大魔王に立ち向かったのよね」
「最初はお互い喧嘩腰でしたがね。ナイトとロイとセブン、3人の堕天機使いに睨まれて仕方なしに会談に応じたというのが本当のところです」
「それなのにあなたは、天照の国の代表といつの間にやら良い関係に」
「ほっといてください。私にとっても10年ぶりの恋だったのです」
「問題は何もないわ。むしろ奨励したじゃないの。元魔族の王族と元勇者の王族が恋仲だなんて素敵じゃない」
「おかげで両陣営から暗殺者に狙われましたよ」
「大魔王の脅威がまだ残っていたというのにお気楽なことよねぇ。でもあなたたちはそれを愛の力で乗り越えた」
「違いますよ。結局は物理的な力で乗り越えたのです。もう良いでしょうこの話は、その後の大陸奪還の戦いのほうが重要でしょうに」
「どんな話にもラブロマンスは必要なのよ。特に殺伐とした話にはね」
元魔族と協力関係を結んだ私たちは大魔王を倒すために11年ぶりに大陸の土を踏んだ。
最初に上陸した地は白虎の国だった。残っているステータスはレベル、HP、力、頑強そして素早さの5つのみ。
この中で気をつけなければならないのが素早さだったからだ。大魔王のスキルを奪い、魔法を使用不可能にしたとしても、未だステータスの差は圧倒的であり、中でも早さで押し切られたら全滅することも考えられた。
だからまず白虎の国に上陸し、ビャッコの封印を解いて倒すことになったのだ。
神がそれぞれのステータスに対応していることは分かっていた。
そして残り5つの神の中で、明らかに素早さの担当はビャッコだと分かったからだ。
なにしろ風を司っているのである。これで素早さの担当でなければ何だという話になるだろう。
そしてこの戦いと並行して、幼い勇者たちの強制レベルアップが行われた。
アナ、ハヤテ、デンデ、そして私は長い年月を掛けてレベル100の大台となり、勇者の印の放棄を可能としていたが、彼らはそうではなかったからだ。
もっともナイトとエルの娘であるナルと姉上が生んだラックは幼いうちから少しずつ経験値を積ませていたのでそれほど時間は掛からなかった。
問題はエースとムツキの娘であるセブンだった。
バードで暮らしていた間は全く戦ったことがなく、ナイトと共に魔族の国へと飛ばされていても、魔王との戦いにも神との戦いにも参加できなかったためレベルが低かったのだ。
だからナイトが大陸に侵攻している間に、子どもたちは島のダンジョンでレベルアップに明け暮れていた。
そしてまずはナルとラックが『勇者』を放棄して『一般人』となり、大魔王が閉じこもった青龍の国に出向く頃にはどうにかセブンもレベル100の大台に乗ることができた。
一方、大陸での戦いはまさに死闘に次ぐ死闘であった。
ビャッコ、ゲンブ、スザク、セイリュウと神を復活させては倒していったのだ。
ゲンブと戦う間際のゲンとの涙の別れは語り尽くせないものがある。
しかも途中、何度も知った顔が現れては私たちの行く手を阻んだのだ。
白虎の国ではトウ老師とゼロがコンビを組んで、ハヤテとデンデの前に立ちふさがり。
玄武の国では生きていた父上、エイト兵士長、ジャック、そして姉上だけを付け狙うロリコーン伯爵との死闘があった。
朱雀の国ではエースとムツキ、ナインやキングといった懐かしのメンバーとの再戦があり、
青龍の国では力を失った大魔王クイーンを守るジョーカーとアナとの涙の親子対決があったりしたのだ。
そうして私たちは大魔王を倒し、神を開放して、7つの堕天機を手中に収めた。
ちなみにこの頃には魔王化した仲間を元に戻す技術も確立されていて、かつての仲間は皆生きて帰って来た。
それもこれも武御雷の国で戦ったヨンを運良く助けることができたおかげだ。
助けられなかった者たちもいるが、私は彼らのことを忘れないだろう。
この時点で残っている神はツクヨミだけであった。
大魔王を倒した私たちは、後はツクヨミを倒してこの世界から魔石もモンスターも無くしてしまおうと考えていた。
これは同時にスキルの完全消滅を意味するのだが、モンスターも完全消滅するのならそちらのほうがずっと良いと全員の意見は一致していた。
ちなみにサムのレベルは大魔王がとっくに100まで上げてくれていた。
ツクヨミは世界中を巡ったというのに、どこにも姿が見えなかったが、ナイトは在り処に見当がついていた。
勇者の迷宮の50階、過ちの大広間に描かれていた壁画に従って堕天機を動かすことでツクヨミの封印が解けるのではないかと推察し、実行したところ成功したのだ。
ナイトの考え通り、セイリュウを除いた大陸の3体の堕天機を移動させると、バードの地下から勇者の迷宮がせり上がってきた。
それは月まで届くような巨大な塔となり、私たちは揃って最終決戦に臨んだのである。
そうして私たちは天へと至り、ツクヨミと対面した。
ヨミが大魔王が残した魔石を食すことで顕現したその最後の神は中身が存在していなかった。
中身というのは心のことだ。堕天機の中には神がいる。神がエネルギーを発することにより魔素が生まれ、スキルが生まれ、魔石が生まれて、モンスターが生まれているのだ。
しかしその堕天機は登場した時は抜け殻だった。
私たちは困惑した。
困惑していなかったのはナイトだけだった。
ナイトは存在しない神の在り処を説明し、私たちは心を取り戻したツクヨミと戦い、そして最後の神を倒すことに成功した。
堕天機ツクヨミの中身である闇の神ツクヨミの正体はナイトだった。
そのツクヨミに、つまり親友であるナイトにとどめを刺したのは私だった。
そうして私たちはスキルとステータスと魔石とモンスターいう神の恩恵と試練から脱却し、自らの力でこの世界を生きていくこととなったのだ。
最終決戦時にナイトがツクヨミに倒されたことを知らない者はこの世界には誰もいない。
ナイトこそがツクヨミであり、彼を世界のために倒したことを知っている者は、私を含めた最終決戦時のメンバーのみである。
「姉上、ナイトの最後についてですが……」
「もちろんツクヨミの手で倒されてしまったことにするわ。それがナイトの望みですもの」
「……私はナイトをこの手で殺しました。私はこの罪から逃げるつもりはありません」
「それは罪ではないわ。ナイトの願いよ。あなたはナイトを救ったの。それを忘れてはいけないわ」
「……ありがとうございます」
ロックはあの日以来いつも思い悩んだ顔をしている。
大陸の開放に貢献した無二の親友を失ったからだとみなは思い込んでいるが、実際は世界のために親友を殺したことを思い悩んでいるのだ。
最後の戦いの前にナイトから説明は受けた。
実際ナイトもセイリュウを倒すまでは自分がツクヨミだということは知らなかったという。
記憶を封印していたからだと言い、そして殺されることが救いになるのだとも言っていた。
それでも私はナイトには生きていてもらいたかった。
でもロックは違った。唯一の親友であるロックだけはナイトの願いを受け入れて、その手を汚す覚悟を決めたのだ。
私を含めた突入メンバーが戦意を落とした状態でツクヨミと一体化したナイトと戦う中、ロックだけはゲンブを操り、果敢に前に出続けて、最終的にナイトを倒した。
泣きながら、倒していた。
そうしてナイトは消えてしまった。最後は笑って消えていった。
あの最後に見た風景、全ての神を倒した時に必ず出現していたというあのきれいな景色こそがナイトの住んでいた本当の世界。
死んだナイトの魂はあの場所に帰れたのだろうか?
そうか、私は彼の魂の安息を願いこの物語を記そうと思い立ったのだ。
聞きたいこと、聞くべきことは全て聞き終えた。
私はロックに暇を告げて、部屋を出ていこうとする。
その時、ふと思い出したかのようにロックが私に質問を投げかけた。
「そういえば、姉上。本のタイトルはどうするのですか?」
「決まっているじゃない。『勇者の隣の一般人』よ」
「ふはっ! 一体誰が勇者で誰が一般人なのですかね」
「それは読んだ人が判断することだわ。私はただナイトという偉大な人物がいたという証を残したいだけなのですもの」
「……もう一度言いますが、強力は惜しみません。また何か質問がありましたら遠慮なくおっしゃってください」
「じゃあ私があなたの息子を豪快に握り潰した時の感想を……」
「姉上!」
「それじゃあね、ロック!」
私は扉を締めて城の廊下を駆けていく。
後ろから「姉上! ちょっ、本当に止めてくださいよ!」というロックの言葉が聞こえてくるけれど気にしない。
物語を記すことで、もう一度ナイトに会うことが出来る。
私の胸はそれだけでもう、一杯になっていたのだから。




