第百二十四話 朱雀の国の冒険
朱雀の国の玄関口、ヨコカワの町を出発して早1ヶ月。
俺たちは遂に朱雀の国の首都バードに到着することが出来た。
そう、『到着することが出来た』のだ。
正直ここまで到達できたことが信じられないような旅となってしまった。
朱雀の国の冒険は、想定を超える程の困難を俺たちに与え続けてきたのである。
特にロックの受けたダメージは殊の外大きかった。
全勇者中最高の防御力を誇る土の勇者は全身から疲労感を滲ませており、城を出発した当初の精悍な顔つきは面影すらも存在していない。
ロックは気付いてしまったのだ。
勇者が勇者として手を出すことのできる世直しには限界があるということに。
王子としての立場も他国であるこの朱雀の国では十全な効果を発揮できないということに。
そして自らが生まれ育ってきた玄武の国が本当に良い国だったということに。
俺たちはバードへと近づいていく。
バードは朱雀の国の首都であり、この国最大の都市でもある。
我が玄武の国の首都タートルと同じく、中心には城があり、その周りには城下町が広がっており、それを守るための巨大な壁がグルッと町を取り囲んでいる。
だが玄武の国ではそれで終わっていた町の構造には続きがあった。
『町を取り囲んでいる壁』の外側にも町が広がっているのだ。
ここバードだけではない、これまで立ち寄ってきた全ての町が大なり小なり同じ様な状況であった。
特にここは首都だけあって、壁の外の町の規模も大きい。
そこには今も多くの人々が暮らしている。
町に住む住民の暮らしを守る壁の外で、危険と隣り合わせの状況で暮らしているのだ。
彼らは一様に貧しい身なりをしている。
暮らしている家も廃屋同然のボロ屋が大半であり、碌に整備もされていない道はゴミだらけだ。
と言うか、ここバードの外壁からは外の町へと向けてゴミが大量に投棄されており、それは文字通りのゴミの山となって、壁に張り付くような形で存在していた。
しかも一箇所二箇所ではない、壁に沿うようにして一定の間隔でゴミの投棄場所が存在しており、その姿はさながらゴミの山脈のごとくであった。
町の中に大量のゴミが散乱し、更にいくつものゴミの山が存在する壁の外の町。
そこに住む住民は、そのゴミ山の中から使えそうなものを漁って生活しているのである。
そんな状態だから衛生環境は最悪であり、壁の外の町の中は病人だらけだ。
おまけに、当然のことながらゴミだらけの環境はモンスターの発生を見逃す原因にもなる
これまで通ってきた町と同じく、この町でも日夜モンスターとの戦いが行われているのだろう。
当然のことながら壁の外からもモンスターはやってくる。
そして常にモンスターに対抗できる人間がいるとは限らないから、被害は毎日のように発生するのだ。
そんな状況を純粋培養箱入り王子である我らが土の勇者が放っておけるわけがない。
ロックはこれまでと同じように、俺が作った魔物寄せの薬品を頭から被り、大声を上げて町の中に潜むモンスターを自分の下へと呼び寄せる。
流石は首都……と言って良いものかどうかは分からないが、これまでの町以上に至る所からモンスターが姿を現し、モンスターをおびき寄せる薬の匂いに誘われてロックへと向かって殺到してくる。
それを俺たちはこれまでと同じように迎撃していく。
この1ヶ月の間、朱雀の国の中を旅してきた時と同じように、町の外の町に蔓延るモンスターを駆逐するのだ。
懲罰部隊も正規の騎士団も、当然俺たち勇者一行も、ロックへ向かって来る相手を一匹残らず打ち倒し、壁の外で暮らす人々の安全を確保するのである。
こんなことをしても彼らは安全な壁の中には入ることは出来ない。
それでもやらないよりはやった方がまだましだからやるのである。
これまでずっとやってきたのだ。
こんなことをやりながらの旅だったのだ。
俺はこの1ヶ月に及ぶ朱雀の国の中での旅を振り返ったのだった。
朱雀の国の中には『スラム』が存在する。
俺たち玄武の国一行が、その衝撃の事実に気が付いたのは、ヨコカワの町を出発した直後のことであった。
俺はこの世界にはスラムは存在していないのだと思い込んでいた。
この世界の魔力は至る所に存在し、そのためにあらゆる場所で魔力が結晶化して魔石となり、魔石が更に魔力を吸収することでモンスターが発生する。
モンスターは人間の敵であり、早めに対処しないと楽に倒せない強敵となる。
モンスターの発生を防ぐことは不可能。ならばせめて弱いうちに叩いてしまおうと、モンスターの早期発見を目的として玄武の国では整理整頓が徹底され、住民たちはいつも掃除を欠かしていなかった。
だから結果的にスラム――ゴミが散乱し、治安が悪く危険な地域は町の中には存在していなかったのだ。
だが朱雀の国にはそれが存在していた。
いや、確かに『町の中には』存在していなかったのである。
スラムがある場所は、町を守る壁の外側だったのだから。
俺たちが予定通りの時間にヨコカワの町を出発し、町を守る壁に設置された大扉を潜って町の外に出た瞬間にその光景は目に飛び込んできた。
玄武の国と同様に綺麗に掃除され、ゴミ1つ落ちていなかったヨコカワの町。
だが壁の外にはゴミの山と、ゴミにまみれて暮らす多くの人々の存在があったのだ。
「皆様どうされました? 時間に余裕があるとはいえ町から町への移動にはトラブルが付きものなのです。出発したばかりで足を止められては本日の目的地に辿り着くことは出来ませんよ?」
町の外に広がっていた予想外の光景に足を止めた俺たちに対して、俺たちをバードまで護衛するために派遣されてきた朱雀の国の兵士はそう語りかけてきた。
その言葉を聞いて俺たちは正気を取り戻す。
だが内心の動揺を抑えることは難しかった。
『平和な町から一歩外へと踏み出したらそこにはスラムが広がっていた』なんて状況を見せられて、平静を保てる人間は少なかったのだ。
見れば玄武の国からやってきた同行者のほとんどが同じ状態であるようだ。
だが父さんを含めた何人かは予めこの状況が分かっていたようで、苦い顔をしてはいるものの、俺たちほど動揺はしていないように見える。
あぁそうか。父さんは以前朱雀の国を旅したことがあったというから、この国にスラムがあることは当然知っていたのだろう。
でもだったら、どうして事前に説明してくれなかったのか。
おかげで俺たちは揃いも揃って出発直後にフリーズしてしまっているじゃないか。
「どうしたって……それはこちらのセリフだ! 何なのだ彼らは。一体何故彼らは壁の外で暮らしているのだ!」
ロックが内心の動揺を隠すことなく、兵士を問い詰めている。
驚いたな、王子としての教育を受けているロックですらこの状況は予想外だったのか。
てっきり俺が脱落した後で、エリック先生辺りに教えてもらっていたのかと思っていたのだが。
「何故も何もありません。彼らは住民税を払っていない非国民たちです。町で暮らす資格が無いのですから町の中に入れるわけにはいかないのですよ」
「じゅ……住民税?」
ロックたちは聞き慣れない住民税という言葉に驚いているが、俺は別の意味で驚いていた。
住民税とは日本にも存在したその地域に住むための税金の総称だ。
市民税とか県民税が合わさって住民税と呼ばれていて、この税金は道の整備やゴミ処理費用などの地域サービスに使われているという。
だがだからと言って、税金を払えない住民を町から追い出すのはやりすぎだ。
俺はそう指摘したのだが、兵士はとんでもないと反論してきた。
「馬鹿なことを言わないで下さい。町の中で暮らしたいのなら、きちんと税金を払えばいつだって招き入れますよ。でもね、彼らはろくに働きもしないで日々を過ごしている堕落者たちなのです。そんな者たちまで平等に扱う必要があるとは思えませんね」
そう言って兵士はとっとと先へと進んでいってしまった。
そんな兵士の態度に俺たちが呆然としていると、俺たちを迎えに来た外交官と、この状況を知っていた父さんが俺たちの前にやってきた。
「皆様、驚くのも無理はございませんが、これが我が国の現状です。お恥ずかしい限りですが、速やかに旅を再開していただきたく思います」
「お待ち下さい、外交官殿。彼らをこのまま放っておけとおっしゃるのですか?」
「王子、無理をおっしゃいますな。我が国には我が国の、朱雀の国には朱雀の国の統治方法というものがあるのです。いくら勇者とはいえ、他国の統治方法にまで口を出すのは越権行為とみなされますぞ」
「な、おじさん! あなたがそんなことを言うなんて……」
父さんが「彼らのことは放っておきなさい」と言ったことは、ロックにとっては衝撃だったようである。
まぁ父さんは割りとお固いイメージのある玄武の国の兵士の中でもダントツで真面目な印象だから、あんな不条理を見て「手を出すな」と言われるとは思わなかったのだろうな。
だが残念ながら、今回は静観が正しい選択だ。
俺たちは玄武の国の一行であり、ロックは玄武の国の王子様で、玄武の国所属の土の勇者なのだ。
朱雀の国の政治にまで口を出す権利は存在しないし、したら内政干渉で問題になってしまうだろう。
俺がそう言うと、ロックは今度は俺に向かって「お前もか!」と言葉を吐き捨てた。
「ブルータス、お前もか!」は有名なセリフではあるが、このセリフを言った時のカエサルってのはきっとこういう表情をしていたのだろうな。
結局、俺たちはこの時は何もしないままに旅を再開し、途中の村に宿泊したり、何度か野宿を繰り返したりしながら次の町へと辿り着いた。
そしてそこでも同じように町の外に広がるスラムの存在を見たことでロックが思い悩んでしまい、俺は父さんにどうしてスラムの存在を予め教えておいてくれなかったのかと問い詰めた。
それに対して父さんは、「初めて見た時の衝撃を大事にしたかったからだ」と返答してきた。
なんでも国王陛下やエリック先生とも話し合って、他国のこういった問題点に関しては敢えて教えてこなかったそうなのだ。
朱雀の国に関しては『身分差が我が国よりも大きい国』と、敢えてボカした内容しか教えてこなかったらしい。
百聞は一見にしかず、実際にその場所を訪れて、自分の目で見て体感しなければ血肉にはならない。
中でもファーストインパクトは何よりも重要だ。
事前情報のないままのまっさらな心で感じた思いは、長い時が過ぎ去ってもいつまでも心の奥底に残り続けるのだから。
そのために事前情報を出来る限り制限していたのだと、父さんは説明したのであった。
それからも予め決められていた通りの日程で旅は続いていった。
だが、途中の町で壁の外をうろつくモンスターに住民が襲われているのを見て、それを見ても助けようともしない朱雀の国の兵士を見て、ロックは1人突撃しモンスターを倒して、住民を救い出してしまった。
住民には感謝されたたのだが、それを見た朱雀の国の兵士は一様に「余計なことをしやがって」という表情をしていた。
どうやら彼らにとって、町を守る壁の外で暮らすスラムの住民たちは守るべき国民の範疇に入っていないようであった。
その夜、ロックが俺に相談を持ちかけてきた。
以下がその時のロックの相談内容である。
『私は確かにこの国の王族でもなければ勇者でもないので、この国の政治に干渉することはできない。
だがそれでも幼いころから勇者として、王族として力なき者たちを守るために力を尽くせと教えられてきたために、この状況を無視していくのは我慢がならない。
だからせめて、町の外に蔓延るモンスターたち、奴らを出来るだけ減らすことだけでもしておきたい。
ついては薬師であるナイトに『モンスターをおびき寄せる薬』を作ってもらいたい』
そうロックは俺に相談をしてきたのであった。
モンスターをおびき寄せる薬。
RPGとかでは大抵の町で売っている薬ではあるが、ここはゲームではなく実際に人々が暮らす世界である。
使い方を間違えばモンスターをむやみにおびき寄せて町の壊滅にも繋がりかねないそんな薬など、そもそも作り方すら伝わっていなかった。
だが親友のたっての頼みである。
俺はモンスターをおびき寄せる薬の制作を了承した。
と言っても、今は旅のさなかである。腰を据えて一から実験を繰り返してオリジナルの薬を作るわけにもいかない。
そのために俺は、手に入れてからこれまでの間にただの一度も使うことがなかったとあるスキルを使うことにしたのであった。
「薬レシピ入手発動」
俺の声に合わせて、目の前のステータス画面に変化が起きる。
俺のステータスを映していたステータス画面が切り替わり、その代わりに以下の文面が画面上に現れた。
〈薬レシピ入手を発動します。
残り数は10です。
欲しい薬の内容を入力して下さい(口頭入力可能)〉
俺は「モンスターをおびき寄せる薬が欲しい」とステータス画面に向かって告げた。
するとステータス画面が光り輝き、なんとステータス画面上に、薬の名前とその材料一覧が現れた。
スキル『薬師』の能力、『薬レシピ入手』。
今の今まで使う予定のないスキル筆頭であったこの能力を使い、俺はモンスターをおびき寄せる薬、その名も『誘怪薬』のレシピを手に入れた。
怪物を誘う薬で誘怪薬らしい。
誘拐と誘怪で実に紛らわしいが、まぁ名前に文句を付けてもしょうがないだろう。
ちなみに列挙された薬の材料は手持ちにないものばかりであったが、問題など何もなかった。
スキル『中級薬師』の能力、『薬材料入手』を使い、魔力と引き換えに材料を手に入れることが出来るのだから。
そうして手に入れた材料を用いてあっという間に誘怪薬は完成した。
何しろこちらには俺の他にも8年間薬師として働いてきたロゼがいる。
2人掛かりで取り組めば、あっという間に薬は完成したのである。
それからというもの、ロックは町に到着する度に誘怪薬を自分自身に振り掛けて突撃を敢行し、スラムに巣食うモンスターを手当たり次第に倒し始めた。
どの町のスラムの住民たちも、ロックのこの実に勇者らしい活動に拍手喝采を浴びせていた。
だが彼らの喜びとは裏腹に、やればやるほどロックの気分は沈んでいった。
この行為はただの気休めにすぎないのだと、ロック本人が一番良く分かっていたからである。
町の周囲やスラムに隠れているモンスターはこのやり方で駆逐することが出来るだろう。
だがモンスターというものは倒しても倒しても湧き出てくる厄介な代物なのだ。
結局この場でモンスターを倒したところで、時間が経てばまた魔力は集まり、魔石が生まれ、モンスターは復活する。
だから町の外で生まれたモンスターに襲われないように安全な壁の中で暮らし、町の中ではモンスターが育たないように、常に清潔にして整理整頓を欠かさないようにしなければならない。
それが分かっているからロックは悩んでいるのだ。
完全な解決策は見当たらない。
しかしやらないよりはやった方が良い。
そんな終わりのない戦いを経て、俺たちは朱雀の国の首都バードへと辿り着いた。
朱雀の国の中に土の勇者の勇名を轟かせながら。
同時に土の勇者本人に、言いようのない無力感を味あわせながら。
書籍版発売のお知らせ
遂に発売日まで20日を切りました。
発売日は2018年3月30日(金)です。




