リカルド
マリアンヌと出会ったのは13歳の時だった。
幼い頃から次期国王としての教育も始まっており、教師達からは神童だと騒ぎ立てられていた。教えられたことはすぐに覚え、理解できたことから自分でも優秀だと思っていた。
ある日、父上から婚約者が決まったと告げられた。
我が国の王族はまず仮の婚約者が決められる。仮の婚約者と言っても、殆どがそのまま正式な婚約者となり結婚となる。ただ稀に、愛する者が出来た何だと騒ぎ婚約破棄騒動を起こす者がいるため、面倒を避ける逃げ道として仮のとされていた。男の王族であれば、相手に不足が無ければ18歳の誕生日に正式な婚約者として紹介し、半年後に結婚という流れが慣例となっていた。
結婚は義務だと思っていたし、国が選定した相手であれば不足はないだろうと思えた。今まで好ましい女性に出会ったこともなく、自分が将来、愛だ何だと取り乱すとも思えなかった。婚約破棄することなく、そのまま父上が決めた相手と結婚するのだろうと考えていた。
顔合わせの日、王宮の庭園でマリアンヌを初めて見た時、花の妖精だと思った。
陽の光に照らされた白銀の髪はキラキラと煌めいていて、ピンクのシフォンドレスを身に纏う背中に、羽根は無いのかと探してしまった。
13歳にもなって、夢物語のような思考に走った事が恥ずかしくなりその場から走って逃げてしまった。追いかけてきた従者にこっぴどく注意され、マリアンヌの元へ戻った。
その頃は父上の仕事をほんの少しではあるが任せられており、自信を持っていた。そんな自分が、あどけない少女を前に逃げるしか出来なかった事実に驚愕し、恥ずかしくて終始顔を合わせられなかった。
「陛下!何故ですか!何故マリアンヌと、婚約破棄を認める取り決めなどしたのですか!?しかも、あんなふざけた方法で──」
マリアンヌが殿下と呼び名を戻し逃げ去った後、急いで陛下の元を訪れた。予定伺いなどしている場合ではない。不敬だろうが、知った事か。
ノックの返事も待たずに扉を開け、執務室へ乗り込んだが、陛下は不敬を問うどころかニヤついた顔を向けてきた。
「リカルド……。あれだけ猶予を設けてやったのに、500回もマリアンヌに暴言を吐くとは。我が息子とは思えない……、情けないよ……」
チッ、もう伝わっているのか。
よく見ると陛下の執務机の上には、あの金のカウンターが置かれていた。これは、時間を置けばマリアンヌに逃げられるかもしれない。
「18歳になろうかと言うのに、愛する女性に素直な気持ちを伝える事ができないとは……。まだ思春期真っ只中なの!?どこでどう育て方を間違ったんだろうね……。女性は優しく愛でて可愛がらないと、といつも言って──」
「──あー、それでマリアンヌは何と言って来たのですか?……まさか、本当に婚約破棄を認めてはいないでしょうね?」
私の話を遮るとは、と文句を言っているが、聞いている暇はない。俺と違って陛下は女性の扱いが上手いのは事実だが。
「100回、300回と約束を反故にしたから、500回目は誓約書を書かされたよ。マリアンヌも学習したのだね。500回達成した瞬間に婚約破棄を認めると……」
「──陛下!!」
何という事をしてくれたのだ。婚約破棄を認める誓約書を書いているとは。後少しでマリアンヌを正式な婚約者にできたのに。
「リカルド、きみがいつまでもマリアンヌに暴言を吐くのがいけないよ。私はリカルドの気持ちを知っていたから、マリアンヌが婚約破棄したいと言ってきた時に条件を出した。思春期も過ぎれば、好きな女の子に優しく接する事ができるだろうと思ってね。なのにいつまでも心にもない事を言い続けるとは……。マリアンヌの為にも婚約破棄したほうが良いのかもしれないね」
「ですが、私はマリアンヌ以外と結婚するつもりはありません!婚約破棄の撤回をお願いします!」
自分で蒔いた種だ。マリアンヌに暴言を吐き続けたのは自分で、弁解などしたくはない。
したくはないが、事の次第を知ってしまえば、少しはマリアンヌにも責められるところはあると思う。
とにかく可愛すぎたのだ。
顔合わせの後、親交を深める為に何度か会ったが、いつも心にもない事を言ってしまっていた。あの頃は、正直にマリアンヌと婚約できた事が嬉しいなどと、恥ずかしくて言えなかった。本当に思春期真っ只中だったのだ。突然訪れた初恋を受け止められず、好きな子を苛めてしまうという、今思い返すと赤面ものの黒歴史である。
それでも、マリアンヌが傷ついたような顔を見せるので、次こそは優しい言葉をかけようと思っていた。
それなのに、俺以外の男とダンスを踊っている最中に、俺には決して見せない笑顔を向けていたから、嫉妬のあまりその男と結婚すればいいとまた心にもない事を告げてしまった。
俺以外の男の手を取るなど許せるはずもないのに……。
優しい言葉を掛けてさしあげないと女性は逃げてしまいますよ。と従者に告げられ、次こそはと決意して会ったにも係わらず、マリアンヌの可愛らしい顔を見た瞬間、頭に血が登り、咄嗟に好きではないと言ってしまっていた。きっと悲しい顔をさせてしまうと後悔し、違うのだと弁解しようとマリアンヌの顔を見たとき、──笑っていたのだ。それはそれは嬉しそうに。
その次の機会にも、もう一度マリアンヌが好きではないと告げてみた。やはり笑った。ほんの一瞬、間近でマリアンヌを見ていないと分からない程度だが、嬉しそうに笑っていたのだ。その笑顔がとにかく可愛かった。きっとマリアンヌ自身、無意識で、笑っている自覚はなかっただろう。優しい言葉や気の利いた事を言えない為、マリアンヌの可愛い笑顔を見れるのは暴言を吐いた時だけだった。
マリアンヌの笑顔を見る為には心にもないことを言えばよかった。あの愛らしい笑顔を見るために、これまで止めなければと思いつつ、暴言を吐き続けてしまった。それが自分の首をゆっくりと絞める行為だとは、自業自得。
しかし、今にして思えば、マリアンヌもひどいではないか。俺との婚約破棄を嬉しそうに数えていたなんて。
「マリアンヌはきみが自分を嫌っていて、嫌いな人と結婚させられるのは可哀相だから婚約破棄した方が良いと言ってきたのだ。リカルド、きみの為にね…。誤解ではあるが、それを撥ね付けるにはきみの態度が悪すぎた。誓約書をと詰められた時も、了承するほかに無かった」
これがマリアンヌと交わした誓約書だと渡された。
「リカルドは婚約破棄しない、とまだ混乱しているようだが、すぐ冷静になり婚約破棄を受け入れるだろう。今日にでも隣国に旅立つので許可を、と言ってマリアンヌはすごい勢いで走り去ったそうだ」
マリアンヌと正式に誓約書を交わした以上、私から撤回はできない。マリアンヌ以外と結婚する気が無いのであれば、自分でどうにかするのだね、と言われた。
マリアンヌが今日中に旅立つのであれば、もたもたしている暇はない。
挨拶もせずに、足早に陛下の執務室から出て行こうと扉に手を掛けたとき、後ろから声をかけられた。
「そうだ、リカルド。何度も言うけど女性は優しく愛でてあげるのだよ。間違っても押さえつけて無理矢理奪うような真似だけはしないようにね」
「──……分かっていますよ」
絶対にマリアンヌを泣かすような事はしないでよ。これ以上、侯爵の機嫌損ねて領地に引き籠られたら、政務が滞るからね。とまだ何かいい募っているのを無視して執務室をあとにする。
一度自分の執務室に戻り急いで書類を書き上げると、至急陛下の認証印を貰ってくるよう言いつけた。
その間にマリアンヌがサインした誓約書を確認する。
確かに、私が500回目の暴言を吐いた瞬間、婚約破棄を認めるとあった。期限は私が18歳になる日まで……。
ここ最近は、通常の執務と合わせて自分の誕生パーティと、同時に行われる婚約発表、そして半年後に控えた結婚式の準備に忙しくしていた。これまで酷い態度を取り続けていた分、マリアンヌを心から喜ばせられるよう、結婚式は完璧なものにしたかった。
忙しいスケジュールを分かっていながらも、マリアンヌは度重なる面会を申し入れてきた。ほんの一時でもかまいませんから、一緒にお茶をと。
これまで常に控えめで、我が儘を言わないマリアンヌに多少の違和感を覚えてはいた。覚えてはいたのだが……、結婚が間近に迫り、表面上素っ気ない俺と少しでも親密になろうと頑張っているのだと思っていた。俺も、マリアンヌの顔が見られればと嬉しく思い、無理をして会える時間を調整していたのだが……。
実は陛下との約束の期限が近づき、焦った故の行動だったとは!
先ほどマリアンヌが呆けている隙に寝室に連れ込んだが、本気で閉じ込める気などなかった。ただ、私と結婚するしかないと諦めてくれれば良かったのに──。
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陛下の印が入った書類を受け取ると、従者や護衛の制止も振り切り急ぎ馬を走らせた。
隣国に行こうが連れ戻すつもりではあるが、一応王太子の身。色々と面倒な手続きが必要となる為、出来ることならば国内で捕まえておきたかった。
侯爵邸に駆け込むも、つい先程マリアンヌは旅立ったと告げられた。大人しいふりをして何と行動力のあることか。
慌てて隣国への道を馬で走ると、侯爵の家紋が描かれた馬車を見つけた。
馬車の前に回り込み止めさせる。御者に誰を乗せているのか尋ねると、やはりマリアンヌを乗せているとのこと。
馬車が止まった事を不振に思ったマリアンヌ付きの侍女が出てきたため、下がらせ、代わりに乗り込んだ。
「どうしたの──!?、……で、殿下!?」
突然現れた私が理解できないのか、口をパクパクとさせ唖然としているマリアンヌ。
「どこへ行くつもりだ、マリアンヌ」
マリアンヌをこの腕に抱くために5年も待った。
決して逃がしはしない。