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「ユリアさん。今日はね、珍しく雨が降ってるんだよ!ほらっ」
翌朝、いつも通りに元気な顔を見せてくれたリリィが、じゃーん!と効果音を口にしながらカーテンを開けてくれた。
言葉通りに本当に天候が悪い。
カーテンを開けても部屋の中は薄暗いまま。
普段よりも暗いから、ついさっきまでは夜明け前と勘違いしていたくらいだ。
「雨、なの?日が見えないなんて、本当に珍しいわね」
ベッドから体を起こし、寝ぼけ眼を擦りつつ窓の外に目を向ける。
空を見れば分厚く黒い雲が広がっていて、向かいに見える碧い屋根はしっとりと水に濡れていた。
ラッツィオに来て、というか、この世界にいることを自覚してからというもの、初めて見る雨。
記憶の中でも一度見たきりで、しかも味わうことなく現実世界に目覚めてしまっている。
窓に駆け寄って外をじっくり眺める。
キラキラと太陽の光が当たってる時の景色に比べれば美しさに欠けるけど、眺めていると不思議と落ち着いた気分になる。
雨というものは、鎮静作用でもあるのかしら。
いつも見える城下の家並みは霞んでいて、遠くまでは見渡せない。
雨に煙る景色もいいものだわ。
窓を開ければしとしとといった雨音が聞こえてくる。
それは、ときには大きくときには小さくなって……。
自然が作り出す柔らかな旋律に耳を傾けていると、何だかこちらまで優しい気持ちになる。
ほんとうに、不思議なものだ。
「こんな日も、たまにはいいものね」
湿気を含んだひんやりとした空気が入り込み、夜着のままの体を震わせる。
くしゃみをして腕を摩っていると、リリィが口を尖らせながら窓に手を伸ばした。
「ユリアさん、ドレス着てないのに窓開けちゃダメだよ。何か羽織らないと体を悪くしちゃう。今日は、窓閉めとくね」
それに、しばらくは開けとく必要ないもんね、と言いながら閉める表情はとても寂しげだった。
血色も悪く目も赤くみえる。
あまり寝てないのかもしれない。
やっぱり白フクロウさんの容体が良くないのかしら。
ジークはひたすら大丈夫だって言ってたけれど。
「ねぇ?リリィ、白――」
「あっ、それでねっ。さっきね、廊下にいた衛兵さんが教えてくれたんだけどっ。今日の雨、ほんとに久しぶりに降ったんだって」
「そうなの。久しぶりって、どのくらい?まさか、半年ぶりとか」
「ユリアさん、ザンネン、不正解!もう一歩です!」
リリィの手が動きまわり、聞いた時の状況を再現し始める。
“リリィ、雨は珍しいんだぜ。聞いて驚くなよ?何と!一年ぶりだぁ!ロゥヴェルと、違うだろう?”
「って、こーんな笑顔でこーんな身ぶりも加わって、自慢気に言うんだけど。そんなのほんとかなぁって思っちゃった。信じられないでしょ。だって、雨が降らないと、緑がカラカラに枯れちゃいそうだよね?ロゥヴェルだと、ひと月に一度は降らせてくれるもん。それに、役人さんを通してお願いすれば、叶えてもらったり出来るんだよ」
「降らせてくれるって、誰が?」
ロゥヴェルには、天候を司る女神様がいるのかしら。
月の女神ヘカテみたいに。
月に一度空に現れては雨を呼ぶのだったりして。
雨乞いの神様?
「王様だよ。ロゥヴェルでは天気も国も王様が管理されてるの。怖いんだよぉ、すごぉく機嫌が悪いと、雨と一緒にカミナリが鳴るんだもん。ピカァーゴロゴロ、ドォォーンって、空がすっごい大騒ぎするの。雨はじゃんじゃか降るし、目なんて開けてられないくらいなんだから……あ、カミナリって知ってる?ほら、瑠璃の森にいるとき空が光ったでしょ。あんなのがずーっと続くの。小さい頃外で遊んでたらイキナリ空が暗くなってカミナリが鳴り始めたときは、足がすくんで動けなかったんだよ!もうっ、ほんとアレは怖いんだからっ」
当たって死んじゃうヒトもいるんだよ!
そう言って、小さな体をぶるる…と震わせた。
「でね、あのときおじい様が…」と言いかけて、ハッとしたように口を閉じる。
「リリィ?おじいさまは」
「あ!でもね、今の王様になってからはまだ一度もカミナリ見てないんだよ。今の王様は割と穏やかなお方だって言ってた。あっ、ね、ユリアさんはカミナリにあったことある?この国の人は、見たことも聞いたこともないみたいなの。びっくりしちゃった。ザキも“カミナリ?”って、微妙な顔してたし」
「んー…そうね。私は、カミナリのことはあまり知らないわ」
リリィの言う通りなら、オソロシイことこの上ないんだけれど。
記憶を掘り起こそうとしてみるけれど、何も浮かんでこない。
どうもカミナリには強烈な印象が無いみたい。
というか、白フクロウさんについて聞きたいことがあるのに、話がどんどん逸らされていくわね……。
「ラッツィオだと違うのかなぁ。バルさんは天候の管理とか何もしてないみたいだよね。一度聞いてみ……ぁ、ぃっけない!またたくさんお喋りしちゃった。もぉ~さっき注意されたとこなのにっ。ユリアさん、また夜に来るねっ」
「えぇ、いってらっしゃい。あの、リリィ?」
「なぁに?ユリアさん」
呼びとめれば、焦った顔で今にも駆けだしそうな体勢のまま振り返るリリィ。
「ぁ、お仕事と勉強、頑張ってね」
「はいっ、いってきまーす!」
弾ける笑顔で明るく叫び、ふわふわな赤毛を揺らしながらぱたぱたと駆けていくリリィの背中を見送り、ため息をつく。
変わらなく元気にも見えたけど、昨日の様子を思い返せば無理してるようだとも感じる。
いつも元気を貰ってるから今くらいはと考えるけど。
「私って本当にダメだわ、なんて押しが弱いのかしら」
話を聞き出すことも出来ないなんて。
気と力の抜けた体を天蓋の柱で支える。
でも、お喋りなリリィの勢いに敵うお方って誰がいるというの?
そう考えたとたんに、バルとアリの顔が順々に思い浮かんだ。
いつも黙らされるひとたち。
私も、あれくらいの有無を言わせない迫力を身につけなくては。
「ユリア様、おはようございます。本日は珍しく天候が悪うございますわ」
「おはよう、みんな。あら、雨もたまにはいいものよ?」
リリィを見送ったあと、少し残念そうに顔を歪めて入ってきた身支度侍女二人。
窓の外をちらっと見てそっと首を横に振ってる。
「普段ならば私達もそう思いますわ。でも…―――本日は、少し厚めのドレスをお召し下さいませ。さ、こちらをどうぞ」
「普段ならば―――?」
って、どういうこと?と訊ねようとして、口をつぐんだ。
そうだった。
この子達はお喋りしてくれないのだった。
ひたすらお喋りするリリィの賑やかさと一転し、部屋の中がメイク道具と衣擦れの音しかしなくなる。
白フクロウさんがいたときは、たまに羽ばたいたりしててそれなりに賑やかだったけれど。
ふと天蓋の上を見やる。
あの子がいないと、やっぱり寂しい。
正体が何であろうと構わないわ。
私の可愛いペットなんだもの、早く元気になって欲しい。
いつ頃あそこに戻るのか、眠りから覚めたのか。
リリィに聞けなかったイロイロは必ずジークに話して貰おうと決め、いつも通り大人しく侍女たちに身を任せた。
暫くして忙しなく動いていた細い指たちが止まり、目の前の真剣な顔付きが和ぐ。
フゥ…と満足げな息を吐いた唇が、綺麗な微笑みを作った。
さぁこちらへ、とサササと姿見の前に連れていかれ
「普段に増してお綺麗です!これならば大変満足して頂けますわ」
「えぇ、きっとお気に召されるでしょう」
にっこりと微笑む顔が両側から覗き込む。
「ありがとう」
貴女たち、何だか普段と様子が違うのね?という言葉は飲み込んでおいた。
鏡には、夜会以来久々に豪華に仕上げられた自分の姿。
着けられたアクセサリーの質も数も全く違う。
特別に着飾る理由。
室長からは何の予定も聞いてない。
で、満足してもらえるっていうのは?
いつも真っ直ぐに向けられるブラウンの瞳が思い浮かぶ。
……まさか、ね。
あの告白以来毎日欠かさず会ってるのに、今更満足も何もないでしょう。
他のお方に違いない。
例えば王妃さまがお茶会に呼んで下さるとか、王さまが興味本位で御話し相手に呼ばれるとか。
と、いろんな『とか』を思い浮かべていたら。
「綺麗だな。このまま独り占めしたくなる」
と。朝食後、予定外にも来たバルがそう言ってブラウンの目を細めた。
目にもとまらぬ速さで腰に手を回されぐぃっと体を寄せられる。
しっかりと固定された体は、押しても引いてもビクともしない。
今日は、離してくれる気はまるで無さそう。
「妃候補殿、随分と戸惑ってるようだが。急ですまないな。今日は一緒に出掛けるつもりで準備をさせた。だが、ご覧の通り生憎と雨が降ってる。ラッツィオの雨は一日中降り続けることはないが……」
うむ、この感じたと長くてあと半時程度だな。と、バルは窓の外を見る。
風もなく静かにシトシトと降り続ける雨。
遠くまで広がる雲は分厚く墨色をしてて、明るさは微塵も感じられない。
「俺としては、お前を笑顔にしたいわけだ。嫌なら行かない。どうしたい?」
“急に行くぞって言うかもね”
リリィすごいわ、貴女の言う通りね。
どうしたい、と聞かれれば出掛けるのは嬉しいと答えたい。
けど。
白フクロウさんのことも気になるし、バルが無理してるならとても困る。
それにこんな日に出かければ、衛兵たちはずぶぬれになってしまう。
遊びに出かけるのなら、天候がいいことにこしたことはないと思う。
「あの、バルは急に外出しても構わないの?仕事は?」
「この雨だろう、相手先が来られなく予定していたことが中止になったんだ。勿論、普段の仕事も調整して一日あけた。だから拒否されると却って暇になり、俺は非常に困るわけだ。ここに入り浸ることになるぞ」
「は?一日中ここに?」
「俺は、どちらでもいいぞ。うむ、一緒にアリの講義を受けるのも悪くないな」
アリの仕事ぶりも確認出来るし、昼も夜もお前とここで食事をするのも悪くない。と言ってにんまりと笑う。
一日一緒なのは出掛けても同じことだろうけど、部屋の中と外出先ではまるで状況が違う。
「黙ってるのは、肯定ととらえる。天候に対して異論がないなら、連れて行くぞ。ただし―――…」
バルはとても嬉しげに、条件を言った。




