第百五十七話 ジョーカー怒りの鉄拳
「ハァハァ、ハァハァ」
「急げ! 追いつかれるぞ!」
僕たちはタートルの町の裏道を全力で走っていた。
町の中で走っている理由は簡単だ。僕たちの命を狙って次から次へと追っ手が襲いかかってきているからだ。
僕の前にはガイアク大臣を背負ったエイト兵士長が先行し、背後は神殿長のばあちゃんが守ってくれている。
そして僕たちの周囲は兵士と巫女たちが護衛してくれていた。
王子は未だ茫然自失としている。
走ることができないので、僕が背負って運んでいた。
僕たちの作戦は失敗した。
城を取り戻すどころか、人質の救出すらできなかったのだ。
僕たちは国王陛下を救出することができず、助けることができたのは、よりによってこの状況を生み出した元凶の1人であるガイアク大臣のみ。
地下牢へ向かったばあちゃんたちは他の人質を見つけたものの、救出することは不可能だったという。
牢の中に閉じ込められていた玄武の国の重鎮たち。
ばあちゃんたちは彼らを発見し、言葉を交わすことにも成功していた。
しかし牢には特殊な粘膜が張り巡らされ、それが人質の脱出を妨げていたというのだ。
捕まっている重鎮たち曰く、それはスライム化した王弟が生み出した粘液の壁なのだという。
声も空気も通すが人の通行は許さないその壁を破ることが出来ず、ばあちゃんたちは撤退を余儀なくされた。
人質たちは2ヶ月に及ぶ監禁生活にすっかり疲弊し、何人かは襲撃時の怪我が悪化して死んでいたそうだ。
そして彼らはロック王子を招き寄せるために生かされているという話だった。
この話を聞いて僕は、モンスターとなったところでその人の持っていた性格は変わらないのだと思い知った。
結局のところ王弟は、城を手に入れようが国を手に入れようが、自堕落な性格が変わることはなかったのだ。
何か目的があるわけでもなく、わざわざ敵を追いかける気力もない。
そんな性格をしているからこそ、人質を生かしたまま逃げられないようにし、標的を呼び込むための餌として利用している。
国王陛下や重鎮たちを捕らえておけば、僕たちは城へ救出に向かわざるを得ない。
そしてその救出隊の中には、当然勇者である王子も含まれている。
彼は実の兄である国王陛下に対して歪んだ感情を持っていた。
王子が奴の標的になっているのは、その影響なのだろう。
しかし王子を狙っているとはいえ、自分から攻めていくのは面倒くさい。
だから彼は餌となる者たちを殺さず生かし、城にこもって標的が来るのをただ待っているのだ。
そして僕たちは、そんな程度の低い相手を倒すことができないのである。
『魔法の心得』を独占され、魔法使いが揃って役立たずになってしまった現状、僕たちには奴を倒す手段が存在しない。
ばあちゃんやエリック先生がスキルの更新を行ってくれていればと思うが、彼らは揃ってスキルの更新を行っていなかった。
スキルの更新は発見されたばかりの全く新しいシステムだ。
そこには多くのメリットもあるが、同時にデメリットも存在している。
だから彼らが、ある程度サンプルを入手した後で、それを参考にしてスキルの更新を行う予定だったと聞かされても、僕は不思議には思わなかった。
ちなみに独占された後にスキルの更新を行っても、『魔法の心得』は消えたままだったという。
独占される前に更新を行わなければ『魔法の心得』は残らなかったのだ。
故にこの国には強力な魔法使いは存在していない。
おそらく他国も同様だろう。
そんなことを考えている間にも、僕たちは段々と追い詰められていく。
襲ってきているのは王弟ではない。町に攻め込み、そのまま町の中に残ったモンスターの大群が僕たちに殺到しているのである。
僕たちは町から脱出するために、そいつらに戦いを挑んだ。
だが、あまりの数の多さに突破ができず、逆に襲われてしまっていた。
そして現在、僕たちはモンスターたちから逃れるために町の中を走り回っている。
元々僕たちは、侵入した時に使った地下道から城を脱出するつもりでいた。
しかし、倉庫に戻った僕たちの前に、粘膜で塞がれた出入り口が姿を見せたのだ。
どうやら王弟は城内の到る所にあらかじめ粘膜を張り巡らせていたらしい。
つまり僕たちの侵入は最初からバレていたのだ。
僕たちは揃って王弟の手のひらの上で踊らされていたのである。
あんな無計画な馬鹿にもて遊ばれていたかと思うと頭にくるが、裏道が使えない以上、正面玄関から逃げるしかない。
僕たちは城の入り口から町を通って脱出するルートを選ばざるを得なかった。
そうなると当然、僕たちはモンスターの密集地帯を通ることとなる。
圧倒的な数の差に対抗できない僕たちは、段々と町の裏通りへ追いやられていくのだった。
「はぁはぁ、くそっ! ちくしょう! 年は取りたくないもんだねぇ!」
「神殿長様! 言葉遣い! 言葉遣いが荒いです!」
「やかましいよ! あたしゃ元々、荒くれもんさね!」
僕たちの中で最も年をとっているばあちゃんが肩で息をし始めた。
口では年を取った言っているが、ばあちゃんの体力は大したものだ。
既に半数が肩で息をしている現状、一番年上のばあちゃんの体力はこの精鋭部隊の中でも真ん中あたりということになるのだから。
「それでどうするんだい、エイト。このままじゃジリ貧だよ! 一度どこかで休まなきゃ、やってられないよ!」
「分かっております! ですからこうして町の兵士の詰め所へと向かっているのです!」
「兵士の詰め所なら確かに普通の家よりかは防衛に向いてそうだが、大丈夫なのかい?」
「心当たりがそれしかありません! 拠点となると闇の神殿や役所が思い浮かびますが、あれらは中心部にありますゆえ!」
「これだけの数を相手にしながら大通りを進むわけにもいかないからねぇ!」
そう、町の中にひしめくモンスターの数は城の中を遥かに上回っていたのだ。
王弟の話を信用するのなら、このモンスターたちはガイアク大臣と共謀した青龍の国の者が集めたモンスターであり、王弟の意思に従っているわけではないはずだ。
青龍の国が関わっているということは、つまりこいつらは大魔王から派遣されてきたモンスターということになる。
だからこそ対処に困るのだ。
基本ほったらかしな王弟とは違い、こいつらは僕たちを倒そうと全力なのだから。
それでも何とか、何とか詰め所まで辿り着ければ! という考えの下、僕たちは町の裏通りを進み続けた。
しかし目指していた兵の詰め所が破壊されていたのを目撃し、僕たちの心に絶望が忍び寄ってくる。
「どうするんだい! 壊されちまっていたじゃないか!」
「……中に死体が何体もありました。恐らく逃げ遅れた町の住民たちが立てこもったものと思われます」
「なら、しょうがないね! で、次はどうするんだい?」
「他の拠点を探しましょう。とにかく大通りから離れなければ。数では圧倒的に不利なのですから」
僕たちは普段近づくこともない町の裏側へと、どんどん追い詰められていく。
そうして僕たちはその建物に辿り着いた。
タートルの町の中流区の外れ。
あまり裕福でない者たちが暮らす地区との境界線に建っている、中々の大きさを誇るその建物へと。
それに気づくことができたのは、一行の中でばあちゃんただ1人であった。
「気をつけな! 吸い込まれるよ!」
「は?」
「吸い込まれる? 何にですか?」
突然ばあちゃんが叫んだ意味の分からない警告を疑問に思った次の瞬間、目の前の屋敷の玄関が突如として開き、僕たちの体は屋敷に向かって吸い込まれ始めた。
「うおぉ!?」
「何だこれ? かっ、体が屋敷に吸い寄せられる!」
「ああ! 王子!」
「大臣!」
吸い込まれまいと下半身に意識を向けた、その一瞬の出来事だった。
僕が背負っていた王子の体とエイト兵士長が担いでいたガイアク大臣の体が、揃って目の前の屋敷へと吸い込まれてしまったのである。
吸い込まれた王子を見捨てるなどという選択肢は存在しない。
僕は足の踏ん張りを解除して、その勢いのままに屋敷の玄関へと突入していった。
「ああもう! 仕方ないねぇ!」
うしろからばあちゃんの叫び声が聞こえてくる。
その後すぐに「全員飛び込みな!」という掛け声と、「はい!」という返事が聞こえてきた。
どうやら皆揃ってこの屋敷へと突撃することにしたようだ。
僕は一足先に屋敷の中へと足を踏み入れた。
しかし屋敷に一歩入った次の瞬間、突然殴り飛ばされて壁に叩きつけられてしまう。
「ぐはっ!」
重い。
なんという重い一撃なのか。
何やら底知れぬ思いが詰まったような拳を打ち込まれ、僕は無様に這いつくばる。
僕の後から屋敷の中へ飛び込んできた仲間たちも同様だ。
次々に拳を打ち込まれた仲間たちは、揃って壁に叩きつけられて倒れていった。
最後に屋敷へと飛び込んできたのは、エイト兵士長とばあちゃんの2人だ。
2人は飛び込んできた時には既に武器を構えて戦闘態勢になっていた。
だが僕たちを殴り倒した真っ白い男の重い拳は、エイト兵士長の鎧を打ち砕き、ばあちゃんを床に叩きつける。
床に倒れたエイト兵士長は蹴り飛ばされて壁に叩きつけられた。
「ばあちゃんは?」と視線を向けると、右手一本で宙吊りにされている。
……真っ白い男?
「止めろジョーカー! 神殿長様から手を離せ!」
「黙っていろ、兵士長。邪魔をするなら貴様から殺すぞ」
底知れぬ殺意が屋敷のエントランスを満たしていく。
全身を刺す針のような殺気を放つ目の前の男は髪もスーツも白一色。
そいつは城の奪還のために集められた精鋭部隊を、拳の一撃で全滅させるほどの戦闘力を持っていた。
男の名はジョーカー。
この町の裏の支配者と呼ばれていた男は、片手一本でばあちゃんを宙吊りにし、怒りに震える瞳で、ばあちゃんを睨みつけている。
「久し振りだなクソ女。最後になにか言い残すことはあるか?」
「……今回は、殺すのかい? 勇者の供の選別の日の晩は、見逃してくれたじゃないか」
「あれは娘の旅立ちを血で汚したくなかっただけだ。勘違いするなよ、私は貴様を許した覚えは微塵もないぞ」
「はっ! ……あたしもあんたの許しを得るつもりなんざ毛頭ないよ。あたしは今でも、正しいことをしたつもりなんだからね」
「だがアナスタシアは死んでしまった」
「……」
「『貴様に誘拐された私の娘』は死んでしまったのだ! 聞いているだろう、最後は崩落する地面に叩き落とされて死体も残らなかったという話だ! 貴様が! 貴様が私の娘を! ただ『勇者』だったからという理由で誘拐したからこんなことに!」
片手で吊り上げられ、首を絞められたばあちゃんの顔色は段々と青くなっていく。
このままでは窒息死だ。いや、その前に首の骨が折れてしまうかもしれない。
だが僕たちは、ジョーカーの放つあまりの殺気に動くことができないでいた。
それと同時に混乱していたのだ。ジョーカーが放った言葉の内容に。
ジョーカーは確かに言ったのだ、ばあちゃんに娘を誘拐されたと。
その娘は崩落する地面に叩き落とされ、死体も残らなかったのだと。
そして娘は勇者だったと。
崩落する地面に叩き落とされて死体も残らなかった女勇者なんてたった1人きりしかいないではないか。
つまりジョーカーは。この、目の前の、白い男の正体は。
「あんたの娘を……誘拐して、ダイアナという名の闇の勇者に育てたのは……あたしさ。そして、ダイアナが大魔王の配下に……殺されたってのも事実だよ。
でも……許してくれとは、言わないよ。闇の勇者は、闇の神殿で、育て上げる。それが昔から続く、伝統なんだからね」
首を絞められながらも紡がれたその言葉に、屋敷に吸い込まれた僕たち全員が度肝を抜かれた。
ジョーカーとアナ姉が実の親子!?
ばあちゃんがジョーカーからアナ姉を誘拐しただって!?
「それに……あんただって、気がついているはずさ。ダイアナを誘拐したのは……確かにあたしさ。けど、あの子を勇者にしたのは、あたしじゃない。勇者は生まれた時から勇者なんだよ。だからあの子は、遅かれ早かれ、大魔王と戦っただろうさ」
「だが死んだ! 死んでしまったのだ、アナスタシアは!」
「それは……仕方のないことさ。詳しい話を聞いたけれども、敵は不意打ちをしてきたっていうし、その場にはロックもナイトもいたんだ。あの子にはどんな状況でも生き残れるようにと技術を仕込んだけれど、敵のほうが上手だったってだけさね」
「貴様は子供を持ったことがないから、そんな簡単にあの子の死を認められるのだ!」
「それは……」
「違います! 神殿長様がどれほどダイアナの死を悲しんだかも知らないで!」
「この場にいるのだって、悲しみに押しつぶされそうだからという理由なのです! お願いします、殺さないでください! 闇の勇者であるダイアナが殺され、神殿長様まで死んでしまったら、もう私たちは立ち上がることが出来ません!」
闇の神殿の巫女たちが必死にジョーカーにばあちゃんの助命を嘆願している。
良く見れば彼女たちの顔には王子や兵士たちの顔にある驚きがない。
ひょっとして彼女たちはアナ姉の出生の秘密について知っていたのだろうか。
ジョーカーは顔を歪ませながらばあちゃんの体を上げたり下げたりしている。
彼もまた葛藤しているのだろう。ばあちゃんを殺したところでアナ姉が生き返るわけではない。
だが、頭では理解していても、心に巣食った恨みはそう簡単には消えないのだ。
ジョーカーは頭をかきむしり、ふと僕と目が合ったかと思うと、ばあちゃんを片手で持ち上げたままで僕の近くへとやって来た。
その目は憎悪と悲哀に濁り、体からほとばしる殺気は刃のように僕の全身に突き刺さる。
兄さんはこの男と何度も商談をしたり情報提供を受けていたと言っていたが、正直全く心の底から信じられない話だ。
一体どれだけの胆力を持っていたのだ兄さんは。
目の前にただ立たれただけで、僕はもう逃げ出したい気持ちで一杯なのに。
「おい弟、アナスタシアが死んだ時、ナイトは一体何をしていた」
「え? に、兄さんですか?」
「そうだナイトだ。あいつになら娘をやっても良いと思い、散々援助をしてきたというのに、無様に死んだというのは本当か?」
「違います! アナ姉たちが受けた不意打ちは、誰もが予想外で対処ができず、兄さんは僕たちを救うために1人でバードに残ったんです!」
「……あいつ1人が残ったところで、一体何ができるというのだ」
「大魔王に大怪我を負わせました! 信じてもらえないかもしれませんが、大魔王を行動不能にしたのは王子ではなくて兄さんなんです! 今、僕たちが生きているのも兄さんのお陰なんです!」
「だがあいつは、アナスタシアを助けることは出来なかった!!」
「助けられるものなら、絶対に助けたはずです! でも無理だったんです! 兄さんでも、あの兄さんであっても、あの不意打ちには対処できなかったんですよ!」
「クソがぁ!!」
ドガアァン!!
ジョーカーは乱暴に腕を振りかぶり、ばあちゃんを壁に叩きつける。
凄まじい轟音が響き渡って壁が吹き飛び、ばあちゃんは隣の部屋で瓦礫に埋もれてしまった。
ジョーカーは、ばあちゃんを投げ飛ばしたままの格好で硬直したままだ。
見れば、その目からは大粒の涙がこぼれ落ちていた。
その姿を見て、僕はふいに母さんの姿を思い浮かべた。
そして気づいたのだ。
目の前の男もまた、子供を失った1人の親に過ぎないのだと。
部屋に充満していた殺気が消失し、代わりにジョーカーの嗚咽が響く中、僕は勇者の家族に襲いかかる理不尽な運命に思いを馳せるのであった。




