6
同じ頃。
場所は変わり、ここは魔王の住む国ロゥヴェル。
夕闇せまる茜色の空が広がり、水面を渡った冷たい風が吹き込む美しいナルタの街。
人々が寒さに肩をすくめて家路を急ぐ姿がちらほらあり、傍目には平和に見えるゾルグの管理する街だ。
この街のはしっこにある森林の奥。管理の目も行き届き難い場所。
ここに、少しの異変が起きていた―――
「ビリー、そろそろ帰らんと日が落ちるぞ」
「あぁ、ちょっと待ってくれぇ。これを採ってからだ」
ビリーと呼ばれた男は、人待ち顔の不機嫌な男にひらひらと手を振って見せ、目の前にぶら下がった木の実を見て、ぶつぶつと嬉しげに呟いた。
「こいつは珍しいぞぉ。ラシュの実だぁ。モリーが喜ぶぞぉ」
クククと喉の奥で笑い、熟した実をせっせと篭の中に入れ始めた。
「おい、ビリー。何だよ、言ってくれよ。独り占めする気かよ」
それに気付いた男も走り寄り、文句をひとしきり言いつつ木の実に手を伸ばした。
ラシュの実は甘くて美味しいが、数年に一度程度しか実をつけないという貴重な物だ。
「まさかこんなとこに生ってるとはなぁ、知ってたか?」
「そんなこと知るかよ。知ってたら一人で採りに来るだろ?」
「そりゃそーだ」
ガハハと笑い合い、実をもぐ手は止まることなく動く。
市場で売ればたんまりと儲けることが出来るぞぉ。
そんなことを考えつつ、暗闇迫る森の中で光が要らないほどに、二人とも目をランランと光らせていた。
「こいつはいいぞぉ。好運だったなぁ、いつもと別の道通って正解だっただろう」
うきうきワクワクとした気持ちを抑えきれず、クククと笑いながら籠の中を覗き込む。
頭の中にはすでに金貨の山にうずもれた自分がいる。
実際にはそんなに儲けることは出来ないのだが、普段にないことに二人とも浮足立っていた。
そのため、背後の異変に全く気付くことが出来ない。
ズズズズズ……と、地響きのような不気味な音がしているのにもかかわらず、気付く様子が全くない。
二人でニヤニヤしながら籠を覗き込む。
「おい、早く帰ろうぜ。お前の家で売る算段を始めねぇと」
「だな、急ごう」
いそいそと小走りに森の中を家へと急ぐ。
その二人の背後にあったもの。
美しい緑あふれる森。
その一部分に、異変が起きていた。
ズズズズ…ンと、低音を響かせ地面に稲妻のような亀裂がピッと走る。
徐々に間を広げていくそれは、地面をぱっくりと分けてしまい、それの周りに光のないブラックホールのような真闇が、さー…と広がった。
木々を乗せた地面は、まるで黒い空に浮かぶ島のように見える。
その緑の塊が、吸い込まれるように小さくなっていき、真闇の空間も同等に狭まっていく。
やがて黒い点のようになり、シュンッと僅かな音を立てて収束したあと、約束されたように森の修復が始まった。
割れた地面の周りがメリメリと寄せ集まり窪みを無くし埋めていく。
木々は脚の生えた生き物のように動き、ぽっかりと空いた空間を程良い間隔で埋める。
これは魔王の力のおかげなのか、それとも森の再生能力か。
やがて何事もなかったかのように静かな森に戻り、見た目には何も変わっていない。
こんな異変は、実は国のあちこちで起きていた。
街の片隅、森の奥、山の中。
いつの間にかあるべきものが無くなっており、それに気づかないまま民は暮らしている。
現象を目撃しなければ永遠に気付かないだろう。
そんな小さな小さな異変に気付いたのは、持ち帰られたラシュの実を見たビリーの家の爺様と、森の中の小動物。
まだこの二人だけ――――
籠いっぱいの実。
全部が金貨に見える。
何といっても貴重な実だ。
一人一つずつ食べて、後は全部市場で売ろう。
いくらで売れるかな。
今までの値を調べねぇとな。
あれこれ小声で話し合い、狩り獲った獲物の分け前相談も忘れ、ホクホク顔で帰り着いた二人。
ここはビリーの家。
森の傍にあるこの小さな家に、ビリーは年老いた爺様と愛しい妻と3人で暮らしている。
「ただいま、モリー」
戸を開け、出迎えた妻をそっと抱き締めてお腹を優しく摩る。
愛しいモリーのお腹は膨らみ、あと2か月もすれば可愛い赤ちゃんが誕生するのだ。
珍しいラシュの実も手に入れ金貨の当ても出来、幸せいっぱい、にこにこと御機嫌なビリーだ。
釣られてモリーも自然と笑顔になる。
「今日は随分御機嫌なのね?いいものでも獲れたの?」
「あぁ、最高のものが採れたんだぞぉ。あとで食べよう」
「そうなの?それは楽しみにしてるわ。……あらぁ、クルフじゃないの。久しぶりね、ご飯食べていく?」
「うーん、いや、嬉しい誘いだけど、いいよ。家にも待ってる妻と子供がいるからな。―――――うん、モリーもあと少しだな?体には気をつけろよ、うちは難産だったからなぁ」
クルフは難産に何時間も苦しんだ妻の様子を思い出し、顔を歪めて首を横に振った。
「ありがとう、クルフ。もう5カ月になるんだっけ。可愛いでしょうね、今度お家にお邪魔するわ。参考に、いろいろ聞きたいし」
「あぁ、いいよ。是非、来てくれよ。育児ストレスで死にそうな顔してるから、いい気晴らしになるだろ」
茶目っ気たっぷりな笑顔を見せ、モリーにウィンクをするクルフ。
「おい、クルフ、部屋に行くぞ。早く話しあわんと。帰れんぞ」
「あぁ、今行くよ」
「…あ、じゃぁ、お茶を持っていくわ。待っててね」
機嫌良く鼻歌を歌いながらお茶の準備を始めるモリー。
この幸せな家族の雰囲気を破り、一息に不安の底に沈めたのは、爺様だった。
「ん?この匂いは…これは…おい、ビリー」
にこにこと柔らかい笑顔で、一連のやり取りをじぃっと静かに見ていた爺様。
ぶつぶつと呟いたかと思えば、ガタン!と音を立てて椅子から立ち上がった。
よろよろと籠に近付き、中の実を見つめ渋い表情を浮かべる。
「ビリー、これはラシュの実じゃぁないか。一体、どこにあった?どこで採ってきた?」
「もちろん、森の中さぁ。明日売るんだ。爺様、邪魔しねぇでくれよぉ?早く相談しねぇと。行こうぜ、クルフ」
爺様の様子に構わず、うきうきと満面の笑顔のビリーとクルフに対し、ぷるぷると手の震えが止まらない爺様。
「ビリー。大変だぞ。…ラシュの実だぁ?おととし生ったばかりじゃねぇか。まだ早すぎる。この他に、何か見んかったか……」
「…?何言ってんだぁ、爺様。別に何もなかったぞ、なぁ、クルフ?早いのはちょいと前に降った長雨のせいじゃねぇか?」
ビリーがクルフに同意を求めれば、うんうんと力強く頷く。
確かに、二人は何も見ていない。
「それに、この実が生るなんざ、予測不能でいつものことじゃねぇか。モリーの体に障るだろぉ?ったく、爺様、変な冗談やめてくれよぉ。ほら椅子に座って。顔色悪いぜ」
うんざりした口調で爺様を窘め、体を支え椅子に進めるビリー。
「そりゃぁ、魔王様の世が安泰な時だけだ。今は、違うだろうが。ビリー、クルフも。お前たちはまだ若い、これからだろう。ここから逃げることを考えた方がいいかもしれんぞ……嫌な予感がする」
「は…?逃げる?」
あまりの爺様の言葉。
意味が全く分からず、長く生きてきた者には従えとは言うけれど―――と、3人は不安な面持ちで互いの顔を見つめ合った。
***
翌日のナルタ繁華街の市場には、ラシュの実を売るべく準備をするビリーとクルフの姿があった。
前日に獲った獲物と一緒に小さな籠に入れて並べる。
「おい、昨日言ってた爺様の話、本当だと思うか?」
「信じられねぇけど…先祖から伝わる話ってことは、実際にそうなんだろぉなぁ。取りあえず、逃げるにしたって金貨が必要だろぉ?さっさと準備して売ろうぜ」
ビリーは作業の手を止めてしまったクルフを急かし、自身は釣り銭の最終確認をしていた。
―――兎に角全部売っちまって、もう一度話し合わねぇと。
爺様の取り越し苦労ってこともあるからなぁ――
昨夜のことを頭の中で反芻し、苦笑した。
何しろ震えおののく爺様を寝かせるのに苦労したのだ。
まったく、なんてぇ事だ―――――……
“に、逃げるって言ったって、何処へ。何訳わかんねぇこと言ってんだぁ?”
“最近は安泰してたからお前たちは知らんのだ……あぁ…悪いことは言わん。魔王様の御膝元、ケルンに逃げた方がいい。とりあえずここに居るよりマシだ”
――んなこと言ったって、はいそうですかと、簡単に出来るわけねぇだろぉ。
ここからケルンまでどんだけあると思ってんだよ。
モリーは身重だぜ?
ったく、いくら魔王様がご病気だからって、関係ねぇ。
ここはなんてったってナルタだ。
あのゾルグ様が管理しておられるじゃねぇか。
心配ねぇよ―――
ぶつぶつ呟きながらも小銭箱を整えてると「あらぁ、まぁ!」と女性の声が聞こえたので振り返れば、エプロン姿のご婦人がつぶらな瞳をキラキラ輝かせていた。
隣をチラッと見れば、クルフも生き生きとした顔で接客を始めている。
「いらっしゃい、オジョウサン。どうだい、いいだろぉ?」
「ちょいと、あんた、これラシュの実じゃぁないか。一籠おくれよ」
「まいどありぃ」
「お、いい匂いがすると思えば。これはいい土産ができたぞ。いくらだい?」
あちこちからどんどん手が伸ばされ、準備するそばから売れていく。
ほら、誰も何も言わねぇじゃねぇか。やっぱり何でもねぇんだよ。
街も道行く奴らも普段と何も変わらねぇ。爺様も心配性だなぁ。
不安が吹き飛び、ホクホクと頬を上気させ気分が高揚していく。
いつもの愛想笑いではなく、心からの笑顔が弾ける。
小銭箱の中にはかつてない金貨の山。
残り二籠になった時「全部くれ」と言った大きな手が、金貨2枚を差し出していた。
「ありがとよ!最後だぁ、おまけするぜ!」
上機嫌に袋と釣りを準備してる間、大きな手の主はすでに店から去っていた。
相手は二つ先の店の前を通り過ぎていく。
「…っと、おい!ちょっと待……ったく、もうあんなとこに行っちまってる。しかも、籠ごとかよぉ。仕方ねぇなぁ」
釣りは籠代だなと、自らを納得させ、頭をボリボリ掻きながらビリーは細身な背中を見送った。
***
その籠を抱えた大きな手の主は、帰宅してすぐに2個を抜き取り、出迎えの者に残りをどさりと手渡した。
「土産だ、好きにして良いぞ」
そう言えば、黄色い声が上がった。
現金にも、これだから貴方様が大好きなんですぅ、なんて甘えた声まで聞こえてくる。
毎回何かしら土産を買ってくるが、この反応。
それほどに皆コレが好きなのだ。
――さて、これが出たとなると。あの件と一緒に報告せねば。
階段を上がり見慣れたドアを目指す。
――っと、今はもしやお取り込み中か?
部屋の前に来れば、ギシギシと軋む音と一緒に甘くみだらな女の声が聞こえてくる。
最近ご執心のあの女中か、それとも新しい女か。
これは暫くかかるか?
始まったばかりかと思えば、一旦自室に戻り出直そうと考える。
脚を自室に向けると、達した様な女の声のあと音が止み『そこにいるのは、ジンか?入れ』と、ありがたくも迷惑な声がかけられた。
勘弁してくれ、老いたとはいえ私も男なのだ。
女が出てってから呼んでくれと言いたいが、その様なことはとても言えない。
躊躇しながらも一応ドアをノックし「失礼致します」と目を伏せつつゆっくりと部屋に入る。
しーんとしてるのが気になり目を上げれば、当主はくったりと横になった女中の首に顔を埋めているところだった。
全体的に薔薇色に染まった肌は美しく艶めき、恍惚に震えている。
ったく、済んでから呼べばいいものをと思うが、このお方は昔からこんな性格だから仕方がない。
「よし……暫くここで休め」
眠りに落ちていく女中の頬をそっと撫でて額に唇を落とし毛布をかけ、主はガウンを羽織ってベッドから降りてきた。
「ジン、待たせたな」
「ゾルグ様、只今戻りまして御座います」
「何か匂うな……」
「お気づきですか。流石はゾルグ様で御座います。コレが市場で売られておりました」
「これは……ラシュ、か!?」
手渡せば目を瞠り崩れるようにソファに身を沈めた。
「左様で御座います。別名、警告の実。破滅の実とも…。今は廃れた名で御座いますが、耳に心地いいものではありませんな」
主は額に手をあてがい、深い思考に入り込んだ様子。
創始の史実を紐解けば“この実出れば国土が闇に浸食された”と記されている。
街の者は気付いてる様子は皆無だったが、現象が進めばそのうち騒ぎ始めるだろう。
「貴様は、今コレが生るのは不自然だと考えるか?」
「はい、周期で申し上げれば、再来年の筈」
「ふむ。やはりか…コレが生ったとなれば―――」
「はい、ゾルグ様。最悪を考えれば、国土が失われつつあるかと存じます」
「…奴は、気付いているだろうな。急がねばならん。ジン、今一度あちらに向かえ。だが、その前に報告をしろ」
「は、畏まりまして御座います。…今、彼の地では―――」




