<第20話> 王位継承戦・序
「師匠、今日もお願いします」
俺の目の前に、一匹のメスのワーウルフがいる。
そのワーウルフはディアラという名前を持っていて、族長の孫であるという。
母から受け継いだという、白銀の毛並みと、立派なケモノ耳。
笑えば獰猛な牙がその姿を現すだろう。
魔物だ。
現代日本でいう立派な怪物であり、モンスターであり、人外だ。
しかし、それは不思議なことではない。
なにしろ、当の俺が人間ではなくなっているし、肉体もないからだ。
魔王城の中庭で、俺は空を見上げる。
どんより曇った空だ。
「師匠……?」
心配げな声を出す弟子。
ディアラ・ラースターだ。
魔王ルドラークの四天王であるゼラスの紹介で、剣の手ほどきを行っている。
その最中であるのに、俺は別のことを考えていた。
それはもちろん先日の闇の洞窟での出来事。
俺ははじめて人間を殺した。
冒険者たちだ。
神官であり戦士でもあった。
殺した瞬間に、俺の中には罪悪感はなかった。
しかしその後に現れた男の冒険者を見たとき、ある感情がわきあがった。
なぜかは分からない。
その男は女連れで、まるでハーレムを築いているように見えたからかもしれない。
だが、確実に俺は思ってしまったのだ。
あっち側になりたい、と。
この魔王城が悪いとは言わない。
気の良い奴らばかりだ。
それでも、俺のかすかな人間の残滓が、あちら側へ立ちたいと、そう望んでいる。
俺はエルジェイドの専属騎士だ。
まだまともな仕事はしていないが、それでも少しは責任を感じている。
迷っていた。
しかし道は一つしかないのだ。
俺が鎧であり、魔物である限りそれは変わらない。
「ディアラ、今日は午前までだったな」
「え、はい。午後からはノイルさんに魔術の方を……」
「そうか……」
「し、師匠。何か至らない所があったでしょうか……?」
「いいや……」
ディアラはよくやっている。
少しずつだが成長している。
圧倒的力量差を前にしても、怯まず突っ込んでくる。
それがディアラの良い所であり、また悪い所でもあるが。
「ディアラ、人間をどう思う?」
「人間ですか……。いえ特に思う所はありませんが、剣星国の人間で、剣天という位があるのを知っています。ですから、一度は見てみたいと思っています」
「そうか。先日、俺は洞窟で人間を殺した。お前は殺したことがあるか?」
「い、いえ」
「なら、お前は人間を愛せるか?」
「え。い、いえ考えたこともありません」
「ワーウルフと人間は子を作れるんだろう?」
「そうですが!」
赤面したディアラが俺に詰めるように言ってくる。
初心なやつだ。
「なぜそのようなことを聞くのですか……?」
「なぜ、理由か」
「はい」
俺はなんでこんなことを聞いているんだろうか。
ディアラに、人間は弱小な生き物だと罵ってほしかったのか。
もしくは、人間が大好きだと言ってほしかったのか。
どれも違う気がする。
「そうだな……」
もう一度見上げても、空はいまだ暗雲に包まれている。
「俺は――……」
★
魔界・魔幻霊廟にて。
魔王ルドラークの、魔神昇格の儀を無事終えて、三人の兄弟たちはその残像を追うように横に並んでいた。
まず長男のキルフェ=デル=アッシェンバッフィアが口を開く。
「嗚呼、父上も酷な事をする。しかし、それも此れが最期だろうね」
「いいや、ボクちんは子を何人もつくるからまた続くぜ、キルフェ」
「フフ、実に楽しみにしているよ、ベドラーク」
そう言い残したっきり、長男のキルフェが背を向けて立ち去った。
転移魔法で光の欠片となっていく。
「そういうことだエルジェイド。お前はメスだからな。ボクちんがお前に種を分けてやってもいいぞ?」
「ふん。くっだらないわね」
次にエルジェイドが背を向けて、振り向きざまに兄のベドラークに侮蔑の表情を浮かべる。
そして吐き捨てるように、
「最初からあなたに期待しているヤツなんていないわよ。この豚」
「ナニィ?」
「キルフェに相手にされてないの分かってないの? ホントに救いようのない馬鹿ね」
「お前だってロクなシモベがいないだろうッ!」
「はぁあ、下調べも不十分。ならすぐワタシに挑みなさい。キルフェに潰されて利用されるよりマシだわ」
「覚えてろよエルジェイド!!」
そんなベドラークの声を聞きながら転移魔法を発動させる。
その光に包まれながら、ひとりごちる。
「小物が。舞台に弱い駒は要らないのよ」
★
「ディアラちゃん、どんどん強くなってますね!」
「ええ。飲み込みがいいヤツですよ。ノイルさんの教え方もうまいんでしょうけど」
「そんなことないですよ。というか、剣術の腕の方が上がってるんじゃありません?」
「いえ、魔術が上手くなって戦闘に活かせるようになった、と言うべきでしょうね」
「でも魔術を使うにしても、実戦を積まないと使うべきところで使えないでしょう? だから、クラディウスさんのおかげです」
「そうですかね」
サンドリラス城の長廊下で、俺はノイルさんと立ち話をしていた。
ディアラの修練も終わり、夕食と風呂の時間が終われば、城内はとても静かだ。
ディアラも自室でぐっすり寝ているだろう。
「そういえばディアラの修練っていつまでやるんです?」
「教え終わったら終わりですよ?」
「教え終わったら……」
そういえば、剣士として戦士として、とか偉そうなことほざいて免許皆伝とか言っちゃったけど。
――具体的なラインを決めていなくないか?
「ふむ、なるほど」
「本当にちゃんと考えてますか?」
「ばっちりです」
「しっかりしてくださいね。ここで中途半端なことしたら、お嬢様の面目丸つぶれですよ?」
「まあ下僕が不手際をしてしまったらそうなりますよね……」
腐っても、俺はエルジェイドの専属護衛であり専属騎士なのだ。
専属とつくからには、ただの下僕ではない。
その下僕をミスをしたら、それは上司であるエルジェイドの責任、ということに。
――なるのだろうか?
この魔物社会で?
「え?」
「あれ?」
「クラディウスさん」
「はい」
「これ、ただの剣術指南だと思ってますか?」
「え? 違うんですか?」
「……」
氷点下千度くらいの眼差しが俺の双眸を貫いていた。
「継承戦のことは?」
「ケイショウセン?」
「継承戦です! ディアラちゃんの指導を受けたのはゼラス様がお嬢様側に付くと約定を結んだからですぅ!」
「へ?」
――継承戦? 約定? 何も聞いていないんだが?
「もういいです! そろそろお嬢様が御着きでしょうから、その後に話しますっ!」
――ええー……。
いつもはマシュマロみたいに柔らかそうで優しそうなノイルさんが、今はぷりぷり怒っていた。
どすんどすんと廊下を踏み鳴らしてどこかへ行ってしまう。
――いやそれっぽい話はしてたかもしれないけどさ……。
何か隠語とか使ってたからよく分かんなかったし。
ぼんやりしていたこともあったし、喋らないキャラだからテキトーに頷くだけで何とかなるし。
「どういうことなんだ……」
★
「ノイルさんどこに行ったんだ……」
静寂な雰囲気の城内を俺はあてもなく歩いていた。
それにしても静かだな。
これだけ歩き回っているのに、見回りのゴブリンに出くわさない。
最近は夜に周囲の森を見て回っていたために、久しぶりの夜の城だ。
赤い絨毯が敷き詰められた長廊下を音もなく歩く。
すると、一つの気配を見つける。
こつんこつん、と城のゴブリンたちが履いている金属製の靴だ。
不思議なことだが、このサンドリラス城では同じ階にいないと俺は気配を感じ取ることができない。
おそらくは何かしらの魔術的措置が施されているのだろうが。
「おい」
「ああ、クラディウスさん。探していましたよ」
「みんなはどこだ?」
「地下の方に。あっしがご案内いたしまスヨ」
「ああ、頼む」
なんだ。
エルジェイドが転移魔法で帰ってくるってことか。
「こちらデす」
地下への螺旋階段を下り、薄暗い石の床を歩く。
そういえば地下へはあまり来たことがなかった。
俺がこの鎧になった日に、放置された部屋を横に通り過ぎる。
――懐かしいな。
地下は思ったより広く、まだまだ奥に続いている。
いくつも部屋があって、それぞれ扉の上にプレートがつけられている。
ギリシャ文字みたいな、なんかよくわからない文字が彫られているが、さっぱり読めない。
おそらくは倉庫とか、書庫とか書いてあるんだろう。
あまりこういう所はこだわりがない。
知ろうとも思わないし、知ってどうするんだって思ってしまう。
「ここでス」
ゴブリンに案内された部屋に入ると、その部屋は埃っぽかった。
視覚的にはあまり変わらないが、光源がなく、真っ暗。
というか、光がなくても見える俺には、部屋に何もないのが分かっていた。
俺の感覚が、長らく使われていない部屋だということを教えてくれる。
「本当にここか?」
奇妙な部屋だ。
近くに居るのに、背後のゴブリンの気配を感じることができない。
「……はイ。ここでやんス」
「ん?」
ちくりと、違和感。
次の瞬間、意識が吹っ飛んだ。




